第二章 街の影
初級魔法で身体強化ができるようになったおかげで、街の城壁がすぐに見えてきた。
「……やっと着いた」
胸を撫で下ろし、ほっと息を吐く。
門へ向かう人々が列を作っており、ルミナもその最後尾に並んだ。
だが──
「おい、止まれ」
門番のひとりがルミナの前に立ちはだかった。
その目は、まるで汚物を見るような冷たい視線。
ルミナが戸惑っていると、門番は無言で手を突き出した。
びくっと肩が跳ねる。
その手が何を求めているのか、すぐには理解できなかった。
「……え?」
「通行料だよ。さっさと出せ」
怒鳴られ、ルミナは周りを見た。
誰も払っていない。
言おうと口を開いた瞬間──
「なんだぁ?」
さらに大きな声が飛び、喉がひゅっと縮む。
震える手で、ルビーからもらった袋から金貨を取り出し、差し出す。
門番はニヤリと笑い、そのままポケットにしまった。
「よし、行けよ。いつまで突っ立ってんだ」
「……お、お釣りは……?」
その言葉に、門番の顔が一瞬で怒りに染まった。
「ふざけんな!」
ドンッ!
強く突き飛ばされ、ルミナは地面に手をついた。
痛みよりも、胸の奥がずきりと痛んだ。
(ルビーからもらった……大事なお金なのに……)
悔しさと悲しさが混ざり、喉が熱くなる。
街に入ると、空気が変わった。
ルミナが歩くたびに、人々が道を開ける。
逃げるように、消えるように。
「なんで邪神の使者が……」
「見ちゃダメよ、あれは……」
親が子どもを抱き寄せる声が聞こえた。
(……邪神の使者? 私が?)
胸がざわつき、息が苦しくなる。
杖を買わないと、と呟きながら辺りを見回すが──
人々はルミナを見ると、蜘蛛の子を散らすように消えていく。
「なんなのよ……」
──涙がこぼれそうになるのを、ルミナは必死にこらえた。
上を向くと、
リビー、アリス、サンの顔が脳裏に浮かぶ。
(……あの二人、杖から魔法を放ってたよね)
ふと、淡い希望が胸に灯る。
(もしかしたら……杖があれば、わたしも中級魔法が……)
その小さな希望だけを頼りに、
ルミナは王都の通りを歩き、武器屋を探した。
やがて、
ほうきに乗った魔法使いの看板が目に入る。
「……ここ、かな」
恐る恐る扉を開けると──
「いらっしゃいませ!」
幼い声が響いた。
声の方を見ると、
カウンターの隙間から、六歳ほどの女の子が顔を出していた。
「杖が……欲しいの」
ルミナが言うと、
女の子はにこっと笑った。
「今ね、ママは買い物行ってるの。
座って待っててください!」
ルミナは椅子に腰掛ける。
すると女の子は絵本を抱えてきて、
ルミナに差し出した。
「読んで!」
「いいわよ」
本を受け取った瞬間──
女の子はルミナの膝の上に、ちょこんと座った。
(……かわいい)
表紙には、
光に包まれた“女神様”の絵。
ルミナはページを開き、読み始めた。
『昔々、女神様がこの世界を作りました。
女神様は自分と同じ姿の“人間”を作り、
次に“エルフ”を作りました。
みんな仲良く、平和に暮らしていました。』
ページをめくる。
『そこへ邪神が現れ、
美しい世界を奪うために“魔族・獣人・ダークエルフ”を作りました。
しかし人間たちの力で邪神は追い返されました。』
ルミナの指が止まる。
『邪神は諦めず“魔王”を作り、再び世界を奪おうとしました。
女神様は“勇者”を作り、
魔族・獣人・ダークエルフを滅ぼしました。
そして世界は平和になりました。
めでたしめでたし。』
ルミナの顔から血の気が引いた。
「……なに、これ……」
絵本に描かれた“ダークエルフ”は、
黒いゴブリンのような、醜い怪物だった。
(わたし……こんな存在だと思われてるの……?)
その時──
ガチャッ。
扉が開き、女の子の母親が入ってきた。
「ただいま──」
娘がルミナの膝に座っているのを見た瞬間、
母親の顔色が変わった。
「……っ!」
急ぎ足で駆け寄り、
娘を奪うように引きはがす。
そして──
パァンッ!!
ルミナの頬に、強烈な平手打ちが飛んだ。
「うちの子に触らないで!!」
「わ、わたし……」
言いかけたルミナに、
母親は近くの灰皿を掴み、構えた。
「出ていけ!!」
震える指で扉を指差す。
ルミナはフラフラと立ち上がり、
外へ出た。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
しばらく立ち尽くし、
さっきの絵本の内容が頭の中で何度も反芻される。
(……わたしは……邪神が作ったものなの……)
空を見上げる。
青いはずの空が、
どこか遠く、冷たく見えた。
「とりあえず……宿を探さないと」
気持ちを立て直し、街を歩き回る。
やがて一軒の宿を見つけ、扉を開けた。
賑やかだった室内が、一瞬で静まり返る。
全員の視線がルミナに突き刺さる。
門番と同じ、汚物を見るような目。
ルミナは唇を噛み、受付へ向かった。
「すみません、部屋を──」
「満室だ」
言葉を最後まで言わせてもらえなかった。
「どんな部屋でも……」
「いいから出てけ!」
怒鳴られた瞬間、後ろから肩を掴まれた。
「邪魔だ」
横に押し倒され、ルミナはよろめく。
キョトンと男を見上げると、男は受付に向かって言った。
「一名」
受付は即座に鍵を渡した。
その光景を見て、胸がぎゅっと締めつけられる。
(……私だけ、拒まれた)
男は鍵を受け取り、机の紙に何かを書き込むと、
いやらしい笑みを浮かべてルミナの顔を覗き込んだ。
「ここなら──あんたでも泊まれるかもな」
紙を押しつけて去っていく。
震える手で紙を開くと──
そこには娼館の住所が書かれていた。
(……あの男……)
怒りも悲しみも、全部が混ざって何も考えられなくなる。
「……はは……」
意味もなく笑いが漏れた。
自分でも何をしているのかわからない。
気づけば、街をふらふらと彷徨っていた。
気がつくと、中央の噴水に腰を下ろしていた。
水面に映る自分の顔は、
泣きそうで、弱くて、知らない誰かみたいだった。
そのとき──
ルビーの言葉が蘇る。
──辛いことがあっても負けないで。
何があろうと、私たちはルミナの味方だから。
その言葉の意味が、今になって胸に刺さる。
「なんなのよ……私が……何をしたっていうのよ……!」
叫んだ瞬間、堰が切れた。
大粒の涙が次々と溢れ、
ルミナは噴水の前で泣き崩れた。
誰も近づかない広場で、
ただひとり、声を殺して泣き続けた。




