“新郎様”が、ご来場されました。
結婚式の打ち合わせにおける「初回ヒアリング」は、新郎新婦とプランナーが顔を合わせる重要な場だ。
だが今日──私は、「新婦」でありながら「プランナー」としてこの場に座っている。
「……これは、職権乱用なのでは?」
そう呟いたのは私自身。
だって、誰よりもこの式場を熟知していて、誰よりもこの会議室の椅子を温めてるのが私だから。
そんな私の前に、すっと影が差した。
「初めまして、アルフォンス・クラヴィスです」
──見た目は、完璧だった。
漆黒の髪に、端正すぎる顔立ち。所作に無駄がなく、まるで貴族のような気品すら漂う。
なのに、その端整な顔は、ふとした瞬間にやけに馴れ馴れしい笑みを浮かべるのだ。
「久しぶり、リリィさん。あれ、覚えてない?」
「……え?」
「まあ、無理もないか。小学校のとき、引っ越し前に隣の席だったアルフォンスです」
記憶の底で、じんわりと古傷のようなものが疼いた。
「──ノートをやたら几帳面に取ってたのに、体育の時間にやたら転んでた子?」
「そうそう。で、リリィさんが『もっと転び方にバリエーションを』とか言って、転倒レパートリーを指導してくれた」
「やめて。あれは“応援”じゃなくて“呆れ”だったの」
「うん、知ってた。でも嬉しかったよ」
笑うな。そんな真っ直ぐな目で笑うな。
私の脳内で、ブライダル警報が鳴り響く。
──この人、もしかしなくても“本気”で新婦欄に私の名前を書いたのか?
「ちょっと待って。そもそも、どうして私を新婦に?」
率直に問いただすと、彼はごく自然に言った。
「だって、君がいちばん素敵だったから。子どものころも、今も」
「──ッ」
プロポーズのセリフは、式場の台本にいくらでもある。
でも、それを“自分向け”に言われるなんて、想定外すぎる。
「ふざけてる?」
「真剣です。あの頃、引っ越し先から何度も手紙書こうとしたけど、勇気が出なかった。だから今、全部まとめて返事してるつもりで」
そう言って、彼は小さな箱をテーブルに置いた。
開くと──中には、折り目のついた、何通もの古びた手紙が入っていた。
宛先:リリィ・アルバ=リュミエール様
差出人:アルフォンス・クラヴィス
「──なんで、出さなかったの」
「出す勇気がなかったんだよ。君のほうが、いつも何倍も眩しかったから」
そんなの、ずるい。
今さら言われても、もう私は──
私は──
「……一応、式場の担当として、お話はお伺いします」
何を言っているんだ私。動揺を表に出すまいと、マニュアル対応で心を鎮める。
でもその手は、気づけばそっと、あの封筒の一つに触れていた。