7話 再会
「いい大人が話し合って、どうやったらこんなふざけた結論に辿り着くの? なんで弟を巻き込んだの!? まさか、弟を呼んだら私が喜ぶとでも思ったわけ? なぜ? 意味が! 分からない!」
怒気を含んだ夏紀の叫びが、部屋中に響き渡る。次の瞬間、ゴウゴウと唸る風が吹き荒れ、足元が揺れた。テーブルやソファが音を立てて浮き上がり、棚に飾ってある調度品が次々と壁に叩きつけられる。
近くにいた騎士らしき男が「ナツキ様、落ち着いてください」と抑えようとするが、夏紀の肩に手を伸ばそうとした途端、「触んないでよ、このセクハラ野郎!」と怒鳴られていた。
アルベルトは赤髪の男に庇われており、レオナードやカーティスはそれぞれ棚の後ろに隠れるなどして身を守っている。
「あんたも知ってたの!?」
問われた騎士が慌てたように「まさか」と首を横に振る。
「じゃあ知ってたやつは誰!? 関係者は全員出てきなさい! みんな殺してやる!」
あまりの剣幕に、道春は咄嗟にユリスの服を掴んだ。
「大丈夫か」
「う、うん」
道春の耳元で囁きながら、ユリスは道春の肩に手を回し、庇うように頭を下げさせる。ユリスがなにか唱えると、道春のネックレスが光った気がした。
「信じられないかもしれないが、聖女は人を傷つけるようなことはしない。安心していい」
「……マジ? 本気で言ってる? 窓とか割れてたけど」
「大丈夫だ。器用な方だから人に被害はない……はずだ。それに、おそらく殿下たちも聖女の怒りを見越して対策されていると思う。……たぶん」
不安の残る言い方をするなよ、と思った瞬間、バリバリと耳をつんざく音が響いた。どこかでまた何かが砕けたらしい。本当に大丈夫なのか。
若干の懸念はあったが、ユリスが妙に冷静なせいで道春も落ち着きを取り戻す。確かに暴れているのはモンスターでもドラゴンでもなく自分の姉だ。いずれ怒りは収まるだろう。道春の記憶の中の夏紀は、短気で怒るととにかく怖かった。まぎれもなく、変わらぬ姉の姿である。しかも夏紀は道春のために怒っているのだ。怪我人の心配がないのなら、思う存分怒ってほしい。そしてあのムカつく王子を、心の底から震え上がらせてやってくれ。
(それにしても……)
ちら、とユリスを窺う。至近距離にあるユリスの顔は、混乱の渦の中にあっても変化がなく、感情が読めない。焦りなどはないようで、ただ静かに前を見据えている。
道春の視線に気付いて「どうした」と声をかけるときに、わずかに気遣わしげな顔をしたものの、道春が「なんでもない」と首を振ると、安心させるように肩を叩き、すぐにまた元の表情に戻った。
この場にいる他の男たちは、アルベルトも含めて慌てふためいているというのに、いっそ呑気である。
道春とユリスの座っているソファだけ、まるで別の世界にあるみたいだ。
「姉ちゃんのこと、止めなくていいの?」
「いいんじゃないか。聖女の怒りは最もだと思う」
「え」
淡々とした物言いに、思わずユリスを見つめてしまう。
「なんだ」
「……なんでもない。それより、姉ちゃんが無茶苦茶言ってるけど大丈夫なの? あの人、一応王子だよね?」
「問題ない。聖女を罰せる人間なんかこの国にはいない」
ユリスの言う通り、夏紀の怒りに対して男たちは反撃するでもなく、ただ防御に務めている。おそらくアルベルトの護衛だと思われる赤髪の男は、道春がちょっとアルベルトにつっかかっただけで剣を抜こうとしていたのに、夏紀に対しては無抵抗だ。
アルベルトの言っていた「ルナネリス王国で聖女は神にも等しい存在」という意味が、少し分かった気がした。
対する姉は、苛立ちを露わにして、頭を掻きむしっている。
「なぜ弟がここにいるの! ――――王子!」
悲鳴に近い声を上げながら、ぎらぎらとした目で夏紀はアルベルトを睨みつける。説明を求められたアルベルトは、渋る赤髪の男を手で制し、果敢にも夏紀に向き合った。
「ナツキの心を癒すためだ! 長い間、弟のことを案じていただろう。今は戸惑いも大きいかもしれないが、いずれは――」
ガシャン、と窓ガラスが砕ける音が割って入った。部屋の空気がビリビリと震えている。
「私のため! 正気!? あんた頭いかれてんの、ふざけんじゃないわよ!」
怒りに満ちた夏紀の声が、壁に反響して跳ね返る。アルベルト言い分が、夏紀の怒りに油を注いだのは明らかだった。冷静に考えれば当たり前だ。弟を勝手に召喚した理由が『ナツキのため』だなんて、怒りを煽るための作戦としか思えない。
「殿下っ、聖女様の魔力が暴走しかけています!」
棚の影に身を潜めていたカーティスが叫ぶ。夏紀の周囲に、雷の火花のような光がバチバチと弾けていた。
「信じられない! 私のためって、弟を巻き込むこと!? どうかしてる! こんな国のために尽くす必要があるわけ!?」
夏紀の声が一層鋭くなり、怒りが頂点に達したと思われたその瞬間。
――シン、とわずかな静寂が訪れる。
そして爆発したように笑い出した姉の口から、とんでもない言葉が飛び出した。
「そうだ! 滅びたほうが世のためになるんじゃない? 一度、まったいらな更地にして、ここに新しい国を築きましょう!」
そう言って高笑いをする夏紀の姿は、もはや聖女ではなく女帝である。
(マジでとんでもないこと言ってる……)
道春は夏紀の言葉に慄きながらも、姉の短気な性格に懐かしさを覚えていた。笑ってる場合では全くないため、口元が緩みそうになるのを必死でこらえる。
(全然変わってない……)
七年ぶりの再会に、道春は大人になったであろう夏紀を想像して緊張していた。けれどそんな道春の緊張を、夏紀の怒りが吹き飛ばす。怒れる姉の姿は、記憶の中の夏紀とまるで矛盾しておらず、失踪なんてなかったような錯覚を覚えた。
そう。夏紀は本来、気が強いし、怒ると怖い。道春には優しかったが、約束ごとには厳しかった。
嫌なことははっきり嫌だと言う性格で、だから道春は、夏紀の失踪の理由が家出だと、しばらく信じることができなかったのだ。
もし、道春の面倒を見るのが嫌だったら、最初からそう言っていたと思う。
変わらない姉の姿は、道春を安心させるもので、再会したら何を話そうと緊張していたことが馬鹿らしくなってきた。
夏紀は異世界に聖女として連れいていかれただけ。
道春の知らない場所で、もがき、怒り、どうにか帰ろうとしていたのだ。
あの夏の帰り道、ぽつんと一人で取り残された、十歳のころの自分が、救われていくのを感じた。
庇ってくれているユリスに大丈夫だと目線で伝え、勢いよく身を乗り出す。
「姉ちゃん!」
荒れる室内に、道春の声が響く。
夏紀の身体がびくりと震え、そのまま勢いよく振り返った。
途端に部屋が静まり返る。周りの人間は、固唾を呑んで、聖女の動向を窺っている。
「……みっちゃん」
夏紀に名前を呼ばれ、立ち上がる。
立ちつくす夏紀に向かって微笑んで、一歩踏み出すと、弾かれたように夏紀が動いた。
「みっちゃん!」
腕を広げながら一直線に駆けてきた夏紀に、ぶつかるように抱きしめられる。身長は、少しだけ道春の方が高くなっていた。怒りと興奮のせいか、夏紀の体は熱を帯びていて、心臓の音が道春にまで伝わった。
「生きてる……」
こぼれ出た言葉を聞かれていたのか、背中に回されている腕の力が強くなる。
「生きてるよ。生きてる。心配かけてごめんね……」
耳元で聞こえる懐かしい声に、涙が出た。
頭の中に、これまでのことが駆け巡る。
夏紀の失踪後、ギクシャクするようになった母との関係。逃げるように田舎の祖父の元で暮らすようになったこと。母の再婚を電話で告げられたこと。そして祖父の死。
母から一緒に暮らすかと提案されたものの、今更どう向き合えばいいのか分からず、一人で住むには広すぎる古い一軒家での生活を選んだこと。
仲がいいと信じて疑わなかった姉が失踪したことで人の気持ちが分からなくなり、誰かと深い関係を築くのを避けるようになってしまったこと。
考えても仕方がないと思っても、すべての始まりは、夏紀の失踪にある気がしていた。
悲しんだし、裏切られたような気もして、恨むこともあった。
それでもなんとか気持ちに区切りをつけて、どこかで生きてくれてさえいればいいと思うようにした。
夏紀は生きていた。生きていたのだ。
周囲の空気が微妙に変わったことは気付いていたけれど、今はもう、どうでもよかった。
「……みっちゃん、かなり大きくなった? 最初、誰だか分からなかった」
体を離し、道春の顔を覗き込みながら、そんなことを言う夏紀に笑ってしまう。
あれから、声変わりもしたし、身長も伸びた。当時は小学生だった道春も、現在、高校二年生である。
「そりゃ、だって七年も経ったし。姉ちゃんはあまり変わってないね」
「え?」
「ん?」
道春を凝視する夏紀が凍り付いた。
どうしたのかと思っていたら、勢いよく両手で頬を挟まれる。観察するように、右へ、左へ、上へ、下へ、と動かされるのを、そのまま従順に受け入れた。
最後にまた正面に戻ると、口元をひくつかせる夏紀の、怯えた顔とぶつかった。
「……七年?」
「……七年」
「みっちゃん、今、何歳?」
「……十七歳」
瞬く間にナツキの顔から血の気が引いていく。その変化に、道春も嫌な予感を覚えた。まさか。
背後で、バリン、と何かが弾けた音がした。




