5話 目的
案内されたのは、どことなく現実的な雰囲気の応接室だった。
月の光が柔らかく差し込む大きな窓に、木製の重厚な扉。中央には豪奢なソファとテーブルが置かれ、壁一面に書物の入った棚が並ぶ。これまでの神殿の厳かな空気や、召喚の間の不気味さとは違い、ここには温かみすら感じられる。
道春が勧められたのは二人掛けのソファだったので、渋るユリスをあれこれ宥め、視線でデンカに許可を乞い、なんとか引きずるようにして隣に座らせた。
もともと道春を召喚した後、この部屋で説明を行う予定だったのか、定められたように金髪イケメンが道春の向かいに座り、その背後に赤髪の大男が控え、テーブル横にはカーティスが立った。緑髪の男は直接、夏紀を呼びに行ったようで姿はない。
年配のカーティスが立ったままなのは少し居心地が悪いが、自分は勝手に呼び出された客人の立場だ。遠慮なくソファは使わせてもらうし、ユリスにも近くにいてもらう。ユリスがおどおどしていても関係ない。いや、本当はちょっとだけ申し訳ないと思っている。
(まあ仕方ない。俺のために我慢してくれ)
などと、軽く考えていたそのときだった。
「私はルナネリス王国第二王子、アルベルト・ヴェル・ルナネリス。聖女召喚の儀を取り仕切る者だ。こちらの不手際で不便をかけてしまい申し訳なかった。改めて詫びよう」
あまり申し訳なさそうに見えない金髪イケメン――デンカの顔を、道春はポカンと見つめた。
るなねりすおうこくだいにおうじ。
金髪イケメンの爆弾発言を、頭の中で何度か繰り返し、ようやくカチリと意味が噛み合ったとき、思わず叫びそうになった声をどうにか飲みこんだ。
(お、王子……!)
そう。デンカとは「殿下」という意味で、王子のような服装は、まさしく王子だったから着ていたのである。偉いから偉そうだったのだ。
少し考えれば分かりそうなものだが、慣れない異世界で「デンカ」の意味がうまく理解できていなかった。そもそも、根っこから庶民の自分が「王子」という立場の人間に会うなんて、想像すらしていなかった。
ユリスはなぜ、そんな偉い人たちと顔を合わせられるのか。
道春が「偉いの?」と聞いたときは、「ただのフリーの魔導士だ」と言ってたくせに。
(だからフリーの魔導士ってなんだよ)
やはり「もともと王宮魔導士だった」という話を、もっと掘り下げて聞いておくべきだったのかもしれない。
けれど、もしユリスの身分が高かったとして、そんな人間があんな適当な格好をするか? たしかに、「本物の金持ちほどラフな服装をする」という通説もあるが、それは現代日本での話のような……。
王子といえば、目上も目上、最高地位の人だろうに、ユリスの身だしなみは大丈夫か。
王子の周囲にいる赤髪も、緑髪も、カーティスも、みんなきっと偉い立場のはず。だというのに、自分のわがままで、ユリスを隣に座らせてしまった。
いいのか? まあいいか。いまさら立てよとも言えないし。ユリス、ごめん。
さまざまな感情が渦を巻き、焦りや疑問が頭の中を埋め尽くしたが、だんだんと面倒になり――、道春は考えることをやめた。
「道春です。よろしくお願いします」
礼儀などもろくに分からなかったので、バイトの面接を思い浮かべながら、ひとまず自己紹介をして頭を下げた。
たとえ目の前のイケメンが王子であろうと、周りの人間の身分が高かろうと、自分には縁のない世界の話だ。ユリスのことだって、「これまで親切にしてくれた」という事実以上に大切なものはない。
ユリスが夏紀の姓を知らなかったことを思い出し、とりあえず名前だけを伝えることにした。
思いのほか落ち着いている道春が意外だったのか、デンカ、もといアルベルト王子は片眉を上げ、まじまじと道春の顔を眺めると、ふっと口角を上げた。
「ミチハルか。さすがは聖女の弟。肝が据わっているところもよく似ている」
道春は少しだけ戸惑った。
顔が似ているとはよく言われるが、性格のことまで言及されることは珍しい。夏紀と自分。共通点など考えたことはなかったが、少なくともアルベルトの目にはそう映るのだろう。
(似てる、か)
道春から姉を奪ったはずの相手でもあるのに、意外にも悪い気はしなかった。アルベルトの言葉に、嫌味も打算も感じられなかったからかもしれない。ただ、素直にそう思ったから言っただけなのだ。アルベルトは、夏紀を知っている。
そう思った瞬間、急に夏紀の気配が色濃く蘇り、目頭がわずかに熱を帯びた。冷静でいたはずの心が、緊張を取り戻すように音を立て始める。
「あの、姉とはいつ会えますか?」
待ち望んでいたのに、言葉にしたとたん、まだ心の準備ができていないことにも気付いてしまう。
夏紀が消えて七年だ。決して短い時間じゃない。姉の失踪で、道春を取り巻く環境も、道春自身の性格も、大きく変わった。幼いころのように、無邪気に接することができるとは思わない。会いたい気持ちは嘘じゃない。けれど怖くもあった。
道春は押し寄せる思いを飲み込みながら、静かにアルベルトに尋ねた。
こちらの胸中など知らないアルベルトは、笑みを浮かべたまま、鷹揚に頷く。
「いまレオナードが呼びに行っているところだ。なに、すぐ会えるさ。その前に、貴殿をこの国に召喚した理由を説明しよう」
レオナードとは、たぶんあの緑髪の眼鏡の男のことだ。
「すぐ会える」と言われたのに、どうしてだろう。夏紀との再会を目前に、道春の中で期待がしゅるしゅると萎んでいく。
(……そうだ。別に親切心で呼ばれたわけじゃない)
当たり前のことが急に現実味を帯びて襲ってきて、胸がひやりと冷たくなった。
何か目的があるはずだ。夏紀が「聖女」としてこの世界に呼ばれたように。
夏紀と感動の再会をしてハイ終わり、それでは一緒に日本へ帰りましょう、なんて展開になるほど、世の中は甘くないだろう。道春はこっそり息を吸い込み、身を引き締めた。
今この世界で、自分がどれだけ無力な存在なのか、忘れてはいけない。夏紀に会うためには多少の我慢も必要だと思うが、正直危険なことはしたくなかった。もしかしたらユリスは味方になってくれる可能性もあるが、それを当てにしすぎるのも違う気がする。
大事なのは夏紀に会うこと。そして、自分の身の安全。
自分にできることがあるならやってもいい。ただし、やれる範囲で。自慢じゃないが、特技も自信もない。無理なことは無理だと分かってもらわなければいけない。
「率直に言う。貴殿を呼んだのは――」
道春の考えを断ち切るように、アルベルトが口を開く。思わず手に力が入り、膝の上で指を固く握った。
次の瞬間、アルベルトは目を細め、まるで悪びれる様子もなく微笑んだ。
「聖女の癒しとなってもらうためだ」
…………?
「…………………………はあ」
――聖女の、癒し。
頭の中で反芻し、首を傾げた。
「反応が鈍いな」
アルベルトが片方の眉を上げる。
「よく、意味が分からなかったので……」
聖女とは夏紀だ。夏紀の癒しとなるために、自分は呼ばれた……?
(……癒し? 姉ちゃんの癒しは、猫では?)
正直、癒しと言われてもあまりピンとこない。
そういえば、この世界の人たちは日本語を話しているわけではなく、魔法陣に組み込まれている補助魔法で、勝手に言語が翻訳されている、とユリスが言っていた。もしかしたら、翻訳が間違っているのだろうか。
心の内など知らないアルベルトは、訝しむ道春の様子を見ながら、「あまり賢くはないのか?」などと失礼なことを言っている。
「……どういうことですか?」
「どう、とは?」
「姉の癒しって、具体的に何をすれば……」
「なにもする必要はない」
「えっ」
「ただこの国に滞在し、聖女の心を慰めてくれればいいのだ」
アルベルトが、当然だろうと言わんばかりに肩をすくめる。
「そうだな……。強いて言えば、聖女の話し相手になってもらうことになる」
そして、最後に付け加えた。
「貴殿は、聖女の最大の“未練”だからな」
アルベルトが何を言っているのか分からず、救いを求めて隣のユリスに顔を向けると、ユリスも道春を見ていた。前髪のせいで表情は分からないが、同情されていることは伝わってくる。
つまり今、自分はかわいそうな状況なのだろうか。
道春は特に何もする必要はなく、ただ夏紀の癒しになるためだけに、異世界へと連れてこられた……?
(――そんな理由で?)
夏紀と会えるのは嬉しい。生死さえ分からなかった姉との再会は、何にも代えがたいものではある。
とはいえ、道春には道春の生活があった。
夜道を自転車で走る高校生を攫う理由として、あまりにも軽すぎるのではないだろうか。てっきり召喚魔法は特別なものだと思い込んでいたが、意外と気軽に使えるものなのか。
「殿下。ミチハル様は混乱されているようです。この国における聖女の重要性や役割についても説いてみてはいかがでしょうか」
そう切り出したのは、テーブル横に立っていたカーティスだ。アルベルトは「そうだな」と頷くと、ゆったりと足を組んだ。
「貴殿は、ユリス・マーレにどの程度、この世界について説明を受けたかな?」
「……ルナネリス王国は大陸の中の小さな国だとか、ここは日本じゃないとか、だいたいの人は魔法を使えるとか、そんな感じです」
「聖女については?」
「尊い身分だから、丁重な扱いを受けてるはずだって……。生きてるし、元気だって聞きました」
「生死について心配していたのか。聖女とは、この国においてかけがえのない、きわめて大切な存在なのだ。我々が害するなどということはあり得ない」
アルベルトが憮然とした様子でそう言うので、道春もムッと口を結ぶ。
(知るかよ。いきなりいなくなったんだぞ? ずっと連絡もないんだ。最悪の可能性くらい、考えて当然だろ)
しかも、道春が姉の監禁を疑ったとき、ユリスは否定できないと言った。
いくら大切にしていると言われても、直接自分で確かめない限り、安心できるわけがない。
家族を失った人間に対して寄り添う気のないアルベルトの態度に、もともと低かった好感度が一気に下がる。この世界にとって、夏紀が「聖女」という尊い存在だったとしても、道春にはなんの関係もない。
道春の態度をどう思ったのか、アルベルトは不思議そうに眉を寄せ、そのままユリスに視線を投げた。
「マーレ。ミチハルに、余計なことを吹き込んではあるまいな」
「……はい。一刻も早く、殿下の元にお連れすべきだと思いましたので」
「ユリスは親切でした。変なことも言われてません」
自分のせいでユリスの印象が悪くなるが嫌でつい口を出してしまう。だが、余計にアルベルトの目つきが冷たくなったので、失敗したかも、と思った。
「……まあいい」
そう言って全然良くなさそうに、アルベルトが笑う。
「簡単に、この国について説明しよう」
道春とて、別になにも良くはなかったが、仕方なく頷いた。




