4話 召喚の間
「ここだ」
ユリスの言葉に視線を上げる。だが、またしても壁である。
(ん?)
よく見ると、目の前にある壁だけ、他とは微妙に違っていることに気が付いた。月の光を受けて白い輝きを放っているのは変わらないが、うっすらと何かが彫られたような跡が浮かんでいる。
ユリスが壁に触れ、呪文を唱えながらその跡をなぞると、淡く光り始めた。周囲も白いため光は目立ちにくいはずなのに、なぜか道春の目にはそれがくっきりと浮かび上がって見えた。光は蔦のように広がり、不思議な模様の壁画を形作る。まるで壁そのものが生きていて、脈打つかのようだ。
美しさの中にどこか不気味なものを感じ、ぞわりと鳥肌が立つ。「神秘的」なんて綺麗な言葉でごまかすことのできない、神の恐ろしさがそこには潜んでいるような気がした。
道春が怯んでいると、掴まれたままだったユリスの手に、ぐっと力が入った。ユリスにしてみれば、ただ魔法を使いたかっただけで、別に道春を勇気づけるようなつもりはなかったのだろう。けれど、温度を感じさせない横顔に奇妙な安心感を覚え、心がふっと緩んだ。
先ほどと同じように体が浮き、壁の中に吸い込まれていく感覚を覚えたとき、そういえばこの先に道春を呼んだ人間がいるのか、と急に現実を思い出した。
(やば。まだ心の準備ができていないかも)
そう思った、その瞬間。
「まさか失敗したのか!」
予想してなかった大きな声に、びくりと体が震えた。無意識にユリスのローブを掴む。
「そ、そんなはずはございません! 確かに気配はあるのです」
「ならば、なんとしても探し出せ。むろん無傷でだ。聖女に知られたら面倒だぞ」
低い声音には怒気が滲み、冷たい空気が首筋を這う。ピリピリした緊張感が肌に突き刺さった。
ユリスの背後に隠れながら、おそるおそるあたりを伺う。
そこは、少し異様な雰囲気の部屋だった。
さっきまでいた場所は、神の存在をうっかり信じそうになるほどの荘厳さがあったが、対してこの部屋はどこか薄暗い。壁に沿って並んだ燭台の火が弱々しく揺れている。ずっと照明器具らしいものを目にしてこなかったので、原始的なものも一応あるんだな、と変なところで感心した。広さは高校の教室くらいか。窓も扉もなく、閉じ込められたような圧迫感がある。
中央には円形の台があり、それを囲うように謎めいた紋様が描かれている。そしてその周囲には、背が高く、やたらと派手な四人の男たちが立っていた。
怒鳴り声は金髪の若い男のものだった。金糸の刺繍が光る王子様風の服を着こなし、整い過ぎた顔に冷たい怒りを浮かべている。怖い。
怒られているのは、おそらく白髪の年配男性だ。神官のような服に薄い灰色のマントを羽織り、縦に長い帽子をかぶっている。肩を落としながらも、両手には古びた鏡のようなものを大事そうに抱えていた。
金髪イケメンの背後には、赤髪の大男が控えている。黒い軍服のような服を着て、腰には剣を下げている。さらに、近くに神経質そうな銀縁眼鏡をかけた緑髪の男が立っていた。
(カラフルすぎる……)
――主に髪の色が。
全員髪の色が違って、だんだんそれにしか目がいかなくなる。しかも全員怖い。
ユリスもどこかアジア人とは違う顔立ちをしていると思ったが、黒髪黒瞳のおかげで、なんとか『洋風な日本人』として納得ができた。でも、この四人の現実離れした光景は、転移魔法のとき以上に異世界を実感させる。
派手な男たちの姿に目が疲れてきたので、そっとユリスの方に目線を動かした。
適当に伸ばしているとしか思えない黒髪、前髪のせいで何を考えているのか分からない顔、覇気のない立ち姿、ひょろりとした体躯、しかも道春よりひとつ年下……。
(あ、安心~~!)
本当に、最初に出会ったのがユリスで良かった。
視線に気付いたのか、前髪の隙間からなんとか見える黒い瞳と目が合う。笑いかけると、ユリスは戸惑ったように体を後ろに引いた。それにかまわず、腕を掴んで引き寄せる。
「っ、どうした」
「ここ、なに?」
「……召喚の間だ。聖女召喚の儀式はここで行う。あなたの召喚もこの部屋で行われたのだろう」
ユリスの言葉にもう一度部屋を見回す。大神殿の荘厳な空間から切り離された、こんな怪しげな部屋で召喚が行われているのかと思うと、なんだか気味が悪かった。
それにしても、と疑問が湧く。
殺気立った空気は肌に痛いほどなのに、四人は道春とユリスの会話にさえ気が付いていないようだ。部屋はそれほど広いわけではない。いくら金髪イケメンが興奮しているとはいえ、ここまで気付かないものだろうかと不思議に思っていたら、ユリスが指先を軽く動かした。その途端、全員の視線がこちらに向けられる。
「誰だ!」
鋭い声に、体が竦んだ。本当に怖い。
今のユリスの仕草を見るに、姿を隠す魔法でも使っていたのかもしれない。だから普通の声量で話していても平気だったのか。
(い、言えよ……!)
道春の疑問にはなんでも答えてくれるユリスだが、逆に言えば、道春が質問しなければほとんどなにも教えてくれない、ということが分かってきた。
これまでのやりとりで、ユリスの性格をなんとなく掴んできてはいるものの、まだ出会ったばかりである。道春も全てを先回りして尋ねておけるわけじゃないのだ。大事なことは最初に説明していてほしい。
恨みがましい視線を向けるが、ユリスには全く伝わっていないようだ。
ユリスの横顔から硬さを感じ、もしかしたらこの金髪の男相手に緊張しているのかもしれないと察する。
道春自身、平気で年上の人間を怒鳴りつけることのできる男に近付きたくなかったが、ユリスが歩き出したので仕方なく後に続いた。
「失礼いたします、デンカ。こちらの方が、先ほど私の家に突如現れまして。大神殿で何かあったのかと考え、急ぎお連れしました」
ユリスの背に隠れていたかったのに、そのユリスに促され、しぶしぶ前に進み出る。これまでずっと繋がれていた手が離れ、不安を覚える。縋るようにユリスを見れば、前髪に隠れた穏やかな眼差しとぶつかり、少しほっとした。
道春を怪しげに見ていた「デンカ」と呼ばれた金髪イケメンの顔が驚愕に染まる。
「まさか、その者は、」
「はい。聖女の弟君で、間違いないかと」
「…………どうも……」
穴が開くほど見つめられ、気まずくなった道春は、死ぬほど適当な挨拶を口にする。
途端に、赤髪男と緑髪男の目つきが厳しくなった気がしたが、言ってしまったものは取り消せないので知らないふりをした。
「似ている……」
呆然と呟くデンカに、そうですか、と今度は心の中で答える。本当にキラキラしている。イケメンすぎて引く。
先ほどまで自分より年上の男性に対して怒鳴っていた男は、道春を見てあっという間に機嫌を直したようで、その美しい顔に完璧な笑みを浮かべて見せた。
「失礼。貴殿は、聖女ナツキの弟で間違いないんだな」
「は、はい、たぶん。その、ちゃんと会ってみないと、分からないですけど」
「ははは。なに心配ない。このタイミングで現れる、聖女によく似た男が別人のわけがないのだから」
だが、と続け、にこやかだった男の目つきが険しくなる。視線はそのまま白髪の年配男性に向けられた。
「召喚する場所が違っているとはどういうことだ、カーティス」
「も、申し訳ございません!」
「謝罪はいい。原因を明らかにし速やかに報告しろ。召喚魔法に綻びがあることなど許されない。二度はないぞ」
「は!」
(マジで偉そう)
道春は唖然として成り行きを見守っていた。
実際偉いのだろうけど、年功序列の社会で育ってきたせいか、年上、しかも無害そうなおじさん相手に不遜な態度を取る人間にはうっすら不快感を覚える。道春は、顔色の悪くなっているカーティスと呼ばれた男にすっかり同情してしまっていた。
話の流れを見るに、道春が本来召喚されるはずだった場所はこの部屋なのだ。魔法がうまくいかなかった原因が、本当にカーティスにあるのかは分からない。しかし、道春としては最初に出会ったのがユリスで良かったと心から思っているので、召喚魔法とやらの失敗には感謝したいくらいだった。
(いきなり知らない世界に連れてこられて、こんな派手な大人たちに囲まれたら、パニックで泣いてたかも。デンカは怖いし)
道春が引いているのに気付いたのか、それとも単に気持ちを切り替えたのか、デンカがさっと笑顔を作って、「まあいい」と許しを出した。
「過ぎたものをあれこれ言っても仕方がないからな。貴殿も、突然のことでさぞや戸惑っているだろう。さっそくだが、貴殿をなぜこちらに呼んだのか、目的を説明させてもらいたい」
そう言うと、デンカは道春の隣に立っているユリスに目だけを向けた。口は笑っているが、視線は冷ややかだ。人によって分かりやすく態度を変える男に、ますます苦手意識が高まる。
「ご苦労だった。彼をこちらに連れてくてくれたことに感謝しよう。もう下がっていい」
「えっ」
尊大な態度の金髪イケメンと話が通じるのか不安に思っていたら、男が手を払いながらユリスに指示を出したので、大きな声を上げてしまった。こんなところに一人で取り残されるなどたまったものではない。
さっき約束しただろうと、ユリスのローブの裾を掴み、目でどこにも行くなと訴える。そんな道春に、ユリスはひとつ頷くと、デンカに向き直った。
「弟君は不慣れな場所で心細いようなので、できれば自分が傍にいることをお許しいただきたいのですが」
「そ、そうです! その通り!」
追随する道春に、デンカは、道春とユリスの顔を交互に見て、訝しげに片眉を上げる。
「…………随分、打ち解けているようだ」
「こちらに来て、最初に知り合ったのが私でしたので、他に頼れる者がいないのだと思われます」
「そうです! 俺にはユリスしかいないんです!」
勢いで適当なことを言っている自覚はあるが構っていられない。
絶対逃すまいとする道春の剣幕に、若干引いた様子のデンカは、少し考える仕草を見せ、不本意そうではあるが最終的には「いいだろう」と許可を出した。
あっさりと許されたことで、力が抜ける。このデンカという男、態度に出やすいところはいただけないが、もしかしたら話が分からない人間ではないのかもしれない。ほんの少し、認識を改める。
道春が安堵の息を漏らしていると、デンカの傍でじっと立っているだけだった緑髪の眼鏡の男が初めて口を開いた。
「デンカ。彼に説明をするなら場所を変えたほうがいいのでは」
「そうだな。客間に通そう。聖女も呼べ」
「……もう遅い時間ですが」
「かまわん。どうせまだ起きているだろう。こんな重大な事柄を後回しにできるか」
「かしこまりました」
――聖女。夏紀のことだ。
いよいよ、姉と会える。
その時が迫っていることを感じ、道春は静かに息を呑んだ。




