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3話 大神殿

 あまりにごちゃごちゃしていたせいで気付かなかったが、道春がいる部屋には扉がふたつあった。

 道春の位置からちょうど正面に見えるのがひとつ目の扉だ。物で溢れた部屋の中、その扉にだけは細い通路ができていて、なんとか人が通れるようになっている。

 てっきりそこから出るのだろうと思っていたが、ユリスが向かったのは道春の右側方向だった。動きを追うように視線を向ければ、棚と棚の間に挟まれた扉が目に飛び込む。邪魔な家具や積まれた本に存在をかき消されていた、ふたつ目の扉である。

 ユリスの後に続き、道春は棚の間をすり抜けるようにして扉をくぐった。

 散らかり切った部屋から一歩踏み出した途端、足元に何もない冷たい床が広がり、思わず「え」と声が出る。二畳ほどの狭い空間は薄暗く、空っぽで、床に円形の模様が描かれているだけだった。

 目を瞬かせていると、ユリスから、ここは転移魔法を使うとき専用の部屋で、邪魔になるといけないから余計な物は置かないのだと説明を受ける。

「ということは、ここが玄関?」

「いや。遠出をするときに転移魔法を利用しているだけで、普段使っている出入り口は一階にある」

「……もしかして、この家って思ってるより広い? 何階建ての家なの?」

「二階建てだ。別に広くはないな」

「やっぱりここはユリスの家?」

「そうだ」

 相変わらず、ユリスは道春がポロポロとこぼす疑問を丁寧に掬って、淡々と答えてくれる。呆れも煩わしさも感じさせない。

 ただ聞かれたことに返す様子は、まるでAIのようだ。この流れで急に部屋を案内してほしいと言っても、ユリスならば「分かった」と言って案内を始めそうである。ルームツアーに興味がないわけではないが、今はそれよりも大神殿だ。油断したらどんどん話が脱線していきそうで、気を付けようと自分を戒めた。

「これから移動するんだよね? 俺はどうすればいい?」

「魔法陣を使って転移魔法を展開する。円の内側に立ってくれ。」

 ユリスが床に描かれた模様を指さしたので、それに従って足を踏み入れる。どんな塗料を使っているのかは分からないが、黒っぽい線はうっすら光沢があり、表面がキラキラしていた。こんなもので本当に移動ができるのだろうか。学校にもバイト先にも自転車をフル活用している道春にしてみれば、夢のような魔法だ。

 ユリスも魔法陣に入り、道春がちゃんと位置に収まっているか確認すると、またブツブツと何かを唱え始めた。たぶん、これはきっと「魔法」を使うための呪文だと当たりを付ける。これって呪文なんだよね? と道春が訊ねなければ、ユリス自ら説明してくれることはないのだろう。

 会話では全く言語の壁を感じなかったのに、呪文(ということにしておく)になると急に意味が掴めなくなった。日本語でも英語でもない言語は聞き取りにくく、耳を素通りしていく。

 異国を感じてソワソワしているうちに、魔法陣が淡く光り始めた。次の瞬間、体がしなやかで弾力のある何かに押しつぶされるような感覚に襲われる。

 足元がふわっと浮いた気がして息を詰める。変な感じがする、と頭をよぎった時にはもう、目の前がまばゆい光に染まっていた。

「眩しっ」

 慌てて目を細めれば、見知らぬ光景が広がり、薄暗かった視界が一気に白く開けた。

「あれ、今、昼?」

「夜だ」

 ユリスが淡々と返す声に、道春は「あ、そうですか……」とだけ答える。頬が少し熱くなった。

 人工的な灯りとはまるで違う、柔らかくて透き通った光が辺りを包んでいる。恥ずかしさを誤魔化すように、道春は視線をそっと巡らせた。

 壁も天井も床も、磨かれた大理石のように真っ白で、光がその表面に反射している。部屋の四隅には、白い人型の石像が台座に立っていてこちらを静かに見下ろしていた。薄暗くがらんとしたさっきの部屋とはまるで別世界だ。

 本当に一瞬だった。一瞬で違う場所へと移動してしまったのだ。

「これが魔法……まじで……まじなのか……」

 さすがにもう、認めるしかないだろう。怪しい宗教団体、などと誤魔化すには無理がある。

 ここは異世界。本当の本当に異世界で、ユリスは魔法が使えて、道春はなぜかここにいる。

「これが魔法だ。体調は問題ないか」

「う、うん。ありがとう」

「なにかあったら言ってくれ。言われないと、俺は分からないから」

 気が遠くなりかけたが、ユリスに声を掛けられ我に返った。

 試しに頭や手足を揺らしてみる。ネックレスのおかげか定かではないが、体に異常はなさそうだ。

 深く呼吸をし、再び今いる場所を観察する。

 ほぼ全てが白い部屋だが、壁の上部には一部ガラスがはめ込まれていて、そこからは確かに夜の気配がうかがえた。外は暗いのに、室内はまるで昼間のような穏やかな明るさだ。天井を見上げても照明器具らしいものはなく、どうやってこんな明るさが保たれているのか謎だった。

 美しく、静かで、どこか神聖さも感じる。けれど、ユリスが「大神殿」と呼んでいたわりに、ずいぶんシンプルだ。

 広さも、道春の部屋より少し広いくらいだろうか。 床いっぱいに広がる金色の魔法陣は、細かい線が絡み合った模様が見事なものの、それだけだ。唯一気になるのは、どこを見回しても扉らしきものが見当たらないことだった。

「これが大神殿? なんか何もないな」

「ここは『転門の間』だ。転移魔法を用いるときのためだけに使われている。転移魔法は魔法陣で繋がっている場所の間でしか使えないから、主要な施設にはこうやって専用の部屋があることが多い」

 ユリスの説明に、「なるほど」と頷く。役割自体はユリスの家にあった魔法陣の部屋と変わらないらしい。

 歩き出すユリスについていきながら、隅にある石像をよく見てみる。女性をかたどった像で、ギリシャ神話を思わせる布を巻いたような衣装のドレープが目を引いた。表情は優し気で、かすかに微笑んでいるようにも見える。女神像だろうか。

 部屋は広くないので、ユリスはすぐに足を止めた。目の前は壁だ。どうやって外に出るのか不思議に思っていると、ユリスが壁に向かって手をかざし、再び呪文を唱え出す。

 まさかこの壁が出入り口なのか、と目を見開いたとき、ふっと体が浮き、地面とのつながりが薄れたような気がした。慌てる道春の手をユリスが掴む。

 魔法を使うなら心の準備をするから先に教えてくれ、と言う暇もなく、あっという間に体が壁に吸い込まれていく。

 スニーカー越しでも足元の感触が変わったのが分かった。

 驚いて振り返ると、そこには通り抜けたはずの壁が佇んでいた。

 真っ白な壁には傷ひとつない。よく見ると、表面には細かな文様が刻まれている。おそるおそる触れてみたが、感じるのはただの冷たい石の感触だけだった。

 魔法ってなんでもありなんだなと感心しつつ前を向いた道春は、息を呑んだ。

「わあ……」

 荘厳な空間が眼前に広がる。

 高くそびえる巨大な柱が、間隔を広く開けていくつも並び、ドーム型の天井を支えている。

 ドームの中央には大きな円形の開口部があり、そこからは満月の浮かんだ夜空が覗いていた。現代の日本とは違って地上に余計な光がないのか、無数の星のきらめきが海のように広がっていて、少し怖くもある。

 そういえば、と、道春がバイト帰りに見上げた夜空にも満月が輝いていたのを思い出した。異世界であっても、空に浮かぶ月は同じものなのだろうか。

 月の反射を利用しているのか、壁や柱は光を受けて、淡い輝きを放っている。夜だというのに室内は自然光のような明るさだと感じていたが、もしかしたら建物自体が月や星の光を利用した造りになっているのかもしれない。

 足元の床もまた磨き上げられた石でできており、月の光を受けてかすかに青みを帯びた光沢を湛えていた。

 穏やかな明かりに満ちた空間の中央には、台座によって見上げるほどの高さになっている純白の女神像が鎮座している。

「これが、大神殿……」

 あまりの厳粛な雰囲気に、転門の間を大神殿と間違えたのが申し訳なくなった。

 道春にとって、宗教とは決していいイメージのものではない。

 正月の初詣や、たまの神頼みを除けば、姉の失踪で傷ついている母に近づき、神の教えを説いてきた怪しい大人に、子供ながらにドン引きした思い出が残るのみだ。それもあって、今まではどこか胡散臭さを感じていたのだが、これだけ神聖な空間を目の当たりにすると、こちらの世界だと神様は本当にいるのかもしれないとも思えてしまう。

 神秘的な空気に圧倒されていると、ぐっと手のひらを握られた。壁を通ったとき、ユリスに手を掴まれており、どうやらずっとそのままだったらしい。

「行こう」

 低く響く声に、顔を上げる。長い前髪の隙間から真剣な眼差しで道春を見下ろしている。

「おそらく、ここであなたの召喚が行われたはずだ。きちんと説明を受け、聖女に……、ナツキ様に、会わせてもらおう」

 ユリスの言葉に、はっとして背筋を伸ばした。

 ここに、自分を召喚した人物がいる。なんのためだろうか。理由が分からず、少し怖くなる。それでも夏紀に会えるという以上、逃げる選択肢はない。

「うん」

 まっすぐ見つめて頷く道春に向かい、ユリスがほんのりと口角を上げた気がした。見間違いかもしれない。けれど、そのわずかな表情の変化が、今の道春には妙に心強く感じられた。

 そのままユリスに手を引かれ、先を歩くユリスの後を追う。手が繋がれたままなのが少し気になったが、別に嫌な感じはしなかったので口にはしなかった。

 代わりに、先ほど疑問に思ったことを尋ねる。

「なんでわざわざ壁を通り抜けたの? てか、転門の間にはどうして扉がないわけ?」

 夜だからか人の姿はほかになく、できるだけ小声で話すように気を付けても、声は思いのほか響いてしまう。だが、ユリスは道春を嗜めることなく、ここでも淡々と、いつも通りの声量で答えた。

「転移魔法と透過魔法を組み合わせることで防犯面を強くしているんだろう」

「透過魔法って?」

「体を透過させて、物質を通り抜ける魔法だ。転移魔法よりも難易度は低いが、それでも使える者は限られる」

「そのふたつの魔法が使える人しか通れないってこと? でも、それで防犯になる?」

「転門の間は壁に特殊な細工がしてあって、関係者以外は出入りできないようになっている。大神殿は王族も利用しているから、転門の間の位置自体も重大な機密情報として取り扱われているし、加えて秘匿魔法や隠蔽結界が幾重にも張られている。心配はない」

 平然とした顔で、さらりととんでもない発言をするユリスにぎょっとする。動揺が伝わったのか、ユリスがこちらに顔を向けた。

「なんだ」

「いや、ユリスが機密情報とか言うから……。じゃあなんでお前はそんな大事な情報を知ってるわけ?」

 言った直後、まずかったかなと頭の片隅で考えた。

 王族も出入りする場所の秘密を、ユリスは知っている。ということは、けっこうヤバい側の人間――権力者や偉い立場にいる人間――の可能性があるかもしれないといこうとだ。さっきまで親近感すら抱いていたのに、急に距離を感じてしまい、胸の奥がざわつく。

 実はめちゃくちゃ偉い人だったりしたら、気後れしてうまく話せなくなるかも……。

 怯む道春の内心など知らないユリスは、少し考えた後、「さあ、なんでだろうな」と答えた。

「はあ?」

 思わず大きな声が出て、反射的に口を押さえる。ちら、とユリスを見るが、やはり動じてはいない。大神殿だというのに、警備が薄いんだろうか。突然訪れる人間に対してあまりにも無防備すぎる。

「どういうこと? 自分でも分からないの?」

 ユリスは全く気にしていなさそうだが、道春はできるだけ声を落として尋ねた。

「成り行きとしか言いようがない……。一応、俺も召喚の儀式に関わっていたから」

「……ユリスって、もしかして……すごい人? 偉いの?」

「まさか。ただのフリーの魔導士だ」

「フリーの魔導士?」

「もともと、俺は王宮魔導士だったんだが、研究に集中するために独立した」

(なんだそれ……)

 まったくもってなにも分からない。

 まず、王宮魔導士とは。王宮で働いていたということだろうか?

(だったら、やっぱり偉いんじゃないか?)

 あと独立が早すぎる。お前まだ十六だろ。

 道春の想像する「独立」とは、日本の美容師のように有名サロンなどで経験を積んでから自分の店を構える、というものなのだが、それとはまた違うのか。社会人の独立事情をあまり詳しく知らないので、よく分からないが、研究に集中したいからなんていう理由で独立して働いているという年下の男が、なんだか眩しく見えた。

 そして、その「ただのフリーの魔導士」が、王族も利用するような重要な部屋を使える、なんてことがありえるのか。

(謎過ぎる。ユリスって何者だ?)

 もう少し、ユリス個人のことや、この世界の常識や魔法について詳しく聞いておくべきだったような気がして、後悔がじわじわと湧いてくるがもう遅い。

 今のうちに問いただしてやろうかと思ったが、その前にユリスが足を止めてしまった。

 気付けば中央にそびえていた女神像を通り過ぎ、大神殿の奥の方まで歩いていた。

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