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28話 誓い

「ユリス」

 ぼさぼさの髪。目の下の隈。ひょろりとした体躯。

 一時は端正な顔がはっきりと見えていたのに、道春と離れていたせいか隠れてしまっている。

 決して健康的とも、強そうとも言えない見た目だ。

 けれど、道春の目には輝いて見えた。

 ユリスの胸元のローブを掴み、ぐっと引き寄せる。そのまま黒い瞳を覗き込んだ。

「やれる、よな?」

「え?」

「お前ならやれる。俺は信じてる。絶対」

「あ、ああ」

 ユリスが戸惑いながらも頷いた瞬間、道春の胸に光が差した。

 もう怖いものはない。

 周りを見渡す。多くの人たちからの怯えた視線を一身に浴びながら、手のひらを握りしめた。

(どうにかしてやるからな)

 ――ユリスが。


 サクラに向き直る。

 不思議と、先ほどとは世界が変わって見えた。神々しいと感じていた彼女も、今はただ途方に暮れる女の子に映る。

「サクラさんは、帰還魔法が完成したら、救われますか?」

 分かりやすく声音が明るくなった道春に、サクラが怪訝そうに眉を寄せた。

 さらに問いかける。

「姉ちゃんの体に入れば、一緒に日本に帰れるんですか?」

 サクラの口は一瞬動きかけたが、すぐに閉じてしまった。

 沈黙が長く続き、場の温度が下がっていく。

 こちらを見下ろすサクラの表情には、追い詰められているような色が浮かんでいる。

『……そんな未来はありえません』

 時間をかけて放たれた答えは細く頼りない。

 重苦しい空気を吹き飛ばすように、道春は声を張り上げた。

「ありえます! なぜなら――」

 勢いに任せてユリスの背中を押す。

 よろめいたユリスが、一歩前に出た。


「ユリスが、全部なんとかするからです!」


 力強さだけはある主張が、広間に響き渡った。

 固まるユリスの肩をポンポンと叩く。「な!」と同意を求めると、ユリスが驚愕に染まった目を見開いた。

「ユリスは天才なんです。絶対に帰還魔法を完成させてやりますよ!」

 高らかに宣言したことで、人々の視線がユリスへと移る。

 どこからか「何を馬鹿な」と囁く声も届いてきた。

(本当に、お前らはなんにも分かってないんだな)

 ユリスが肩を竦めて小さくなるので、耳元に口を近づける。

「大丈夫だって。自信持てよ」

「いや、あの……」

「外野なんか気にするな。ユリスには実力があるんだから」

『道春』

 道春の一方的なやり方を見かねたのか、サクラが諭すように口を挟んできた。

『できもしない約束を、勝手に取りつけてはいけません』

「だからできるんですって!」

 もどかしさに、声が大きくなる。

 ユリスが自信なさそうにしているから信じてもらえないのだ。

 せめて背筋を伸ばしてほしい。そう思い念を送るがまったく通じない。

 仕方がない。自分がプレゼンするしかないだろう。深呼吸して気合いを入れる。


「ユリスは魔法に関してはすごいんです!」

 この際、この場にいる全員にユリスのすごさを知ってもらいたい。そう思うと、自然と熱が入った。

「空腹も睡眠も魔法でどうにかしようとする根っからの魔導士! 生活に便利な魔道具だって作れます。しかも売れてる! 魔導士の中でも使える人が少ない転移魔法も使えてるんですよ。研究だって毎日続けてます!」

 この世界にきて、いろんなユリスの姿を見てきた。研究に打ち込む後ろ姿はもちろん、普段の言動もだ。

 ユリスは、道春に嘘をついたことはない。

 初めて一緒に市街地に行ったとき、ルナネリスの街並みを見ながら、ユリスは必ず帰還魔法を完成させると道春に言った。あのときの道春は、その言葉を信じ切ることができなかったけれど――

 絶望すら漂っている空間で、道春だけが場違いに明るかった。


「実際、帰還魔法だって、魂だけは日本に飛ばすことに成功してるんです!」

 ユリスの実績を、ここぞとばかりにアピールする。

 すると、それまでは懐疑的だった様子の面々の顔つきが少し変わったような気がした。魔導士にはユリスの実力を知ってる者も多いのか、若干の期待も感じる。

 そんな中、アルベルトは苦い顔をしていた。

 ユリスは魂を飛ばすことに成功した直後に、帰還魔法の研究チームから外されている。邪魔をした自覚があるのかもしれない。


『……本当に?』

 サクラの声にも、わずかな揺れが感じられた。

 待ってましたとばかりに「本当です!」と続ける。

「ユリスは姉ちゃんのハンカチを使って、俺との道筋を見つけたんです。すごくないですか!?」

 前のめりになる道春の勢いに、サクラも押されていた。

「今までは研究材料が姉ちゃんのハンカチしかなかったけど、俺が召喚されたことでスマホも使えるようになったんです。あ、スマホっていうのは、向こうの世界にある生活必需品みたいなものなんですけど。最近、それを使って向こうの世界との繋がりを見つけようって話になってるんですよ!」

 口調がどんどん熱を帯びていく。

「まだ小さい希望なんです。でも、研究を進めれば、また一歩、帰還魔法の完成に近づくかもしれない。それなのに、国を消すのはもったいないと思います!」

 そうだ。こんなにも可能性を残してるのに、諦めるなんて早い。

 だいたい、今まで必死で頑張ってきたユリスの研究が、国の落ち度のせいで無駄になるなんてムカつくだろう。


「ユリスはマジでなんでもできるんです! 任せてください」

 そう言い切る道春の横で、ユリスはとうとう焦り始めた。

「な、なんでもはできない」

「できるよ!」

 食い気味に遮り、ユリスの両手を握る。

「ユリスはなんでもできるだろ! 俺のことだって助けにきてくれたじゃん」

 道春のために大神殿を壊すなど大胆なこともやってのけるくせに、自己肯定感だけが低い。

 苛立ち混じりにユリスを睨めば、ユリスの視線が泳ぎ始めた。

 少し顔が赤くなっている。照れているのか、困っているのか。

 ……確かに、生活習慣が崩壊しているユリスに「なんでも」は言い過ぎだったかもしれない。


「ユリス」

 握りしめた手に力を込めた。ユリスの肩がぴくりと震え、眉が徐々に下がっていく。

「帰還魔法は、ユリスが完成させてくれるんだよな?」

「……必ず」

「ほら!」

 思わず笑みが浮かぶ。

 ユリスは、この約束だけは絶対にごまかさずに誓ってくれる。

「ユリスもこう言ってます。だから、もう少し時間をください。絶対にユリスが日本に帰らせてくれるから。そのときは、サクラさんも一緒に帰りましょう」

 道春の提案に、サクラが息を詰めるようにたじろいだ。

 その目に迷いの色が差す。

 ――もう少しだ、と直感する。


「この国は、聖女ひとりに全部を背負わせすぎですよね。分かります」

 サクラの視線を受け止め、道春は声のトーンを落とした。

「これまで、それが当然だと思ってたんです。聖女ありきの国だから、いなくなったらどうするかが想定されてないんですよ。情けないですね」

 この国にとって、聖女や魔法は存在して当たり前のものだった。だから例外が現れると、冷静に対応できず迷走する。

 夏紀のように国を愛さない聖女や、道春のように誓約魔法が効かない者が現れると、途端に脆さをさらけ出す。

 振り返り、アルベルトを見据えた。目に「分かってるよな」という圧を込める。

「でも、そういうのは今度から国がどうにかします。変わりますよ。な、王子! もう聖女の力には頼らないよな! 姉ちゃんを最後の聖女にするだろ」

 たたみかける道春に、アルベルトの判断は速かった。

 サクラに向かって即座に膝をつき首を垂れる。

「誓います」

 完全服従だ。

 ここにきてまで悪あがきするほど愚かじゃないらしい。道春は満足げに頷いた。


「こう言ってるので、許してあげてください。……いや、やっぱり『許せ』とは言いません! 許すか許さないかはサクラさんの気持ちの問題ですもんね。それは好きにしてください。最悪、王家だけは潰したいっていうなら、もうそこは止めないので」

 責任を取るのも上に立つ者の務めだろう。

 しかしサクラはアルベルトに一瞥もしなかった。ただ、道春とユリスを交互に見つめている。

 何かを言いかけてはやめ、それを繰り返す。道春は静かに、言葉を待った。


『――もしも』

 ようやく、サクラが口を開いた。

『もしも、彼の研究が失敗に終わったら、どうしますか。信じていても、裏切られたら』

 予想外の問いかけに、道春は目を瞬かせる。

「そんなことにはならないと思うけど……」

 腕を組み、少し考えてみる。だがすぐに答えは出た。

「別に帰れなくても、俺は裏切られたなんて思わないです。ユリスがめちゃくちゃ頑張ってくれて、それでもダメだったなら、俺はそれを受け入れます。そのときは、本当に国を消してもいいですよ」

 そう言って肩を竦めた。

 サクラの視線が険しくなったが、気にはならない。

『結果が伴わない努力など何の意味があるのでしょうか』

「……意味とかどうでも良くないですか? 俺が許すって言ってるんだから」

 どっちみち努力しなければ、失敗も成功もないのだ。

 ユリスだって、きっと、失敗することも考えたうえで、それでも道春に誓ってくれている。それは、自己肯定感の低いユリスにとって、とても大きな覚悟だ。

 サクラであっても、ユリスが侮辱されるのは許せなかった。


「もちろん、ユリスだけに任せることはしません。国だって研究に力を入れるだろうし。それに、俺も手伝います。ユリスが研究に集中できるよう頑張りますよ。だから――」

 これまでの勢いが、少し落ち着く。

 地面に視線を落とす。宙に浮いた夏紀の影が目に入った。


「――だから、姉ちゃんの体を、今は返してください」

 胸に抱えていたものが、言葉になってこぼれる。

 祈るように、道春は続けた。

「姉ちゃんにこれ以上、重いものを背負わせないでもらえませんか?」

 聖女である以上、夏紀はこれからも悩みが続くだろう。ストレスも溜まるだろうし、道春がまた心配をかけることもあると思う。

 ただでさえ大変なのに、こんなところで怒りに任せた行動をさせたくない。

 この国を消したいという姉の願いは本物なのかもしれない。けれど、もう一度ちゃんと話したい。

 夏紀にも帰還魔法の進捗をこまめに伝えるようにすれば、希望が持てるんじゃないだろうか。

「あれで、優しいところもあるんです……短気だけど……」

 だんだんと語尾が弱まる。

 窺うようにサクラを見上げると、夏紀の話題になったからか、表情がわずかに和らいでいた。

『――夏紀が優しいことは、私が一番知っています』

 張り合うように、サクラが言った。

 どちらが相手を理解しているか競う子供のようで、少しおかしかった。


『……分かりました』

 明確な意思を持って告げられたサクラの言葉に息を呑む。

 瞳に強い光が宿っていた。


『ユリス・マーレ』

 名前を呼ばれたユリスが軽く頭を下げる。

『帰還魔法を、完成させられますか』

「必ず」

 ユリスの返答には迷いがない。

『帰還魔法が完成するということは、道春はこの世界を去るということです。――あなたは、それでいいのですか』

「かまいません」

 躊躇なく頷くユリスを、道春はじっと見ていた。


『アルベルト・ヴェル・ルナネリス』

「は」

 サクラの声音が厳しいものに変わる。膝をついたまま、アルベルトが答えた。

『次はありません。――国王にもそう伝えるように』

「誓います」

 淡々とした返事だったが、その声には安堵が滲んでいた。


 最後に、サクラは道春に向かって微笑んだ。

『道春』

 親しみのこもった目だ。

『道春は、彼をとても信用しているのですね』

 はっとして隣を見た。

 黒い瞳と視線が交わり、胸にかすかな動揺が走る。


「……はい」

 誰かの期待なんて、重荷にしかならないと思う。道春は、ルナネリスの期待をユリスに背負わせた。

 それでも、きっとユリスは何とかしてくれると思ってしまう。

「……俺は、ユリスを信じてる……」

 ユリスは、道春の希望そのものだ。


 次の瞬間、サクラの姿が光の粒のように揺れた。

 夏紀の体から、サクラが消えていくのが分かる。姉の輪郭が鮮明になり、神々しさがゆっくりと薄れていく。髪色や瞳の色が見慣れたものに戻ると、無意識にほっと息が漏れた。

 宙に浮いていた体がぐらりと揺れる。慌てて手を伸ばしたが、横から別のたくましい腕が伸びてきて夏紀を支えた。

「ナツキ様!」

 夏紀の護衛騎士のカインだ。焦燥交じりの声が響く。続いて、カーティスを始め、神官たちが集まり出した。

 夏紀は気を失っているものの顔色は悪くない。


 光の余韻は消え、広間に現実が戻る。

 人々の囁き声や慌ただしい足音、安堵の吐息が入り混じり、騒がしくなっていく。

 壊れた天井から、日が傾きかけた空が覗いていた。

 



 月の光が照らす道をユリスと歩く。

 風が心地いい。静かな空間に、二人分の足音が響いた。


「やっと終わったな。まじで疲れた」

「ああ」


 ――あれから。

 夏紀はすぐに王宮内の部屋へと運ばれた。

 眠りは深く、目覚めは数日後になるかもしれないと、カーティスは告げた。体に異常はなく、ひとまず安心だという。ユリスによって壊された大神殿が完全に復旧するまでは、このまま王宮で静養することになる。

 夏紀は王宮を嫌っているから、目を覚ましたら怒られるかもしれない。道春は、なるべく毎日見舞いに来ようと心に誓った。


 アルベルトからは謝罪があった。

 やはりアルベルトは「はじまりの聖女」についての真実は知らなかったらしい。今後、王家と神殿で話し合いがもたれるとのことだ。

 関係者として意見を求めることがあるかもしれないと言われ、面倒だったが了承した。

 このとき初めて、ルナネリスの国王とも対面した。騒ぎに駆けつけてはいたが、近寄れなかったそうだ。全く存在感がなかったため、正直「いたのか」と驚いた。

 顔立ちは似ていたが、アルベルトのほうがずっと気が強そうに見えた。


 ユリスの大神殿の破壊については、完全に「お咎めなし」とはいかないとのことだ。なんでも、国民も利用する大切な施設であるため、何らかの処罰は必要になるという。

 「はあ~?」と不満を隠さない道春に、アルベルトはため息をついた。

「しばらくは自宅で謹慎しておけ。ナツキの見舞い以外で出歩くことは禁止だ」

 つまり、帰宅は許可されたが、自由に動くことはできないということだ。

 国の危機を救った相手になんて仕打ちだと思ったが、特に出歩きたいわけでもなかったので従うことにした。


 サクラと約束した以上、国はユリスだけに帰還魔法を任せるわけにはいかない。今後はユリスと連携し、研究を進めていくという。

 夏紀が目を覚ましてから本格的に進めるようだ。一通りの説明を聞きながら、道春は研究費やユリスへの資金提供を要求してやろうと思っていた。


 解放されたころには日も沈み、夜空には星が瞬いていた。

 王宮に部屋を用意しようかとも提案されたが、道春たちは帰宅を選んだ。護衛も断り、二人で魔導士区画へ移動する。周囲の喧騒も遠くに感じられ、ようやく落ち着ける空気になる。

 隣にユリスがいる。それだけで、王宮で過ごしている間にささくれだっていた心も、元の形に戻っていく。


「ユリス、なんかごめんな」

 今更だな、と思いつつも謝った。たぶん、ユリスはあまり気にしていないだろうけど。

「……なんに対しての謝罪だ?」

 案の定、ユリスはぽかんとした様子で首を傾げている。

「なんか、好き勝手言っちゃったからさー。ユリスが全部どうにかするとか」

「別にかまわない」

 あっさりと許される。あまりにも予想通りな反応で気が抜ける。

「でも困っただろ?」

「困った。でも、ミチハルなら困らされてもいい」

「許してくれる?」

「最初から許している」

 足を止めて、ユリスを見上げる。二人分の足音が途絶え、静けさが満ちた。

 ユリスが道春を見る目は優しい。

 本当になんでも許してくれるから、道春は甘えてしまう。


「俺さあ、……ユリスを信じてるんだよね」

 ゆっくりと、ユリスに伝えるように、そして、自分に言い聞かせるように、言葉を吐き出した。

「たぶん、一番ユリスを信じてるんだ」

 素直な言葉が夜道に溶ける。

 ユリスはわずかに息を呑み、恥ずかしそうに目を伏せ「うれしい」と言った。

 かわいい。背が高くて年下で、才能があるのに自己肯定感の低いこの男を、心の底からかわいいと思う。

「うれしい?」

「うん」

 子供のような相槌だった。

「俺を、あれほど信じてくれるのは、たぶん世界でミチハルだけだ」

 ユリスの肩がふっと緩み、口元に柔らかい笑みが浮かぶ。

「不思議だ。ミチハルが信じてくれると思うと頑張れる。……なんでもできるような気がする」

 黒い瞳に、きらめきが見えた。

「俺が、本当に、すごい魔導士のように思える」

 飾り気のないユリスの言葉に、声を立てて笑った。

 ほかのことはなにも考えなくてよくて、ただ明るい気分で笑うことができた。

「すごい魔導士だよ。天才だろ」

「俺は天才なのかもしれない」

「そうだよ」

 なんとなく、そういう気持ちになって、ユリスの手を繋いだ。

 驚く気配が伝わったが、すぐに握り返される。

「俺のために大神殿ぶっ壊してくれるのも、ユリスだけだよ」

「……一部だけだ」

「はは。まだ言ってんの?」


 笑いながら、自分の居場所はここだと思った。

 遠くに転移の塔が見える。繋いだ手に、力を込めた。


「ユリス。お願いがあるんだ」


 ユリスの瞳が、穏やかに輝いた。

 道春の願いなら、なんでも叶えてくれそうな目だった。

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