27話 はじまりの聖女
「質問です!」
緊迫感に包まれた空気を破るよう、道春が挙手した。
声が裏返りそうになるし、心臓はうるさくて邪魔だ。
雲が空を覆い絶望が広がる中、場違いな声を上げた道春に、皆の視線が突き刺さった。
(お前らが何もできないから俺が動いてるんだろ!)
腹は立ったが、文句など言っていられない。幸いにも道春の安全は確定しているようだ。サクラが行動を起こす前に、大事なことは質問しておいたほうがいい。
少し風が弱まる。サクラは、静かに道春を見ていた。
『……なんでしょう』
「国がなくなったら、そこに住んでる人たちはどうなりますか?」
道春の質問にアルベルトが縋るような目でサクラを見るが、サクラはそちらに一瞥もしない。
『先ほども言いましたが、痛みは与えません。憎い国ではありますが、民の苦しむ顔を見たいとは思いませんからね』
「……つまり?」
『“消える”だけです。最初から何もなかったように』
なんでもないことのように言われ、サーっと血の気が引いていく。
サクラは本気だ。本気で「ルナネリス王国」を消そうとしている。
青ざめた道春に、サクラが優しく声をかける。
『不安ですか? あなたは、夏紀の大切な弟なので、絶対に傷つけることはありませんよ』
「そういうことじゃなくてですね……」
あまりにも当然のように「国を消す」ことが確定事項になっているのが怖いのだけど、うまく言葉が出てこない。
基本的に、こちらに来てからの道春はユリスの家でのんびりと過ごしていた。
たまに欲しいものが出来たら市街地へ行き、仕事関連で魔導士の専門店へと出向いた。決して多くの人と関わりを持ったわけではないけれど、この国で平和に暮らす人たちも見てきた。
その風景が、脳裏によぎる。
サクラの恨みも分かる。夏紀がこの国を好きになれないのだって理由がある。
自分たちの自由を犠牲に平和を享受する人たちを、広い心で許せというのも違うような気がする。でも。
何も言えず、口の形ばかりが変わる道春に、サクラが『仕方ありません』と呟いた。
『道春に、何か望みがあるのなら聞きましょう』
「えっ、じゃあ、とりあえず更地にするのはなし! 人を消すのもなし! 一旦なし!」
チャンスだとばかりに急いで答える。
アルベルトが感激したように道春を見るが、別にルナネリス王国のためじゃない。
それなのに、道春が一番身を案じているはずのユリスが、隣で肩を竦めた。
「別にいいんじゃないか。こんな国どうなっても」
「おいバカ! ユリスだってどうなるか分からないんだぞ!」
余計なことを言うなと片手で軽くはたく。ユリスは「痛みがないなら構わないだろ」とふてくされている。
「国が消えるんだぞ! ユリスはそれでいいのか!」
「別にいい」
あっさりと答えるユリスに唖然とする。
冗談でも言ってるのかとまじまじと表情を観察するが、あくまでいつもと変わらない。
「……さすがに愛国心ってものがなさすぎないか?」
「殿下はミチハルに怪我をさせたんだから、そのくらいはしょうがない」
その言葉で、ようやくピンときた。
(こいつ、俺のことを相当根に持っている……!)
そういえば、夏紀の魔力暴走で辺りが騒がしくなっていたときも、道春の怪我ばかりを心配していた。
今こうしてここに立っているのも、「道春が危ないから」ついてきたに過ぎない。
「お前なあ! そもそも、ユリスが姉ちゃんに大袈裟に伝えたからこんなことになったんだぞ」
「大袈裟じゃない。本当にミチハルは怪我してたんだ。こうなるのは時間の問題だった」
確かに。
でも怪我をしたのは、自分が足を踏み外したせいでもある。ただ、外に出させてもらえない以上、道春もいつか無茶をしていた気がする。こんなものは監禁だと、文句を言っていた自分が悪いのか?
(いや、俺は悪くない……はず)
やはり、他所の世界から聖女を攫っていた国が何もかも悪い。
「分かった、王子も悪い! でも、それに国民全員が巻き込まれるのは違わないか?」
「違わない。聖女の怒りはもっともだ。これまで恵まれた環境で不自由なく暮らしてこれたのは聖女のおかげなんだ。その聖女の心の慰めになるなら、皆も本望だろう」
「じゃあユリスはどうなるんだよ!」
道春が叱ると、なぜかユリスが困ったように眉を下げた。
「……俺を心配してくれたのか」
「そうだよ!」
「嬉しい」
「そういう場合じゃないから!」
かすかに頬を赤くするユリスに、胸倉を掴み揺さぶる。
道春とユリスのやりとりを静かに見ていたサクラが、納得したように頷いた。
『道春は、ユリス・マーレが心配だったのですね』
そう言って、柔らかな笑みを浮かべる。
『夏紀から話は聞いています。弟に友人ができたようだと。確かに、友人は大切にしなければなりません』
まるで世間話をしているような和やかさだ。けれどサクラは、今まさに国を消そうとしている。
うすら寒さを感じながらも、彼女との会話に光を見出した。
何気ない会話の中で、全てをうやむやにできないだろうか。
「……ずっと気になっていたんですけど、サクラさんって姉ちゃんと話ができるんですか?」
道春の質問に、サクラは目を細めた。
『ええ。おそらく、私と夏紀の力は似ている。相性がいいのでしょう。これまで何人もの聖女がやってきましたが、会話までできる者はいませんでした。夏紀は特別です』
夏紀の話をするサクラは嬉しそうだ。神々しさが薄れ、姉の姿をしているせいか親戚のお姉さんのような親しみやすさがある。
『私は、ここでは“聖女”として生きてきたので、友と呼べる者はいません。対等な立場で話すことができたのは夏紀だけです。夏紀の望みは、私が叶えます』
(……やばい)
夏紀の望み。それはすなわち、この国が無くなることでは?
振り出しにもどってしまったのを感じ、口角がひきつる。そんな道春に、親戚モードのサクラが、軽やかに告げた。
『道春が望むのなら、新しき国で生きる人間を残しましょう。あなたが選んで構いませんよ』
「え、まじ?」
急な提案に砕けすぎた反応をしてしまう。サクラは気にした様子もなく優しく頷いた。
『もちろん。あなたは夏紀の大切な弟ですからね』
一瞬心が揺らぐが、慌てて首を振る。
「いやいやいや、無理。絶対無理」
『なぜ?』
「なぜって……、倫理的に無理。俺の倫理観が無理って言ってます」
サクラが言うのは、つまるところ「命の選別」だ。
痛みは与えないと言ったって、この世から存在が消えてしまうのは死と同じだろう。
道春は、裁判官でもなければ刑を執行する役人でもない。
それなのに、「残る人」と「消える人」を選べと言われても困る。
選んでいいと言われ、咄嗟にユリスやロイエンの顔を浮かべた自分が恐ろしい。
(あと、やっぱ冷静に考えて、やりすぎな気が……)
ルナネリス王国での暮らしは、夏紀のおかげとはいえ平和だった。ユリスとの暮らしは、正直楽しかった。
夏紀が聖女の仕事に勤しんでいる間、道春は異世界生活を謳歌していた。
楽しかったから、ちょっとの不自由さも我慢できず、自分の体質について隠そうとした。
結果、王宮に閉じ込められることになったが、検査に同意したのは自分。怪我をしたのだって、道春に否は全くないかと言われると自信がない。ユリスに会えないのが嫌で、冷静な判断をできていなかったとも言える。
聖女を攫ったこの国が一番悪いのは大前提だけれども、道春が夏紀の孤独に寄り添えてなかったことは事実だ。
話し合いだ。とにもかくにも、まずは話し合いがしたい。
うやむやにできるなんて、そんな都合のいいことは起こらない。
道春には、これといった力はない。となれば、道春に残されるのは対話だ。
サクラは話の通じない相手ではない。どちらかというと、価値観はこの世界の人より、よほど似ている気がする。
深く息を吸い、静かに吐き出した。
そして、まっすぐにサクラを見る。
「……少し、話をしませんか」
『話?』
「たぶん、サクラさんがこの国を愛していなかったなんて、みんな知らない。国を消すのは、全部吐き出してからでもいいと思うんです」
サクラは道春を見返して、鷹揚に頷いた。
『いいでしょう』
――不思議だ。
夏紀の姿をしているのに、道春にははっきりとその中にいるサクラが見えるような気がする。
自然と心は落ち着いていた。まずは相手を知ること。それで、サクラの恨みの根源を探るのだ。
「サクラさんは、どうして聖女になったんですか?」
手始めに、軽い質問を投げかけてみる。
単純に「はじまりの聖女」がどうして始まったのか興味もあった。
『周りが勝手にそう呼んだだけです。女神に愛されているという理由で、私は聖女にされました』
女神は「はじまりの聖女」を深く愛していた――道春が聞いたルナネリス王国の成り立ちと一致している。
そこで、ふと疑問を抱く。
「女神は本当にいるんですか?」
『いますよ。そもそも、この世界の女神に私が見つかってしまったのが、すべての始まりです』
サクラの焦点がぼんやりと宙を漂い、声の調子もわずかに沈んだ。
『私は巫女の家系に生まれました。そのせいか、元来“そういうもの”に好かれる体質でもあったのですが――ある日、彼女と目が合ってしまった。まずい、と思ったときには、こちらの世界に連れてこられていました』
「……怪談?」
まるで神隠しみたいだ。いや、女神に連れ去られたのだから、神隠しそのものか。
ゾッとする道春に、サクラが『怖かったですよ』と淡々と答える。
『当時は途方に暮れましたし、落ち込みました。そんな私に取り入るように、女神は魔力や湖、豊かな土地を次々与えるようになった』
「聞いたことがあります。確か、その噂を聞きつけて、人が集まってきて、ルナネリス王国ができたんですよね?」
『そうです。もともと、弱く行き場のない者たちの集まりだったのですよ。私が彼らに同情したのを察したのか、女神は次々に祝福を与えてきて、私は聖女と祀り上げられ、逃げ場がなくなってしまいました』
カーティスから話を聞いたときは何も思わなかったが、同じ内容でもサクラ視点で語られると切実に響く。
「……大変そう」
『大変でした』
返ってきた声は、苦笑にも似て乾いていた。
『それを愛と呼ぶ人もいるのかもしれません。ですが、私が故郷に帰りたいというただ一つの願いを、女神は最期まで聞き入れてはくれませんでした。七百年以上経った今も、魂が還ることすら許さない』
「えっ、今もですか? 今も女神はそんな感じ?」
『ええ。いつか飽きてくれるだろうと希望を抱いたときもありましたが、いまだに放してくれません』
こんなに力がある存在でさえ、神からは逃げられないのか。
一方的に縛られて、望んでも家に帰してもらえない。
(神様に愛されたって、何のメリットもないんだな)
気付けば眉が下がっていた。困り顔の道春を見て、サクラが懐かしむように笑う。
『夏紀もそんな顔をしていました。そして、「一緒に帰ろう」と言ってくれた』
「姉ちゃんが!?」
初めて聞く話だ。
夏紀から、サクラの話なんかもちろん聞いたことがない。二人の間にどんなやりとりがあったのか、想像もつかない。
『嬉しかったです。だから私は、持てるだけの力を夏紀に与えることにしました。いつか帰還魔法が完成したとき、夏紀の魂と同化できるように。けれど――』
楽しげだった声音が、不意に陰を落とす。
ほんの少しの沈黙がやけに長く感じられた。
『――道春がこの世界に来てから、夏紀は初めて、この国で生きていく未来を考え始めた』
思わず息を呑む。
確かに道春は、聖女の役割が全部終わって、もしもまだ帰れなかったら、一緒に暮らそうと提案した。
けど、それは「帰還魔法」が完成しなかったらの話だ。帰ることは大前提で、それが無理なら協力して楽しく暮らそうということを言いたかったのだが。
(……まさかサクラさんにとっては地雷だったとか?)
考え過ぎて胃が痛くなってくる。
『夏紀も帰ることを諦めてしまったのかと残念に思いました。しかし責めてはいません。どうせ、この国は帰還魔法を完成させるつもりなどないのです。この世界で、少しでも前向きに生きようとする姿は正しい』
反論の言葉が喉まで上がったが、口をつぐんだ。
頭に何かが引っかかっているような感覚がする。――もう少し、頭を整理する時間が欲しい。
「ええっと、姉ちゃんに力を与えたって言ってましたけど、サクラさんにもそんなことができるんですか? 俺が聞いた話だと、次の聖女が来たことで女神の愛が呼び戻されたとかなんとか……」
『ふふっ』
話を変えた道春に、サクラがどこか含んだ笑みを漏らす。
『女神は私以外に興味などありませんよ』
ひどく冷めた言い方だった。
『神の愛など利己的なもの。女神は私が亡くなりルナネリスに対しての興味を失っています』
道春の頭に、カーティスの言葉が鮮明に蘇る。
「『はじまりの聖女』が現れたことで我が国は豊かさを手に入れました。彼女亡き後も、次の聖女が再び女神の愛を呼び戻してくださった。つまり、ルナネリス王国にとって聖女という存在は女神との絆そのものなのです」
――なにもかもが違っている。
「えっ、じゃあ女神の愛は復活してないんですか?」
『復活もなにも、国への愛など、元から存在していないのです』
大神殿の女神像が頭によぎる。あれは張りぼてなのか。じゃあ人々は何に祈っているんだ。
『私の死後、女神の祝福がなくなることは私も予期していました。だから事前に忠告し、対策を立てた。国境付近に神殿を造り、ある程度の年月は結界で守られるようにしました。その間に、自分たちで生き抜く方法を見つけるようにと。それなのに……』
「王家は次の聖女を探すことにしたわけか」
道春が言葉を引き継ぐと、サクラが忌々しそうに眉を寄せた。
「なんでこんなに歴史が違って伝えられてるんだろ?」
首を傾げる。カーティスの話は、ある程度は事実にそっているようだが、大事な部分が書き換えられている。
『都合のいいことしか残さないのでしょう。まさか「王家が“はじまりの聖女”の墓を暴いた」などと、後世に伝えられませんからね』
(墓を暴いたのか……)
指先が冷たくなる。王家のやりようはひどい。
それでも一度は鏡を埋葬したのだ。病や魔物で苦しむ国民を前に、墓を暴かなくてはいけない状況まで追い詰められていたのかもしれない。
非難したいのに、国の事情も分からなくはない気がしてしまう。複雑な感情が入り交じり、首を軽く振った。そんなもの、サクラには関係ないのだから。
『こんな国、どうにでもなればいいと思いましたが、故郷から来た少女は気の毒に思いました。彼女たちに力がなければ存在価値はありません。二代目の聖女を呼び寄せたとき、彼女に力がないと分かると、あろうことか王家は処刑しようとした』
「え!?」
さすがにそれは理解できない。咄嗟にアルベルトを見てしまう。
(引くわー)
食い入るようにサクラの話を聞いていたアルベルトだったが、道春からの非難の眼差しに気付くと慌てて首を振った。
やはり王子であっても、正しい歴史は伝わっていないみたいだ。
『たった一人、知らない世界に連れてこられた少女は、力がなければ生きていけない。でも女神は私以外に見向きもしない。そのため、私が力を渡すことにしたのです』
「じゃあ、今までの聖女に力を与えてきたのって……」
『私です』
サクラは感情をのせず肯定した。
(誰だよ、聖女が召喚されて「女神の愛が戻った」とか言ったやつ)
ため息をつく。全てはサクラの同情でしかなかったのだ。
『少女が力を得たと分かると、王家や神殿は手のひらを返すよう国に尽くすよう懇願しだしました。滑稽でしたよ。頼れる者もなく戸惑う少女に、この国にはあなたが必要なのだと言い聞かせた。あんなものは洗脳です』
アルベルトが居心地悪そうに身をすくめた。王家の人間として、サクラの言葉が胸に突き刺さることだろう。
『私は故郷から来た少女を哀れに思い、力を与えた。けれどあれが正解だったのかは分かりません。この国は、聖女の死後、また新たな聖女を探し始めた。私の願いと裏腹に、鏡は私に似た力を持つ少女の姿を再び映し出す。もう、どうしたらいいのか分かりませんでした……』
重い沈黙が落ち、空気が張り詰める。ただじっと、次の言葉を待っていた。
遠くを見据えたサクラが、ようやく口を開く。
『結局、私が甘やかしすぎたのです。この国は私のせいで墜落した。愛する故郷から少女を何人も犠牲に出してしまった。でも、これで終わりです。ようやく私の罪を消してしまえる』
嫌な予感が体を貫く。
『幸い、夏紀と私は性質がよく似ていました。そのため、夏紀には私の力をほぼ与えることができた。今の夏紀の身体と、私の力が合わさればこの国など簡単に消せます』
「待ってください!」
片手を頭上に上げ始めたサクラを反射的に止める。
緊張で吐きそうだ。だが同時に、頭がすごい勢いで回転し始めていた。
「姉ちゃんは、別にこの国を消すのを本当に望んでるわけではないと思うんです。短気なんですよ。俺が怪我したのを見て血がのぼっちゃったというか……」
サクラが夏紀の理解者であるのは確かだ。でも道春も、少しだけなら夏紀の性格を分かっている。
「日頃のストレスも大きかっただろうし。将来も不安だったと思うし」
姉はこの国を恨んでいた。めちゃくちゃにしてやりたいと思ったこともあるだろう。でも怒りが収まれば、冷静さを取り戻すはずだ。
そこまで考えてハッとした。
「あの、今、姉ってどうなってます? 意識はあるんですか?」
もし今、夏紀の意識がはっきりしていて、サクラと一緒に国を消そうとしているのなら手遅れだ。おそるおそる問いかける。
『夏紀は眠っています。意識はありません』
「じゃあ姉ちゃんの同意は取れてないってことじゃないですか!」
パン、と両手を叩いた。焦りと安堵で気分が高ぶり、口が勝手に走る。
「ルナネリスを消したいのはサクラさんでしょ? 姉ちゃんの意思が確認できてないのに、こんな国のおおごとに巻き込まれるのはかわいそうだと思いません? 姉ちゃんは友人なんですよね? 友人の意思を無視するなんてことはしませんよね? いったん落ち着きましょうよ」
とりあえず、姉の体で好き勝手しないでほしい。
最悪、国を消すのは百歩譲る。新しい国も作りたければ作ればいい。
ただ、道春に命の選別をさせたり、夏紀の体を都合よく使うのではなく、サクラが一人で全部やってくれないだろうか。それこそ、神のように。
『……そうですね。この国を一度消してしまいたいのは、私の方です』
道春が責めているのを察したのか、静かにサクラが認めた。
『もう、何もかも、なかったことにしてしまいたいのです』
「何もなくなったって、たぶんそれほどいいことは起こらないですよ。人間は愚かなんだから。それに……」
一度言葉を止める。
先ほど見ぬふりをした地雷原に、足を踏み込むことにした。
「サクラさんの本当の望みって、この国を消したら叶うんですか? 帰還魔法の研究、途中で潰れちゃって、また最初からやり直しですよ」
『帰還魔法など!』
初めて、サクラが声を荒げた。
(やっぱり、これだ)
強く睨まれる。夏紀の顔をしているので呼吸が止まりそうになりながらも、視線はそらさなかった。
燃えるようなギラギラした瞳。やはりサクラは夏紀と似ている。
『七百年……七百年です。その間、ルナネリスは魔力に満ちた土地を利用し、いろんな魔法を開発してきました。魔法で強い防壁を作って国を守り、肉体を瞬時に移動させることにも成功した。人の精神まで操った。だけど、帰還魔法だけは完成することはなかった』
それは、国が「聖女を帰す」ことを考えていなかったからだ。
夏紀と約束した後も策を練り、心変わりさせようとしていた。帰還魔法に対するルナネリス王国の姿勢は最低だった。
サクラの怒りは正しい。
『夏紀も諦めてしまった。きっともう帰ることはできない』
二重に重なる声が震えている。
『私は帰りたかった。帰りたくて仕方がなかった。どうして私でなければならなかったのでしょう』
――サクラの恨みの根源は、「ルナネリス王国」じゃない。
ずっと叶わなかった「帰りたい」という願いだ。
帰りたくて、帰りたくて、ようやく表れた「夏紀」という希望も、道春が召喚されたことで薄らぎ始めた。
だけど。
横に立つユリスを見上げる。
(帰還魔法なら……)
戸惑うユリスの瞳に、夏紀に似た自分の顔が映っていた。




