26話 暴走
見間違いじゃない。あれは、姉だ。
髪が荒れ狂うように舞い上がり、背中から刺すような気配が滲む。
夏紀が、固く手のひらを握りしめ、宙に浮いている。
――浮いてる?
「なにあれ!? 姉ちゃん浮いてない? てか、なんかキレてる?」
焦ったせいで思ったことが全部口から出る道春に、ユリスが目を細めた。
「浮いてるし、キレてるな」
なんでそんなに普通なんだ。
唖然とする道春に、ロイエンが「全部この人のせいです」とユリスを指差した。
「この人が聖女に『弟君が大変なことになってます!』とか言うから……。しかも、まるでミチハル君に危機が迫っているような言い方で急かすんです。そんなことを言われたら、当然、聖女は焦るじゃないですか?」
「そ、そうかも?」
身を乗り出して説明を続けるロイエンに、若干押されながらも頷く。ロイエンががくりと肩を落とした。
「駆けつけたら、本当にミチハルくんがぐったりしていて……。最悪ですよ。もう聖女さまブチ切れです」
「ぐったり? 俺、そういえばなんで……?」
困惑する道春の頬に手を当てながら、ユリスが淡々と説明した。
「ひどい魔力酔いを起こし、頭を打って気絶していた。聖女の怒りも当然だ」
(……うわあ)
言われてみると、アルベルトからも「魔力酔い」という言葉を聞いた気がする。急に気分が悪くなって……そこからはあまり覚えていない。
まさか、この半壊の部屋は、そんな道春を見た姉のせいなのだろうか。道春の思考を読むように、ユリスが頷いた。
「だがこの状態でも、人に怪我はさせていない。さすが聖女だ」
「そういう問題か?」
なぜか感心しているユリスに反射的に突っ込む。
確かに人に怪我をさせていないのは大事かもしれない。だけど、部屋の修繕だって大変なはずで……。
「もとはといえば、ミチハルを監禁した殿下が全部悪いのだから、ミチハルが気にする必要はない。俺と面会もさせないなんてどうかしている」
ユリスは周りなど気にしていない様子で飄々と告げる。
「……でも、姉ちゃんって大神殿で祭事の準備中じゃなかった? 今は誰も大神殿に入れないって聞いてたけど、どうやって教えたの?」
素朴な疑問を呟いた道春に、ロイエンが声を上げた。
「ユリスが大神殿を壊したんですよ!」
「はあ!?」
大神殿とは、神秘的で、大きな女神像があって、本当に神様はいるかもしれないと思わせるような、あの大神殿――?
「一部だけだ」
さらりと答えたユリスの言葉に、嘘ではないと察する。
「えっ、それ大丈夫? その、大神殿壊すのって罪にならないの?」
「なるに決まってます。重罪です重罪」
ロイエンの嘆きに青くなってユリスを見るが、当のユリスは道春の腕を引き近寄せると、今度は道春の頭のあたりを確認し始めた。
ユリスの呪文で、温かいものが流れ込んできて、また体が軽くなるのが分かる。
「……なんでそんなことしたの?」
「聖女にミチハルが監禁されていることを伝えるためだ。ミチハル、頭に痛みは?」
「ないけど……」
ロイエンが呆れたような目をユリスに向ける。
「説明は受けたじゃないですか。ミチハルくんの体質の対処法が分かれば解放すると……」
「知るか」
吐き捨てるようにユリスが答えた。
「ミチハルが危険な状態だったことは事実だ。血も出ていた。俺たちが来るのが遅れていたら、後遺症が残っていたかもしれない。――ミチハル、俺の方を見ろ」
言われるがまま目を合わせると、ユリスは道春の顔色を観察するように髪を耳にかけられる。そのまま両手で顔を挟まれ、まっすぐ目の下あたりを指で撫でられた。近い。気付いていたが、さっきからずっと近い。
だんだん恥ずかしくなり、そっと逸らした視線の先に、壊れた壁が見えた。
「……俺たち、こうしていて大丈夫?」
「問題ない。ここには防御壁を作っているし、聖女がミチハルのほうに攻撃するわけないからな」
「そういうことじゃなくて!」
ユリスの手から逃れ、ぐるりと後ろを振り返り、姉の姿を探す。
その瞬間、壁の一部が目の前で吹き飛び、ようやく思考が巡り出した。
「やばいよ、止めないと」
立ち上がろうとする道春に、ユリスは「急に動くと危ないぞ」と注意した。自分が先に腰を上げ、道春をエスコートするように手を引く。そして道春が立ったのを確認し、体調が問題ないかを再度尋ねてきた。
見かねたのか、ロイエンが申し訳なさそうに道春に声をかける。
「あの、ミチハルくん。僕からお願いするのはおこがましいことだと思いますが、聖女をとめてもらえませんか。確かに殿下は傲慢なところもありますが、そこまでひどい方ではないんです。今回のことも、国を心配した結果で……」
「そんなことのために俺からミチハルを奪ったんだ。別にどうなったっていいだろう」
ユリスは取り付く島もない。
正直、ルナネリス王国のことはどうでも良かったが、夏紀のことは心配だった。弟が気を失って倒れていれば、焦りもするだろう。
「とりあえず、姉ちゃんに俺は無事だって伝えてくる!」
「待て、外は危ない。俺も行く」
ユリスに庇われるように一歩踏み出すと、とたんに、ゴウッと風を切る音が聞こえてきた。その中に「ふざけないでよ!」という叫び声が混じる。呑気に話している場合ではなかった。慌てて夏紀の元へ駆け寄る。
夏紀と向き合っているアルベルトを守ろうと、護衛騎士のガラハドやレオナードが近付こうとしているが暴風に阻まれ動けないようだ。ただ、道春の周囲だけは風が避けるように落ち着いている。
そのほか、クレナンや大神官カーティスの姿が見えた。見知らぬ貴族や魔導士たち、さらには騎士までもが壁に身を潜め、聖女の怒りに怯えている。皆、道春の姿を認めると、分かりやすく安堵の表情を浮かべる。
近くで雷が落ちる音がした。次いで、何かが割れる音と誰かの悲鳴が聞こえてくる。本当にまずい。
「お、弟に怪我をさせるなんて信じられない! 私はちゃんとやってたのに! ちゃんと聖女してたのに!」
悲痛な叫びに、胸が痛くなった。
自分が気絶している間に、ずいぶん心配をかけてしまったらしい。
「姉ちゃ――」
『こんな国、潰してやる』
声が二重に響いた気がしてハッとする。同時に風が荒れ狂い、服や髪を激しく揺らした。
一人、夏紀と対峙していたアルベルトが、道春の姿を認め息をつく。
「ナツキ、落ち着け。弟は無事だ」
『黙りなさい』
その一言に、激しい風や雷鳴がぴたりと止んだ。辺りが水を打ったように静まり返る。
ざわついていた人々の息が一斉に飲み込まれる。空気は重く沈み、びりびりと体が痺れるような緊張感だけが残った。
驚愕に染まったアルベルトの表情と、姉の後ろ姿から感じる異様な雰囲気に、ただ事ではない何かが起こったと察し、おそるおそる近付いた。
「姉ちゃん……?」
道春が声をかけると、夏紀がゆっくりと振り向いた。本来は真っ黒な夏紀の髪が、淡く透けていく。
瞳からは感情が抜け落ち、不思議な色が揺れていた。
立ちすくむ道春に、夏紀が笑みを浮かべた。全てを悟りきったような、どこか威厳のある微笑みだった。
姉は、こんな笑い方はしない。
心臓がうるさく音を立て始める。
『はじめまして』
思わず目を見開き、声を失う。
姉から放たれた言葉に驚いたのもあるが、その声自体が異質だった。確かに耳には夏紀の声が届く。けれど、その奥にもう一つ、別の女性の声が重なって聞こえる。落ち着いた、大人の女性の声だ。
横にいるユリスが息を呑むのが分かった。
『夏紀から、あなたの話はたくさん聞いていますよ。まるで、私にとっても弟のように思えます』
親しげに、けれど他人のように話しかけられ、ますます混乱する。
夏紀が、冗談でもこんな演技をするとは思えない。
「……誰?」
困惑する道春に、夏紀の姿をした「誰か」が向き直った。
『失礼。私の名は、――サクラ』
「……サクラ?」
『ええ。この国の民が、“はじまりの聖女”と呼ぶ者です』
――はじまりの聖女。
その言葉に、周囲にざわめきが広がった。
「まさか……!」
うろたえたアルベルトが目を見開き固まる。カーティスが膝をつき、祈りの姿勢を取った。
「……本当に?」
さすがにユリスも動揺を隠しきれない。
(「はじまりの聖女」って確か……)
ルナネリス王国の誕生に深く関わっている人じゃなかったか。
女神は「はじまりの聖女」を愛し、彼女のために国を作った――それがルナネリス王国だったはずだ。
そして、彼女が遺した鏡を使い、今でも聖女の召喚は行われている。
ありえない。けれど、現に夏紀の口からは知らない女性の声が重なって聞こえている。
髪や瞳の色も変わり、顔つきまで違う。まるで別人だ。
なにより、内側から淡い光を放つような雰囲気は「神聖」と呼ぶにふさわしく、信じずにはいられなかった。
「日本人……?」
どうでもいい疑問が、つい口からこぼれる。そんな道春に、サクラが目を細めた。
『ふふ。驚きましたか。実は歴代の聖女は、皆日本人ですよ』
「そうなんですか!?」
思わず場違いな声を上げると、サクラは口元に手を添え、ふっとおかしそうに笑った。その表情に、さきほどまでの神々しさが和らぎ、胸の緊張が少し解ける。
夏紀の顔をした別人ではある。たぶん、すごい人だ。けれど怖いとは思わなかった。
「……はあ。でも、今思うと、ルナネリスの文化には日本っぽさもあったような……?」
ふと、脳裏にネリモチが浮かんだ。ピンク色の粉をまぶした柔らかなお菓子――「はじまりの聖女」が愛したとされる伝統菓子だ。
月の綺麗な日には、庭にテーブルを運んでユリスとそれを食べた。日本の月見文化と少し似ていて、懐かしさすら覚えた。
市街の並木道に咲く白い花を眺めたときも、桜を思い出した。
自然を愛していたり、季節の行事を大事にしたり。そういう細かいことが、どこか繋がっているように感じてしまう。
単純なもので、日本人だと分かると道春も親近感を覚えてくる。
この世の者ではない雰囲気はあるが、それほど恐ろしい人ではないのかもしれない。
「でも、姉ちゃんの体になんでサクラさんが……?」
『夏紀が、この国の崩壊を望んだからです』
……やはり怖い。
柔らかく放たれた言葉にアルベルトの顔が強張り、縋るようにこちらに目線を寄こす。
腹の立つ相手ではあるが、放っておくわけにもいかない。
別に、この国のためとか、アルベルトのためではなく、夏紀を落ち着かせるためだと、道春は口元をひきつらせながらも笑顔を作った。
「あの、ごめんなさい。それって俺が怪我してたからですよね? 俺はもう元気になったので、そこまでしなくて大丈夫です。姉ちゃんに、心配かけてごめんって伝えてもらえませんか?」
『道春』
聞き分けの悪い子供を叱るときのような声が響く。
『もう遅いのですよ』
ぞっと、背筋が冷えた。
先ほどまで、夏紀に重なるように聞こえていたはずのサクラの声が、はっきりと耳に届く。
『夏紀の精神は限界でした。道春がこちらに来たことで、一度は安定したようですが、それは、あなたの安全が保障されていればの話です』
無意識に手を握りしめる。
夏紀の苦しみは理解しているつもりだった。けれど、夏紀と自分では立場も、この世界で過ごした年月も違う。
姉の不安や孤独を、見誤っていたのかもしれない。
『いつか、こういう日が来ると思っていました。……いえ。きっと、“私”が、このときを待っていた』
サクラが道春を見つめる瞳は優しい。
けれど、その奥には静かな決意が宿っている。
『そこにいると危ないですよ。これから、まずは王宮を破壊します』
「えっ」
まずい。なにがまずいかよく分からないが、とにかくまずい。
ユリスのローブを掴むと、引き寄せられ背に庇われた。
『ユリス・マーレ』
「は」
サクラが、ユリスの名前を呼ぶ。ユリスのことも知っているのか。この人は、どこまで知っているんだ。
焦る道春とは対照的に、ユリスは冷静だった。
『そなたに命じます。必ず、道春を守ること。傷ひとつ、つけることは許しません』
「承知いたしました」
「承知いたすな、ばか!」
信じられない気持ちでユリスを見上げる。ユリスが何を考えているのか分からない。
サクラは、周囲を見渡しながら言葉を続けた。
『心配せずとも、痛みは与えません。私にも、それくらいの慈悲の心は残っています』
(めちゃくちゃ物騒なことを言っている……)
青褪めて固まるアルベルトを睨みつけ、必死で合図を送る。
(お前、王子だろ。なんとか言え)
その気持ちが伝わったのか、ハッとしたようにアルベルトが動いた。跪き、視線を従属するかのように落とす。
「お、お待ちください! なぜそこまで……。この国は、あなたが愛した国のはず。ミチハルへの無礼は謝罪します。今後、このようなことは決して起こしません。彼の自由と安全を守ることに全力を尽くします。どうか、お怒りを鎮めてください」
声に震えを滲ませながら謝罪するアルベルトに、サクラの表情はいっそ穏やかだった。
『……言いたいことはそれだけですか?』
冷ややかに切り捨てる言葉に、アルベルトの懇願が通じなかったことがわかり、空気が凍り付いた。
『あなたは勘違いをしています。私は、この国を愛したことなどありません』
「なっ」
――この国を、愛したことがない。
あまりにも衝撃的な告白に、場の全員が呆然とサクラを見つめた。
(ええ~……)
アルベルトは絶句し、顔色を失っている。それも当然だろう。ルナネリスはサクラのための国であり、彼女は神のような絶対的存在のはずだ。
ユリスをそっと窺うと、真剣な顔でまっすぐサクラを見据えていた。
『私はずっと、故郷から少女を攫い続けるこの国に、辟易していました』
弾かれたように、アルベルトが顔を上げる。
「次の聖女を求めよと告げたのは、あなたご自身では……? それがなければ、この国は……!」
『私は、誰にも次の聖女を探すよう言ったことなどありません』
ルナネリス王国の前提が覆されていく。
サクラが周囲を見渡し、一点に視線を止めた。その先にはカーティスがいて、身体を大きく震わせている。
『あなたたちが、次の聖女を探すために使用している、私の鏡があるでしょう』
道春は、召喚の間でカーティスが持っていた古びた鏡を思い出した。
『あれは、私が故郷から持ってくることのできた唯一のものでした。私は、自分が死ぬとき、私の亡骸とともに埋葬するよう言い残した。けれどそんなささやかな願いさえ叶えられず、この国の者たちは、私の私物を勝手に利用し、それを媒介として、私の故郷から代わりの聖女を連れてきた……』
カーティスは今にも倒れそうだった。
彼が道春にルナネリス王国を説明してくれたとき、その目はいきいきとしていて、聖女や女神を心から敬愛しているように見えた。とても道春に嘘をついていたとは思えない。
カーティス自身、あの鏡は聖女が自分たちのために残したものだと信じていたのだろう。
どこでどう歴史がねじ曲がってしまったのかは分からない。
自分が信じ、誇りにしていたものが、他でもない「はじまりの聖女」に否定されているのは、哀れだった。
『許そうとはしました。許すべきだと。王家が私との約束を破ったのも、全ては国の平和のためなのだから』
サクラが、思いを巡らせるように静かに瞳を閉じた。
『幸か不幸か、これまでの聖女は故郷に未練を持たない者が多かった。彼女たちは、自分の役割を使命だと捉えていました。その姿を見て、嫌がる私がおかしいのだろうとも思った。国は聖女に相応の待遇を与えていた。決して不幸にはしていない。だから、仕方がない。――けれど、そんな私の元に夏紀が現れた』
夏紀の姿に、別の女性の姿が、重なって見える。
『夏紀が抗う姿を見て、私はおかしくなかったのだと思えた……』
静かだった風が、またうねり出す。青かった空を、あっという間に雲が覆っていく。
『私は聖女の目を通して、この国をずっと見てきました。あなたたちは、故郷を恋しがる夏紀をこちらに留めようとするばかりで、帰すことには消極的だった。あまつさえ、彼女が大切にしていた弟も巻き込んだ』
(……姉ちゃん)
きっと、自分は夏紀の孤独に寄り添えていなかった。
守られるばかりで、この国での暮らしを意外と楽しんでさえいた。今になって罪悪感に襲われる。
――サクラは、夏紀だ。
『この国のために、尽くす必要があるのでしょうか』
静かな怒りを放つサクラに、夏紀の姿が、声が、重なった。
道春がこの世界に召喚された日、激しい怒りで魔力を暴走させそうになった姉の姿が蘇る。
『一度まったいらな更地にして、ここに新しい国を築きましょう』
それは、あの日聞いた、夏紀の言葉でもあった。




