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25話 混乱

 どうやらアルベルトの地雷を踏んでしまったらしい道春は、ユリスへの処罰をちらつかされ、しぶしぶ「本格的な体質検査」に同意した。

 危険はないが、体調に影響はあるかもしれないという。

 自分なりに覚悟を決め、アルベルトの提案に乗ったのだが――


「なんでまだ始まらないんだよ!」

 部屋に顔を出したアルベルトに、苛立ちをぶつけるように叫んだ。

 道春が同意してからもう三日が経つ。三日だ。

 当初は「何をされるんだろう」と不安に思っていたが、そんなものは三日という無意味な時間に溶け、すっかり蒸発してしまった。

「さっさと検査しろ! それで俺を帰せ!」

「元気だな。検査に協力的になってくれて嬉しいぞ」

「うるせー!」

 床を蹴って立ち上がり、もどかしさを誤魔化すようウロウロ歩き回る。

 いまだ、ユリスは姿を消したまま。何をしているかも分からないのに部屋から出してもらえない。

 この世界に来て、こんなにユリスと離れたことはなかった。気まずくなっていた期間すら同じ屋根の下で過ごしていた。仲直りしたばかりで健康状態も万全じゃない。あの生活習慣の崩れ切った男がとにかく心配だった。

「またパンばかり食べてるかも。今度はあいつに肉をつけようと思ってたのに。ちゃんと寝てるのか? 薬に頼ってたら許さない。でも、もしどこかで倒れてたらどうしよう……」

「全部声に出てるぞ。過保護だな」

 ストレスで気が荒くなっている道春を気に留めずに、アルベルトはいつも通りの涼しい顔で告げた。

「心配せずとも、準備は整った。今日からようやく検査に入れる」

 勢いよく視線を向ける道春に、呆れたように頷く。

「外に漏れたら面倒なので、検査は私とクレナンが主導となりやるしかない。そのため、場所や道具の確保に手間取ってしまった。待たせてすまなかった」

 素直に謝られて拍子抜けする。だが、検査が始まるのなら文句はない。

 道春は、かつてないほどやる気に満ちていた。


 促されるままローブを羽織り、幻影魔法をかけられ、目隠しをされ、長い廊下を歩かされる。

 他の人間に見られないように、そして、道春が場所を特定することを防ぐためだという。

 辺りは静かで、人の気配はしない。いくつか階段を上り、曲がり角を曲がるたび、方向感覚が失われていく。

 呪文。扉が開く。歩いて、また呪文。

 何度かそれを繰り返し、うんざりしたところで、アルベルトが「着いたぞ」と言った。

 目隠しを取ると、そこは白い壁に囲まれた部屋だった。薄暗く感じるのは窓がないせいだろう。

 机の上には分厚い本が積まれ、金属製の台車には見たことのない道具がきれいに並んでいる。

 部屋の中央で待っていたのはクレナンだった。柔和な笑みを浮かべ、期待に満ちた目をして、道春を見る。道春を研究対象としか見ていないようなこの目つきが、道春は少し苦手だった。

「お待たせいたしました。本日から本格的に検査を進めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします」

 そう言って、手が差し出された。

 躊躇して動かないでいると、「ミチハル殿のほうから触れていただけますか」とお願いされてしまった。

 しぶしぶその手に触れる。案の定、バチ、と静電気のような痺れが走った。さっと手を引っ込める道春の前で、クレナンが満足げに自分の指先を見つめる。

「どうだ」

 傍にいたアルベルトが、心配そうに声を掛けた。

「例の痺れです。これでまた、私の誓約魔法が解除されたのでしょう。『ミチハル殿が触れる』ことがトリガーになっていると見て間違いありません。素晴らしい……」

 クレナンがうっとりと漏らした呟きに、ぎょっとする。

 この男、大丈夫だろうか。

 心なしか、アルベルトも引いている気がする。

 しかし、道春やアルベルトの反応など目に入っていないのか、クレナンは何事もなかったかのようにぱっと表情を切り替えた。

「それでは、検査を始めますか。これまでに、ミチハル殿にほとんど魔力がないこと、それでも、生活に関する魔道具は問題なく使えることが分かっています。本日行うテストは王宮でも一般的に行われる基準魔法テストで――」

「あの、それ長くなります? 早いとこ検査してもらいたいんですけど……」

 いつまでも続きそうな気配に割って入ると、気分を害した様子もなく「協力的でありがたいです」と微笑む。

 アルベルトが「では、準備を」と短く告げた。

 道春はローブを返し、指定された椅子に腰を下ろした。小さなテーブルには湯気の立つお茶と皿に盛られた焼き菓子が置いてある。用意したのは、いつの間にか部屋にいたレオナードで、簡単に挨拶するとすぐに出て行った。


 道春は全面的に検査に協力した。

 金属の輪を腕に通され、透明な球体を持たされ、光を放つ石に息を吹きかけ――意味も分からず、指示されたことを次々とこなす。立体的な紋様が刻まれた台座に立たされたりもした。

 クレナンは興味深そうに、逐一反応を記録していた。横にアルベルトがいて、ときどきクレナンと会話を交わす。

 どうも、この検査に積極的なのはクレナンの方で、アルベルトは慎重派のようだ。

「今日はこれくらいでいいんじゃないか。あまりやりすぎると、ミチハルの体調が心配だ」

「ですが、まだ共鳴魔法の耐性数値が出ていません。このペースだと検査が長引く可能性があり――」

「いいから早くやってください! 俺は元気なので!」

 アルベルトが心配し、クレナンが反論し、道春が急かす、というやりとりを何度か繰り返した。

 検査の合間に、隙を見てはユリスのことを尋ねた。

 まだ見つからないのか、本当に見つからないのか、自分に隠しているんじゃないのか。アルベルトは辟易した顔で「ユリスが見つかったらすぐに報告する」と言うだけだ。

 今は行方をくらませているユリスも、道春が家に戻ればすぐに帰ってくるはずだ。

 そのためにも、早く検査を終わらせて自由になりたかった。


 何種類かの検査を終え、さすがにぐったりとしてきたころ、不意にクレナンが道春の胸元を指差した。

「――気になっていたんですが、そのネックレスは?」

 嫌な予感がして、反射的に青い石を隠すように握りしめる。

「ユリスにもらいました。……お守りみたいなものです」

「そうですか、マーレが……」

 少し考える仕草をした後、あっさりとクレナンが言った。

「外してもらえますか?」

 予想が当たり、眉を寄せる。石を握る手が強くなる。

「……嫌なんですけど」

「幻影魔法で気付きませんでしたが、それはユリスの魔力が込められていますよね? 検査の邪魔になっているかもしれません。正しい数値が出ていない可能性もある。最初から検査をやり直すのは嫌でしょう?」

 正論ではあるが、すぐには頷けない。

「それは……そうですけど、でも……」

 ユリスに貰ってから、ずっと身に着けているお守りのようなものだ。味方のいない場所で外すのにはなおさら抵抗がある。

「これからミチハル殿に試す魔法を強くしていくので、石が壊れてしまうかもしれませんよ」

 渋る道春に、クレナンが駄目押しの一言を告げた。

(壊れるのは……嫌だ……)

 ユリスが何度も魔法をかけ直しているところを見た。そう簡単に壊れるわけがない、と思っても可能性を示唆されると不安になる。

 クレナンは魔導士長官で、ユリスの元上司でもある。そういう人が言うのだから、信憑性はあるのだろうか。

 ネックレスが壊れても、たぶんユリスなら怒らないし、なんなら新しく作ってくれるだろう。でも、そういう問題でもない。

 外したくないけど壊れるのは嫌だ。ネックレスを外さなければ、検査はきっと進まない。

 悩んで悩んで、仕方なく、ゆっくりとネックレスを外した。

 途端に、胸の奥がひやりと冷える。

 アルベルトが革製の小さなトレイを差し出してきたので、ためらいながらも、そこにネックレスを置いた。

「……触らないでくださいね?」

 念押しすると嫌そうな顔をして「触るか」と言われた。


 落ち着かなさを抱えつつ、指示に従い、台座の上に立つ。

「では、これから少し魔法を強めます。魔力の核を震わせる魔法で、少し違和感を覚えるかもしれませんが、危険はありません」

「魔力の核? 俺に魔力はないんじゃ……」

「『ほとんど』です。ゼロの状態では魔道具も動かせない。もしかしたらネックレスの影響で以前より魔力が増えているのかもしれない。心当たりは?」

「ないです。……分かったから、早くしてください」

「それでは、遠慮なく」

 何もない胸元あたりのシャツを握りしめながら、息を吐いた。早く検査を終わらせるためだと意欲的だった道春に、初めて陰が差す。

 一呼吸おいて、クレナンの声で詠唱が始まった。


(――あれ?)


 なんとなく、呪文の響き方が、先ほどとは違っている気がした。

 道春は、普段の会話は問題ないが、呪文だけは聞き取ることができない。知らない音の羅列がいつも耳を素通りしてしまうので、覚えることも諦めていた。けれど、なぜか今ははっきりと耳に届く。

 相変わらず、何を言っているのかは分からないが、魔法が確実に自分に向かっているのを感じる。これが、クレナンの説明した「違和感」だろうか。

 空気がざらつき、指先からじわじわと冷たいものが這い上がってくる。骨の奥まで染み込むような嫌な感覚に、身体が震えた。

「……なんか、少し変かも」

「静かに」

 異変を訴えても、軽くいなされてしまう。口を閉じるが、不快感はぬぐえなかった。

 目を閉じ、変な感覚が通り過ぎるのを待つ。


 どれくらい経っただろうか。

「もういいですよ」

 そう言われたときには、その場に座り込みたくなるほどに消耗していたが、気力で体を支える。

「では次の検査にいきましょう」

「待て、クレナン。ミチハルは疲れているようだ」

 アルベルトの制止に、クレナンが不思議そうに瞬く。

「では、本日はここまでにしますか? 予定では、あとひとつ検査が残っているのですが。ここで終わらせないと、スケジュールがずれ込むことになります」

 二人のやりとりを聞いて、道春は迷った。

 気分は悪い。最悪だ。でも、検査があとひとつで終わるなら、我慢できる気もする。

 少しくらい無理をしても、スケジュールがずれ込むよりはマシだろう。

「大丈夫です。続けます」

「ありがとうございます。では、ミチハル殿はそのままで」

 言いながら、クレナンが次の検査の準備を行う。

「先ほど核を震わせたことで、ミチハル殿の魔力量が正確に分かりました。今度はその魔力の分析を――」

「早くしてください」

 イライラして、口調が強くなる。クレナンは動揺することもなく「そうですか」と頷いた。

 アルベルトは迷うように道春とクレナンを交互に伺っていたが、結局見守ることにしたようだ。

 再び、クレナンの詠唱が響きだす。


(あ、やっぱダメかも)


 直後に、先ほどとは比べものにならない重さと圧迫感が道春を包んだ。

 骨をねじられるような感覚に、呼吸が浅くなる。

 耐えようと踏ん張るが、足元の台座がゆらめいて見えた。いつ倒れてもおかしくない。

「と、止めてください」

 咄嗟にそう言ったが、聞こえていないのかクレナンがやめる様子はない。

「クレナン」

 アルベルトが怪訝そうに声を掛ける。だが、クレナンは集中を崩さず詠唱を続けていた。

 視界が褪せて、耳の奥で唸り声が響く。

 頭がぐらりと揺れ、膝が折れそうになった。

「クレナン。詠唱をやめろ。検査は中止だ」

 その声を合図に、声が止まった。糸が切れたように全身の力が抜ける。

「ミチハル?」

 倒れかけた道春を、アルベルトが慌てて支えた。

「どうした。気分が悪いのか」

 焦った声に何か返そうとするが、触られた部分に嫌悪感が走り、思わず口を押さえた。

「……魔力酔いか?」

 そう呟いたアルベルトが、小さく呪文を唱え始めた。

 その瞬間、『そうじゃないもの』が道春の中に流れ込んでくる。

 おそらく、アルベルトは道春の体調を整えるような魔法をかけようとしている。

 でも、違う。『それ』じゃない。

 拒絶しようと押し返すが、力が入らない。そうしているうちにも、次から次へと異質なものが流れ込んでくる感じがした。

 頭の奥が割れそうに痛み、吐き気が込み上げる。

「い、いやだ」

「ミチハル」

「触るなよっ」

 逃げようとして、アルベルトから離れた瞬間、足元がふらつく。

 重力が一気に増したように、身体が地面へ引きずり落とされた。視界の端が暗く染まり、自分の心臓の音だけがやけに耳に残る。台座から、足を踏み外した感覚がした。

 ガンッ、と鈍い音がして、暗闇が音もなく押し寄せた。







 ゆっくりと広がるぬくもりに、ひどく体が冷えていたことに気付く。

 いつの間にか、呼吸もしやすくなっている。頭が誰かに支えられているようだ。額に何かが触れて、くすぐったかった。

 大きな熱に吸い寄せられるように、体を寄せる。

 耳たぶや唇、目元のあたりを何かが撫でる。そのたびに、体温が戻っていく。

 遠くから水面を叩くような音がして、それが声だと気付くまでに、また間があった。


「かわいそうに」


 聞き覚えのある声だ。それが、どこか悲しみを帯びているように感じる。

 起きなければならない気がして、うっすらと目を開ける。ぼやけた視界がはっきりするまで、何度も瞬きをした。


「……ユリス?」


 名前を呼ぶと、心配そうに細められていた瞳が柔らかくなる。答えるように、優しく目元を指先で撫でられた。


「ユリス!」


 無意識に相手の首元に手を伸ばす。

 道春の背中に腕が回った。どうやらユリスの膝を枕代わりにしていたらしい。上から覆うようにユリスが道春の身体を抱きしめている。温かい。

「夢じゃない……」

 思わず漏れた声に、耳元で小さく笑う気配がする。息が軽くかかった。

「ああ」

 低い声に安心したら、涙がこぼれた。首元に額をすりつけ、すん、と鼻をすする。

「し、心配した……」

「うん」

「ひどいことされてないか?」

「うん」

 自分の目で顔を確かめたくて、抱きしめていた腕を緩める。

 覗き込むと、以前ほどひどくないものの、やつれて見えた。クマも相変わらずひどい。艶を失ったユリスの髪を、耳にかけてやる。

「ちゃんと食べてたんだろうな」

「……うん」

「返事が遅いぞ」

「…………腹が空かなかった」

 気まずそうに眉を下げるユリスに、ふっと笑みが漏れる。

「俺も。ユリスに、元気薬もらえばよかったなって思った……」

 これまでのことを思い出して、また涙がじわじわと込み上げる。

 顔を隠すようにユリスの胸元に額を預けた。

「ユリスが、王宮から消えたって聞いて……」

「ミチハルが帰ってこないから何かあったのかと思って、俺の方で動くことにした。連絡できなくてすまない」

 申し訳なさそうに言われて、ゆるく首を振る。目に入ったユリスの指を無意識に握った。

 気付かれないようにユリスのローブで涙をぬぐい、顔を上げる。

「俺、ユリスが、俺のために動いてくれてるんだって思ってたよ」

 胸を張る道春に、ユリスが小さく微笑む。

 ユリスが笑ってくれると嬉しい。

 気分を良くしていると、ユリスが道春の頬に手を当てた。自分から触るのは平気だが、触られると照れくさいような気もする。

「顔色は、少し戻ったみたいだ。気分は?」

 ほっとしたように息を吐くユリスに、道春は首を傾げた。

「え? 別に、普通かな……。そういえば、俺、どうしたんだろ」

 ふと視線を下げると、いつの間にかネックレスが戻っている。


「あのー……」

 不意に近くで声がした。

 驚いて声のほうを見ると、見知った顔がある。

「あれ、ロイエンさん?」

 ユリス以上に疲れた顔をしたロイエンが、なぜか死ぬほど気まずそうにしている。

 どうしてロイエンがここにいるのか。

 ――いや。そもそも、ここはどこだ。

 確か、自分はアルベルトやクレナンと体質について検査をしていたはずで……。

「感動の再会中に、申し訳ないのですが、今はそれどころではなく……。実は現在、国の危機に面しておりまして……」

「はあ?」

 突拍子もないことを言われて、目を丸くする。

 だが、ロイエンに冗談を言っている気配はない。どういうことだとユリスを振り返れば、相変わらず道春を見ていた。困惑する道春に、ユリスが「どうした」と優しく声を掛ける。

「いや、どうしたって……ロイエンさんが、国の危機って……」

「そうだな」

「そうだな?」

 そのとき、ようやく周りを気にする余裕ができた。

 白い壁に、紋様の刻まれた台座。ここは先ほどまで自分の体質を調べていた部屋で間違いない。

 そこから少し視線を逸らすと、その白い壁が崩れているのが目に入った。

「あれ?」

 ぐるりと視界を巡らせる。

 ……部屋は見る影もなくなっている。壁は一部を除いて破壊され、青い空が見えている。検査で使っていた道具は床のあちこちに散らばり、紙が舞っていた。

 自分がいた場所は、ぼろぼろになった部屋の中でも比較的マシな場所だったらしい。


「……え?」


 急に、耳が拾う音に違和感を覚える。聞こえるのは、ユリスとロイエンの声だけ。周りの音が遮断されているみたいだ。

 離れた場所には何人もの人の姿が見えた。その中にはアルベルトもいる。


 そのアルベルトと向き合っているのは――

 

 宙に浮かんだ後ろ姿。淡い光が輪郭を縁取っている。


「……姉ちゃん?」

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