24話 検査
目を開けた瞬間、残っていた夢の気配が消えた。
(……やっと眠れたと思ったのに)
広すぎる天蓋付きのベッドは少しも慣れない。気だるい体を無理やり起こし、部屋の奥に設けられたシャワールームへと向かう。
寝室の奥にある脱衣所には、簡素な棚と、脱いだ服を入れるカゴが置かれていた。洗面台の鏡に映る自分の顔は、ひどく疲れている。ユリスから元気薬を貰っておけばよかったと、ため息をつく。
シャワーを終え、いつの間にか棚に用意されていた着替えに無心で袖を通した。驚くほど着心地が良く、しかも動きやすい。普段、道春が着ているものとデザインは変わらないのに、質がまるで違う。自分のために、新しく仕立てたのかと思うと、ありがたさよりも不気味さの方が勝った。
身支度を終えてベッドに腰掛けていると、応接室に面した重たい扉が控えめにノックされた。寝室と応接室は、間仕切りのカーテンでゆるく分けられている。
「おはようございます。お目覚めですか」
顔をのぞかせたのはレオナードだった。この部屋に閉じ込められてから、身の回りの世話をしてくれているのは、ずっとこの男だ。
「……おはようございます」
「朝食をお持ちしても?」
少し考えて頷いた。食欲はないが、食べなければ体に悪い。
やがて、食事を並べ終えたレオナードが一礼し部屋を出て行った。応接室中央の低めのテーブルに、焼きたての白いパンがひとつと、スープと果物が並んでいる。
一日目の朝はこれに加え、複数のチーズや卵料理、ハム、デザートまでついてきた。パンの種類も多く、「朝からこんなに食べられない」と文句を言った結果、簡素な朝食に落ち着いた。
再び一人きりになると、道春は天井を仰いだ。朝食が冷めていくのに、手が伸びない。
道春は、この一室で三日目の朝を迎えていた。
結局アルベルトから逃げられず、そのままここに閉じ込められた。
部屋は、応接室と寝室、シャワールームが一続きになったつくりで、ユリスの家で使わせてもらっていた部屋の何倍も広い。内装は落ち着いた雰囲気で、大きな窓からは庭が一望できる。
応接室には、低めのテーブルと、それを挟むように向かい合わせのソファが二脚置かれている。テーブルは食事にも使えるが、基本的には談話用だ。
室内には、自動で整う魔法がかかっているらしく、朝になればベッドやシャワールーム、テーブルの上まで綺麗に片付けられていた。使用人が入らなくても生活できるよう、細かく設計されているのが分かる。
奇妙なほど便利な部屋だと思っていたら、「最初から貴殿のために用意していた部屋だ」とアルベルトが言った。夏紀の態度を見て、異世界の人間は私室に他人が立ち入ることを嫌うと判断したらしい。得意げにそう説明されて、ますます居心地が悪くなった。
外から見れば『丁重なもてなし』に見えるように配慮されている。
けれど、道春にとっては、ただの檻だ。三日間、一歩も外に出してもらえていないし、面会も禁止。この部屋を訪れるのは、元凶でもあるアルベルトと、世話をしてくれるレオナードのほか、魔導士長官のクレナンだけだ。
クレナンのことを思い出すと、頭が痛くなる。逃げようとしてぶつかったのは、痛恨のミスだった。
痺れを感じた直後、なにが起こったかクレナンにも分からなかったようだが、さすがは長官と言うべきか、すぐに誓約魔法が解除されていることに気付いたらしい。
クレナンの報告により、アルベルトは魔導士全員に誓約魔法をかけ直すよう命じたそうだ。表向きは、道春の体質のことは伏せて、「強めの誓約魔法を開発した」と説明した――ということを、わざわざ教えてきた。
クレナンは、アルベルトが見守る中で淡々と検査を行う。道春を調べるその目は、興味深い研究対象でも見るようだった。
検査といっても、体温を計られ、血液を少し抜かれ、たまに質問される程度だ。帰りたい一心で協力はしているが、「自分の体質について知っていたか」と聞かれたときは、言葉をにごした。気付かれているとは思うが、はっきり頷けばこちらの過失になりそうな気がした。
道春としては、『今まで何も気付かず、問題なく過ごせていた。だから帰せ』という主張である。しかしアルベルトは頷いてくれない。
隙を見て何度か脱出を試みたが、廊下に出た瞬間、魔法で元の位置に引き戻される。唖然とする道春に、アルベルトは興味深そうに「この魔法は効くんだな。魔法によって差があるのか」とだけ言った。その冷静な分析に、余計に腹が立った。
朝食を食べ終え、レオナードが食器を片付けてからしばらくして、アルベルトが現れた。その瞬間、道春の眉間に皺が寄る。
「おはよう。調子はどうだ」
返事をしなくても、アルベルトは気に留める様子もなく、向かいのソファに腰を下ろした。
この三日間で何度も顔を出している。暇なのか。心配しなくても、道春がこの部屋から逃げられないのは、その目で見ているはずだ。
「随分と食事量が少ないようだ。レオナードが気にしていた」
「……運動もできないような場所に閉じ込めておいて、よく言えますね。お腹なんて空きませんよ」
「なんだ、体を動かしたいのか」
「違う!」
涼しい顔をしたまま応じるアルベルトに、道春はますます顔をしかめた。こちらの要求なんて分かっているくせに。
「早くここから出してほしいんですけど」
何度も繰り返している要求を、また口にしてしまう。アルベルトの返事はいつも同じだ。
「ミチハルの体質が明らかになっていないうちは駄目だ。その体質が外に漏れたら困る」
「誰にも言わないって言ってるじゃないですか」
「統治者が、そんな言葉に頷けると思うか」
正直、アルベルトの言い分には一理ある。もし自分がアルベルトの立場なら、同じ判断を下すかもしれない。とはいえ、素直に従う義理はなかった。
「こんなの監禁だ」と吐き捨て、ふてくされる道春に、アルベルトはわざとらしく目を丸くしてみせる。
「もし、ミチハルが自身の体質を知ってて王家に隠していたとしたら、処罰の対象になり得る。それにしては、丁重な扱いをしていると思わないか」
「勝手に魔法を過信してたくせに、なんで俺が自由を奪われなきゃいけないんですか? そっちがマヌケだっただけじゃん」
煽るような言葉をぶつけても、アルベルトはびくともしない。片眉を上げるだけで、怒るどころか楽しんでいるようだった。
「心配せずとも、対処法が見つかれば外に出せる」
「いつ見つかるんですか」
「それは分からない。クレナン次第だな」
「じゃあ、姉に手紙を書かせてほしいです」
姉の話を出した途端、アルベルトの表情がわずかに硬くなった。
「駄目に決まっている。国を危険にはさらせない」
それどころか、難しい声で道春をけん制してくる。
(……姉ちゃんが、危険人物扱いされている)
人の姉になんて言いぐさだ――と思うが、ユリスも似たようなことを言っていた。やはり夏紀の存在は脅威なのだろう。道春が何を言っても痛くも痒くもなさそうだったこの男が、姉の話題が出ただけでこれだ。ここは姉の権威に頼るしかない。
「でも、俺と連絡が取れなければ、姉ちゃんもおかしいって思うでしょ」
「心配せずとも、もう不審がられている。王都に帰っても弟に会えないのかと、機嫌は悪くなる一方だ」
投げやりに吐き捨てられたアルベルトの言葉に、道春は目を見開いた。
「えっ、姉ちゃん、もう帰ってきてたんですか?」
道春の記憶では、姉は巡礼中だったはずだ。
アルベルトは一瞬、しまったという顔をしたが、すぐに取り繕い「二日前に戻っている」と答えた。
(姉ちゃんが帰ってきてるなら、なんとかなるんじゃ……?)
チャンスかもしれない。
希望を抱いた道春を見て、アルベルトがニヤリと笑う。
「ナツキは今、大神殿で冬の祭事に向けて準備中だ。儀式までは外部との接触は許されないと説明してある。残念だったな」
勝ち誇ったような笑みに、殴ってやろうかと思った。
だが、確かにいくら夏紀が王都にいようと、道春がこの部屋にいる以上どうしようもない。連絡手段が手紙しかないこの世界では、アルベルトを介さなければ姉ともまともに連絡が取れないのだ。
諦めて、道春は他のことを尋ねた。
「ユリスはどうしてます? 会いたいんですけど。まさか、ひどいことしてないですよね?」
「またそれか」
アルベルトがうんざりしたように息を吐く。
それから、軽く他愛のない話題を切り出すような口調で言った。
「マーレなら逃げたぞ」
「……は?」
言葉の意味がすぐに飲み込めず、道春は硬直した。
アルベルトはそんな道春を、どこか憐れむような目で見つめた。
「魔導士寮にいるよう命じていたが、今朝、姿を消していた。……これがどういう意味か分かるか?」
「どういう意味って……」
「貴殿は見捨てられたんだ」
その言葉に、道春は思わず吹き出した。
「ユリスが? まさか」
あのユリスが、道春を見捨てて逃げるなんて思えない。
なにか目的があるはずだ。そう思った瞬間、急に元気が湧いてきた。
道春が本気にしていないのを見て、アルベルトがつまらなそうに肩をすくめた。どうやら、動揺させたかっただけらしい。つくづく性格が悪い。
「あ。もしかしたら、ユリスが姉ちゃんに知らせてくれるかも?」
カチンときたので、ささやかに反撃してみた。
ユリスはいざとなれば最終手段を使うと言っていた。つまり夏紀のことだ。
少しくらいは焦るかと期待したが、アルベルトは道春を小馬鹿にするように笑った。
「それは無理だ。現在、大神殿は厳戒態勢。『転門の間』も封鎖された。マーレが聖女に近づく術はない」
「……そうですか」
さすがに、そう簡単にはいかないか。
だが、ユリスが何も考えずに姿を消したとは思えない。
きっと自分を心配して動いてくれているはずだ――そう信じる道春に、アルベルトが興味深そうな視線を向けた。
「私の知らない間に、ずいぶんと信頼関係を築いていたらしいな」
その言葉にハッとする。
ユリスが消えたと聞かされても、なぜか一ミリも疑う気持ちは湧かなかった。不安にもなっていないし、それどころか、今の状況をなんとかしてくれるとさえ思っている。
(……あいつは、俺と一緒にいたいって言って泣いたんだぞ。俺を置いていくわけないじゃん)
道春のために無理して頑張っていたのも知っている。なんならキスだってしている。……いや、キスはあまり関係ないかも。
とにかく、ユリスが自分に執着しているのは、なんとなく分かる。
これが信頼かと言われると自信がないが、少なくとも一番頼りにしていた。
「まあ、もう半年以上一緒にいますしね」
もちろん、アルベルトに全部を話す気はないので、適当なことを言った。
「……それなら、ミチハルは他に心配することがあるんじゃないか」
「え?」
唐突な言葉に首を傾げる。何かを思いついたようなアルベルトの表情に、嫌な予感がした。
「マーレは反逆者だ。見つけ次第、拘束する」
「は……? 何が……」
思考が一瞬で冷え込んだ。
顔色を変えた道春に、アルベルトは口元にわずかな皮肉を浮かべる。
「王家の命令を無視して姿をくらましたんだ、当然の処置だろう?」
「命令って……」
「異世界から来ている者には分からないかもしれないが、ルナネリス国民にとって、王家の命令は絶対だ。いかなる理由があろうと、侵すことはできない」
極端なことを言われ、道春は口を閉じる。
そういうものなのだろうか。あまりに理不尽すぎないか? でも、ユリスの行動は自分が思う以上にまずかったのかもしれない。たとえば、刑務所から脱走したようなものだったとしたらどうしよう。
ユリスが姿を消したのは絶対に道春のためだという確信があるぶん、不安が膨らんでいく。
「罪状は他にもある。ミチハルはごまかしているが、その体質をあえて隠していた可能性が高い。その場合、マーレが気付かないわけがない。報告を怠っていたことが明るみになれば、十分に処罰対象だ」
「ユリスは関係ないじゃん!」
焦る道春にアルベルトは動じず、淡々と続けた。
「あるに決まっている。貴殿は聖女の弟だ。その身を預かる立場で、報告義務を怠っている」
ユリスと道春に信頼関係があると分かった直後、あからさまにユリスを巻き込もうとするアルベルトに、道春の中で何かがチリ、と燃えた。
(……大丈夫。こんな脅しをしても、ひどいことはできないはず)
実際、道春とユリスが仲良く暮らしていることは、夏紀も知っている。夏紀がいる以上、アルベルトはユリスに手を出せないはずだ。
だが、冷静でいようとする道春の心を狙うように、次の火種が投げ込まれた。
「平民ながら優秀な魔導士ではあったが、ここまで国に忠誠がないとはな。明らかな危険分子だ」
「はあ!? 今、忠誠って言った?」
くすぶっていた怒りが、一気に燃え上がる。
道春にとって「忠誠」なんて言葉は、まったく未知の世界の、理解のできない言葉だ。
けれど、他者から忠誠を誓われるには、相応の理由が必要なのは分かる。何も与えていないのに、当然のように忠誠を誓えなんて図々しい。
(お前ら、ユリスを大切にしなかったじゃないか)
そのうえ、危険分子呼ばわりするのも腹が立つ。ユリスのなにが危険なんだ。
「まだ子供だったユリスに、姉ちゃんの暴走の責任を取らせようとしたくせに。ユリスは召喚を成功させたのに! 評価もせずに、都合よく利用して……。そんなんでユリスが忠誠なんて誓うわけないだろ!」
叩きつけるように言った瞬間、アルベルトの表情が揺れた。
これまでの皮肉や余裕が消え、静かに血の気が引いていく。
その変化に、怒り任せに言葉を放った道春も少し戸惑う。
「……それも知ってるのか」
アルベルトが、道春を見たまま呆然と呟いた。その言葉で、これが本来は誓約魔法で守られていた秘密だったのだと悟る。
やってしまった、と思ったが、体質がばれてしまっている以上、今更ごまかしても仕方がない。
沈黙を破ったのはアルベルトだった。
「……あのやらかしは、王家の恥だ」
ふいに漏れた自嘲に、道春は目を見開く。
「父の判断が早計だった。あの件で、確実にナツキの王家への心証は悪くなっただろう」
忌々しげに吐き捨てるその表情は、少なくとも嘘をついているようには見えない。
道春は考えを巡らせ、ユリスの話を思い出す。
王家はユリスに責任を取らせようとして、それを知った夏紀が怒りを暴走させた。
偉い奴が責任を取れ、と夏紀が言い、選ばれたのがアルベルトだった――と聞いた。
当時は、人の心がないのかとドン引きしたが……アルベルトにとっては不本意だったのかもしれない。
じっと見つめる道春に気付き、アルベルトはわずかに目を細め、苦々しい表情を浮かべた。
「せめてもの罪滅ぼしに、王宮を去った後もマーレには特権を与えてやっている」
「特権?」
「マーレは転移魔法が使えるからな。魔法陣がある場所への移動を制限してない。聖女召喚の関係者として、転門の間の使用も許可した」
……言われてみれば、王宮魔導士を辞めた立場で、王宮を行き来できているのは特権にも思える。
帰還魔法の研究が一任されているからこそ許可されているのだろうと思っていたが、アルベルトなりに、ユリスを評価した結果だったのか。
アルベルトが疲れたように息を吐く。
「やはり、貴殿の体質は危険だ。誓約魔法を解除する能力など、存在してはいけない」
「な、なんでそうなるんだ」
驚きで声が裏返る。今はそういう話だったか? アルベルトは苛立たしげに髪をかき乱した。
「先ほどのことがいい例だ。王家の恥が漏れている」
「それは、王子がユリスに、『これは秘密だ』って念押ししなかったからだろ。誓約魔法に頼ってるからそうなるんだよ」
ユリスは道春の質問には何でも答えてくれていたが、別に口が軽いからじゃない。
誓約魔法のせいで「喉が痛くならなければ喋ってもいい」という雑な基準で判断していただけだ。何が秘密かも正確に把握しておらず、道春の体質に気付いたのも偶然だった。
穴だらけのシステムで回しておきながら、危険扱いされるのは納得いかない。
「具体的に『これは絶対口外するな』って約束させれば良かったんだ。秘密を話そうとすると喉が痛くなる魔法なんてどうかしてる。俺は、ユリスがそんな魔法から解放されて良かったと思うね」
我ながら生意気だと思うくらいに、言葉がスラスラ出てくる。そんな道春を、アルベルトが鋭く睨んだ。
「……減らず口を」
ゆっくりと立ち上がり、片手をテーブルに置いて身を乗り出す。影が道春を覆い、思わず息を呑んだ。
「だが、貴殿がそう強気でいられるのは、姉が聖女だからだ」
その声は低く、冷たかった。
「貴殿は、王家が嫌いだろう。力を振りかざし、立場の弱い者を都合よく操っているように映るか。だが――それをしているのは貴殿も同じだ」
「……はあ」
なにが言いたいのか分からないが、とりあえず貶されているのは伝わる。気分はよくない。それでも道春は黙って続きを待った。
「罰されないと分かっているから、私にも平気で噛みつく。だが、聖女がいなければ、もっと慎ましい態度を取っていたんじゃないか? 後ろ盾もなく王家に真っ向から楯突くほど、貴殿は愚かではない。その体質は、国にとって間違いなく脅威。それなのに、理解を示すどころか、姉に言いつけるなどと脅し、自分の自由を優先させている」
「……で? 何が言いたいんですか?」
「私もミチハルも、そう変わらないということだ」
アルベルトの目が、ゆるく細められる。
「……私は別に非難してるわけじゃない。使えるものは、最大限に利用すべきだ。――ミチハルは賢い」
嫌味にしか聞こえない褒め方にムッとする。
権力に頼ってるのは同じなんだからでかい顔するな、ということだろうか。それにしてはまわりくどいが。
(まあ、改めて言われると、俺もなかなかひどいなとは思ったけど)
ルナネリス王国にとっては確かに問題児かもしれない。でも、それがどうした。
「そりゃどうも」
開き直る道春に、アルベルトが言った。
「貴殿は聖女がいるからいいだろう。――だが、マーレはどうかな?」
(ほんっと、この王子……!)
ユリスの名前を出せばこちらが揺れると踏んで、わざと言っている。分かっていても、口は勝手に動いていた。
「ユリスに何かしたら許さないからな!」
道春の返答に、アルベルトは満足そうに口角を上げる。
「誰が許さないんだ? ナツキか? 彼女に泣きつくのか」
「そうだよ。姉ちゃんに言うんだ。王子がムカつくからやっつけてくれって。別に俺は、それを恥ずかしいと思わない」
怯んでることを悟られたくなくて、強く言い返す。
どれだけ自分が無力でも、夏紀はこの国で最強だ。その立場を頼ることに、今さら後ろめたさはなかった。
「潔いな。その割り切りの良さは本当に好ましい」
アルベルトがふいに表情を解き、しみじみと呟いた。
だが、すぐに嫌味が帯びた顔に戻る。
「では、貴殿らはずっとルナネリスに残るのか?」
心臓が、嫌な音を立てた。
「役目を終えた後は、姉弟で平穏に暮らすのだろう。国外に出ることも検討しているはずだ。帰還魔法が完成すれば、元の世界に戻るのか? ……そうなれば、マーレを守る者はいなくなるな?」
完全にユリスを人質に取られている。
(俺と姉ちゃんがいなくなったら、ユリスはどうなるんだろう)
考えたことがなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。
もしも、自分たちが好き勝手やったツケを、近くにいたユリスが払わされることになったら。途端に不安が込み上げる。
「ユ、ユリスも連れて行く」
すがるように言うと、アルベルトは首を傾けた。
「どこへ? “ニホン”とかいう国か?」
嘲るように言われて口をつぐむ。
帰還魔法が完成しても、ユリスが日本に行くことは難しいだろうと本人も言っていた。
黙り込む道春に、アルベルトは微笑んだ。
「では、ひとつ交渉をしよう。条件を飲めば、マーレの件は不問にしてやる」
「交渉……?」
うさんくさい響きに、眉をひそめた。頭の奥で鈍く警鐘が鳴る。
「体質を調べさせてくれ」
――最初から、それが目的だったのか。
「……今も協力してるじゃん」
「もっと本格的にだ」
アルベルトが姿勢を正し、腕を組む。
「実は、クレナンに提案されていたんだ。ミチハルは貴重なサンプルでもあると。迷っていたが、やはりその体質には対処が必要だと判断した」
(サンプルって。実験動物かよ)
嫌な言い方だ。
興味深そうに自分を見ていた、クレナンの目つきを思い出す。
「危険はない。体質を詳しく知りたいだけだ。どの魔法が効くのか、効かないのか。その原因は何か。軽く魔力を流し、肉体の反応を数値化し、状態を確認したい。いずれ、それが新しい魔法開発のヒントになるかもしれない――と、クレナンが言っていた。一理あると思わないか」
「……本当に危険はないんですか」
「約束しよう。ただ、少し体調に影響はあるかもしれない」
体調に影響があるのは大問題だろう。
本当に気が進まない。でも、ユリスのことをちらつかされている以上、簡単に拒否することもできなかった。
どうやらアルベルトは、道春に『王家の恥』を知られていたことがよほど堪えたらしい。迂闊にべらべらと話すんじゃなかった。後悔してももう遅い。
「それが終われば、マーレの元で暮らしても構わない。ただし、家の周りの警備を厳重にし、貴殿には毎日王宮の方に顔を出してもらう」
「うわ、面倒くさ」
想像しただけでげんなりして、つい言葉が漏れた。
今、部屋に閉じ込められているよりはマシなのだろうが、これまでのユリスとののんびりした生活を思い返すと比べ物にならない窮屈さだ。
「これでも譲歩している。仕事だと思えばいい」
簡単に言いやがって。
すでに答えは決まっているようなものだったが、そのまま要求を飲むのは嫌で、道春の方も条件を出す。
「……王宮に来るの、毎日じゃないと駄目ですか? 七日に一度なら考えてもいいかも」
「考慮しよう」
渋ることなく、アルベルトはあっさりと頷いた。こういうところも憎たらしい。
「……本当に、ユリスには何もしないんですね?」
アルベルトの目を見据えて確認する。片手を胸に当て、少し頭を下げ形式ばったポーズを取った。
「女神に誓おう」
大袈裟な言い方だ。これに、どれだけ効力があるか分からない。
けれど、さすがにここまで言って、嘘はつかないだろう。
「……分かった」
深呼吸して、腹を括る。
この世界における、自分の体質に向き合うときが来たと思えばいい。
ただ――
信じろと言ったユリスの言葉が、胸に引っかかったままだった。




