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23話 隔離

(やっぱ、来るんじゃなかったかなー)

 深く沈み込むソファに身を預けながら、道春は所在なげに天井を見上げた。

 一人きりで待たされて、おそらく十分くらい経っただろうか。やけに長く感じる。

 案内されたのは、上品な応接室だった。

 一人掛けのソファが、丸いテーブルを挟んで二つ向かい合っている。

 家具はすべて淡い色調で統一され、白い壁には、風景画が二枚飾られているだけだった。

 一見すると普通の部屋だが、窓がないのが少し気になった。

(でも、こうするしかなかったし……)

 無意識に胸元のネックレスに触れる。ユリスからもらった青い石だ。

(ユリスー……。どうすればいいんだよ)

 心の中で呼びかけても、もちろん返事はない。

 じわじわと心細さが押し寄せる。

 この世界で、道春はユリスや夏紀を頼りに生きてる。そのせいか、一人になると不安で仕方がなかった。今は体質の問題も抱えているから、なおさらだ。

 扉の外には人の気配がある。勝手に出ていくのは無理そうだった。

 ため息が大きく響いて、すぐに静寂に吸い込まれていく。

(……大丈夫。適当にごまかせば、すぐに帰れる。たぶん……)

 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと目を閉じた。



 あのとき。

 転移魔法を使い二階から降りてきたのは、上等なローブを身に着けた、背の高い中年の男だった。

「失礼。ご挨拶もなく、急にお邪魔してしまって」

 灰色がかった長い髪を一つに束ね、端正な顔立ちをしている。だがその表情はどこか掴みどころがなく、口元には皮肉めいた笑みを浮かべていた。

 物腰こそ柔らかいが、立ち姿にはこちらを緊張させる威厳がある。姿を認めるなり、ロイエンが頭を下げた。

「……クレナン長官」

 ユリスの呟きに、道春はぎょっとした。

(『長官』って、もしかして偉い人なんじゃ……?)

「久しぶりだな、マーレ」

「お久しぶりです」

 挨拶を済ませたユリスが、小声で「元上司だ」と教えてくれる。つまりロイエンの現上司か。

 ユリスはもう王宮魔導士を辞めているから、ロイエンのように頭を下げる必要はないのだろう。

 クレナンと呼ばれた男は、ロイエンに向かって片手を軽く動かした。それを合図にロイエンは顔を上げるが、表情は硬く、いつもの穏やかさが見られない。

 クレナンは道春に目を止めると、静かに向き直り、胸元に手を添えてわずかに頭を傾けた。

「お初にお目にかかります、ミチハル殿。私は、王宮で魔導士長官を務めております。名はダリオ・クレナン。以後、お見知りおきを」

「は、はあ。はじめまして……」

 道春の気の抜けた挨拶に、クレナンは顔色ひとつ変えなかった。

「先ほど、ロイエン・カレドンから報告を受けまして。興味深かったため、内容を確認しようと思ったのですが、なぜか姿が見えず……位置情報がこちらを示していたので、こうして訪ねてきた次第です」

(やば……)

 ユリスに助けを求めたかったが、視線を逸らすと怪しまれそうな気がした。

「そうですか。ご苦労様ですー……」

 咄嗟に薄笑いを浮かべて、相槌を打つ。すると、クレナンが身をかがめ、心配そうに道春を覗き込んできたので、思わず一歩下がった。奇妙な沈黙の中、クレナンにじっと見つめられる。

「……ミチハル殿。体調がすぐれないとのことですが、今はいかがですか?」

「あー、なんか……もう治りました」

 答えながら、妙な不安と居心地の悪さを感じた。

「カレドンは、ミチハル殿に触れたときに、痺れのようなものを覚えたそうです。心当たりは?」

「え? いやー……なんだろう? 静電気とか、ですかね?」

 我ながらうさんくさいとは思うが、そうとしか言いようがない。クレナンは小さく唸った後、わずかに眉を寄せた。

「そうですか……。心当たりがないのなら、王宮のほうで調べさせていただいてもよろしいですか?」

「いや、それはちょっと……」

 反射的に口をついて出た言葉に、自分でもヒヤリとする。迷う仕草くらいした方がよかっただろうか。

 クレナンの目が静かに細くなる。

「なぜでしょうか?」

「お、王宮が苦手なので……」

 必死に言い訳を考えながら、どうにか逃げ道を探す。

 王宮はまずいと直感が告げていた。

「お気持ちは分かりますが、念のためです。ミチハル殿ご自身のためにも」

「いいです。遠慮します」

「お話を伺うことも難しいですか?」

(このおっさん、しつこいな!)

 イライラするが、相手が丁寧な態度を崩さないせいで、強く出ることもできない。とにかく「行かないです」とだけ繰り返すことにした。

 だが、そんな道春の作戦を察したのか、クレナンは諦めたように息を吐いた。

「……それでは、仕方ありませんね」

 逃げ切れたと思った瞬間、クレナンの言葉が冷たく響いた。

「聖女様の弟君の心を開かせることができなかったという点で、カレドンに一定の責任があると判断せざるを得ません」

 感情をまったく見せない口調に、道春は思わず声を上げた。

「な、なんで!?」

「カレドンには監視のほか、王宮に対する不信感の緩和も、彼に期待されていた役割の一つでした。現状では、成果が見られないようですから」

(そんなの聞いてない)

 思わずロイエンを見るが、先ほどと変わらない表情で待機している。

「……責任って、ロイエンはどうなるんですか?」

「相応の処分は下るでしょう。監視役も代えます」

「はあ!? ロイエンは悪くないですけど! 王宮に不信感があるのは王宮のせいなのに、下っ端にその責任押しつけるのは横暴だと思います!」

 道春の言葉に、クレナンは勝利を確信するように、笑みを深めるだけだった。

「……それなら、王宮の方へ来ていただけますか?」

(む、むかつく……!)

 明らかに罪悪感を突くやり方だが、効果は絶大だった。

 王宮は嫌だが、自分のせいでロイエンが巻き込まれるのは胸糞が悪い。

 ロイエンを完全に信用していたわけではないが、世話になっていたことは確かだ。こちらの世界でどう生活しようかと悩んだときに、知恵をくれた恩もある。それを切り捨てられるほど、道春も非情にはなれなかった。

 覚悟を決めかけたそのとき、ユリスが不意に動いた。

「――少し、二人で話をさせてください」

 クレナンが頷くのを確認してから、道春とユリスは廊下へ出る。ドアが閉まったのを確認して、ユリスが小さな声で呪文を唱えた。防音系の魔法だろう。

「ミチハル。やめたほうがいい。嫌な予感がする」

 クレナンを警戒してか、ユリスの声はやけに抑えられていた。道春もそれを見習い、できるだけ小声で訴える。

「でも、さすがに放っておくことはできないっていうか……。俺たちがロイエンさんを巻き込んだし」

 道春の言葉に、ユリスもバツが悪そうに眉を寄せた。自覚はあるようだ。

「大丈夫だよ。話をするだけ。それに、変なことは言わないようにするし」

「長官は、あれで厄介だぞ」

「厄介なのは十分伝わってるって」

 意思を変える気のない道春に、ユリスは早々に諦めたのか「仕方ない」と零した。

「実際、あいつにも、こちらの事情を黙っていてもらう必要があるしな」

「そうだよ。ここで俺たちがロイエンさんを切り捨てたら、全部バラされたって文句言えないよ」

 ユリスは考え込むように腕を組み、ひとつ頷くと顔を上げた。

「俺も王宮までついていく。おそらく、道春は別室に案内されるはずだ。できるだけ警戒してくれ」

「分かったよ」

 そう答えながらも、心にざらついた不安が残っていた。

 それを察したようにユリスが顔を近付ける。

「なにがあっても、俺を信じてほしい」

 真剣な目が道春を射貫いたあと、ふと緩んだ。

「――まあ、いざとなれば最終手段でも使うさ」

 冗談めいた言い方に、思わず目を見張った。ほんの少し気持ちが軽くなり、道春は頷いた。

 二人で部屋に戻り、「少し話をするだけなら」と言うと、クレナンは満足そうに了承した。

 ロイエンも連れて、転移魔法で王宮へと移動する。てっきり魔導士区画に行くのかと思っていたが、到着したのは見覚えのない場所だった。目の前に、装飾の細かい巨大な門がそびえていた。

「では、ミチハル殿、こちらへ。ここから先は、関係者以外立ち入れないので、私と二人で参りましょう」

 有無を言わさない口調でクレナンが指示を出した。

「カレドンは職場に戻るように。マーレは自宅に帰って構わない」

「いえ、私はここで待っています。道春を、家へ連れて帰らなくてはならないので」

 一瞬、クレナンの眉がわずかに動いた。その場に残るというユリスの意思に、思うところがあったのかもしれない。だがすぐに、表情を上塗りするよう微笑んだ。

「……好きにするといい。ただし、出入りできるのは魔導士区画だけだ。それ以外をうろつくのは控えてもらいたい」

「承知しました」

 空気がひりついたのを感じ取り、道春は無意識に軽い声音で質問をする。

「あの、どれくらいで終わりますか」

「そんなにお時間は取らせません」

 クレナンはにこやかにそう返す。その笑顔が、ユリスに向けたものと違うような気がして、道春はこの男に対する苦手意識が強くなった。縋るようにユリスを見る。

「ユリス、すぐ戻ってくるから……」

「ああ。待ってる」

 安堵して、道春はクレナンに付いていき――そして現在に至る。



(あー。いやだ。やっぱりユリスにも来てもらえばよかった)

 もう何度目かも分からないため息が、また口をついて出る。

 クレナンはこの部屋に道春を案内したあと、何の説明もなく姿を消してしまった。

 「そんなにお時間は取らせません」と言っていたくせに、すでに十分以上が経過している。どうも、この世界の人とは時間の感覚が根本的に合わないらしい。

 と、そのとき。扉の外から物音がした。反射的にそちらへ視線を向ける。

「久しぶりだな」

(うわ)

 姿を現したのは、よりにもよってアルベルト王子だった。話をする相手が彼だとは一言も聞いていない。

「お久しぶりです……」

 努めて平静を装って返すが、どうしても笑顔が引きつる。

「ははは。嘘でも、少しくらい愛想よくしたらどうだ」

(これでも頑張ってんだよ)

 上機嫌な態度が、かえって神経を逆撫でする。これ以上の愛想笑いは無理だと判断して、上げていた口角を戻した。

(適当にごまかして、さっさと帰ろう)

 アルベルトは道春の正面にあるソファへと腰を下ろした。今日は側近も護衛もおらず、一人のようだ。

 この王子と二人きりは気まずい。

「しばらく見ない間に、ずいぶんと……そうだな、ちょっと影のある顔になったんじゃないか? 悩みがあるなら聞いてやろう」

「ないです。俺は体調について話が聞きたいって言われたんで来たんです」

 なるべく感情を抑えて返す。

 道春には「とにかく用件を聞いて、なんとか誤魔化す」というミッションがある。無駄な雑談に付き合っている余裕はなかった。

「気が早いな。……まあいいだろう、本題に入るか」

 アルベルトはわざとらしく咳払いし、もったいぶった仕草で足を組んだ。

「質問だ。どうやら、一カ月ほど、マーレと関係が悪化していたらしいな。理由はなんだ?」

「ええ……?」

 思わず声が裏返る。想定外すぎて脳がついていかない。

「俺は、体調のことを……」

「いいから。いったい何があった?」

 言い終わる前に遮られる。まるで取り調べのようだ。

 むっとして、道春はあえて声を低くした。

「……一緒に暮らしてれば喧嘩くらいしますよ。もう仲直りしました」

 できるだけ事務的に答える。だがアルベルトは、それでは納得できないらしい。

「私は理由を聞いている」

 その声には、苛立ちがにじんでいた。

 ――ムカつく。腹を立てているのはこっちのほうだ。

 無神経に土足で踏み込んでくる人間は、道春がもっとも苦手とするタイプだった。

 だいたい、関係が悪化していたとはいっても、ただのすれ違いだ。それもユリスが一人で悩んでいただけ。

 自分とユリスの問題を、他人に話すつもりはない。

 さらに突っ込まれれば、すれ違いの原因――道春の体質についても触れてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。

「プライベートなことなので。言いたくないです」

 きっぱりと告げると、アルベルトの目の色がわずかに変わった。

 顎に手を当て、思案するような仕草を見せる。

(なにか、まずいこと言ったか?)

 不安になるが、重要な情報は与えていないはずだ。

「……分かった。質問を変えよう」

 声音は穏やかになったが、明らかに先ほどとは雰囲気が違っていた。

 底が読めない。道春の警戒心も、ますます高まっていく。

「ロイエンから、マーレの仕事を手伝っていると報告を受けている。順調か?」

「……まあ、それなりに」

「魔道具を作っているんだったな。砂時計の評判も届いている。王宮でも利用している者は多いようだ」

「……はあ」

(なんなんだ? なんの話?)

 相手の意図が分からず、眉をひそめる。探りを入れているのだろうか。でも何のために? ユリスの仕事なんてアルベルトに関係あるとは思えない。

「その状況で、帰還魔法の研究に集中できているのか」

「はあ?」

 思わず声が出た。失礼なことを言われた気がして、瞬間的に頭に血がのぼる。

 誰のせいで、ユリスが研究以外のことに手を出すはめになったと思っているのか。

「ユリスは研究を生活の中心にしてるんです。ちゃんとやってますよ。仕事は生活費を稼ぐためのおまけ。研究費も出さないくせに、魔道具作りにごちゃごちゃ言わないでほしいです」

「……ほう?」

 アルベルトが意味ありげに片眉を上げた。はっとして口をつぐむ。

(余計なこと言ったか?)

 研究をおろそかにしているような言い方をされ、うっかり言い返してしまった。

 でも、そこまで重要なことじゃない。大丈夫なはず……。

 落ち着こうと、静かに息を吐く。

「では、研究はどこまで進んでいる?」

 さらに踏み込まれる。

 これ以上、余計なことは言えないと神経を尖らせた。

「……そこまでは知りません」

「知っている範囲で構わない」

「だから、何も知らないです」

「マーレは研究について、なにか言っていたか? 相談でも、悩みでも、なんでもいい」

「知りません。言いたくないです。もう用がないなら――」

 その瞬間、両腕を掴まれた。

(やっば)

 体が反射的に動く。

 身をよじって立ち上がると、掴んでいた手はすぐに離れた。だが、全身から血の気が引いていくのを感じる。

 ロイエンのときのような痺れはなかった。

 こちらから触れたわけではないので、「誓約魔法の解除条件」には当てはまらなかったのだろう。

 ……いや、そもそもアルベルトは王子だ。誓約魔法がかかっていない可能性もある。

 とにかく、今はまだセーフ。けれど不自然な動きをしてしまったのは確かだ。

 問題は、この状況をどうごまかすか――

「……なぜ効いてない?」

 低く落ちた声に、心臓が跳ね上がった。

(……バレた?)

 そんなはずがない。

 自分から触れていないし、痺れもなかった。重要な情報も言ってない。

 まさか、ユリスの仮説が間違っていた?

 立ちすくむ道春を、アルベルトが見据える。

「……ミチハル。この部屋には、とある魔法がかけられている」

 唐突に明かされた事実に、一瞬、思考が止まった。

「”強言魔法”といって、相手に真実を言わせる術だ。この部屋にいると、どんなに話したくないことでも、違和感なく、自然と口に出してしまう」

 淡々とした声が、静まり返った室内に異様なほど響いていた。嫌な汗が流れる。

「主に力を持ち過ぎた貴族や、外交相手に使われる。ごく限られた王族と補佐官だけが、特定の状況下での使用を許された、極めて特別な部屋だ」

 固く握った手のひらが震える。アルベルトを睨みつけることしかできなかった。

「この部屋で『言いたくない』なんてことは、本来ありえないんだよ」

 重苦しい沈黙が落ちる。悔しさと怒りとで、体の芯が冷たくなっていくのが分かった。

 おそらく”強言魔法”は、誓約魔法や封言魔法と同じく、「王家に伝わる強力な魔法」の一つだ。だから、道春には効かなかったのだろう。

 これまで道春は、秘密を守る魔法ばかりを警戒して、余計なことを言わないよう注意していた。けれど逆もあったのだ。――喋らせる魔法が。

「な、なんでそんな部屋に俺を……」

 かすれた声で問い返す。

「聞きたいことがあったからだ。普通に尋ねても貴殿は答えない可能性が高い。この部屋ならば、と思ったんだがな。……まさか、魔法が効かないとは」

 アルベルトはこともなげに言うが、道春の頭には怒りがじりじりと広がっていく。

「……それって、俺にバレないよう情報を引き出そうとしたってことですよね?」

「そうだ。心配せずとも、ミチハルが重要な情報を持っていると思っていない。この部屋を使うことで関係が改善されると期待したが、それ以前の問題だったようだ」

「改善されるわけないだろ! どんだけお花畑なんだよ。こ、こんな、人のプライバシーに踏み込むみたいな真似して……」

 悔しくて声が震えた。だが、アルベルトは、道春がなぜこれほど怒っているのか理解できないようだった。

「もちろん、本来はこの部屋の乱用は禁止されている。人の意思に干渉する術は、忌避される傾向にあるからな」

「……俺に干渉しようとしたくせに?」

「でも、できなかっただろう」

「それは結果論だろ! 干渉しようとしたのが問題だ! だいたい、アンタの国は、人の秘密に踏み込んだり、話すことを制限しようとしたり、気持ち悪いんだよ!」

 道春がどんな暴言を吐いても、アルベルトは表情を変えなかった。統治者の目で、何かを見極めようとしている。

「先ほどから気になっていたんだが……。――ミチハル」

 どこか、引っかかるような声音だった。言葉を慎重に選ぼうとしているのが伝わる。

「魔法が効かないことに対して、あまり動揺していないようだが、なぜだ?」

 観察するような目に、道春の喉が鳴る。

 痛いところを突かれた。けれどもう遅い。

「……なにか、知ってるな?」

「知らない」

「……すまないが、調べさせてもらう」

「いやだ。帰りたい」

「部屋の魔法が効いてないんだ。原因を探る必要がある」

「俺には関係ない!」

「こちらにとっては一大事だ」

 それはそうだ。この人たちが何よりも信じている「魔法」が効いてないのだから。

 だからと言って、道春が言うことを聞く義理はない。

「騙すような真似しやがって。俺の体調なんかどうでも良かったんじゃないか。これが権力者のやることかよ」

「それに対しては申し訳なく思う。だが、ミチハルが心を開いてくれない様子だったからな。試す価値はあると判断した」

「ただでさえ低かった信頼が、今のでマイナスになったよ!」

 腹が立って仕方がない。道春の怒りがアルベルトに少しも届いていないのが、余計に癪に障った。

(俺が何したっていうんだよ)

 道春は、ユリスとただ静かに暮らしていただけだ。大人しくしていた。夏紀の怒りを煽るような真似もしなかった。

 でも、もしかしたら、国はそれだと物足りなかったのだろうか。もっと道春を利用したかったとか。

 アルベルトは道春に夏紀の結婚を勧めてきた。懐柔して、言うことを聞かせたかったのかもしれない。だって、そのために、道春はこの国に呼ばれたのだ。

「帰る!」

「無理だ」

「約束が違う! すぐ帰っていいって言った!」

「状況が変わった。待っていろ」

 アルベルトが手を振ると、部屋の外で鈴のような音が聞こえた。誰かを呼んだのだろう。

(まずいまずいまずい)

 外に見張りはいるだろう。けれど、一か八か、突っ走ればどうにかなるかもしれない。

 無謀だと分かっていながら、外に出ようと駆け出した。扉を開けた瞬間、誰かにぶつかる。そのとき、体に覚えのある痺れが走った。

(げ……マジか……)

 この感覚は間違いない。

 駄目だ。やることなすこと、最悪のほうにいっている。

 青ざめた顔を上げると、そこに立っていたのはクレナンだった。

「今、なにか……」

 クレナンも痺れを感じたのだろう。不可解そうに道春を見下ろしている。

「ミチハルを捕まえてくれ。しばらく王宮から出せない」

「はあ!? 嘘つき! 帰せよ! ユリスを呼べ!」

 横暴な物言いに、道春も感情のまま噛みついた。アルベルトはうるさい子犬を相手にするかのように肩を竦める。

「心配しなくても、マーレも王宮に残す。事情を聴く必要があるからな」

「会わせろって言ってんだよ!」

「それはできない」

 当然のように言い切られ、頭に血がのぼる。

「じゃあ姉ちゃんに連絡しろ!」

「するわけないだろ」

 呆れたように一蹴されてしまう。

 ユリスも夏紀もいない。自分一人では、何もできない。

 あまりの無力さに、呆然とする。

 アルベルトは、立ち尽くす道春を放置してクレナンと話し出した。道春が逃げる可能性を、微塵も疑っていないのだ。

 そして、道春もこの二人から逃げる自信はない。

(どうしよう、ユリス)

 道春はただ、信じろと言ったユリスの言葉に縋るしかなかった。

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