22話 交渉
そこからのユリスの行動は速かった。
時計を一瞥すると、道春に「待ってろ」とだけ言い残し、二階へ上がっていく。
道春は呆然と、ユリスが消えていった扉を見つめた。
(待ってろって言ったって……)
しばらくユリスのいなくなった空間を見ていたが、こうしていても何も進まない。仕方がないので、お菓子やカップを片付けることにした。
使われなかった食器を元の位置に戻し、そのままダイニングで待っていると、急に二階が騒がしくなる。
道春が声の主に気付いたときには、ユリスが戸惑うロイエンの腕を掴み、部屋に戻ってきた。
ロイエンは完全に狼狽して、「は?」「え?」と、言葉にならない声を漏らしている。さっき帰ったばかりのロイエンが再び現れたことに、道春も混乱した。
「ど、どうしたの?」
「王宮に戻っているだろうと思ったから、連れてきた」
どうやらユリスは転移魔法を使って、王宮の魔導士区画まで行っていたらしい。
ユリスに促され、先ほど道春が勧めた椅子に、再びロイエンが腰を下ろす。
「これはどういう状況ですか? ……ミチハルくん、体調が悪かったはずでは?」
ユリスでは埒が明かないと思ったのか、ロイエンが道春に向き直る。
いつもにこやかなロイエンが、疑わしげな目で道春を見るので、気まずくなって視線を泳がせた。
「いや~、あれ? なんか治っちゃったかも?」
取り繕うように笑いながら、視線をそのままユリスの方へと向ける。
ロイエンに事情を打ち明けようとは言っていたが、まさか今この瞬間に始まるとは思っていなかった。
道春も早く動くことに異論はないが、それにしたって説明がなさすぎる。
(もう少し、話し合いというか、予定を先に伝えてくれないか)
道春の心の声も知らず、ユリスはいつもと変わらない、感情の読めない顔をしている。
細身の体型なのに、ロイエンの正面に立ち、腕を組んで見下ろす姿には、謎の迫力があった。
「確認したいことがある。正直に答えてくれ」
「はあ……」
真顔のユリスが醸し出す威圧感に押されながら、ロイエンが神妙に頷く。
道春は、身を引くように椅子の背に深くもたれた。
(ここはもう全部ユリスに任せよ)
きっと何か考えがあるのだろう。多分。
「国にある、『転移の塔』の数や位置は分かるか」
ユリスの言っていることが理解できなかったのか、ロイエンはわずかに眉を寄せた。
だがユリスは、二度同じ質問を繰り返す気はなさそうだ。ただじっと、ロイエンを観察している。
(転移の塔の数や位置……?)
『転移の塔』とは、国の主要な場所に設置されている転移魔法専用の施設のことだ。
いきなりクイズみたいな質問を始めるユリスに、道春も不思議に思った。
「はあ……まあ、一応分かりますよ。使ったことは、ほとんどないですけど」
ユリスの視線の圧に観念したのか、ロイエンは困惑しながらも応じることにしたようだ。
「え、ロイエンさんって使わないの?」
意外な答えに、道春の方が先に反応してしまう。
「僕は転移魔法を使えないので……。今みたいに、ユリスがいれば別ですけど。転移魔法を扱える魔導士は少ないんです」
そういえば、監視役として家を訪ねてくるロイエンは、いつも玄関から入ってきた。
マナーとしてそうしているのだろうと疑問に思わなかったが、ユリスなら、ロイエンが望めば二階の専用部屋を使う許可くらい出していたはずだ。
こんな辺鄙な場所まで歩いてくるということは、やはり転移魔法は使えないのだろう。
「……では、『転門の間』の場所は?」
道春とロイエンのやりとりが一段落したところで、ユリスが再び口を開いた。
『転門の間』とは、大神殿にある転移魔法専用の部屋のことだ。目的は転移の塔と同じだが、出入り口になる扉がない。ユリスに最初に連れて行かれたとき、驚いたのを思い出す。
ロイエンは首を傾げながらも、素直に答えた。
「大神殿のですか? もちろん把握はしてますけど……」
「入室はできるか」
「まさか。僕は関係者じゃないので無理ですよ」
(……できないんだ)
驚いたが、今度は口に出さなかった。
道春が『転門の間』に連れて行かれたのは、この世界に来た初日だ。それ以降も、大神殿に用があるときは普通に使っている。自分が思っているよりも特別な場所だったのかもしれない。
「俺はできる」
ユリスが、あっさりと言い放った。
マウントでも取る気かと一瞬たじろいだが、本人にそんなつもりはなさそうだ。
念のためロイエンの様子をうかがうと、なぜか目を輝かせていた。
「えっ、そうなんですか!?」
それどころか、身を乗り出している。
「聖女を見つけたのが、俺だったからな」
「確かに、あなたは関係者でしたね。羨ましいです!」
(羨ましいんだ……)
ロイエンは、意外と好奇心が強いタイプなのかもしれない。
「いいなあ。僕も見てみたい。どんな場所なんですか?」
「特に変わったところはない。白い部屋で、四隅に女神像があるだけだ」
「へえー! そこにも女神像は置いてるんですねえ。…………ん?」
ロイエンの言葉がふいに止まり、表情が曇った。
興奮に浮かれていた顔が強ばり、そっと喉元に手を当てる。
「……あれ? どうして……」
視線が宙をさまよい、瞬きを繰り返す。そして、息を呑む音が聞こえるほどの沈黙が落ちた。
「気付いたか」
ユリスの静かな声に、ロイエンは凍り付いたように動きを止める。
それを見て、ユリスは小さく頷いた。
「今ので確信できた。ロイエンにかけられている誓約魔法は、解除されている」
その言葉で、ようやく道春にも意図が伝わった。
(今のやりとりって、誓約魔法の確認だったのか……!)
いったい何を話しているのかと思っていたが、どうやらロイエンに誓約魔法が残っているかを探っていたらしい。
自分にはピンとこなかったが、会話の中に国家の機密に触れる内容が含まれていたのかもしれない。
ロイエンが勢いよく立ち上がった。
その拍子に椅子が倒れたが、まるで気にも留めていない。完全に動揺している。
「なぜ? いつの間に? こんなこと、今まで一度も……」
思い返せば、ユリスも誓約魔法が解除されていることに気付いたとき、同じような反応をしていた。それほど衝撃的なことなのだろう。
「ミチハルが階段から転びかけたとき、お前が彼を支えただろう」
唐突に、ユリスが問いかける。
「そのとき、痺れるような感覚はあったか?」
ロイエンは、目を大きく見開いた。
「……ありました。……まさか……」
驚愕の表情のまま、ロイエンの視線が道春に向けられる。
反射的に道春はへらりと笑ってみせたが、それでロイエンの緊張が解けるはずもない。
気まずさが広がりかけたが、ユリスが機械のように話を続けたことで、なんとか空気が保たれた。
「おそらく、それが原因だ」
「どういうことですか? 説明を求めます!」
語気を強めてロイエンが詰め寄るが、ユリスはすんなりとかわし、倒れた椅子を無言で元に戻す。
「まだ仮定の段階だが――ミチハルに触れられると、誓約魔法が解除されるらしい」
「ミチハルくんが? どうして……」
「それは分からない。一つ言えるのは、ミチハルが聖女ではないということだ」
当然の事実を改めて述べられ、ロイエンが戸惑ったように目を瞬かせた。
「聖女でない人間を無理やり召喚したことで、ズレが生じたんだろう。たまたま、ミチハルがそういう体質だった。それだけのことだ」
ユリスはロイエンを椅子に座らせると、近くのグラスに水を注ぎ、静かに差し出す。ロイエンはそれを受け取ると、一気に飲み干した。
「……ミチハルくんが、誓約魔法を解除できるというのは、確かなんですか?」
「サンプルが俺一人だったときは断言しきれなかった。だが、ロイエンも解除されてるのだから、可能性は高まったな」
天気の話でもするかのようなユリスに、ロイエンががっくりと肩を落とす。
ユリスは表情を変えず、これまで立てた仮説を語り始めた。
道春の召喚がイレギュラーだったこと。
召喚の儀が不完全だったせいで、身体がこちらの世界に順応しきれていないこと。
どうやら王家に古くから伝わる魔法――つまり、誓約魔法や封言魔法――が、通じない可能性があること。
説明を聞き終えると、ロイエンが顔を青くして怯え出す。
「ま、待ってください。そんな重大なことを僕に話して、どうするつもりですか……?」
「難しいことじゃない」
ユリスはグラスを片付けながら、さらりと言った。
「ただ、国に秘密にしてほしいだけだ」
あっさりとした物言いに、ロイエンの動きが止まる。
「……本気で言ってます?」
「もちろん」
「そ、それを言うために僕を連れてきたんですか?」
「そうだ」
一方的な展開に、ロイエンが少し気の毒になってきた。
ユリスが自分のために動いてくれているのは分かる。それでも、ロイエンに打ち明けたのは間違いだったんじゃないかと思わずにはいられなかった。
「勘弁してください。僕は王宮魔導士ですよ」
道春の胸に、不安が広がる。
ここまで話してしまったら、もう引き返せない。万が一、ロイエンが国に報告してしまったらどうするんだろう。
今のうちに、ロイエンの記憶を消すことでも考えたほうがいいんじゃないか。
おそるおそるユリスを見るが、道春の心配とは裏腹に、相変わらずの無表情だった。
「それなら――」
声の調子が変わった。低く重たい響きに、道春の背筋も伸びる。
ユリスは両腕を机につき、ロイエンに向かって、体を乗り出した。わずかに身を傾けながら、距離を詰めていく。
「――こちらにも考えがある」
道春の位置からだと、ユリスの表情は見えなかった。
それでも、その声に、冷たいものが背中を撫でていく。
張り詰めた空気に喉が詰まり、胃の奥に痛みまで感じ始めた。
沈黙を破ったのはロイエンだった。ふー……と長く息を吐く。
「……事情は分かりました」
場にそぐわないような、軽い声音だった。
ロイエンは肩を落とし、背にもたれて頭を垂れた。そして申し訳なさそうに道春を見上げ、ぽつりとこぼす。
「ただ……痺れがあったこととか、ミチハルくんの様子が変だったことは、もう上に報告しちゃってるんです」
「えっ」
間の抜けた声が道春の口から漏れる。
ロイエンは眉を下げ、気まずそうに肩をすくめた。
「さすがに、あの時のミチハルくんを無視するわけにはいかないでしょう。監視役としては当然の判断です」
「そ、そりゃそうですけど……」
これまでのロイエンの働きを見ていれば、真面目に仕事をこなすタイプだというのは分かる。
異変があれば報告するのは、当たり前のことかもしれない。
「もっと早く言ってくれたら良かったんですよ。そしたら僕も、それなりに対応できたのに……。あ、すみません! そんな顔しないでください!」
慌てて謝る視線の先では、ユリスが氷のような目でロイエンを見下ろしている。
その威圧感に、道春もつられて「ひえ」と声が出た。
「もう済んだことはしょうがないでしょ! その代わり、今聞いたことは口外しませんから!」
「え! 本当ですか」
あっけないほどの反応に、拍子抜けする。
ロイエンは諦めたような顔で天を仰ぎ、叫ぶように言った。
「だってユリスが怖いんですよ!」
……確かに、今のユリスは妙な迫力がある。
半信半疑でいる道春に、ロイエンは力なく息を吐いた。
「僕も一応王宮に仕える身ではありますが、身も心も捧げてるわけじゃないんです。お給料がいいから働いてるだけで……。友情と仕事なら友情を取りますよ」
「友情?」
唐突な単語に、道春もユリスも言葉を失う。
だが、ロイエンの顔は真剣だった。冗談ではなさそうだ。
「ユリスはどう思ってるか知りませんが、僕はあなたを友人だと思ってるので……」
「……はあ」
ユリスの冷たい仮面がわずかに揺らぎ、一瞬だけ無防備な顔がのぞく。
ユリスの口から「友達」の話が出たことはないし、道春もロイエンを「ユリスの元同僚」くらいにしか思っていなかった。
世話好きな人だとは感じていたが、まさかユリスに友情を抱いていたとは。認識を改める必要があるかもしれない。
「僕の報告が殿下の耳に入れば、近いうちに王宮への呼び出しがあるかもしれませんね」
「えー、嫌だなあ」
自分の体質に問題がある以上、ごまかしきれる自信がない。
気が重くなる道春を見て、ロイエンが表情を引き締めた。
「ちょっと聞いておきたいんですけど……お二人の最終目標って、何ですか?」
「……最終目標?」
思いがけない質問に、首を傾げる。
「国に秘密にしておくことに、メリットはあるのかなと。ミチハルくんが王家にいい印象を持っていないのは分かってますけど、正直に話すという選択肢はないんですか?」
最終目標といっても、単に今の生活を邪魔されたくないだけだ。
けれど、ロイエンに真顔で問われると、道春もつい考え込んでしまう。
「うーん……でも、話したら俺の自由がなくなるよね? 王宮に行くのは、ちょっと気が進まないかな」
「どうしてですか? 身の安全は守られると思いますよ」
確かに、身の安全だけを考えれば、そうなのかもしれない。
「……だって、王宮に行ったら、ユリスがいないし……」
「ああ、ユリスと離れたくないんですか?」
明るく言われて、ぐっと言葉に詰まる。
その通りなのだが、他人に言われると居心地が悪い。別にロイエンにからかうつもりはなさそうなのに、頬がじわりと熱くなる。
「……そうだけど」
「ユリスと離れたくないなら、ユリスも王宮魔導士に戻ればいいじゃないですか」
突拍子もない提案に目を見開く。けれど、すぐに首を横に振った。
「……それは反対だな。ユリスが戻りたいって言うなら尊重するけど……そうじゃないなら、ここで暮らす方がいいよ」
「なぜですか?」
重ねて尋ねられ、困って頭を掻いた。
「なぜって言われてもなあ……。だって、王宮魔導士だった頃のユリスって、全然大事にされてなかったじゃん」
言いながら、ユリスから聞いた話がよみがえる。
孤児だったユリスは、聖女探しの要員として王宮に引き取られたが、生活の基礎すら教えられていなかった。
夏紀がキレたときも、その責任を押し付けられそうになった。
平民だからなのか知らないけれど、才能を利用されるだけで、ちゃんと評価もされていない。
「階級社会のことはよく知らないよ。俺が口を出す立場じゃないのかもしれないけど……ユリスにとって、ろくでもない職場だったのは間違いないと思う」
だいたい、帰還魔法の研究だってユリスに丸投げしているくらいだ。信用しろと言うほうが難しい。
「ここでフリーの魔導士してたら、少なくとも、俺がユリスを大事にできるし」
そのとき、不意にガタンと音がした。
顔をあげると、ユリスがこちらをまじまじと見つめている。途端に照れくさくなって、口をつぐむ。
(いや、でも、俺の方が大事にできるのは本当だし……)
気まずい沈黙が漂い始めたところで、ロイエンが「こほん」と咳払いした。
「あの、分かりました。はい。それなら仕方ないですね。王家は邪魔だということで……」
「なんか言い方が……」
「そういうことなら協力しますよ! 確かに、ミチハルくんの体質の件が漏れたら、面倒なことになりそうですしね」
話を流しながら、ロイエンがふと顔を上げる。
「そういえば、聖女に協力はしてもらわないんですか?」
「姉ちゃん?」
なぜ、いきなり姉の名前が?
戸惑う道春に、ロイエンが説明する。
「聖女の力は絶大です。聖女が口を挟めば、王家も従わざるを得ません。ミチハルくんがお願いすれば、話が早いんじゃないですか?」
(……確かに?)
一理あるような気がする。
これまで、余計な心配をかけるようなことを避けてはきたけれど、頼ってみるのも手だ。
ユリスが黙っていたから思いつかなかったが、もしかして意図的に外していたんだろうか。
ちらりと視線を向けると、ユリスは難しそうな顔をして黙っていた。道春の視線に気付いたのか、息を吐いて肩をすくめる。
「……それも、考えてはいたんだが」
「なにか、迷う理由が?」
ロイエンが尋ねると、ユリスはゆっくりと顔を上げた。
「……聖女は、最終手段だな」
「なぜですか?」
問いかけに、ユリスが眉をひそめる。
「ロイエン。お前は、聖女と王家の関係が最悪なことを知らないだろう」
「ある程度は分かってるつもりですけど……」
「なら、想像の三百倍はひどいと思え」
想定外の答えだったのか、ロイエンがぱちぱちと瞬く。
(ひどい言い様だ……)
けれど、否定できない。
「大切にしていた弟を巻き込んだんだ。最近は落ち着いているという噂もあるが、王家への恨みが消えるはずがない」
ロイエンは、いまいち理解が追い付いていない顔をしていた。
聖女とは国を守るための存在――そういう固定概念がある以上、詳しい事情を知らなければ「恨み」という言葉がピンと来ないのかもしれない。
「道春の体質は、国にとって厄介なものだ。知れば、何としても監視下に置きたくなる。聖女の命令があっても、簡単に譲るとは思えない」
ユリスの言葉通り、夏紀に話せば王家を板挟みにしかねなかった。
「聖女の意思を無視して動けば、今度は彼女を怒らせる。強引に事を運べば、魔力の暴走どころじゃ済まないぞ」
ロイエンの顔が引きつった。
「俺は別に国がどうなろうと構わないが――」
「やめておきましょう」
言葉を遮るように、ロイエンが口を挟んだ。
道春も、それが最善だと思った。
ただでさえ夏紀は国に対して怒っている。わざわざ道春が火種を投げ込むことはないだろう。
(姉ちゃんは、どうしようもなくなったら頼ろう)
道春は、夏紀が聖女の役目を終えるその日まで、ユリスと二人で静かに暮らしていければ、それでよかった。
自分なりに感情の整理ができた――そう思った、そのときだ。
二階から、かたん、と何か物音がした。
三人の視線が、一斉に天井を仰ぐ。
「今の……」
「――転移魔法だな」
ユリスの低い声が響く。
階段を、誰かが下りてくる音がする。
道春が思わずユリスを見る。
ユリスは眉間に皺を寄せたまま、無表情でただ前を見据えていた。




