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19話 秘密

 道春の言葉に、ユリスは凍り付いたように動きを止めた。

 ベッドに横たわったまま、目を伏せ、唇をわずかに震わせる。やがて、喉の奥から絞り出すような声がこぼれた。

「……その方が、いいかもしれない」

 弱々しい言葉に、無意識に片方の眉が上がる。

 この世の終わりを見ているような目をしておいて、どうしてそんなことが言えるのか。

 気付けば、勝手に口が動いていた。

「ユリスは、本当にそれでいいの?」

 室内の空気が変わり、二人の間に重い沈黙が降りる。

 ユリスは何も答えない。黙って、掛け布団の端を握りしめている。

 本当なら、体調が万全じゃないユリスをゆっくり休ませてあげなきゃいけないのに、冷静でいられない。

「……さっき、ユリスの研究室に行ったんだ。机の上にあったもの、見たよ」

 その一言に、ユリスの肩が小さく跳ねた。

「あのハンカチ、姉ちゃんのだよね?」

 ベッドの上で、ユリスの顔色がみるみる青ざめていく。視線がうろうろと彷徨う。

 小さく口を開き、何かを言おうとしていたが、結局、言葉にならなかった。

 ……これだと、責めてるように見えるか。

 言い方を間違えたかもしれない。そんな後悔が胸をかすめる。

(うまくいかないな……)

 ただ、話がしたいだけなのに。

 病み上がりの相手に詰め寄るようなことをするべきじゃなかった。

 今日はもう無理かもしれない。

 そう思った道春は、椅子から腰を浮かせた。

 ベッドしかなかったこの部屋に、道春は小さなテーブルを持ち込み、水差しとグラスを置いていた。

 ユリスに水でも飲ませようかと、手を伸ばそうとしたそのときだった。

「ま、待ってくれ」

 切羽詰まった声に動きを止める。

 ユリスが、布団をかきよせるように半身を起こしていた。

「行かないでくれ……」

 言われた意味がすぐに掴めず、目を瞬かせた。

(……もしかして、出ていくと思ったのか?)

 気付いた瞬間、ふっと気持ちが和らぐ。

 不思議だ。

 道春は、自分はあまり人と深く関わりたくない人間だと思っていた。

 ユリスと過ごした時間は居心地がよかったけれど、そんなユリスでも、道春は簡単に離れることができると思っていたのだ。寂しいかもしれないけど、すぐに割り切れるだろうと。

 でも、王宮に行くと告げた道春を引き留めようとしないユリスには腹が立ったし、行かないでくれと言われると嬉しい。

「……水を取ろうとしただけだよ。喉渇いてない?」

 そう言って、グラスに水を注ぐ。その様子を、ユリスは茫然と見ていた。

 グラスを手渡せば、戸惑いながらもそれを受け取る。そのまま道春が椅子に腰を下ろすと、ようやく自分の勘違いに気付いたようだ。ユリスはきまりが悪そうに、大人しく水を飲んだ。

 その取り乱しようを見ていたら、いつの間にか胸のつかえが消えていた。単純なもので、心にまで余裕が戻る。

「……ごめん。ユリスも体調が悪いのに。病院とか行ったほうがいいんじゃないかな」

 空になったグラスを受け取りながら、ユリスの身体に目をやる。細くなった手首が以前よりも頼りなく見える。

 この世界では、病気になったときはどうするんだろうか。

 道春が疑問に思っていると、ユリスは言葉に詰まったように、視線を落とした。

「いや……病院はいい。元気薬を飲んでたし……別に体調は悪くない……」

「え?」

 気を付けようと思った矢先、つい語気が強くなる。

 元気薬は、エナジードリンク的なものだ。以前、「薬はなし」だと約束したことを思い出す。

「薬? 空腹薬とか栄養薬とかも飲んだ?」

「……空腹薬は飲んでない。腹は減らなくて……」

「薬でなんとかしても、倒れてたら意味ないじゃん」

「い、以前から、気付いたら意識を失ってることはたまにあった」

 反論とも言えない返しに、道春はため息をついた。その音に、ユリスが怯えるように肩をすくめる。

「丸一日眠ってたんだぞ。多分、疲れとか寝不足だよ。薬じゃどうにもならないこともあるんだ」

「……すまない」

「……別に謝らなくていいけどさ」

 ユリスの作った薬は、道春自身も飲んだことがあるため、効果のほどは理解している。

 たしかに薬のおかげで、最悪の状態にはならずに済んだのかもしれない。

 でも、薬があるからこそ無理ができてしまう。無理がきくと分かっているから、ユリスは自分を限界まで追い込むことに躊躇いがない。

 そういう暮らしの見直しを図り、健康的な生活を目指していたはずなのに、あっという間に逆戻りだ。

(自分の体のことは、自分が決めるべきなんだろうけど……)

 そんなことは分かっている。

 けれど、もう道春は、ユリスに関して、そう簡単に割り切れなくなっていた。

「……まだ眠り足りないなら、俺は少し外してくるけど……」

「だ、ダメだ」

 ユリスの手が、道春の服の裾を掴んだ。体を起こしたまま布団の中から伸ばされた手は、か細く震えている。道春が身動きすれば、すぐに離れてしまうような、頼りない掴み方だ。口調には焦りがにじんでいた。

 ユリスの顔を凝視する。道春の視線から逃れるようにユリスは目を伏せたが、手は離れない。

「…………つまり、ユリスは俺に出て行ってほしくないと」

 そう確認すると、しばらくためらった後、ユリスは小さく頷いた。

 なんだか拍子抜けして、緊張していた自分が馬鹿らしくなる。

「言ってくれないと分からないんだよなあ」

 王宮に行くと言った道春を止めなかったわりに、行動が矛盾している。

 けれどユリスらしいとも思った。

「分かった。ユリス」

 口元に笑みが浮かぶ。ちょっとだけ、優しい気持ちになっていた。

「今だけ何を言っても許す」

 道春の宣言に、ユリスが目を見開く。

「え?」

「今だけだぞ。今なら何でも許してやる。俺への愚痴でも困りごとでも、何でもだ」

 だから言うなら今だぞ、と念押しをする。

 王宮に行くかどうかは、後から判断しようと思った。

「……愚痴なんかない」

「じゃあどうして俺を避けてたんだよ」

「避けてない」

「避けてただろー」

 冗談めかしてそう言いながら、ユリスの肩を指先で軽く押す。力なんてほとんど入れてないが、ユリスは驚いたように道春を見返した。じゃれるような仕草が意外だったのかもしれない。

 ユリスは、道春の機嫌を探るように、おそるおそるこちらをうかがう。

「…………本当に?」

 どこか縋りつくような声だった。安心させるように、できるだけ穏やかに答える。

「本当だよ。約束。全部許す」

 言ったからには、なんでも受け入れるつもりだ。

 会話もなく、気まずい時間が続くより全然いい。不満があるなら、言ってもらわなきゃどうにもできない。

 それでもユリスはまだ踏ん切りがつかなそうだったので、道春が先手を取った。

「とりあえず、あのハンカチはなに?」

 まずは一番気になっていたことを聞く。

 様子を見て話を変えるつもりだったが、ユリスは俯きながらも、ちゃんと答えた。

「……あれは、昔、聖女から預かった」

 だろうな、と心の中で頷く。想定していたことだったので、特別な驚きはない。

 近くにあったのは、道春の鞄やスマホだ。おそらく、同じ理由で夏紀はハンカチをユリスに預けたのだろう。

「帰還魔法のため?」

「そうだ」

「なら、ユリスは今、帰還魔法の研究をしてるんだ? 俺の体質について調べてるわけじゃなくて」

 道春の問いに、ユリスは申し訳なさそうに身を縮めた。

 咎めるつもりはなかったのだが、少し言い方がきつかったかもしれない。

「別に怒ってないよ。ただの事実確認」

 フォローのつもりで口にしながら、なるべく深刻な雰囲気にならないよう気を配る。

「でもなんで急に? 無理しなくていいって言ったじゃん」

「それは……」

 かすかに唇が動いたが、それきり言葉は出てこなかった。

 ユリスの視線が道春の肩先から指、そして近くに置いたグラスへと移ろう。

 何度か窺うように表情を確認され、そのたびに怒ってないことが伝わるよう、いつもと変わらない顔を心がけた。まるで怯えた野良猫だ。

(焦るな。我慢だ、我慢)

 これ以上怖がらせないよう、こちらの心を安定させて、警戒心が解けるのを待つしかない。

 その甲斐あってか、時間はかかったものの、ユリスは再び口を開いた。

「……言った方がいいとは思ったんだ。でも、言えなくて……」

 言い訳するように、小さな声で続ける。

「そんなことにはならないと思っても、自信がなくて。もし、本当のことを知ったら、ミチハルは、きっと俺のことを――……」

 そこまで言って、ユリスの喉がひくついた。言葉が引っかかっているみたいだ。肩がかすかに震えている。

「…………帰す方法を見つけたら、嫌わないでくれるかと思った」

 ようやく絞り出されたのは、道春にとって予想外の言葉だった。

「嫌う? 俺がユリスを? なんで?」

 なんでも受け入れるつもりだったのに、あまりにも意味が分からなくて、つい問い詰める口調になってしまう。

 失敗したかと思ったが、ユリスはそこまで言って腹を括ったのか、言葉を噤むことはなかった。

「……ミチハルが、なぜ俺が帰還魔法を研究してるのか聞いたときのことを覚えてるか」

「そりゃまあ……」

 あの日からユリスがおかしくなったのだから当然だ。

 道春が頷くのを見て、ユリスが眉を下げた。

「……答えようとはしたんだ。でも、なぜか言えなかった」

 そのときのことを思い出すように、ユリスがわずかに目を細める。それにつられて、道春もあの日のことを脳裏に呼び起こす。

 道春の何気ない質問が発端だった。ユリスとぎくしゃくしている間、不用意なことを聞いてしまったことを何度も後悔した。

「言えないでいたら、誓約魔法のことに思い至った。あの質問は、本来、誓約魔法の範疇に含まれるはずだ。答えようとした瞬間に、喉が熱くなる。だが、そうならなかった」

 そうだ。確かにあのとき、ユリスは自分の喉に手を当てて、痛みがないことにひどく戸惑っていた。信じられないという顔で、早口に疑問をまくし立てた。

 道春は誓約魔法がそれほど強い魔法だとは知らず、大事になるとはまるで思っていなかった。

「そのことに気付いて、ミチハルの体質が異質なものだと分かって……」

 ユリスは思考を整理するように自分の手を見つめている。

「なぜミチハルにだけそんな特徴があるのか、俺なりに、仮説を立てた」

 自分で導き出した答えを恐れているようだった。

 途方にくれたように、ぽつりと呟く。

「……そうしたら、どうしたらいいか、分からなくなった」

 迷路に迷い込んだ子供みたいな声だ。

 助けてあげたいのに、道春には話の核心がまだ見えてこない。

 誓約魔法が効かない自分の体質に、ユリスが仮説を立てた。そこまでは分かる。

 でも、なぜそれで「道春がユリスを嫌う」と思うのだろうか。

「俺が帰還魔法を研究してるのは――」

 口を震わせながら、ユリスが無理やり言葉に変える。

「……俺が、聖女を見つけたからだ」

 ユリスは、罪を打ち明けるように言うと、道春からの断罪を待つように項垂れた。室内の温度がわずかに下がったようにも感じる。

 とはいえ、道春の思考はまだ混乱の中にあった。

「ごめん。えっと……、ユリスが、姉ちゃんを見つけた?」

 確認するように道春が繰り返すと、諦めたようにユリスが頷いた。

「今代の聖女――ナツキ様は、見つけるのに時間がかかった。聖女召喚は王家と神殿が協力して行う。召喚の儀は神殿で行うが、見つけるのは王宮に所属する魔導士の役目だ」

「どうやって見つけるの?」

「『はじまりの聖女』が遺した鏡を使う。捜索には膨大な魔力が必要で、やがて魔導士の数が足りなくなった」

 ユリスの説明に、忘れかけていた大神官カーティスの話を思い出す。そういえば、召喚の間でアルベルトから怒られていたときに、鏡のようなものを抱えていた。

「俺は魔力を買われて孤児院から引き取られた」

 始めにユリスから孤児だったとは聞いていたが、聖女を見つけるための要員だったのか。

 平民でも王宮魔導士になれると聞いたときは、階級は関係ない実力主義の世界なのかと思ったが、そうでもないようだ。

「正直、孤児院の記憶はあまりない。魔導士に連れられて、気付いたら王宮にいた」

「何歳の頃?」

「……たぶん、六歳だと思う。子供の魔力測定が行われるのがその年齢だから」

 ユリスの言葉に目を見張る。六歳なんて、小学生になるかならないかの子供じゃないか。

 ルナネリスは、平民でも学校に通えるんじゃなかったのか。そんな子供を労働力としてあてにするなよ。

 これまでのユリスの行動と照らし合わせながら、その答えが見つかったような気がして勝手に切なくなった。

 ベッド以外、なにも置いていないユリスの部屋。パンしか食べない食生活を送り、魔法でなにもかもを解決する。一般常識が抜けているとは思っていたけれど、もしかしたらこれが原因だったのかもしれない。

「それから、俺は言われるがまま聖女を探した。魔法は性に合っていたんだと思う。孤児院を恋しいと思うことはなかった。衣食住に困ることもなく、賃金も払われる。褒められて、期待されて、調子に乗った」

 胸の奥から湧き起こるムカつきのようなものは、今は押さえておく。口を挟んだところで話を途切れさせるだけだ。

 それでも、小さなユリスが聖女を探すために働く姿を想像すると、やるせなかった。

「そして、聖女を見つけた。十二歳のころだ」

 淡々と、静かに言葉が紡がれる。

「聖女を見つけた功績は大きかった。周りの態度が一瞬で変わり、生まれを馬鹿にされることもなくなった。自分は良いことをしているのだと思った。自信もついた」

 そう語るユリスの声は暗く、後悔が滲んでいる。

 そのまま、大きく息を吐いた。

「俺も、王家も神殿も、分かっていなかった。違う世界から一人の人間を召喚するということがどんなものなのか。歴代の聖女は、献身的に国に尽くしていたと言う。聖女とはそんなものなのだろうと思っていた。当然のように国のために動くと」

 ユリスが目を閉じて、だらりと下げた腕の両手を組み合わせる。

「召喚されたとき、聖女の怒りはすさまじかった。絶対に許さないと魔力を暴走させた」

 アルベルトからも聞いていた話だ。

 道春自身、夏紀の怒りを間近で見たこともあり、その様子が簡単に想像できる。だが、ユリスが続けたのは予想外の言葉だった。

「そのとき、聖女の気分を害した罪に問われ、俺が罰されることになって」

「は?」

 耳を疑い、思わず声が出る。

「待った待った待った」

 耐え切れずに手をあげ遮った。聞き捨てならない。

「なんで? なんでユリスが罰されるの? 意味が分からない」

 前のめりになり道春が問うと、勢いに押されたようにユリスが体を引いた。

「せ、聖女を見つけたのが俺だったから……」

「そんなの、国に命令されてたんだからしょうがないだろ」

「聖女の怒りを鎮めるために、誰かが責任を取らなければならないとなったんだ。俺に身寄りがなかったのも、ちょうどよかったんだと思う」

 さらりとした言い方だったが、その言葉は道春の中に、見る間に暗いものを広げていった。

「はあ?」

 どうしようもなくイライラする。

 ユリスが大切にされていないのがひどく腹立だしかった。子供の頃から利用するだけ利用して、国が危なくなったら盾にするなんてあんまりだろ。

「だいたい、そんなことしたら、姉ちゃん余計に怒るんじゃないの?」

「そうだ。余計に怒りを買った。あのときは国の終わりを覚悟した者もいたらしい。責任者を呼べと叫んだ。責任なら、一番偉いやつが取れと」

 当たり前だ。そう思い、溜飲を下げる。

 聖女が夏紀のような常識人で助かった。さすがに文化の違いだなんだと受け入れられない。

「それで代表として選ばれたのが、第二王子のアルベルト殿下だ。国王と第一王子になにかあったらいけないからな」

「へえ……。あの人もけっこう複雑な立場なんだな」

 思いがけない事実を言われ、少しだけ気の毒に思う。けれど、アルベルトも王家の人間だ。腹が立つのに変わりはない。

「聖女はアルベルトと交渉後、『帰る方法を見つける研究をする』と条件付きで役割を受け入れた」

 改めて、夏紀には同情を覚える。感覚のズレに、話し合いができないと諦めても仕方がない。

「聖女は基本的に神殿にいるが、まれに王宮に呼ばれることもある。そのとき、会う機会があって……」

 道春と夏紀との再会の場でのことを思い出す。夏紀はユリスに親し気に話しかけていた。知り合いなのかと尋ねたら、ちゃんと話したのは一度だけだと説明を受けた。

「そのときにハンカチを預かった。聖女のいた世界に繋がる物が欲しかったんだ。大切なハンカチだから、必ず返せと言われている」

 決して無碍に扱われたわけじゃないと暗に仄めかされる。ユリスから後ろめたそうな目で見つめられたので、気にしてないという意味を込めて頷いた。

 帰還魔法の研究に使っているのだろうと予想は立てていたものの、少しショックではあったらしい。夏紀も大切にしてくれていたことが分かり、ほっとする。

「ハンカチをユリスが持っている理由は分かった。ユリスが姉ちゃんを見つけたことも」

 だが、ユリスの変化はそれだけでは説明きれない気がした。

「ユリスの様子がおかしかったのはなんで? 俺は姉ちゃんの召喚をユリスのせいだと思わないよ。そんなことで嫌ったりしない」

 強めに言うと、それまで吹っ切れたように話を続けていたユリスが一瞬言葉を詰まらせる。

 そして、またあの探るような目で道春を見た。そんなに信じられないんだろうか。

「……ミチハルが……」

 ひどくかすれた声だった。


「ミチハルが召喚されたのは、俺のせいかもしれない」


 静かに、それだけが部屋に響いた。

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