30.「重なる手と甘い声」
「魔王、どうしたんだ、こんな夜更けに?」
「………………」
慌てて飛び起きた俺が、部屋の入口に駆け寄る。
薄暗い部屋に、廊下の明かりが射し、逆光となったパジャマ姿の魔王の表情はよく見えない。
「………………」
無言のまま引き戸を閉じて魔王が部屋の中に入って来るのを確認した俺は、「慌ててたから、つけるの忘れてた」と頭を掻くと、「オン」とつぶやいて、部屋の明かり――キノコの光を灯した。
しかし。
「……オフ」
「!?」
俺がつけた部屋の明かりを、魔王がそっと消す。
「……このままで……」
「……分かった」
伏し目がちな魔王の、どこか縋るような声に、俺は抗えなかった。
俺は、座椅子に座ろうとするが。
「………………」
「!」
何故か魔王は、畳の上に敷いた布団の上に脚を折り曲げて座ったため、仕方なく、俺もその隣にあぐらをかく。
「………………」
「………………」
静かな時間が流れる。
俺の部屋は、女性従業員用の宿泊室と同じく、世界樹の幹の端――表皮近くにある。
そのため、窓から射し込む月光が、柔らかく俺たちを照らす。
「………………」
「………………」
月明かりのおかげで、先程はほとんど見えなかった魔王の表情が見える。
頬が紅潮している……のは、まだ温泉に入って間もない、ということだろうか?
「…………もうちょっと、近付いても良いか……?」
「へ!? ……ああ、良いぞ」
勢いでOKしちゃったが。
え? なんで?
混乱する俺を余所に、左隣に座っている魔王が少し腰を上げて、俺の方へと距離を詰める。
一度目は、おずおずと、躊躇いがちに。
「………………」
二度目は、意を決したように、少しだけ大胆に。
その結果。
近い近い近い近い!
少し身体が揺れただけで身体が触れそうな超至近距離に、魔王は座った。
くっ!
この距離になると、必然的に、色々な刺激が襲い掛かって来る。
一つは、香り。
男湯と女湯で使っているシャンプーの種類は変わらず、同じ香りのはずなのに、何故魔王の香りだとこんなにもドキドキするのだろうか。
一つは、超至近距離で囁かれる声。
「……手を……握っても良いか……?」
「なっ!?」
一つは、すべすべとした肌触りと、体温。
俺の返事を待たず、布団の上に置かれた俺の左手に、魔王の右手が重なる。
「……実はな、発散したいんだ……」
「えっ!?」
発散!?
何が溜まってるんだ!?
さっきから、胸の鼓動がヤバい。
俺、全力疾走した? ってくらい、ドクドクいってる。
〝魔王の種族はサキュバス〟。
普段は全く意識していないのに、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
「……メグル……」
「ッ! ……な、何だ?」
不意に耳元で囁かれて、思わず声が上擦ってしまう。
魔王の甘い吐息と声が、俺の耳を優しくくすぐる。
「……発散……させてくれるか……?」
「……お、俺が?」
「……貴様しか頼れないんだ……」
「………………」
いつもと雰囲気が違い過ぎる。
このまま耳元で囁かれ続けると、本当にマズい。
そう思って、甘美な刺激から耳を遠ざけようとして、左耳を後ろに反らしてしまった。
必然的に、俺の顔が、魔王の方を向いてしまって。
「……メグル……」
「……あ」
魔王と目が合う。
憂いを帯びた、サファイアのように美しい瞳。
月光に煌めく金髪は、まだしっとりと濡れていて。
シャンプーの香りが鼻腔をくすぐり。
いつもと違って少し掠れた甘い声が、鼓膜を優しく震わせる。
触れた手からは、少し高めの体温が伝わって来て。
「……メグル……」
いけない。
このまま見つめ続けたら――吸い込まれてしまう。
分かっているのに、目を離せない。
甘い囁きが、俺を誘う。
そのまま、お互いの顔が近付いて――
顔が近付いて――
近付いて――
「アイドルグループへの加入の件だが、貴様はどうすべきだと思う?」
「………………へ?」
予想外の魔王の発言に、数秒間、俺の思考が停止した。
「……え? その話?」
「当たり前だろうが! 〝今一番発散したいもの〟と言えば、その悩みに決まっている。それ以外に何がある?」
「………………ですよねー」
うわあああああああ!
ヤバい! 思いっ切り勘違いしてた! 恥ずっ!
「お前……悩み相談だったなら、なんでこんな至近距離で、手まで触ってるんだ?」
「え? だって、その方が落ち着いて話せるだろ? 貴様も我も」
「こんなんで落ち着けるかああああああああ! あと、悩みは〝発散〟じゃなくて〝解決・解消〟するものだろうがああああああああ!」
深夜の旅館内に、俺の絶叫が響き渡った。
※―※―※
少しして。
手を離して、距離も少し離れて座り直し、明かりもつけた後。
「ふぅ。これでやっとまともに話せる」
ようやく落ち着いた俺は、左に座る魔王を改めて見た。
「アイドルグループについてだが、俺の意見の前に、魔王はどうしたいんだ?」
すると、魔王は、うつむいて言葉を紡いだ。
「実は、四天王たちから、脳内にメッセージが届いたんだ」
「脳内に?」
「ああ、魔王である我と四天王たちは、互いが魔力のパスで繋がっているからな」
「スゲー便利だなおい」
まるでSNSみたいだ。
「四天王たちは、アイドルグループ〝フェニーチェ〟の〝主役〟として我に入って欲しいと言ってくれている。我があんな風に逃げ出したにも関わらず、な」
「だが」と、魔王は表情を曇らせた。
「我は、〝フェニーチェ〟の〝主役〟として適当ではない。あのグループは、既に完成されている!」
魔王の言うことは、一理ある。
ククスさんたちは、「まだまだです。もっとよく出来るですから!」と言ってはいるが、素人の俺から見れば、彼女たち一人一人が、既にものすごく高い技術を持ち、十分レベルの高いパフォーマンスを発揮している。
魔王も俺と一緒に、〝ビデオカメラ形〟魔導具で録画された〝フェニーチェ〟の過去のライブ動画を事前に見たから、彼女たちのクオリティの高さは嫌という程分かっているはずだ。
「でも、もしも、〝フェニーチェ〟に〝主役〟として入れる可能性があるとすれば――」
顔を上げた魔王は、力強く告げた。
「それは、貴様だ、メグル!」
「まさかの俺!?」




