21.「天に近い場所での交渉」
「……これ以上はごめんなの……!」
散々地獄を味わいつくしたファティルが、何度目か分からぬ瀕死からの復活後、その白翼を広げた。
そして。
「……上――は無理そうなの……! ……それなら、こっちなの……!」
『きゃああああ! さらわれちゃいますぅ!』
「うわっ」
露天風呂の上空からの脱出は、魔法障壁により不可能だと判断、俺の身体を乗っ取って女体化させているスゥスゥ(俺)の手をつかんで、強引に脱衣所、そして入口へと飛んでいく。
「メグル!」
「……コイツの命が惜しければ……邪魔しないの……!」
通路で魔王とすれ違う。
どうやら、素早く外に脱出するための人質として、俺(とスゥスゥ)は連れて行かれているらしい。
いや、別に人質なんかいなくとも、高速で外へ飛んで行く天使なんて、誰も邪魔しないと思うんだが。
まぁ、クークあたりは、自慢の包丁でいきなり斬り掛かる可能性も無きにしも非ず、か。
「メグルさん!?」
受付のリアが目を見開く中、入口から一気に外へ出る。
先程から何度も扉が勝手に開いているのは、きっとファティルが操る魔法によるものだろう。
「……あと少し……なの……!」
そこから、ファティルは俺(とスゥスゥ)を道連れにしたまま、猛スピードで空へと急上昇していった。
高く。
高く。
高く。
「っぷはぁ! やっとまともに呼吸が出来るの!」
ホクホクのファティルとは対照的に。
『……がぁ……ぁ……』
「……ぁ……あぁ……」
スゥスゥと俺は呼吸困難に陥った。
人間は、二千メートルから三千メートルあたりまで行くと、空気が薄くなって、呼吸が難しくなる。
しかも、今回のような急激な上昇であれば、なおさらだ。
「メグルさん、あとは任せましたぁ!」
「……お前……逃げやがって……」
苦しさに耐え切れなくなったスゥスゥが身体から出ていく。
と同時に、女体化していた俺の身体が、元に戻る。
「あたしは先に旅館に帰っていますねぇ! 死なないように頑張って下さいねぇ。あ、もし死んだら、幽霊仲間が出来るから、別にそっちルートでも良いですよぉ」
満面の笑みでひらひらと手を振りながら、地上へと舞い降りていく幽霊少女。
「……あいつ……ふざけやがって……」
と、その時。
「この辺りで良いの」
ようやくファティルが、止まった。
もはやどのくらいの高度か分からない程の、高空に。
「……ぐっ……ううっ……俺を……地上に……戻せ……」
もがき苦しみながら必死に訴える俺だが、聞こえているのかいないのか、ファティルは無視して、笑顔で語り掛ける。
「あ、さっきは助けてくれてありがとうなの! お願いを聞いてくれて嬉しかったの!」
「……そんな……ことより……地上に……」
「お願いついでに、もう一つ頼まれて欲しいの!」
どうやら、とことんこちらの俺の話は聞かないようだ。
「このくらいの高さに、温泉を作って欲しいの!」
「……ここに……温泉……?」
やたら高い空の上だが、実はこんな高空まで、世界樹の幹は届いており、葉も生い茂っている。
よって、作ろうと思えば、作れる。
地上だと天使は呼吸が出来ず、入れないから、高空で入りたいのだろう。
今〝高空で呼吸困難〟という逆の立場に置かれた俺としては、その気持ちは分かる。
ただ、正直、こんな状況下での〝お願い〟は〝脅迫〟に他ならず、本当は受けたくはない。
だが、選択肢はない。
承諾しなければ、このまま酸欠で死ぬだけだ。
俺は、渋々、了承することにした。
「分かっ――」
が、その直前に。
「仕方ないから助けてやるドル!」
世界樹が、巨大な枝をぶん回して、ファティルを攻撃した。
見ると、幹から例の大きな口が出現している。
「くっ!」
慌てて彼女は回避した。
「わはははははは! この超有能なユドルに感謝するドル! おかげで低能なてめぇは命拾いしたドル!」
恩着せがましいユドルだったが、攻撃を避けたファティルに手を離された俺は。
「……うわあああああああああああああッ……」
「あっ……あちゃ~ドル……」
眼下へと、真っ逆さまに落ちて行った。
気まずそうなユドルの声を最後に聞きながら。
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい。
マジで死ぬ。
俺が本気で死を覚悟した。
次の瞬間。
「大丈夫か?」
俺を柔らかく受け止めたのは、魔王の両腕だった。
「『空気』」
魔王の声に呼応して、俺の全身を球形の〝地上の空気〟が包み込み、呼吸を可能にする。
「ッぷはぁッ。魔王、ありがとう。助かった。本気で死ぬかと思った」
「な!? ほ、〝本気で好きだと思った〟だと!? こんな空の上で、そんな熱烈な告白をするなどと! 何を考えているんだ貴様は!」
「助けてもらっておいて何だが、お前こそ何を言ってるんだ?」
頬を紅潮させた魔王は、「コホン」と咳払いして仕切り直すと、虚空に静止した状態で俺の足を下ろし、いつものように俺と〝恋人繋ぎ〟で手を握る形に体勢を変えた。片手だけだが。
「あの者に話がある」
魔王はそう言うと、漆黒の翼で俺と共に急上昇していく。
さすが魔王だけあって、人間と違い強靭な肉体を持っている彼女は、俺と違って『空気』が身体を包んでいる訳でもないのに、普通に呼吸が出来ているようだ。
※―※―※
すぐに先程の高度まで舞い戻って来ると、ファティルが待ち構えていた。
「それで、どうなの? この辺に温泉を作ってくれるの?」
マジか、コイツ?
先刻俺を殺し掛けた張本人とは思えないほど、あっけらかんとしている彼女に、俺は呆然とした。
そんな俺の様子には気付かず、ファティルは事情を説明する。
「ファティルたち天使は、雲の上の天界で働いてるんだけど、すっごく疲れるの! クソ――じゃなくて、神様に命じられて、常に『天使らしくしろ』って言われて!」
「〝クソ〟と〝神〟を間違えるな」
どうやら、相当ストレスが溜まっているようだ。
「歩いてできる作業とかも、全部『優雅に飛びながらやれ』とか言われるの! 意味不明なの!」
彼女の話によると、魔王をはじめとするモンスターたちよりも、天使は肉体強度が低いらしくて、飛行のために翼を動かし続けると、すぐに筋肉が疲れてしまうらしい。
しかし、神の命令なので、常に飛びながら仕事をしなければならない。
神聖なる宮殿の掃除も、世界の歴史を記した本棚の整理も、天界にしか咲かない花々の水やりも。
そんな日々を続けていく内に、本日。
限界が訪れてふらついた彼女は、雲の端から下界へと落ちた。
筋肉疲労が限界で、飛び上がることも出来ず、俺たちの旅館近くの地面(世界樹の枝の上)に激突――する寸前に、何とかほんの少しだけ翼を動かして、死ぬことだけは防いだ。
が、それが精一杯で、あとは呼吸困難に陥りながら助けを求めることしか出来なかったようだ。
「でも、あの温泉はすごいの! 呼吸困難――は、一時的にしか治らなかったけど、筋肉痛は完全に無くなって、身体の疲れが吹き飛んだの!」
興奮しながら、胸の前でうっとりと両手を組むファティル。
〝地上では呼吸が出来ない〟というのは、一見すると呪いのように見える。
〝天界の者は、汚れた地上の空気を吸うべからず〟みたいな。
そのため、世界樹温泉で解呪できそうなものだが――残念ながら、出来なかった。
「もしかしたら……」
ファティルたちの上司である〝神〟と、俺に固有スキルを与えた上で転生させた女神は別の神なのかもしれない。
そして、同格であるが故に、呪いのような片方の能力をもう片方の能力で完全に消してしまうことは不可能、ということなのかもな。
いやまぁ、単純に天使の身体が地上に適していないっていうだけかもしれないけど。
「だから、お願いなの! ここにあの温泉を作って欲しいの! そしたら、あのクズ――じゃなくて、神様の無茶振りにも何とか耐えられると思うの! 迷える天使に愛の手を!」
「〝迷える子羊〟みたいに言うな。どっちかって言うと、お前らは迷える子羊を救う側だろ」
両手を合わせて拝むファティルに、俺は思考する。
普通に考えれば、天使のためだけに、こんな高さに温泉を作るのは、手間もコストも掛かり過ぎるため、無しだ。
だが、木の精霊であるリアによると、リアは、植物の中であれば、どこでも一瞬で移動出来るらしい。
つまり、世界樹の中を、瞬時に移動出来るのだ。
更に、リアが生み出した木娘も、同様の能力を持っている。
付け加えるならば、リアもしくは木娘の誰かと一緒であれば、俺たちも同時に移動が可能とのことだった。
であれば、移動の労力もタイムロスも、ほぼないと考えて良い。
温泉を新たに作るのも、世界樹に金を食わせれば済む話なので、問題ない。
しかし、それでも、普段使っている温泉に比べれば、作製にコストは掛かるし、労力も完全なゼロではないので、余分に金をもらう必要はある。
「温泉のみの利用で、通常の三倍。つまり、金貨三枚となる。それでも良いか?」
「問題ないの! 給料だけは良いの! あのカス――じゃなくて神様は、金払いだけは良いの!」
「よし、交渉成立だな」
話がまとまった。
と思ったのだが。
「待て、メグル」
魔王から待ったが掛かった。
「コイツのためにわざわざ新しく温泉を作るなんて、我は賛同できない」
「俺が殺され掛けたからか? 確かに俺もどうかと思ったが、商売だからな。結果的に儲け話に繋がったし、俺はもう気にしてないぞ?」
「いや、それも万死に値するが」
「値するんだ」
魔王は、俺たち同様に高空に静止するファティルを、鋭くにらみつけると。
「我らモンスターも、人間たちも、決して忘れてはいないぞ! かつて、貴様ら天界の者たちによって、モンスターと人間は一度、共に滅ぼされたことを!」
「!」
激しい憎悪を露わにした。




