11.「記憶喪失の大商人」
時は少し遡って。
営業日二日目は、順調な滑り出しだった。
きっと今日は、昨日と違い、何の問題も起きないのだ。
三組目のお客さん迎えるまでは、俺はそう思っていた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」
「こんばんは」
三十歳くらいの夫婦だった。
俺たちと会話するのは、全て奥さん。
……旦那さんは、一言も発しなかった。
気難しいとか、そういう雰囲気ではない。
ただ、ボーッと、意味もなく虚空を見詰めている。
俺たちの微妙な反応を感じ取ったのだろう。
奥さんは、穏やかに、しかし隠し切れない悲しみを瞳に滲ませながら、こう答えた。
「主人は、記憶喪失なんです」
※―※―※
彼女の名前はリーマで、旦那さんはマジェク。
客室に案内した後。
「実は……」
と、リーマさんは、詳しい事情を教えてくれた。
マジェクさんは、元冒険者で、現在は魔石を発掘する大きな商会の代表をしているらしい。
十年前、そんな彼がまだ駆け出しの冒険者だった頃に、二人は出会ったという。
出会いから間も無く、恋に落ち、リーマさんたちは結婚した。
「とても……とても幸せな日々でした。でも……」
三年前のある日。
悲劇が起きた。
魔石を採掘している炭鉱をマジェクさんが視察しに行った際に、崩落事故が起こった。
落石が頭部に当たり、彼は意識を失った。
幸い一命は取り留めたものの、彼はそれまでの記憶を失ってしまった。
「それからというもの、夫はずっとこの調子です……」
食事を出せば、きちんと食べて、トイレも自分で行き、風呂も自分で入る。
だが、妻とのコミュニケーションは、一切取れない。
記憶喪失……か。
俺は、話を聞きながら思考を重ねる。
もしかしたらこれは……単なる記憶喪失ではないかもしれないな……
リーマさんは、話を続けた。
「お医者様によるどんな治療も、道具屋さんのアイテムも、僧侶の方々の回復魔法や治癒魔法も、司教様の祈祷も効果がありませんでした」
俺は、心の中で『看破』と密かに呟き、マジェクさんのステータスと記憶を盗み見る。
確かに、彼の記憶はすっかり失われてしまっている。
そして、ステータスを見るに、そのことによって、脳が大きな影響を受けているようだ。
記憶を元に戻すことが出来れば、この男性自身も元に戻る可能性が十分にあることが判明した。
「事情を教えて頂きましてありがとうございます。うちの世界樹温泉に入れば、どんな怪我でも完治しますし、病気も治ります。麻痺・呪い・毒などの状態異常も治せます。ただ……正直、記憶喪失を治せるかどうかは、自信がありません」
俺は、リーマさんに正直に伝えた。
彼女は、「ええ、分かっています」とうなずいた。
「ただ、手段があるのならば、何でも試してみたいのです。可能性がゼロでなければ、どんなものであろうとも」
※―※―※
「では、まずは温泉をお楽しみくださいませ。一応、私も後から男湯に行き、旦那様のフォローをさせて頂きます」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
俺が「失礼いたします」と、客室から出ようとして引き戸を開けると。
「きゃっ!」
「ですわ!」
「はわわわわ!」
魔王、リア、そしてスゥスゥが、折り重なるようにして倒れ込んできた。
どうやら、聞き耳を立てていたらしい。
「お前らなぁ。っていうか、スゥスゥは幽霊だろうが。触れないのにドミノ倒しに巻き込まれるなよ」
慌ててバッと立ち上がった彼女らに対して、引き戸を閉めた俺は、呆れて声を掛けた。
「えっとぉ、あたしもなんだかつられちゃってぇ」
青色セミロングヘアをフワフワと揺らす彼女は、真っ白なワンピースではなく、魔王の魔法によって、着物――を着ているように見える。
物体に触れない彼女は、実際に着てはいないようだが、幻術魔法の一種を用いることで、そのように見せているらしい。
「真面目に働いているのは、クークとロッカ、ニコ、ネーモだけか。まぁ、お客さんが心配で気になるのは分かるけどな」
「あら、私が生み出した子たちも、私と意識を共有していましてよ」
木娘たちも、滅茶苦茶気にしていたようだ。
働きつつも、情報を共有していたらしい。
「メグル。何とかあの男を救えないだろうか? その……我がまた〝あの力〟を使っても良いからな!」
「私が出来ることがあれば、何でも言って下さいまし」
「メグルさん、あの人を助けてあげて欲しいですぅ。あたし、発光しましょうかぁ?」
「いや、お前が発光してもただ眩しいだけだから、やめてくれ」
以前成仏しかけた際に発光する能力を獲得したスゥスゥが、やめろと言ったのに眩く輝き、俺は思わず目を細める。
「みんな、ありがとう。でも、まずは温泉に入ってもらおうと思う。それが駄目だった時は、また改めて考えるとしよう」
※―※―※
そして、リーマさんたち夫婦は、それぞれ女湯と男湯へと分かれて、露天風呂に入った。
俺は、マジェクさんと共に入った。
色々フォローしようと思ったのだが。
大きな商会の代表をしてきた、その精神力故だろうか。
記憶を失い本来の自分ではないという、このような状況下でも、取るべき最適な行動を無意識に取っており、俺が何かする必要は無かった。
※―※―※
温泉に入った後。
「せっかくの温泉でしたが……残念ながら、主人の記憶は戻りませんでした」
客室で、リーマさんが静かにそう呟いた。
きっとこうなるであろうことは分かっていた、というような気持ちと、それでも諦め切れない気持ちと、二つが入り混じったような、複雑な表情を浮かべながら。
「では、世界樹の食材を使った料理を、食べて頂けますか?」
「……はい、お願いいたします」
温泉が駄目ならば、次は料理だ。
「お待たせいたしました」
世界樹の華・葉・皮・根を使った炊き込みご飯、野菜炒め、そして味噌汁を食べて貰ったが。
「とても美味しいです……が……」
マジェクさんの記憶は、戻らなかった。
俺は、リーマさんに対して密かに『看破』を発動。
マジェクさんの故郷が、世界樹から見て南東にあるカプティワード帝国の帝都であることが分かった。
クークに頼んで、マジェクさんの郷土料理を作ってもらった。
それを食べてもらったのだが。
「こちらの料理も美味しいですが……」
それでも、マジェクさんの様子に変化は起こらなかった。
これも駄目か……
どうしたら良いんだ……?
俺は、わらにも縋る思いで、再びリーマさんに対して密かに『看破』を使った。
すると。
あれ?
もしかして……
あることに気付いた。
俺は、リーマさんにある提案をした。
「リーマさん。厨房をお貸ししますので、旦那様のために、料理を作って頂けませんか?」
「え? それは良いですけど……でも、私の手料理なんて、毎日作って食べさせていますし、それで主人の記憶が戻るとは思えませんが……」
「それでも、もし宜しければ、お願いいたします」
俺は、頭を下げる。
「……分かりました。そこまで仰るなら」
「ありがとうございます」
当惑しながらも、リーマさんは了承してくれた。
※―※―※
厨房に行き、クークに事情を説明した後。
俺は、リーマさんに問い掛けた。
「失礼ですが、リーマさんは料理は得意ですか?」
「はい、それなりに作れます。結婚してから十年間、毎日作っていますので。得意料理を作れば良いんですね?」
心得たとばかりに腕まくりをするリーマさんに対して、俺は首を横に振った。
「いえ。リーマさんの一番苦手な料理を作って下さい」
「!?」




