第三楽章:平穏
◆年末
2003年も、大晦日を迎えた。寿人と将は、あのバーに入店した。
「しょうちゃん、ひーちゃん、5年ぶりだねぇ。」
マスターは、変わらぬ表情で2人を迎えた。将が頭を下げながらこう言った。
「ご無沙汰だったな。」
それに続いて、寿人はこう言った。
「お久しぶり過ぎてなんだかすまないなぁと、思ってるよ。」
「本当だよ。しょうちゃんとひーちゃんに会えないまま、50歳になると思ってたよ。まぁ、50まであと何年かあるけども。」
3人で笑った。そして、寿人と将は飲み始めた。すると、マスターがこう言った。
「しょうちゃん、ひーちゃん、ライブ、見に行ったよー?すーごいお客さんだったねー?」
将が眉間に皺を寄せながらそれに返す。
「なんだ、マスター、声かけてくれればよかったのに。」
「大変そうだったからね。静かに行って、静かに帰らせてもらったよ。」
寿人がマスターを見つめながらそれに返した。
「水臭いなぁ。」
「まぁ、いいじゃん。大成功!って物だったんじゃない?」
将が苦笑いする。そして、こう言った。
「ライブ『自体』はな。」
それに続けて寿人は頭を抱えた。
「いや、予想以上のお客さん来ちゃったからさ、あの日すごい渋滞で近所から苦情来ちゃって、実は、昨日まで謝罪行脚してたんだよ。」
「なんだ、気持ちはわからないでもないけど、意地悪な人たちだね。」
将は、それに返す。
「いや、迷惑かけたのはこちらだからな。見込みが甘かった。」
寿人は、それに心底残念そうに続けた。
「歌唱部の皆は、『楽しかった』って言ってくれたけど、もう、あの会場は使えないな。」
「確かにな。」
将が頷くと、マスターが別の話題を出してきた。
「あ、そうだ、しょうちゃん、ひーちゃん、これなーんだ?」
マスターは、「しょうちゃんひーちゃん」と書かれた封筒を金庫から取り出しながら言う。寿人も将も鳩が豆鉄砲くらったような目をした。寿人が口を開く。
「え?まさか?マスター。」
「そう、その『まさか』だよ。」
その封筒は、「ツケ」を支払うために5年前将が渡したものだった。だが、その中身は、1円も減ってはいなかった。
「もうね、こういうの困るの。2人の顔見れたから、今日返すよ。」
寿人が苦笑いしながらそれに返した。
「『何倍』とか言ってたじゃないか。」
「あれは、あの場のノリだよ。本気にさせちゃってごめんね。」
それを受け、将がため息混じりにこう言う。
「借金抱えている会社の社長が、バーに飲みに頻繁に行くことなんて、俺自身が『おかしい』って思ってて、しばらくここに来ることはないと思ったから、あの時これ渡して支払った気になってたのに。」
「こんなのは、受け取れないよ。だからね、あの時の『ツケ』の分と、今日の飲み代はここから出して、しっかりおつり出させてもらうからね。いい?」
寿人と将はそれに従うことにした。そして、「おつり」は、しっかり二等分にされ、寿人と将に渡った。そして、帰り際、将は言った。
「もう、借金なくなったからな。また、昔みたいにちょくちょく遊びに来る。」
「俺も、1人でもここに来るよ。」
マスターはふにゃりとし、こう返した。
「待ってるよ。」
◆鼻歌
2005年の3月が始まった。寿人は、愛和音制作部の部屋にて鼻歌を響かせていた。それを聴いた治行が話しかけてきた。
「何か、いいことあったんですか?」
それを追いかけるように、要もこう言う。
「部長の鼻歌、初めて聴いたかもしれません。」
寿人は、急に恥ずかしくなり笑ってごまかす。そして、ひととおり笑った後、こう返した。
「4月から歌唱部に入ってくる新人さん、どっちもさ、いい声してて、今から2人に俺たちが作った歌を歌ってもらうのがいつにも増して楽しみでさ。」
治行が少し考えながら、こう言った。
「加藤さんっていう男性歌手と、石名さんっていう女性歌手、でしたね?」
「そうそう!加藤さんと石名さん!加藤さんの声ってさ、今年19歳って感じさせない大人な雰囲気でさ、石名さんは、今年23歳だけど、凄く色気を感じる声なんだよね。」
要がそれに返す。
「まだ声聴かせてもらってないので、楽しみです。」
「うん、もうすぐ聴けると思うよ。それにさ、加藤さんは、音彦って名前で、石名さんは、詩音って名前でさ。もう、『音楽のために産まれた!』みたいな感じじゃないか?そんな2人が愛和音に入ってくれた事、嬉しくて、嬉しくて。」
そして、寿人は思い出したようにスコアを取り出す。
「実は、もうその2人向けにデビュー曲作っちゃったんだ。編曲、1曲ずついつものように頼むことになるんだけど、2人でどっち担当するかこれ見て決めて?」
治行と要はそれを引き受けた。いつになく楽しそうな上司に若干戸惑いながらだったが。
◆依頼
寿人は、新人歌手のデビュー曲の編曲を頼み終わったその足で将の所へ行った。
「今度の新人歌手のことだが、いいか?」
「何か?」
「ひとつだけ、どうしても頼みたいことがあってさ。その、2人同時デビューは、避けてくれ。」
「どういうことだ?」
「選考の時に歌声聴いて、どっちも初登場1位を狙える歌手だと思ったんだ。同時デビューだと、どっちかが2位になってしまうから。」
「同率1位を狙う手もあるとは思うが?」
「そんな奇跡、起きるかな?」
将は一旦深呼吸して、答えた。
「奇跡、起こしてみろ。小橋。」
「じゃあ、作り直しかな?」
「もう、デビュー曲、作ってあるのか?」
寿人は、頷く。将は、少し考えた後こう言った。
「すまないが、作り直しだ。愛和音は、制作部の負担を考慮して、『B面』を無しにしていたが、ここで『B面』を解禁する。今ある曲は、その『B面』として収録して、同率1位を目指す曲を『A面』として作れ。いいか?」
「うーん、出来るかな?」
「やれ。」
「厳しいな、橋野。」
寿人は、その一言を残し、制作部に戻って行った。それを見送りながら、将は言った。
「すっかり、小橋は『室井徹彦』になったな。」
その声には、さびしさが色濃く含まれていた。
◆重圧
一方、制作部に戻った寿人は、治行と要に将からのミッションを伝えた。そして、こう締めくくった。
「ごめん、さっきの無し。さっきのは、林さんにどっちも任せる。」
治行が頷いた横で、要は戸惑った。
「え?じゃあ?」
「今井さんには、今から作る『A面』の2曲を頼むことにするよ。」
要の戸惑いの色が抜けない頷きを見届けながら寿人は、椅子に座り遠くを見た。
「余計な相談しちゃったなぁ。」
そして、ため息をひとつついた後、寿人は白紙のスコアノートに向き合った。
そこに理沙が来る。何とも言えない雰囲気にこちらも戸惑った。そして、治行に尋ねた。
「林さん、何かあったんですか?私が歌唱部の方に行ってる間に?」
「いや、実は部長、社長にだいぶ重い命令を出されたんですよ。今度入社してくる2人の新人歌手のデビュー曲、初登場で同率1位を狙わなきゃいけなくなったみたいで。」
「ええ?大変。そんな事、お客さん次第なのに。」
要もそれに続ける。
「折角事前に用意した曲、『B面』にするって言われたみたいで。」
理沙は、寿人を心配の目で見つめる。すると、寿人は横にあるギターを取り、スコアを見つつ演奏し始める。
「こっち?いや、こっち?」
同じ旋律から何通りかの先の展開を演奏。どれもいい旋律だったが、だいぶ迷いが出ているようだった。理沙は、寿人に声をかけた。
「話、聞きました。合作で行きますか?」
「ありがとう。でも、俺が橋野に余計な相談したからこうなったんで、俺の単独作で行こうと思うよ。」
「じゃあ、私は見守ります。」
「このタイミングで別な曲の依頼があったら野崎さんに任せるから。」
「何なりと。」
理沙と話しをした寿人は、一旦その曲作りをやめた。そして、別ページに曲を書き始める。その後、こんな独り言を呟いた。
「安野雲案件、作ってやる。橋野、覚えてろよ。」
そして、「安野雲向け」の曲を作り終えた後、リフレッシュした寿人は、新人向けの2曲を再び書き始めた。
◆提示そして
その日、将は、苦笑いした。
「安野雲の『切なき魂』か。」
寿人は、返した。
「よろしくな。」
激しい曲調のその歌詞は、読み込むと、殺人鬼が主人公の物だった。将は、笑いが止まらなかった。
「『下ネタ』から始まった『安野雲』は、今度は『殺人』を犯すのか。」
寿人も次第に笑い出す。そして、言葉を返す。
「『今』の俺の気持ちだから。よろしくな。」
「俺を殺したいって?」
寿人は無言の笑顔で返答した。
「さて、すぐに歌える。レコーディングするか?」
「え?もう?」
「忙しくなったら、『殺してる』暇無くなるからな。」
「わかった。」
そんなやり取りをしながら、場にそぐわないスーツ姿の「社長」がレコーディングブースに入る。
「こんな激しい歌、橋野は歌えないだろうな。」
寿人は、呟いた。そして、レコーディングが始まる。すると、将は難なく一発で歌い上げた。
「え。」
寿人は、将に「完敗」を喫した気持ちになった。レコーディングブースから出てきた将にこんな言葉をかけた。
「なんでそんなに歌、出来るんだよ?」
「ああ、10代の頃、カラオケで遊び呆けていたからな。京子と一緒に。」
「え?ああ、京子さん、言ってたな。橋野と一緒に遊んでたって。だから兄も妹も歌が凄いのか。『バカやってた』って、そんな遊びだったのか。安心した。なんかとてつもなく悪どいことしてたのかと思ってた。」
「まあ、そんなところだ。と、言っておこう。」
「なんだ、その含みがあるような言い方は。他に何か?」
「あるが、内緒だ。」
「マスターの名前みたいだな。」
将は、そんな寿人に問いかけた。
「お前の『音楽の原点』は?」
寿人は、一瞬の躊躇を見せたが、口を開く。
「小さいころから、音楽に囲まれてた。」
「そうなのか。」
「両親がジャンルは違うけど、歌好きで。毎日毎日、レコードとか、聴かされてた。でも、俺は全然興味なかったんだ。まあ、嫌じゃなかったけど。」
「意外だな。」
「そんな両親な、事故で死んだ。俺、9歳だった。家族で出かけた車の中で。後ろに乗ってた俺は助かったけど、前に乗ってた2人は、駄目だった。」
「まずいこと訊いたな。」
「いいや?お前だから話せる。それからだな、音楽好きになったの。だって、音楽は、俺にとって『両親』だから。ま、最初は2人思い出して泣きながら音楽聴いてたけど。」
淡々と話す寿人を神妙な表情で将は見つめる。
「んでさ、早く稼ぎたかったから、高校行かないでジェントルに入ったんだ。やっぱり、『音楽』と一緒にいたいじゃん?ま、後は知っての通り、選んだ会社が『アレ』だったけどな。そんな意味では、愛和音、最高だ!だから、ここでたくさん『音楽』作るよ。」
「大変な話、させてすまない。」
神妙な表情を崩さない将を見て、寿人は場にそぐわない程の笑顔を作り、こう言った。
「で、両親失った俺が、『切なき魂』作った気持ち、察してくれよな?」
「ああ、身に染みて、な。」
少しの沈黙があったが、将が再び口を開く。
「今夜、マスターの所に行くか?勿論、俺のおごりだ。」
「え?本当に?ありがとうございます!社長!!なーんてな!」
寿人と将は、笑い合った。
◆完成と
2005年3月31日、新人歌手2人向けの「A面」曲がレコーディングとアレンジを待つばかりの形で完成する。2人の入社式は、明日に迫っていた。寿人は、制作部の部屋でこう言った。
「あー、間に合って良かった。」
寿人は、曲を入社前に完成させられたことにほっとはしていたが、将からの重大ミッションである「同率1位」が獲れるかどうかわからない不安は拭えなかった。
それでも、寿人は4月1日の入社式に出席した。
「制作部部長の小橋寿人です。よろしくお願いします。」
待ちに待った2人の新人歌手を目の前に、寿人は胸が踊った。
「歌唱部に配属になりました、加藤音彦です。」
柔らかい顔立ちの音彦からの自己紹介が終わると、かわいらしさの中に涼やかさを併せ持つ顔立ちの詩音が自己紹介をした。
「歌唱部に配属になりました、石名詩音です。」
そんな自己紹介を聞き、寿人はこう呟いた。
「同率1位、もう考えない。いい曲、2人に用意できたから。」
入社式が終わった後、寿人は早速2人に接触した。
「加藤さん、石名さん、入社おめでとう。2人のデビュー曲、よろしくね。」
2人はデビュー曲の資料を寿人から受け取った。
「あ、デモの下手な歌は、曲を覚えたら忘れてくれな。」
そう言いながら、寿人は制作部に戻って行った。
それから、半月後。
「この日を待ってたんだ!レコーディング、頑張ろう!!」
寿人は、音彦と詩音をレコーディングブースの前で迎えた。
「小橋部長、よろしくお願いします。」
音彦は、そう言った。それに続き、詩音がこう言う。
「頑張ります。小橋部長。」
そして、2人は、2曲ずつブースの中で歌声を披露する。
「うわぁ、やっぱりいいなぁ。」
その新人2人の歌声を聴く寿人の表情は、まさに「恍惚」だった。
すんなり納得いくテイクが録れた事から、寿人の夢の時間は短く、つい、こうぼやいてしまった。
「少し、失敗してもらった方が、嬉しかったなぁ。って言う俺のわがままだけど、2人の歌、噛み締めさせてもらったよ。ありがとう。」
2人は、「お疲れ様でした。」と礼儀正しくレコーディングブースの部屋から退出していった。
「なにも、これが最後じゃない。いい曲、また作って2人に歌ってもらえばいいんだ。どんな曲、次歌ってもらおうかなー。」
そんな長い独り言を寿人は言った。
◆社長の思い通り
それから、治行や要のアレンジを経て、明るさの中に芯の強さを感じる「君の手と / 西森音彦」と、夢見心地な雰囲気を持つ「くつろぎの時 / 泉詩音」は強力な宣伝を背に発売された。6月の出来事だった。
そして、翌週発表されたジェランは、将の命令通りの結果を叩き出す。デビュー作が2枚同時に週間初登場1位というジェランの歴史でもあまり無いことが起こった事からその事実は驚きをもって受け止められた。
将は、満面の笑顔でこう言った。
「満足な結果だ。まさに『アベック入賞』というような結果だ。加藤君、石名君、デビューおめでとう。そして、これに驕ることなく歌を研鑽するようにな。」
音彦と詩音は、将に感謝とこれからの意気込みを伝えた。
世間からは、B面収録の「いつもふたりで / 西森音彦」からは、ときめきを感じ、「失いたくないから / 泉詩音」からは、切なさを感じると好評を得た。その評判を耳にしたA面収録の曲に興味のなかった層が後追いでCDを購入。その為、ジェランの週間順位が長期に渡って10位を割り込まないロングセラーのCDとなった。
寿人は、その結果を見て、こう呟く。
「どこまで橋野の計算にあったのかわからないけれど、2人の3曲目、作るのが逆にプレッシャーだ。」
ため息をひとつつく寿人の目の前には、音彦や詩音以外の愛和音歌唱部所属の歌手たちに向けての新曲が並んでいた。
◆アルバム
2007年になった。歌唱部の部屋では、陽太と京子が2人、とある一覧とにらめっこしていた。
「決められないわね。」
「僕もだよ。」
この年の6月1日をもって、愛和音は創立10周年となる。それを記念して創立当初から歌ってきた陽太と京子のベストアルバムを5月23日に発売する。その曲目を、「城野博としての神谷陽太」と「滝野宮子としての橋野京子」が自ら選ぶという企画だった。
陽太は少し微笑みながらこう言う。
「小橋さんと野崎さんから、そして、林さん、今井さんからもいい曲ばっかりもらってきたからね。」
「そう、そうよー。あ、私の方、小橋部長様からの曲は、全部外そうかしら。そして、部長は、小橋部長様からの曲ばかりにするっていうのは、どうかしら?」
陽太は苦笑いした。
「そんなことは出来ないよ。」
「もう!こうなったら、小橋部長様に選んでもらうわ!」
京子は、制作部の方へ向かって行ってしまった。
「ちょっと!京子さん!」
そんな陽太の声は、届かなかった。一方、京子は程なくして制作部に到着。
「ねぇ?小橋部長様?これ、選んで?」
「やらないよ。」
寿人の返答は、簡単なものだった。それを見た理沙が2人の所に来る。
「京子さん、小橋さんは、今複数のタイアップ曲を抱えてて、追い込み中なんですよ。」
「なら、尚更やってもらうわ。」
「駄目ですよ。」
理沙の制止の声。見かねた寿人は、こう声を上げる。
「わかったよ、京子さん。そこに置いといて。選んどくから。その代わり、橋野にはこの事は報告しとくからね。ベストアルバムの内容は、京子さんが選んだ物じゃないってさ。」
京子の方を一切見ずに、ひたすらスコアノートに向き合いながら話をする寿人。その内容に、京子は、こう返した。
「言うわね。わかったわよ。自分で選ぶわ。」
その言葉を受け、寿人はようやく一瞬ではあったが京子の顔を見て、微笑みながらこう言った。
「どんな曲、選ぶか楽しみにしてるよ。そして、今後の参考にする。」
京子は、それを全て聞き終わると、そそくさと制作部の部屋を後にした。
◆混じり合うもの
それから、1時間くらいたったであろうか。寿人は、タイアップ曲を全て完成させた。
「ふぅ。」
「お疲れ様でした。」
理沙は上司を労った。
「ありがとう。いや、タイアップじゃない方の曲、野崎さんが引き受けてくれなかったらもっとかかったかな?時間。それに、さっきは京子さんに声かけてくれてありがとう。」
「いいえ。」
理沙は、少し間を空けこう言った。
「急な話ですけど、実は、歌唱部の中でですね、カップルが誕生したんですよ。」
寿人は目を丸くした。
「え?誰と誰?」
「加藤さんと石名さんです。」
「えー!そうなんだ!!」
「それで、余計なお世話ですけど、2人が歌う2人を応援するデュエット曲を、私と小橋さんで作ってみませんか?その、何年か前に、小橋さんの先生がおっしゃってた曲の合作のやり方で。」
「それいいねぇ!早速さ、橋野に相談してくるよ!」
「お願いします。」
その案は、将に二つ返事で採用された。
◆繋がる
デュエット曲は、「言い出しっぺ」の理沙が歌詞を書いた。それに合わせる曲を寿人と理沙が部分ごとに担当し、考えることに。曲のベースを作り終えた寿人は言った。
「どんな曲、出来るんだろう?楽しみだなぁ。」
理沙は、微笑んだ。
一方、歌唱部では、陽太から音彦と詩音にデュエット曲の話が伝わった。それを受け、音彦が感動の声を上げた。
「本当ですか?」
詩音もそれに続いた。
「2人で歌わせてもらえるなんて、幸せです。」
半月後、制作部ではデュエット曲がスコア上で完成する。寿人は言う。
「実際、演奏してみようか。」
理沙は頷いた。そして、寿人がピアノで伴奏を、理沙がボーカルの旋律をギターで演奏してみた。すると、2人の心は震えた。やがて、曲は終わる。理沙が余韻の中で呟いた。
「本当に、気持ちよかったです。」
寿人はそれに頷いた。
更に時は過ぎ、デュエット曲のレコーディングの日が来た。そこには、理沙の姿も。立ち会いたいと言ってきたのだ。音彦と詩音は幸せを噛み締めながらレコーディングに臨んだ。お互いを愛しているからこそ、愛おしさ溢れる曲調の中で2人の歌声はとけあった。それを聴きつつ寿人は呟く。
「なんだか、泣きそうだ。」
「私もです。小橋さん。」
寿人と理沙は顔を見合わせた。
そうして、迎えた5月23日。城野博と滝野宮子のベストアルバムと同時に「涙はいらない / 西森音彦 & 泉詩音」のシングルCDが発売される。ベストアルバムは、ジェランのアルバム部門で週間1位と2位を独占し、「涙はいらない / 西森音彦 & 泉詩音」もシングル部門で週間1位を獲得。いずれも初登場から2週連続でその順位を守った。
◆続く幸せ
愛和音は、2007年6月1日、創立10周年の記念日を迎える。将は、全社員を集め、こう訓示した。
「皆のおかげで、創立10周年を愛和音は迎えることが出来た。社長として心から感謝する。これからも愛和音は、世に良質な音楽を提供していく会社として歩むつもりだ。皆、今後とも尽力してくれ。」
その将の言葉に寿人はじめ、全社員が声を揃えて「はい!」と返した。それを聞き終わると、将は再び口を開く。
「更に、嬉しい知らせがある。社員1人の個人的事情ではあるが、この場で周知させてもらう。歌唱部部長の神谷陽太君が、この度、結婚することになった。祝ってやってくれ。」
その空間に、社員たちの驚きと祝いの声が轟いた。将の手招きに応じ、陽太が前に出る。
「皆さん、祝っていただいてありがとうございます。来年40歳になるところでの結婚ですが、いい家庭を築いていこうと思っています。よろしくお願いします。」
陽太は、拍手を受けながら元の場所に戻った。横の京子がそんな陽太に声をかける。
「なぁに?なんで私に知らせてくれなかったのよ?」
「ごめん。社長には言ったけど、他の社員たちにはいつ言うか迷ってたんだ。」
「まあ、おめでと。で?相手はどんな女なのよ?」
「友達の妹さんでさ、一緒に遊んでるうちに好きになって、結婚の運びになったんだよ。」
「ふーん。」
寿人はそんな会話を近くで聞きながら、将の顔を含みのある目で見ていた。将もそんな視線に気づき、毅然とした微笑みを返した。そして、寿人は呟いた。
「神谷さんへのお祝いの歌、作ろうか。」
その声色は、安堵の色でいっぱいだった。
それから半年後の2007年12月、「一番の愛 / 城野博」が発売。聴いただけで光に包まれる感覚に陥るその曲は、ジェラン週間初登場1位を獲得。その後、徐々に順位を落としていったが、市場も陽太の結婚を祝ってくれたような様相を呈した。また、その曲の発売と共に愛和音はプレスリリースをする。内容は、以下の物だった。
「弊社社員、城野博は、一般女性と結婚致しました。また、弊社社員の西森音彦と泉詩音の交際の事実もございます。いずれの社員にも皆様の温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。株式会社愛和音代表取締役社長橋野将」
2007年の年末、世間は、祝福ムードに包まれた。
翌年の2008年、愛和音は5年ぶりにライブ企画を立ち上げ、事前の綿密な計画があった事と妨害がなかった事から真の大成功を収める。この事から、歌唱部全員や、歌手個人のライブを愛和音は継続的に開催していくことになった。
そんな年の夏、陽太の結婚披露宴に寿人や将は愛和音の社員たちと共に出席した。愛和音の歌唱部全員は、古くからあるウェディングソングを歌い、部長を祝福した。寿人は、式場にあったピアノを借り、伴奏を買って出た。それを将が温かく見守る和やかな宴は、陽太の隣にいる新妻の涙を誘った。