4.価値観が違う
◇
違法薬物の持ち込みを取り締まったことは騎士団の手柄となった。
その捕物と同時並行で、わたしの夫が過去に浮気をしていたことが団員の細君たちに知れ渡った。
おそらくだれもが疑っただろう。自分の夫はだいじょうぶなの? と。
妻子持ちの騎士たちのなかで、若干顔色の悪いものも数名……いた。
夫は平謝りをした。
許してほしいと。
遠征していたとき、たった一度だけ血迷ってしまったのだと。
愛しているのはきみだけだと。
いくら謝られても納得できなかったわたしに、騎士団長の奥さまがその場を取り仕切ってくれた。
夫とわたしを別の場所に移動させて、ゆっくりわたしを慰めてくれた。けれど……。
奥さまに、夫の不貞には目をつぶるようにと説得されてしまった。
隣国にいる間、寂しくなってしまっただけだから。
つい、その寂しさに負けてしまっただけで、本当に愛しているのは妻であるあなただけなのだから。
男にはこういうこともあるのだから。
娼婦が相手というのがその証。心はあなただけに向いているのよ。
だから。
どうか許してあげて。
人間、過ちはだれにでもあるのだから。
寛容な心で接してあげて。
団長の奥さまは伯爵夫人でもある。
もともと商家の娘だったわたしとは、身分が違う。そんな方からやさしく、けれど毅然とした態度で説得されて。
その場に騎士団長閣下まで加わって、一度の浮気なのだから、許してくれないかとわたしに礼儀正しく丁寧に懇願された。
デリックの出世はきみの内助の功のお陰である。
これからも賢い奥方として彼を支えてあげてくれないかとおだてられた。
しまいには夫までその場に来て、土下座して頭を下げた。
そう。つまり。
わたしが彼を許すと言わないと、解放されないような雰囲気になってしまったのだ。
とても、とても悩んだ。
だって、あの安っぽい白粉の残り香は、帰国してからのもの。彼の浮気は常習なのでは? いや、あれを浮気と決めつけるのは浅慮かしら。
娼婦の存在を否定するつもりはない。商売として接したのだから、そこに愛はない……?
カラダだけの関係……?
悩んで。迷って。
周囲の「許してあげなさい」という圧もすごくて。
悩んだあげく、わたしは彼を許した。
伯爵さまが直々に頭を下げてお願いするなんて異例のことだったし、長い時間をかけて説得されたから。それだけ夫は期待されているのだし、わたしひとりが我慢すればいいのだから――と。
でも同時に疑問をもった。
そばにいないと寂しくて浮気をするなら、わたしにだってその権利はあるのでは?
わたしも、夫がそばにいない期間は寂しかった。心細かった。夫が恋しかった。
でもわたしは浮気なんてしていない。する気も起きない。
この差はなに?
男女の性差? いいえ。女性だって、浮気性な人はいる。
ならば性格の違い? それとも人間性?
わたしと夫とは、価値観からして違うのではないの?
彼はこんな人だったの?
そのとき、自分の夫への愛が目減りしたことを感じたのだった。
わたしは表面的には平気な顔をして毎日を過ごすことにした。
けれど、夫に浮気をされていたという事実を思い出すたびに、心の奥に鈍い痛みが走った。
それはとても苦しくてやる瀬なくて……苦い薬でも飲んだような気分になって落ち込んだ。
あの騒動のあと、彼から謝罪もなく夜の生活を誘われた。そのときは、疲れていると言って断った。だって、わたしはそのときまだ納得しきれていなかったから。
娼婦を抱いた手に触れられるなんて……同列に扱われるなんて……。
もう少しだけ、待ってほしい。そうすれば我慢して相手をするから……。
そこまで考えてハッとした。
愛した人なのに、我慢しなきゃ抱き合えないなんて。それはもう、愛があるとは言えないんじゃないの?
我慢して閨の相手になるだなんて、それはもう、わたし、娼婦と大差ないのでは……?
夫も気まずいと思ったのか、その後わたしを誘わなくなった。
そうして夫の帰りは遅くなり……たびたび朝帰りするようになった。
今までなら、夫の帰宅が遅くなると心配したり不安になったりしたけど、そんな殊勝なわたしはいなくなった。
むしろ帰ってこないほうが気楽だと思うようになって……。
そんな状態の毎日が日常化して二年。
ある日の晩、夫は若い女性連れで帰宅してわたしに紹介したのだ。
『喜べ、ジュディ! 僕らに子どもができるぞ! 彼女が僕らの子を生んでくれるエイダ。今日から一緒に住むから部屋を用意してくれ』と。
◇ ◆ ◇
「きみの……いや間違った。きみの友人のご亭主は、妊娠した愛人を悪いとも思わず連れ帰った、と。しかも“喜べ”と言いながら? それはつまり、二人の間に子どもができなくて悩んでいた……という話でもあったのかな?」
「そんなデリケートな話し合いは一切なかったわね」
結婚してから三年目くらいに子どものことで相談した。でも彼は“夫婦ふたりだけでいいよ”と軽く言ったのだ。
その後、一軒家を購入したときにも聞いてみた。
変わらず“子どもなんていらない”、という返事だった。
『どうせ一代限りの騎士爵だから、子どもに継がせるものなどない。たいした財産があるわけでもないし、夫婦ふたりだけで楽しく過ごせばいいじゃないか』
彼がそう言うのなら、気にすることもないのかと思いながらも、どこか物足りないような気もしていた。
夫が不在の夜、子どもがいれば寂しくなかったのかしら、とか。
騎士団員の夫人会に呼ばれると、子ども連れで会に参加する夫人もいた。彼女らの子どもたちが愛らしくて、羨ましいと思った。
買い物に出れば、元気な子どもがそこここで遊んでいた。つい、目で追ってしまっていた。
「神殿でメディカルチェックを受けたりとかしなかったのか?」
「提案はしたけど断られたわね。必要ないって」
「では……縁戚から子どもを引き取る相談とか」
「ふたりだけで生活したいから必要ないって断られたわね」
「……なのに、ある日いきなり妊娠した愛人を連れ帰ったと?」
「えぇそうよ。それも、さも良いことをしたような顔でね」
あの笑顔に愕然としたのだ。
あぁ。この人とは決定的に価値観が違う。
この人は、妻のわたしの意向など気にしない人なのだ。妻がどう思おうと自分のしたいことをする人なのだ。
夫の浮気を知ったわたしがとても苦しんだことなど、慮ってくれないのだ。
知ろうともしないんだ。
これはだれ?
知らない人。わたしの愛した人ではない。
あの慰労会の日に発覚した浮気。あれがきっかけで、わたしのほうからも夫と積極的に会話をしようなんて気が起こらなくなった。
そうなると、生まれも育ちも違うわたしたちに共通点はない。同じ家で生活するただの同居人と、なにが違うというのだろう。
とどめは商売女などではない、普通の若い娘(妊婦)のお持ち帰り。たぶん、彼らの間には深い愛があったのだろう。
もうだめだ、と。
これ以上こんな生活耐えられそうにない。
いや、なぜこんな生活を耐えなければならないの?
一緒にいる理由は? 愛していたから。だから結婚した。
でも今は? ――もうない。彼への愛なんて。
というか、こんな人を夫と呼び支えるなんてわたしにはもう無理。できない。いらない。ぜんぶ捨てる。
そう思った。




