2.なんのためにここにいるのだろう
◇
夫は、寝るためだけに帰宅するような生活を送るようになった。
仕事が忙しいから疲れている、寝かせてくれ。
毎度毎度、口癖のようにそう言うと寝室へ行きすぐに高いびき。
妻であるわたしと会話しようなんて気は、爪の先ほどもないように感じた。
騎士団員である夫は、つまり肉体労働者なのだから常に忙しいし疲れている。
役職にも就いて、責任も重くなっただろうと推測できた。
それは理解していたけれど、あまりにも度が過ぎているように感じた。
だって、わたしの誕生日はおろか、結婚記念日すら忘れるようになったのだから。
毎年お祝いしようねって約束したはずだし、今までなら遅くなってごめんと息を切らせながら帰って来ていた人だったのに。
遅い時間に帰宅して、すぐに寝てしまって。
翌日の朝、なにごともなく出仕して。
忙しいからって、そんなことある?
そのうえ昇進して給料が増えたはずなのに、家へ持ち帰る生活費が少なくなった。わたしはわたしの少ない貯蓄を切り崩すハメになった。
お給料袋を寄越した夫に、どうしてこんなにお給料が少ないのと思いきって問い詰めれば、部下たちの面倒をみなくてはならない、奴らに奢らなければならないからその分差し引いているという返事。
そしてすぐ寝てしまう夫。
新婚のころは、こんなんじゃなかった。
もっとわたしといる時間を大切にしてくれた。
なにも言わず何日も帰って来なくなって、心配して騎士団へ問い合わせれば、護衛隊の一員として抜擢されたから今頃は隣国にいる、なんて返事をもらったこともあった。
◇ ◆ ◇
「護衛隊? ってなんの?」
「そのとき、母国の王女殿下が輿入れのため隣国へ出立したことがあったのよ。夫は殿下の護衛隊メンバーだったみたい」
「あー、王族の警護ね。そりゃあ、いつからいつなんて情報、家族とはいえ簡単には言えないか」
「それは理解しているわ。でもね、護衛隊のメンバーに選出されたとか、はっきりいつとは言えないけれど何日か帰宅しなくなるってことくらいなら、家族に言えるんじゃない?」
「あー。そうだね(トモダチの話っていう設定は忘れたのかな)」
「王女殿下の護衛隊だなんて、大抜擢じゃない! 聞いてたらお祝いしてあげたのに、それすら教えてくれないなんてって、腹が立って仕方なかったわ!」
◇
そのころから、少しずつ考え始めた疑問。
“わたしはなんのためにここにいるのだろう”
毎日掃除や洗濯、料理をするのは夫のためだ。
彼が少しでも快適に過ごせるように。ゆっくり睡眠が取れるようにシーツはいつも洗濯したて。
王城内で見窄らしい格好にならないよう、シャツのシワにも気を使って。匂いやほつれなどもないように。そのおかげか、騎士の制服姿の夫は昔の少し野暮ったい青年ではなくなった。
騎士団員の妻たちで行われる夫人会へ出席すれば、ご夫人たちと世間話に興じることもあった。
上司にあたる方の夫人には気を遣わなければならないし、不興を買うわけにもいかない。
静かな神経戦にクタクタになっても、そんなわたしの愚痴を聞いてくれる人はいない。
そんな苦労もこんな疲労も。
すべて夫のためだというのに。
夫はわたしを見ない。
大切な話をしてくれない。
話をする時間を取ろうとすらしない。
朝食だけは食べるけれど、夕食を共にすることはなくなった。
老執事とメイドと三人で食事。だれがだれの家族なのかしらと自嘲するほど。
両親と祖父母、ふたりの兄という賑やかな環境でわたしは育った。商会の従業員たちもひっきりなしに出入りした実家は、いつもだれかの笑い声が絶えなかった。
そんなわたしに騎士の妻としての生活は……毎日が充実してはいたけれど、寂しくて堪らなかった。
子どもでもいればいいのにと、何度も考えた。
結婚して三年目くらいに夫に相談したけど、「夫婦二人だけの方が気楽でいいよ」という返事だった。
そんな寂しくて物足りない日々の中、わたしは鬱々と考えた。
家を管理し生活を整えるだけならば、執事と家政婦がいればこと足りる。なにも、“わたし”じゃなくてもいい。
こんなよそよそしい、居るだけの関係なんて“夫婦”……ましてや“家族”だなんて、言えるのかしら。
そんなことを思うようになった、ちょうど同じ時期。
わたしは脱ぎ散らかした夫の制服から、安物の白粉の香りを嗅ぎとった。




