マーガレット
王城の父に届け物があり届けた帰り道、誰でも入れる庭園を少しだけ見学しようと歩き、マーガレットは途中にあったベンチに座ってそのまま居眠りしてしまったようだ。
以前はジュリエットへの対応が冷たかったアレクシスだったが、学院に入学してから変わった。
移動教室などではジュリエットをエスコートし、昼食も一緒だし、放課後も一緒にいることが多い。そのほとんどの時間にステラやトラヴィスも一緒にいるのだけれど、マーガレットの目にはあまり入らなかった。
学院でジュリエットとアレクシスが親しげにしているのは、学生からその親へと伝わり、マーガレットの父にも伝わった。
顔を合わせるたびに叱責されるので、マーガレットはできるだけ自室に籠っている。
今日だって、人がたくさんいる執務室でなければ、立ったまま小一時間くらい文句を言われたに違いない。
マーガレット自身は王太子妃になりたいわけではない。父から怒られたくないだけだ。
ジュリエットとアレクシスが結婚して絶対にマーガレットに勝ち目がないとわかれば、父もあきらめるだろうか。そうしたらまた別の、それこそジュリエットの兄のような、高位貴族を狙えと言ってくるのだろうか。
「ああ、あの聖女じゃないから捨てられた娘? クレアが引き取ったハズレの子でしょ? なんて言ったかしら? スレア? ステル?」
女の声が聞こえてマーガレットは目が覚めた。身じろぎしないまま、耳をそばだてる。
「ステラ嬢です。王妃殿下、パターリアス辺境伯家からの申し入れで……」
侍従だろうか。男の声がそう答え、話し声と足音は遠ざかっていく。
おそらく彼らはマーガレットに気づいていなかった。
――ステラ? パターリアス辺境伯?
ジュリエットの友人の令嬢だろう。ステラはジュリエットの兄と婚約したとも聞いた。
聖女はよくわからないが、ハズレというなら汚点なのだろう。
これは使えるのではないだろうか。
ジュリエットは、マーガレットが何か言えば倍の強さで反論してくる女だ。アレクシスには本性を隠しているのだと思う。そうじゃなければ、アレクシスがジュリエットを気に入るはずがない。
皆がいる場でステラを糾弾したら、ジュリエットはきっと反論するはず。
マーガレットはそう考えて舞踏会に挑んだ。
結果は散々だった。
「お前はっ! なんてことをしてくれたんだ!」
床に突き飛ばされてマーガレットは倒れる。
「原因が王妃殿下だからお目こぼしされたものの……。パターリアス家を敵に回す気か!」
父は執務机の上の物を薙ぎ払うように落とした。
「せっかく引き取ったのに、とんだ役立たずだ! 金をかけて容姿を整えてやったのに何にもならんではないか!」
この文句は毎回聞かされる。
マーガレットは父が下位貴族家出身の侍女に産ませた子だ。妊娠してすぐに追い出したくせに生まれたのが女だと知るや子どもだけ奪い取り、妻の実子として届け出たのだ。政略の駒にできるから、だそうだ。
幸いなのは、養母になった公爵夫人は、マーガレットの実母に同情的でマーガレットによくしてくれたことだ。養母も夫には耐えかねているのだと思う。
ことあるごとに父が「マーガレットを引き取った」「侍女に産ませた」と言わなければ、養母を本当の母だと思っていたかもしれない。
マーガレットはいつものように倒れたまま、父の癇癪がおさまるのを待った。
「魔獣討伐の後方支援部隊が手伝いの志願者を募集しているそうだ。お前も行ってこい」
そう言われて、マーガレットは部屋から追い出された。
後方支援部隊の志願者を取りまとめているのはジュリエットだった。ステラもいる。
マーガレットは非常に居心地が悪い。
ステラに謝ったほうがいいのだろうか。しかし、父はそれを指示しなかった。
ジュリエットがとりまとめているだけあって、学生の志願者は彼女と親しい者が多い。学内舞踏会のとき、話の内容がはっきり聞こえた者はいなかっただろうけれど、マーガレットが何か言ってアレクシスの不興を買ったのは伝わっているようだった。偶然だけれど近衛騎士がやってきたのと同時だったのも悪かった。
マーガレットに話しかける人は誰もおらず、ひとり淡々と言われた仕事をしていた。
ステラは他の人とは違う場所で活動しているらしく、顔を合わせなくてすんだのは良かった。
昼の休憩になり、外に出た。
誰もいないところはほっとする。
ぼーっと立っていると、ざわざわと声がする。
「ステラお嬢様」
誰か男性がそう呼びかけた。
マーガレットはさっと振り返り、ステラが近くにいるのに気づき、その場から走って逃げようとした。
しかし、そのすぐあと、マーガレットはステラに腕を引かれた。
よくわからないまま引き倒される。
父のようにステラもマーガレットを殴るのだろうか。
そう思った瞬間、何かが強く光った。
「きゃあ!」
まぶしくて悲鳴を上げる。
誰かが「魔獣が」と言う声が聞こえ、マーガレットは気を失った。
「あら? マーガレット様? 気が付かれましたか?」
寝起きのぼんやりとした頭で声の元をたどると、ステラがいた。
「少しお待ちください」
彼女はそう言って、扉を開けて外に声をかける。
代わりに医師が入ってきて、マーガレットは診察を受けた。
気を失っただけで、特に怪我などはないようだった。
医師が出ていくと、ステラがスープと水を持ってきて、ベッドに座ったまま食べられるようにテーブルを用意してくれた。
「ステラ様……」
続く言葉は思いつかなかったけれど、マーガレットはステラに声をかけた。
彼女はベッドサイドの椅子に座り、
「私が出歩くとまた危険に陥るんじゃないかって心配されてしまって、邪魔かもしれませんが、侍従が迎えに来るまでここにいさせていただけますか?」
「ええ……それはかまいませんが……。あの、気を失う前に聞こえたのですが、魔獣に襲われたのですか?」
「そうです」
今、調べているのですが、とステラは教えてくれた。
「あの一体以外は見つかっていないようで、はぐれ魔獣ではないかということでした」
「ステラ様が魔獣を倒したのですか?」
マーガレットは魔獣をはっきり見ていない。
強い光しかわからなかった。
「いいえ。あれは聖女の護符ですわ」
「聖女の……?」
ステラは聖女じゃないのでは?
そう思ったのが顔に出たのだろう、彼女は少し笑って続けた。
「私はムスカリラ王国出身で、双子の姉妹で聖女候補だったのですけれど、妹だけが聖女で私は聖女じゃなかったのです。伯母に引き取られてミモザナ王国にやってきました。そのときに餞別で聖女の護符をいただいたのです。あの、あれはもう使えないので、これから先はマーガレット様もお気をつけくださいね」
「そんな大事なものを、どうして? 私はあなたを傷つけたのに」
舞踏会のとき、ステラは真っ青になっていた。
「なぜ、私を助けてくださったのですか?」
マーガレットがそう尋ねると、ステラは困ったように笑った。
「理由がいりますか? 理由なんてなくても、ただ、助けてほしいですよね。私は、聖女じゃなくても助けてあげる、役に立たなくても助けてあげると言われたとき、本当にうれしかったのです」
ステラは言葉を切って、マーガレットの手にタオルを持たせた。
自分が泣いていることが初めてわかった。
ステラは「秘密ですよ」と断ってから、聖女じゃないとわかってから辺境伯家に引き取られるまでのことを話してくれた。
マーガレットも自分の話をした。いつのまにか、その場にジュリエットもいた。
「マーガレット様はどうなさりたいの? 公爵の失脚? ついでに異母兄の次期公爵も失脚させて、マーガレット様が公爵家を乗っ取るなんてどうかしら? それとも、どこか他国の王族に嫁いでみますか? 殿下を巻き込めば、可能ですわよ。少し年上になってしまいますが、おすすめの方がいるのですよ。ああ、でもそうすると公爵がしゃしゃり出てきそうで面倒ですわね。外交問題になっても困りますし」
「いいえ、私は……王族に嫁ぐなんて滅相もないですわ」
本性を隠していたのはマーガレット様のほうですわね、とステラが笑う。
ジュリエットはアレクシスの前でも、普段からこういう発言をしているらしい。
「私は聖女のいる国に行ってみたいです」
「ムスカリラ王国に留学ですか?」
「いいえ、留学ではなくて、ムスカリラ王国で修道女になりたいと思います」
「まあ!」
ステラもジュリエットも驚きを隠さなかった。
ふたりは絶対にマーガレットの希望を叶えると約束してくれた。
そして、その通り、魔獣討伐の現場から戻ったマーガレットはジュリエットの家に匿われ、父に会うこともなくミモザナ王国を後にした。




