トラヴィスとの再会
入学二日目。
授業は必須科目と選択科目がある。今日は選択科目の説明を聞いてどれを選ぶか決める日だ。
「ステラ様、ごきげんよう」
教室に入って席につくと、ジュリエットがやってきた。
「ジュリエット様、ごきげんよう」
昨日は特に親しくしていなかったふたりが挨拶し合ったからか、少し視線を感じた。
ジュリエットは王太子アレクシスの婚約者だから余計に注目を集めるのだろう。領民や騎士たちから見られるのと違って、貴族からの探るような視線は居心地が悪い。
「ステラ様は選択科目を決めました?」
「乗馬だけは決めているのですが、それ以外はまだです。ジュリエット様は?」
「私もまだですわ」
そこで、ステラは声を潜める。
「お約束の件、持って来ましたので、あとでお時間いただけますか?」
「ええ。もちろんですわ! さっそくありがとうございます!」
ジュリエットが喜んでくれてうれしい。
いつがいいか話していると、教室の前のほうがざわざわし始めた。
目をやるとアレクシスが登校したところだった。
「あら、お兄様だわ」
ジュリエットの声に、ステラはもう一度扉の方を見る。
アレクシスの後ろにトラヴィスがいた。
「今日は殿下のお見送りの担当でしたのね」
「トラヴィス様は殿下の近衛をされているのですか?」
「そういうわけではないのですけれど、学院の中では近くにいることが多くなるようですわ」
「まあ、そうなのですね」
一年半ぶりに会ったトラヴィスは、一気に大人の雰囲気がした。背も伸びているし、顔つきが精悍になっている。辺境伯領では旅人のような格好をしていたけれど、学院のかっちりとした制服が似合っていた。
「ステラ様、行きましょう」
「え、でもお邪魔では?」
アレクシスの席の周りは人が退いている。
「あら、私は殿下の婚約者で、トラヴィス・イストワーズの妹ですわよ。誰に遠慮する必要があって?」
昨日も思ったが、ジュリエットは強気だ。
ステラは彼女に連れられて、アレクシスたちの元に近づいた。
「アレクシス殿下、ごきげんよう」
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。パターリアス辺境伯家の長女ステラと申します」
きちんと挨拶をしたステラに、アレクシスは「気楽にしていいよ」と手を振ってくれた。
そこで、アレクシスはトラヴィスを振り返った。
「パターリアス辺境伯令嬢はトラヴィスと知り合いなんだって?」
「ええ」
詳細をここで話していいのかわからず、ステラはうなずくのに留めた。
アレクシスから話を振られたならいいだろう、とステラはトラヴィスに向き直る。
「トラヴィス様、ご無沙汰しております」
「……ああ、久しぶり。前と同じように話してくれないか?」
「うん。ありがとう。えっと、久しぶりね」
誰に聞かれてもいい無難な話題を探して、ステラはトラヴィスを見上げる。
「背伸びたのね。前はこんなに見上げるほどじゃなかったわ。それに、髪も。伸ばしてるの?」
白い髪は肩甲骨あたりの長さで、首の後ろで束ねている。
「ああ……」
「やっぱり綺麗ね」
「……そうか」
ステラたちの横で、アレクシスは「え、彼女の前ではそんな感じなの?」とつぶやき、ジュリエットは「もっと見せつけてやらないと!」とつぶやいて、ふたりは顔を見合わせた。
当事者のステラとトラヴィスはそれに気づかず、
「あのね、トラヴィスが前よりかっこよくなっていて、ちょっと照れてしまうわ」
ステラは両頬を押さえた。
トラヴィスは声も少し低くなった気がする。
言葉少ななのは周りに人がいるからだろうか。
「……っ!」
ステラの言葉を聞いてトラヴィスは目を見開く。赤い瞳がやっぱり綺麗だ、とステラは微笑む。
「また仲良くしてくれる?」
「ああ、もちろん」
「よかった」
ずっと連絡がなかったから、少し不安だったのだ。
王都屋敷に着いたときにも、昨日の入学初日でも、こちらから連絡を取るタイミングはあった。でも、ステラはできなかった。
あのときのトラヴィスは大きな決意をして辺境伯家から出て行った。ステラに構う余裕なんてないだろうし、煩わせたくもなかった。
「ずっと会いたかったんだけれど、連絡していいのかわからなかったから。手紙も送らずにいてごめんなさい」
「い、いや、俺も同じだから」
「今度暇があったら声かけてね? またお茶でもしましょう」
「わかった。絶対する」
トラヴィスはうなずいてくれた。
そこで、アレクシスが口を開いた。
「あー、えー。ふたりは仲が良いんだね?」
アレクシスとジュリエットをほったらかしにしていたことに気づいて、ステラは慌てた。
「はい、親しくさせていただいております」
「そうだ。親しくしている」
トラヴィスはアレクシスに答えながら視線を巡らせた。
何か警戒することでもあったのだろうか。
それとも、時間?
トラヴィスだって自分の教室に行かないとならないのだ。ここで話を続けているわけにはいかない。
「長くお引き留めして申し訳ありません」
ステラは一歩引いて、ジュリエットに譲る。
「お茶会には私も参加させていただきたいですわ」
「それなら、私も呼んでよ」
ジュリエットとアレクシスがそう言って、トラヴィスは「機会があれば」とアレクシスを睨んだ。
アレクシスの席から離れると、ジュリエットは感心したように、ほうっとため息をついた。
「ステラ様は、なんていうか……すごいですわね」
何がすごいのかわからず、ステラは首を傾げた。
翌週の放課後、お茶の機会は訪れた。
学院に侍女や侍従は入れないため、ステラひとりでピクニックの準備をするのは難しく、アレクシスが学内カフェの個室を借りてくれた。
ジュリエットとアレクシスが並んで座り、その向かいのソファにステラとトラヴィスが座る。
注文も事前にされていたようで、すぐに茶と茶菓子が用意されて、給仕は退出した。
ステラは改めて頭を下げる。
「殿下、ありがとうございます」
「気にしないで」
「俺とステラだけだったら、庭の東屋でもどこでも良かったのに、お前が参加するから」
「トラヴィスも気にしないで」
「お前は気にしろ」
トラヴィスが以前と変わらない口調で王太子と話していることに、ステラは驚く。
「おふたりは仲が良いのですね」
「ふふ、うらやましい?」
「はい。うらやましいです」
ステラが認めると、ジュリエットが「それはどちらがですの?」と聞く。
「もちろん殿下が、ですよ。私ももっとトラヴィスと仲良くなりたいです」
なぜだかトラヴィスが机に突っ伏しているが、ステラはオスカーやニコラスで慣れている。領地では放置する方針なので、今回もそうした。
アレクシスは笑って、
「それじゃあ、どうぞ、ふたりは旧交を温めて?」
ジュリエットも笑顔でうなずいてくれたので、ステラは隣のトラヴィスに顔を向ける。
彼は起き上がって、ステラを見た。
「怪我はどうだ?」
「もうとっくに治ったわ。跡も残っていないから大丈夫よ」
「そうか……安心した」
「あなたのほうも、問題は解決したの?」
「ああ、あっさりな」
何か思い出したのか、トラヴィスは「辺境伯の言った通りだった」と苦笑した。ステラは首を傾げたけれど、彼は「こっちの話だ」と手を振る。
「そういえば、ブランは元気か?」
「ええ、領地に残っているわ」
「王都についてこなかったのか」
「ええ。……王都で白いカラスの放し飼いはできないでしょ? 砦から連れ帰ったときのように勝手についてこなくてよかったわ」
ブランには一応言い聞かせてみたのだけれど、どこまでステラの言葉を理解したのかは不明だ。言い聞かせなくても、ブランはそもそも領地を出るつもりなんてなかったかもしれない。ステラが出かける挨拶をしたときもいつもの木の上にいた。
「ブランは相変わらずで……、地面に降りてくれたのはトラヴィスが来たときだけよ。二年間で一度だけなのよ? 他の使用人の前には降りて餌をもらったりしているみたいなのよね」
「お前が、目を見せろって迫るからじゃねぇの?」
「えー、そうかしら?」
「お前、俺にも、目を見せろ、フードを取れって迫ってただろ」
「ああ、そうよね。トラヴィスも嫌がってたものね。大丈夫、もうしないわよ」
目を覗き込んで逃げられたり、髪を見つめて振り払われたりしたことを思い出す。
「あー……俺はかまわない。ステラなら、嫌じゃない」
「え、そうなの? だってあのときは」
「最後の日、髪触らせてやっただろ」
「そういえば、そうね」
思った通りにさらさらだった。
今は公爵家できちんと手入れしているのだろう。あのときよりさらにつやが増している気がする。
「触るか?」
「わぁ、いいの? 触りたいわ」
ステラが手を叩いて喜ぶと、トラヴィスは頭を下げてくれた。
そっと撫でるととても滑らかだ。ほどいたところを触らせてもらえたら、もっとさらさらが堪能できるかもしれない。
ステラの髪はふわふわなので、指の隙間からさらさら流れるような髪にあこがれがあった。
「なぁ、もう一度あれやってくれ」
「あれって?」
「辺境伯家で頭を撫でたときの最後に、祈ってくれただろ」
「ああ」
ステラは思い出して、トラヴィスの頭に両手を乗せる。ぐるぐると髪をかき混ぜるようにして撫でながら、
「トラヴィスが幸せになりますように」
女神に祈った。
あのときは、敵地に行くような顔をしていたトラヴィスを応援してあげたいと思ってしたのだ。
「幸せになった?」
「なったが、もっと幸せになりたい」
「欲張りね」
「知らなかったのか?」
「そうね、知らなかったわ」
トラヴィスは変わったような気がする。
成長したというのが正しいだろうか。
ステラが両手を離すと、トラヴィスは顔をあげた。
あのころは隠されていた赤い瞳が目の前にある。
綺麗なのは変わらないけれど、じっと見つめられると動けない。
「俺が怖いか?」
「怖くないわ。怖くないけど、あの、落ち着かないの」
「落ち着かない? 俺も同じだ。お前に見つめられると落ち着かない」
トラヴィスは少し笑った。
なんだろう。
ずっと見ていたいような、目を閉じてしまいたいような、変な感じ。
「あー、あー、ちょっといいかな? その辺で。続きは婚約してからにしてくれない?」
ごほん、と咳払いをしてアレクシスが声をあげた。
トラヴィスがばっと後ろに下がり、ステラは夢から覚めたように目を瞬く。
「お前、まだいたのかよ」
「いるよ。ずっとね」
悪態をつくトラヴィスをなだめるアレクシス。
ジュリエットが両手を胸の前で組んで、ステラを見つめた。
「ステラ様の素直さは、最強ですわね」
「え? どういうことですか?」
「まとめさせていただくと、ステラ様はお兄様がお好きということでよろしいのかしら?」
「ええ、そうですね。好きです」
ステラがうなずくと、ジュリエットは「恋愛かしら、友愛かしら。読みにくいわ」と小声でぶつぶつ言うがステラには聞こえない。それから、
「ステラ様は婚約者はいらっしゃらないの?」
「はい。まだいません」
「まだ、というのは?」
「兄の婚約が決まったので、次は私だと」
オスカーの婚約者は、領地内の街の町長を務める子爵家の令嬢だ。彼女はまだ学院の三年生。しばらく王国騎士団に所属するオスカーと王都屋敷で新婚生活が送れるように、ステラが学院を卒業して領地に帰ったあとに結婚する予定になっている。
「それなら、お」
「待て! お前が言うな」
ジュリエットが何か口にしかけ、トラヴィスがそれを遮る。
「俺が言う」
トラヴィスはステラに向き直る。さきほどステラが髪をかき混ぜたため、彼の髪は少し崩れている。直してあげようかと伸ばした手を取られた。
「ぐだぐだしてると、ジュリエットやアレクシスが言いかねないからな」
「何を?」
「俺はお前に結婚を申し込む」
「けっ、こん」
ステラは繰り返した。
「嫌か? 他に好きな人がいる?」
嫌じゃないし、他に好きな人はいない。
ステラは首を振った。
「ステラは俺に幸せになってほしいか?」
「ええ。幸せになってほしいわ」
「それじゃあ、お前が俺を幸せにしてくれ」
トラヴィスの赤い瞳がステラを見つめる。
「私がトラヴィスを幸せにできるの?」
「できる。お前にしかできない」
自分が誰かを幸せにできる。
他でもないトラヴィスを?
ステラの心は震えた。
できることなら叶えたい。
「でも、結婚……?」
ステラがためらうと、アレクシスが口を挟んだ。
「助言をいいかな」
「余計なことを言うな」
「助言だよ」
トラヴィスが引くと、アレクシスはステラを見た。
「パターリアス辺境伯令嬢。他人の男女が誰にも文句を言わせず一番近づける関係が婚姻だよ。君がトラヴィスを幸せにしたいなら、婚約しておいて損はない」
「はい……」
「あとさ、トラヴィス。パターリアス辺境伯令嬢に幸せにしてほしいとか言ってたけど、君ももちろん、彼女を幸せにするんだろう?」
「するさ」
トラヴィスはステラに向き直って、「幸せにする」と宣言した。
ステラはすぐに返答できない。「幸せにしてほしい」と言われたら「がんばる」と答えられるのだけれど、「結婚してほしい」と言われたら「はい」と即答はできない。ただ、アレクシスの言うことは理解した。トラヴィスが他の女性と結婚したら、ステラは彼の髪を撫でたりはできないだろう。
ステラのためらいを見て取ったトラヴィスは、
「辺境伯に求婚の手紙を送るから、前向きに考えてくれ。他の誰かに求婚されたときは俺に教えてほしい。必ず叩き潰すから」
「え、ええと。それは心配しないで。半端な相手は、お兄様やお祖父様に叩き潰されると思うから」
「頼もしいな!」
ステラたちの話を聞いて、アレクシスは「命がけか……恐ろしいな辺境伯家」と震えている。
結局、婚約の打診をするということで落ち着いた。
今日は久しぶりにトラヴィスと話をしようと思っただけなのに、なんで婚約になっているのかさっぱりわからない。
ステラは冷めたお茶を飲んで心を落ち着かせた。
ずっと黙っていたジュリエットが、
「ステラ様がうらやましいですわ。お兄様はステラ様を愛してらっしゃいますもの。結婚後の幸せが約束されているようなものですわ」
それに比べて私なんて、とジュリエットは隣のアレクシスに目をやった。
ステラは首を傾げる。
「殿下もジュリエット様のこと、お好きでらっしゃいますよね?」
「え」
「まさか。慰めはよしてくださいな」
アレクシスが止まり、ジュリエットが眉をひそめる。
「でも、殿下はいつもジュリエット様を見てらっしゃいますよ。移動教室の際に視線を感じると殿下がいらしたり、アテナリスク公爵令嬢に言いがかりをつけられた翌日は殿下から話しかけてくださったりしていますよね?」
「…………?」
ジュリエットは胡乱な目でアレクシスを見た。
トラヴィスが机の下でアレクシスを蹴り、「言え。素直に言え」と圧力をかける。
「いやさ。私の父があれなのは皆知ってるだろう?」
王と王妃のあれこれは、王都に来る前にダレルやクレアとの因縁を含めて教えられた。
「私がジュリエットを好きになりすぎたら、ジュリエットはきっと困るよ」
無言でアレクシスを睨むジュリエットの代わりに、ステラが話をつなぐ。
「えっと、好きになりすぎないように抑制していた、と?」
「婚約者として特別扱いすることなく、他の令嬢と同じように接していたんだ。逆に冷たくしていたつもりはなかったんだけれど、気にしすぎて裏目に出た可能性はあるかも。それが、アテナリスク公爵令嬢たちには相手にされていないと受け取られたのは申し訳ない」
「それでは、殿下はやっぱりジュリエット様のことが……?」
「好きだよ」
アレクシスの言葉にジュリエットは息をのむ。
アレクシスはジュリエットに向き直った。
「君が好きだよ」
「どういうところが、でしょうか」
「そうだなぁ。狂暴な小動物みたいでかわいいと思う」
「狂暴な小動物」
「きつい物言いをしたあと、陰でこっそり落ち込んでいるのもかわいい。あとは、何もないところで転んでいたりするの。それで誰にも見られていないかきょろきょろして、何もなかったように颯爽と歩いていったり。それから、そうだなぁ。今、パターリアス辺境伯令嬢のアドバイスで運動しているでしょ? 真剣にやってるんだけれど、手足が全然ついていけていないの、あれもかわいいよね」
アレクシスが言葉を重ねるたびに、ジュリエットの顔が赤くなり、彼女はふるふると震えた。
「な、な、どうして……!」
「だから、君は困るよって言ったでしょう?」
アレクシスは肩をすくめる。
「どうする? 婚約解消する?」
「っ! しませんっ! しませんわよ!」
「え? いいの?」
「よくありませんが、婚約は続けますわ!」
真っ赤になりながらジュリエットは言う。
アレクシスは「困ったなぁ」と言いながらうれしそうに苦笑した。
「お前が気持ち悪すぎるときは俺が止めるからさ」
トラヴィスがまたアレクシスを蹴った。
「頼りにしてるよ。お義兄様?」
「さっそく気持ち悪ぃな。せめて兄上にしろよ」
半ば置いてけぼりになりつつも、ジュリエットが幸せになれそうで、ステラも彼女に向けて微笑んだのだ。




