聖女の認定会
王妃の茶会から二か月後。十二歳になったステラたちは聖女の認定を受けるため、教会に出かけた。
聖女の母の判定は専用の聖具があればどこでもできるが、聖女の認定は王都の中央教会で行われる。
胎児のうちに「聖女の母」が判明するのだから、聖女は誕生したときから聖女に認定されていると言える。それが、十二歳になると神聖力が安定するため、女神とつながりができ、目に見える形で聖女とわかるのだそうだ。そのため、認定会をもって聖女とする決まりとなっている。見習い聖女の訓練を始めるタイミングにもなっていた。
「聖女だと確認するための、お祝いの会のようなものですね」
気楽にしてください、とステラたちは事前に聖女庁の職員から説明を受けていた。
高い天井を持つ厳かな雰囲気の礼拝室は白い石造りだ。左右の壁の最上部には創世記の一場面や聖人の姿が描かれている。
広い礼拝室にはたくさんの人がいた。高位の聖職者や現役聖女がずらりと並び、その後ろの一段高く設えた席には王妃やハミルトン公爵夫人の姿も見える。文官服を身につけた一群は聖女庁の職員だろう。助成金支給と聖女候補の暮らしの確認のために定期的にラージエンド子爵家に訪れていた男性職員がいるのがわかった。
ラージエンド子爵一家を案内してきた若い司祭は「今日はいつもより見学者が多いのです」と辺りを見回して言う。
「ええ、ええ! わかっておりますわ。史上初の双子聖女誕生の瞬間ですものね!」
「こんなに多くの方に見守っていただけて、光栄です」
アガサとセレナは顔を輝かせて、父チャーリーも「記念すべき日だからな」と誇らし気だ。
そんな家族の中、ステラだけは人の多さに気おくれしていた。
司祭は聖職者の列の最前に両親を並ばせ、ステラとセレナだけを祭壇の前に連れて行った。それから柄杓形の香炉でステラたちの足元から頭まで輪郭をなぞるようにしてふたりを清めると、少し離れたところに待機した。静謐な香りにいやがおうにも緊張が高まる。
ステラは真っ白い石でできた祭壇を見上げた。
彫刻の施された壁を背にして、女神の像が祀られている。人の大きさよりも一回り大きい。
この大陸の大半の国が大地の女神を信仰していた。豊穣をもたらす女神だ。ふくよかな体型で表現されることが多く、ステラの前の像もたっぷりとひだのある衣を身に着け、抱きしめるように手を軽く広げた姿をしていた。
聖女候補として生まれてから、礼拝室には何度か来ていたから初見ではない。しかし、供物を捧げる台が取り除かれており、女神像と何も隔てることなく相対したのは初めてだ。今日は一段と神々しく見えた。
「さて、認定会を始めましょう」
高齢の大司教が真っ白なローブの裾を引いてステラたちの横に立った。
「ひとりずつ前に出て、女神様のおみ足に触れなさい」
「はい」
ステラが反応するより前に、セレナが返事をして前に出る。一応はステラが姉なのだけれど、セレナに譲ることに慣れているため、なんとも思わなかった。
セレナは迷いなく女神像に近づき、ひざまずく。一段高くなっているため女神像の足がちょうどセレナの肩くらいの高さだった。
セレナが両手でそっと女神の足の甲に触れると、彼女の身体が淡い光に包まれた。
「おお……」
「聖女だ」
感嘆の声が上がる。アガサの「まあ!」という歓声は中でもひときわ大きかった。
ステラもほうっとため息をついた。
目の前で見た奇跡はとても綺麗だった。セレナが光ったとき、女神像もふわりと揺れたように見えた。
聖女認定されたセレナが笑顔で戻ってくると、今度はステラの番だ。
王妃の茶会でローズたち元聖女が話していたことを思い出す。女神様に歓迎されるといいな、と思う。
ステラは期待と不安を抱えながら、女神像の前でひざまずき、足の甲に触れた。
そっと目を閉じる。
――女神様、はじめまして。ステラ・ラージエンドと申します。
心の中で挨拶した。
辺りのざわめきがセレナのときとは違うと気づいたのは、一瞬後だ。
「まさか……」
「聖女ではないのか」
耳に入った言葉にはっとする。
薄く目を開けるけれど、自分の身体は光っていない。元聖女たちに聞いたような暖かな空気も感じない。
――私は聖女ではないの?
すがるように見上げた女神像は、穏やかに微笑んでいるだけだ。本来祈りを捧げる場所より近くにいるせいか、ステラの位置からでは女神は遠く後ろに目をやっているように見えた。
――女神様、女神様。
ステラは頭を段差にこすりつけるように低頭し、繰り返し呼びかけたけれど、何も変わらない。
長いような短いような数分のあと、ステラは司祭に抱き起こされた。
「ステラ嬢、もう大丈夫ですよ」
「でも……私……。どうして……」
「ええ、そう……そういうものなのです。……こればかりは、誰にもどうしようもないのですよ……」
案内係の若い司祭は痛ましげにステラに首を振ってから、一度女神像を見上げた。
彼に支えられて立ち上がって振り返ると、セレナが目に入った。セレナは驚愕の表情を浮かべてステラを見つめていた。
あんなに「双子の聖女」と自慢していたのに、ひどくがっかりしていることだろう。
両親はどう思っているだろうか。気になって顔を向けたけれど、大司教の陰になって両親の顔は見えない。
「セレナは聖女なのに、私だけ……」
小さくつぶやいたけれど隣の司祭には聞こえていたようで、彼は囁くように「大丈夫ですよ」と繰り返した。
大丈夫だとは思えなかったけれど、気遣いはうれしくステラは小さくうなずいた。
司祭に支えられてセレナの隣に戻ると、セレナはステラに何か言いたそうに口を開いた。驚きと戸惑いの表情は、司祭のようにステラをいたわるものではなかったけれど、いつもステラに注意するときの顔とも違った。彼女も気持ちの整理がつかず、何を言ったらいいのかわからなかったのかもしれない。
ステラもセレナに何を言ったらいいのかわからなかった。
祝福? 謝罪?
しかし、ステラより先に大司教が声を上げた。
「静粛に」
ざわついていた礼拝室がしんと鎮まる。
「姉妹のうち、セレナ嬢は聖女と認定されました。ステラ嬢は聖女とは認定されませんでしたが、普通の姉妹を考えれば当然のこと。聖女は血筋とは関係ないのですから」
大司教はステラを安心させるように微笑んだ。
「残念ながら双子の聖女誕生とはなりませんでしたが、ここに新しい聖女が誕生しました。聖女セレナ、おめでとう」
拍手が起こったけれど、皆の表情は満面の笑みとはいかず、どこか戸惑いが浮かぶ。
そこで初めて両親の表情が見えた。
父チャーリーは近くの人から祝いの言葉をかけられて、表面上はにこやかにしている。しかし、母アガサは目を吊り上げてステラを見ていた。
ステラは身を固くした。
その後、ラージエンド子爵一家は、教会の控室で聖女庁の担当職員と面会した。
「ステラ様は残念でしたが、セレナ様の聖女認定おめでとうございます」
職員はふたりとも、ステラたちが生まれる前からずっと子爵家を担当してくれている。ふたりのうちソントン卿が今後のことを説明してくれる。
「セレナ様は、来月から見習い訓練を開始していただきます。週に二日の座学では、聖女の歴史や心構え、礼儀作法などを学びます。貴族のご令嬢は礼儀作法など今さらかもしれませんが、試験に合格すれば以降の授業は免除になりますので、それまでは受講してください」
礼拝室を出るときからぼーっとしていたステラは、しっかり聞かなくてはと背筋を伸ばしてから、ソントン卿がセレナにだけ話していることに気づく。
――そう、自分にはもう関係がないのだ。
再びステラの肩から力が抜けた。
「次に、助成金の件ですが……ステラ様が聖女ではなかったので、ステラ様の助成金は打ち切られます」
「な、なに?」
父チャーリーが驚きの声を上げるが、ソントン卿は難しい顔で続ける。
「助成金制度では、不正に取得した助成金は返還が求められます」
「へ、返還だと?」
「ですが、今回は不正ではないと認められたので、すでに受給された分の返還は不要です」
「当たり前だ」
チャーリーもアガサも何度もうなずいている。
「そういうことでして、今後の助成金はセレナ様おひとり分となります。セレナ様が見習いを卒業して、聖女に就任されるまで支払われます」
チャーリーは大きなため息をついてステラを見た。
「ステラは聖女じゃないのだから、仕方ないことか……」
「ステラ! あなた、なんてことしてくれたの!」
家に帰るなり、玄関ホールでステラはアガサに突き飛ばされた。
出迎えた執事や侍女長は教会での顛末を知らないため、アガサの剣幕に固まっている。
床に倒れたまま母を見上げると、顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。
「お、お母様……」
「私は史上初めての『双子の聖女の母』だったのよ! それなのに! どういうことなの?」
「……ご、ごめんなさい……」
「ステラのせいよ!」
手をあげようとするアガサをチャーリーが押さえた。
「アガサ、落ち着きなさい」
「そうよ、お母様。私が聖女だったんだからいいじゃない」
セレナも母にすがった。
「だめよ。単なる『聖女の母』だったら、あのハミルトン公爵夫人と同じじゃないの! 唯一の、特別な『双子の聖女の母』じゃなきゃだめだったのに!」
「私は聖女なのに……?」
アガサはセレナを見ていない。
「助成金だって今までの半分になるわ! 次のシーズンのドレスももう注文してあるのに、どうするのよ!」
「それは……」
金の話を持ち出されたチャーリーは表情を変えた。しかし「外聞が悪い。暴力はやめなさい」とアガサを制する。
「聖女候補だって自覚が足りずに呑気なことばかり言っているから、選ばれなかったのよ! 心がけが足りないんだわ! しばらく部屋で反省しなさい!」
アガサはそう宣言してチャーリーに引っ張られながら退場した。
突き飛ばされたときに打ったのか、肩が痛い。
今までも無条件で愛されていると感じることはあまりなかったけれど、それなりに大事にしてくれていた母の変わりようにステラは震えた。
「私は聖女だったのに! どうして祝ってくれないの?」
玄関ホールに取り残されていたセレナが大きな声を上げた。
「ステラが聖女じゃなかったからよ! ステラが全部悪いのよ!」
セレナはステラをぽかぽかと拳で殴った。子どもの力、それも箱入りの貴族の娘の力ではさほど強くない。
それでもステラは打ちのめされた。胸が痛い。涙があふれてきた。
「ごめんなさい、聖女じゃなくてごめんなさい」
「双子の聖女だって言ったのに! 一緒に聖女にならなきゃ意味がないのに」
「ごめんなさい」
ステラもセレナも涙声だった。
我に返った執事と侍女長がすぐにふたりを引き離し、それぞれの部屋に連れて行った。
セレナの聖女認定の祝いは結局行われなかったのだった。
ステラは母の言いつけ通り部屋に籠っていた。
何が悪かったのだろう。
ステラとセレナは何が違う?
セレナのように「自分は特別に選ばれた人間だ」と誇れないといけなかったのだろうか。
――女神様、どうしたらいいのかわかりません。
聖女候補だから優しくしてくれていた人たちは、聖女じゃなかったステラをどう思うだろう。
皆がアガサのように豹変したら?
閉じこもって三日後、幼いころから仕えてくれていた侍女が来なくなり、代わりに若いメイドが食事を運んでくるようになった。
聖女じゃないステラを世話するのは嫌になったのだろうか。――それがステラの思い込みで、侍女はアガサに辞めさせられたと知ったのは少しあとだ。
十日ほど経ったころ、アガサが部屋にやってきた。
認定会の夜から母と顔を合わせたのは初めてだった。
「お母様……」
ソファに案内しようとしたステラを制し、アガサは冷たい目でステラを見下ろした。
「修道女のような暮らしをしなさい。清貧を心がければ、あなたも聖女になれるわよ」
「修道女……?」
「外出着も装飾品もいらないでしょ。売れるものは売ることにするわ。あなたはもう茶会に出かけることもないのだし、必要ないものね」
アガサが言うなり、彼女が連れてきた使用人がステラの部屋からドレスなどを運び出していく。
「あなたの分の助成金が減るのだから、あなたが補填するのは当然でしょう?」
そう言われるとステラは何も言い返せない。
「自分のことは自分でできるようになりなさい。ああ、あなたの侍女は辞めさせたわ」
「え?」
「食事は一日一度でいいわね。お菓子やお茶はもちろん禁止。助成金が半分になったんだから、贅沢はできないのよ」
反論は許さないという視線でアガサは言う。
自分は母から見放されたのだとステラは感じた。
――私が聖女じゃないから。
ステラはすとんと力が抜けたように、その場に座り込んだ。
そうして再度見上げる母は遠い。
認定会のとき、足元にすがった女神像を思い出す。
女神とは違って、すがることも許されない気がした。
ステラは床に目を落とし、口を開いた。
「……食事は自分で作るのですか?」
修道院では、修道女が当番で食事を作っていると聞いたことがある。
お菓子作りを手伝ったことはあっても、料理をしたことなどない。手伝うといっても粉をふるうとかクッキーの型を抜くとか、その程度だ。
アガサは少し考えてから、
「そのくらいは用意するわ。誰かに運ばせるから、あなたはできるだけ部屋から出ないように」
「図書室もだめですか」
「図書室? まあ、いいでしょう」
ほとんど空になったクローゼットを一瞥して、アガサは出て行った。
「二度と私の前に顔を見せないでちょうだい」
その日からステラの食事はパンとスープだけになった。




