91 またね、レイさん
久しぶりに訪れたキカワ金属は、まるで変わっていなかった。
ここで過ごした年月がザーッと心に流れ込むように甦って、レイの鼻の頭が赤くなる。
レイとマルミルムが事務所に顔を出すと佐々木さんが「レイちゃん!」と叫び、田中さんが立ち上がった。
「お久しぶりです。その節は……」
全てを言い終わる前に佐々木さんがレイに抱きついて、「よかった!」と震える声でささやいた。
「佐々木さん……」
「レイちゃんがお国の都合で急に帰国したって聞いて、心配してたのよ。電話やメールもできない状況だったんでしょう?」
「え?」
「レイちゃんのお友達が挨拶に来てくれたのよ」
東京でレイの友達を名乗る人は美穂しかいない。
今朝出てくるとき、美穂は忙しそうに電話していたから置き手紙をして出てきたが。
「そうだったんですか。私、ずっと申し訳なくて……」
「この子の母でございます。娘が記憶を失っている間、こちらでお世話になったと聞いて、まずはご挨拶をとお邪魔しました。本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです」
「いえいえ。レイちゃんは真面目によく働いてくれました。我々はとても助かったんですよ」
「田中さん……ありがとうございますぅぅ」
レイが指先で涙を拭っていると、奥の社長室のドアが開いた。
「何を騒いでいると思ったら、夏川君だったか。久しぶりだね。元気そうだ」
「シャチョウさんでいらっしゃいますか。この子の母でございます。娘が大変お世話になったと聞いてご挨拶に参りました」
「お母さん、私からご挨拶させて!」
レイの気迫に、マルミルムが口を閉じた。
レイは深く頭を下げ、下げたままで謝罪をした。
「社長、素性のわからない私を雇ってくださって、社員として守ってくださって、ありがとうございました。ここで皆さんに教わったこと、優しくされたこと、一生忘れません。ご挨拶もせずに姿を消して、本当に申し訳ございませんでした」
「いいよ。お母様に会って納得した。夏川君が姿を消したのは、世界の情勢が激変した頃だったからね。そういうことかなと思っていたよ。でも、こうしてお母様と一緒に、日本へ来ることができるようになったんだね」
社長が言っているのはこの世界のことだから違うのだけど、内容は当たっている。
『国同士』の国が違うけど、巻き込まれたのは本当だ。
「うちのことは気にしなくていい。日本に遊びに来ることがあったら、いつでも立ち寄ってください。佐々木君と田中君が喜ぶよ」
仕事の邪魔になるからと、早々にキカワ金属を出ることにした。レイは見送ってくれている佐々木さんと田中さんにお辞儀をして敷地を出た。
「いい人たちね」
「はい。いい人たちです。私はあの人たちに助けられて五年間を生き延びました」
「感謝しなくてはね」
そう言ったマルミルムがスッと電柱の上を見上げた。
「なにかしら。邪悪な気配を感じるけれど、何も見えないわ」
「どこですか? 杉玉に触れながらなら、見られます……あっ」
電柱の上に黒づくめの服装の男が立って、こちらを見おろしている。
人の形をしているが、絶対に人間ではないのがすぐわかる。
立っている場所がおかしいからというより、全身から漂い出る禍々さでわかる。
レイと男の視線がぶつかり、レイの全身に鳥肌が立った。
「あの人、たしか以前ハンカチを拾ってくれた……」
「アレクサンドラ? どうしたの。何がいるの?」
「人の姿をしているけど、悪意の塊のような、邪悪な何かがこっちを見ています」
「あの石の柱は大切な物なの?」
マルミルムが火魔法の準備をし始めた。
「大切です! 絶対に電柱と電線は傷つけないでください! それに、私たちの力はこの世界の怪異には効きません」
「そうだったわね」
マルミルムが魔力をひっこめた。
電柱の上から見られているのを意識しながら、レイとマルミルムは歩く。
「ねえ、アレクサンドラ、あなたはなぜこの日本に放り込まれたんだと思う?」
「おそらく召喚が失敗したんだと思います。ただ……」
レイが辺りを見回すと、街路樹には小さな人々が枝に腰掛けて道行く人々を見ている。
建物の陰に目をやれば、あの黒いものがスススと姿を隠すのが見えた。
「ただ、私がこの日本に送られたことが偶然だったとしても、全ての出会いが同じことを伝えてくれている気がします」
「どんなこと?」
「人間は小さくて弱くて、でも強い」
怪訝そうな顔のマルミルムにレイが微笑みかけた。
「ウジェ王国では、『人間は万物の頂点に立っている』と教わりました。でもここに来て、人間は弱くて小さな存在だと思うようになりました。だけど、驚くほど強くもあります」
マルミルムが片方の眉を持ち上げた。ラーシュを否定するような我が子の言葉と考えを案じているのだ。
「私たち人間は海岸の砂みたいなものではないでしょうか。広大な海岸を作っている砂粒。ひと粒の砂があってもなくても海岸は変わらないけれど、必要なひと粒。上手くは……言えませんが」
「うん、上手くは言えてない。でも、あなたの経験は無駄ではなかったんだとは思う」
レイは反論しなかったが、無駄か無駄でないかという物差しも違うような気がする。
道端の石仏が人々を守ろうとすること、悪い物を消さずに追い払うこと。成仏できない魂が上陸しないように祓うこと。
どれも終わりがなさそうに見えるが、誰も終わりがあるかないかを気にしていなかったような気がする。
彼らは皆、効率を気にしていなかった。
「まだ視線を感じるわ。あなたは?」
「私も背中に視線を感じます」
「アキラさんは神なのに、なぜあれを放置するの?」
「放置はしていません。人々を守っています。でもあれを消し去ることもない」
「人間も電柱の上の禍々しいアレも、等しく海岸の砂粒だから?」
「たぶん」
マルミルムが「お手上げだ」という仕草をしてから真顔でレイに向かい合った。
「国立治療院は、あなたを治癒班の長にしたいらしいわ」
「私も言われました」
「そうなったら、この世界にも気楽には来られないわね」
「他の人より多めに働いて、休みをまとめてもらえばいいんですよ」
疫は間隔を置いて電柱から電柱へと飛び移りながらついて移動している。疫の狙いはレイだ。
風に乗って南から日本へ飛んでくる疫は、本来この時期は大陸にいる。
だが、レイが日本の上空に展開した魔力に反応して、戻ってきた。そしてレイを見つけたのだ。
「やっぱりいい匂いがするー。前よりもずっといい匂いだー」
レイが何かをマルミルムの耳にささやいて、母と娘は口を強く引き結んだ。
「口を開けないなー。飛び込みたいのにー」
疫が見ている中、二人は四辻の前でアキラと合流した。アキラがチラリと上を見上げ、疫に手のひらを向けた。
「あああー!」
疫はポーンと大きく弾かれ、そのまま秋風に運ばれていく。
アキラは「お前が来るのは春だろう。日本に来るのは、世界を回ってからだよ」とつぶやいてレイを見た。
「そろそろ戻るの?」
「はい」
「また日本に来られる?」
「また来ます」
マルミルムが母の顔になった。
「アキラさん、そのときは娘をよろしくお願いします」
「マルミルムさんは来ないのですか?」
「私は研究したいことができたので、当分は来られません」
(え! そうなの?)とレイが驚いた。毎回自分と一緒に来るのかと思っていた。
そこへ美穂が千代と手をつないで歩いてきた。
「レイさん! ここかなと思った。そろそろでしょう?」
「はい。今回は親子でお世話になりました」
「また来てよ。いつでも待ってる。次は私もお出かけについて行くわ」
「はい、ぜひ。美穂さん、キカワに連絡してくれていたんですね。ありがとうございました」
「いいのよ。友達じゃないの」
「はい! 友達ですね!」
レイが辺りを見回して人がいないのを確認して、マルミルムを見てうなずいた。
「では、帰りますが、また来ます!」
美穂、アキラ、千代が見守る中、レイとマルミルムがスッと消えた。
「行っちゃった」
「行っちゃいましたね。さて、私も帰って仕事しますか」
美穂とアキラが互いに背を向けた四辻の塀の上に、アオダイショウがよじ登ってきた。
「ひと足遅かったか。親方様からの伝言を運んできたが、無念。また来るなら、気長に待つしかあるまい」
アオダイショウは塀から松の枝に移って姿を消した。
浅水神社では、宮司が孫の健一と二人で境内の掃除をしていたが、宮司が「うん?」と空を見上げた。
(レイさん。次に会えるのはいつですかな。今後は健一を鍛えてやってください)
繁華街ではお銀がフッと顔を上げた。
「レイさんが帰ったようだよ、朝霧」
「そうなんですか? また来てくれますか?」
「また来てくれるよ。朝霧はちゃんとお役に立っているかい?」
「はい! 美穂さんにちょこっとだけいい仕事を運んでいます」
「そうかい。よしよし」
お銀がほんのりとした笑顔で朝霧の頭を撫でて、朝霧が「ウフフ」と笑った。
(またね、レイさん。旦那様はおかげで元気を取り戻しましたよ)
アキラもその頃、空を見上げていた。
「またね、レイさん」
本作品はここで完結です。
完結後も私のお楽しみとして時々投稿すると思います。
そのときはどうぞ読みに来てください。
完結したので感想欄は閉じますね。
今まで応援コメントをありがとうございました。
今後はしなえまな先生作画のコミックをどうぞお楽しみに!!!





