87 宮司が見た異変とは
宮司は淡々と見てきたことを話してくれた。
レイ、マルミルム、アキラ、健一が聞き役だ。
宮司によると、とある家の屋根裏から不思議な音がすると主が言いだした。猫かハクビシンでも入り込んだか、またはアライグマかと駆除業者を入れたが何もいないと言われた。
その頃からその家の夫が体調不良を訴えるようになった。
「ダルい、疲れる」と言うようになり、あちこち病院へ行っても検査結果には異常なし。
最初は主だけが聞いていた音も、最近は妻も聞くようになった。結構な大きさの音で、恐る恐る音がしている最中に屋根裏を懐中電灯で照らしたものの何もいない。しかしすぐ近くで何かが動く音はしていた。
「これはお祓いしてもらったほうがいい」と妻が言い出して、宮司はお祓いしたそうだ。
「ですが、悪しきものを感じる私にも、何も見えず気配も感じられない。だが音はするのです」
夫は少しずつ弱り、今すぐどうこうというわけではないが、最近では会社も休みがちらしい。
「気配がないのに音を立てる何かが、間違いなく屋根裏にいるんです。レイさん、一度見てやってくれませんか。そして健一を同行させてほしいのです」
「僕は祖父のような力はありませんが、地域の皆さまの安全をお守りしたいんです。それには経験を積むのが一番だと思っています。どうかよろしくお願いします」
「私はかまいません。ただ、一度帰らないとならなくて。帰国してから出直す形でもいいでしょうか」
「もちろんそれで大丈夫です」
その後は宮司と健一は自分たちの席に戻り、レイは母とアキラの三人で話し合った。
マルミルムがずっと黙り込んでいて、レイは気になって仕方ない。途中で我慢できなくなり「お母様、どうかなさいましたか?」と声をかけた。
マルミルムはレイを見て、アキラを見た。
「ずっと考えていたのだけど、キッカトリルは一匹だけだったのかしらね。こちらのなんとかいう悪い存在が引っ張り出したという話だけど、もしかしてそれまでに何匹か入り込んでいるってことはないの?」
「あっ……。私、戯がキッカトリルを召喚紋から引っ張り出したと聞いて、すっかりその一匹だけがこの世界に入ったのだと思っていました」
「キッカは小さい群れでいることが多いわ。そいつの他にもこの世界に入り込んでいる可能性はあるわよ」
確かにそうだ、とレイは慌てた。
「ですがそろそろ戻る時間です。戻らないと二度と帰れなくなります」
「わかってる。一度戻りましょう。そして準備を整えて戻ればいいわ」
(お母様、次も一緒に来るおつもりですね)と思うが、キッカトリルが複数入り込んでいるのなら一人より二人の方が心強い。しかし……。
「アキラ君、十月だと疫はいないのでしょうけど戯がいましたよね。もしかして他にも私の知らない悪いものっていたりする? いるのなら、お母様を連れてくるのは避けたいんです」
「ああ、なるほど」
「ちょっとアレクサンドラ。それはどうして?」
「どうしてって……」
(お母様が暴走したら私の手には負えないからです)とは言えない。今だって、どんな悪いものがいるかを説明しようとしているアキラの言葉を聞く前に、自分が来る気でいる。
「お母様が心配だからです」
「何を言っているの。攻撃魔法に関しては、あなたより私の方がずっと達者よ?」
「それは……そうですけど」
「アキラさん、では私と娘は一度帰りますが、準備を整えて戻ります。キッカは責任をもって私たちが退治しますので、それまで少し堪えてください」
いいの? という表情でアキラがレイを見る。レイは困った顔のまま「よろしくお願いします」と答えた。レイはこういう状態の母に何を言っても無駄なことを知っている。
「それならさっさと戻りましょう。戻るときはどうするの?」
「両手を合わせて『帰りたい』と願うだけです」
「召喚紋無しにこっちに来られて、帰りも祈るだけ。すごいわね、その親方様とやらの力は。一度話をしてみたいものだわ」
「やめてください。気楽におしゃべりするような存在ではないんですから」
親方様が大蛇であることは言っていない。言ったら言ったで厄介な気がしている。
親方様がある種の神であることを知ったら、ウジェ王国の神を信仰して疑わない母は、悪意なく無礼な態度を取るのではないかという不安がある。
だから詳しい説明は避けていたのに、親方様に興味を持つ母。大好きな母ではあるが、こういうところは厄介だ。
おなかいっぱい由紀子ママの料理を食べて店を出た。
美穂に「帰ります。でもまた来ます」と挨拶をした。
「わかった。いつでもうちに泊まって。千代ちゃんや朝霧ちゃんも喜ぶから、遠慮しないでうちを使ってね」
「美穂さん、本当にいつもありがとう」
「どうしたの急に」
「美穂さんがお姉さんだったらどれだけ心強いかなと思って」
見送りに出てきた千代と朝霧と美穂の前でレイとマルミルムは両手を合わせ、同時に姿を消した。
◇
ウジェ王国に戻ったレイは国の治療所で働いている。
レイは淡々と働いているのだが、同僚たちに驚かれている。
「ねえ、今朝から何人目? そんなに働いて魔力切れで倒れない?」
「全く問題ないです。あと十、いえ二十人くらいは余裕です」
「あなた、拉致されて戻ってきたら、ものすごく魔力が増えているわよね? 魔力量がすごいのは拉致の前からだったけど、今はなんていうか、人間離れしているような」
「人間ですよ、やだわ」
そう言って笑うが、実は自分でも人間離れした魔力量になっている自覚はある。どんなに治癒魔法を連発しても疲労感がない。「いくらでもこい、受けて立つ」という気持ちだ。
それは母も同じらしく、わざわざ神殿に出向いて魔力量を測定してもらったらしい。
「アレクサンドラ、聞いて驚かないで。私の魔力量は、ここを出る前の二倍近かったわよ」
「わざわざお金を払って測ってもらわなくてもいいのに」
「数字で確認するのは大切な事よ。記録して、この先の変化を見届けたいの。そうそう、キッカをおびき寄せる餌は用意したわ」
「アレですか」
「アレよ」
キッカトリルが好むアレとはこの場合、動物の血液だ。
本来キッカトリルは人間の血肉を一番好むのだが、さすがに人間の血は使えない。なのでウジェ王国ではキッカトリルのいそうな場所に動物の血を撒いておびき寄せる。牛、豚、ヤギなどの血だ。
「今回は牛の血を用意したわ。キッカがフラフラと寄ってくるわね。もういつでも行けるわよ。治療所には休みの届を出したの?」
「出しました。私、治療所では他の人の二倍は働いているので許可は問題なく」
「では行きましょうか」
「はい……」
二人は梅の実を口にした。目を閉じて(酸っぱい……)と思う間もなく、目を開けると美穂の家の庭だった。
「お帰りなさい、レイさん!」
「朝霧ちゃん、ただいま」
「道祖神様がレイさんを待っていましたよ?」
「わかった。すぐに会いに行くわ」
美穂に挨拶をする暇もなく、二人は荷物を朝霧に預けて四辻を目指す。途中で浅水神社に寄り、健一にも声をかけた。
「これからアキラ君と不審な音がする家に向かいますが、健一さんはどうしますか」
「僕も行きます」
こうしてレイ、マルミルム、健一の三人はアキラのいる四辻へと向かった。





