86 健一の光
事件が一段落して、夕飯はスナック由紀子で食べることにした。
女の子を誘拐しようとした男が激しく苦しんでいたことに、マルミルムは満足している。少女の心の傷を思えば、本当は手足の一本も切り落としてやりたいところだが、ここはウジェ王国で言うところの「王国においては王に従え」である。
「いらっしゃい! 久しぶりね、レイちゃん」
「こんにちは。今日は母を連れてきました」
「お母様、初めまして、どうぞごゆっくり」
レイと会話をしながら、由紀子ママは料理をしている。その合間に帰る客の会計をし、カラオケに合いの手を入れ、客が帰った席を片付けている。全てが手早い。
「お待ちどおさま。さあどうぞ、食べて食べて」
テーブルの上には、ずらりと由紀子ママの手料理が並んだ。
焼きうどん、イカ大根、サトイモと牛肉の煮物、肉野菜炒め、肉豆腐、唐揚げ、シシャモマヨネーズ、ぬか漬け、おにぎり。
母とレイ。他の客から見れば「女性二人で食べきれるかな」と思うほどの量だが、問題ない。レイもマルミルムもよく食べる。
マルミルムが牛肉と里芋の煮物を口に入れた。レイは興味津々で母の反応を見ている。
「初めて食べる味だけれど、美味しいわ。味覚は経験で形作られるはずなのに。美味しい。とても美味しいわ」
「よかった。私も最初に由紀子ママの料理を食べた時、同じことを思いました。初めて食べるのに懐かしく美味しかったんです」
「しかも……ねえ、この料理は魔力の塊みたい。魔力が急激に増えていくのを感じるわ」
「そうなんですよ。この世界の食べ物は、食べるだけで魔力が増えるんです」
「ウジェ王国の魔法使いたちは、魔力を増やすために血の滲むような努力をしているのに。食事をするだけで……」
マルミルムがなにやら考え込んでいる。そして。
「明日にはこの世界とお別れかと思うと、残念だわ。あちらの世界の十年がこちらでは五年なのだから、もっと頻繁にこちらに来ても問題ないんじゃない? 私たちがこちらで三日間を過ごしたら、ウジェ王国では六日間留守にすることになるわけね。馬車でちょっと出かけたと思えばどうってことないわ」
「私は国立治療院に復職しましたから、そんなに頻繁に来るわけにも。ウジェ王国で学ぶべき治癒魔法の知識はたくさんありますし」
「でもね、あのウメの木は生き物だもの、いつ枯れるかもわからないわよ?」
「まあ、そうですけど……」
「それにこちらで魔力を増大させて帰れば、治療院で働くのに役立つわ」
「まあ、そうなんですけど……」
レイの歯切れが悪いのは、マルミルムの口調が「自分も一緒にこちらへ来る前提」のように聞こえるからだ。さすがに「お母様はまた一緒に来るおつもりですか?」とは聞けず、料理を食べながら悩んでいる。
(今回は見慣れない召喚紋があったから、お願いしてお母様に来てもらったわけだけど)
母は実力がある激情型だ。
なにかあったとき、レイは母を抑えられるか自信がない。どうしたものかと迷っていると新しい客が入って来た。由紀子ママが「あら、いらっしゃいませ! お久しぶりでございます」と笑顔になった。
焼きうどんを頬張りながら見るともなしに視線を動かすと、浅水神社の宮司と孫で禰宜の健一だ。レイは思わず立ち上がってぺこりと頭を下げた。そうさせる迫力が宮司にはある。
宮司はレイに気づくとにこやかに会釈し、健一はぺこりと頭を下げてカウンター席へと腰を落ち着けた。
「あの人は? ただ者じゃないわね」
「わかるんですか? 親子じゃなくて祖父と孫ですが、祖父の宮司さんは強い力を持っていらっしゃるんですよ」
「違うわよ。確かに年配の男性は強いエネルギーを感じるけれど、若い人の方よ」
「うん? 健一さんは、今は見習いとか修行中、みたいなお立場で、普通の若者ですよ」
マルミルムがしげしげとレイを見る。
「そう。あなたには見えないのね。あの若者、秘めた力がすごいわ。祖父の方は力が開花して強く発散されているけれど、若者の方は、まだ力が開花していないのに、すでにあんなに強く光っている」
「え……」
箸を置いて、じっくりと健一を見る。健一は宮司とは違って黒いものを見えないし感じ取れない人だ。アキラだってあの大きく合体した黒いものがレイを追って来た時に、頼ったのは宮司の方だった。
「私には何も見えませんし感じ取れませんけど」
「そう……。あなたは治癒魔法に突出して優れている分、他の力は伸びなかったのよねえ」
レイは思わず「それはそうですけど」と唇を尖らせる。
もちろんレイにもその自覚がある。豊かな魔力と秀でた治癒能力がレイの強みだ。その分、攻撃魔法はたいしたことがない。
一方、マルミルムの能力は全方位型だ。レイが召喚紋を使って拉致されてからは、十年間も召喚魔法の研究をしていた。その結果、今ではウジェ王国一の召喚魔法の研究家であり実力者になっている。
(お母様に見える光が、私には見えない……)
思い出すのはバスツアーで出かけた神社の光のこと。古い鏡が光を放っていた。あの時アキラは「光を見える人がたまにいる」という言い方をしていた。
(私は健一さんの光が見えない側ってことかしら。だとしたらちょっと、いえ、かなり残念で悔しい)
悔しさを焼うどんにぶつけてパクパクと食べる。ウジェ王国では味わえない美味だ。
「ねえ、アレクサンドラ、あなたの人生はまだまだ先が長いわ。ウジェ王国で治療師をしながら、この世界に通って、見聞を広めてみたら?」
「お母様……」
拉致された自分を取り戻すために十年を費やした母は、レイを手放したくないし、離れたくないはずだ。こちらの世界に来ればいいと言う以上、母も同行するつもりなのだろうか。「わかりました」とは言いかねた。
母を制御できない不安だけではない。今回初めて戯の存在を知ったように、まだ見ぬ脅威にこれから出会うかもしれない。母を危険に晒すのは気が進まない。
迷いつつ焼きうどんを完食して唐揚げに箸を伸ばそうとした時、健一がレイの席まで来た。
「こんばんは、レイさん」
「あっ、こんばんは、健一さん」
「ちょっといいかな」
「どうぞどうぞ。唐揚げ食べますか? ニンニクがばっちり効いていて美味しいですよ」
「いや、唐揚げはいいです。実はお願いがありまして。今度レイさんがアキラさんとどこかへ行くとき、僕を同行させてもらえませんか? 僕の方に予定が入っていなくて都合が合えば、という勝手なお願いなんですが」
レイに不満はないが、アキラの了解を得る前に返事はできない。一瞬返事が遅れた。
するとマルミルムが「あら、よかったわね。ぜひご一緒していただいたら?」と言う。
こういうところである。
末っ子で常に心配され甘やかされて育ち、兄や両親の言うことにさほど疑問も持たずにおっとりと育ってきたレイだが、現在は二十五歳。そろそろ二十六歳だ。
別世界のこの国で一人暮らしを五年経験した。
さすがに今は(私より先に返事をするのはどうなのですかね、お母様)と思う。この年齢でいつまでも子ども扱いされるのは問題だと思う。
唐揚げを眺めながら(健一さんの前で親子喧嘩を見せるわけにもいかないか)と思ったところで、アキラが店に入ってきた。
「ああ、健一さんにレイさん、ここにいたんですね。ちょうどよかった」
「アキラ君、この席にどうぞ」
「ありがとう、おじゃまします」
そう言ってアキラがレイとマルミルムの席に座った。「熱燗とほうれん草の胡麻和えお願いします」と由紀子ママに注文した。それから空いている席を健一に勧めている。
「この前、レイさんがお国に戻ったあとで、宮司さんに健一さんのことを頼まれたんだ。僕とレイさんの仲間に入れてほしいそうです」
「よろしくお願いします」
健一が頭を下げる。
「アキラ君が了承しているのでしたら、私は歓迎します。よろしくお願いします」
「ありがとうございます」
そこへ宮司もやってきた。「うちの健一をよろしくお願いします」と深々と頭を下げられて、レイが慌てた。宮司がチラッと周囲を見て声を潜める。
「実はご相談したいことがありまして。氏子の家で不思議なことが起きていましてね。一度お祓いに行きましたが、解決しないのです。どうも、私の分野ではないような気がします」
そこから聞いた話に、レイは(あっ)と思い、マルミルムの目が不穏な光を放った。





