82 マルミルム参上
レイとマルミルムが着いたのは、浅水神社の境内。休憩所の脇だ。
秋の夜、境内に人の姿はない。
マルミルムは初めて見る別世界の夜空が明るいのに驚き、近くの街灯を見つめている。
「あれはランプではないわね。なんて眩しいのかしら。じっくり観察したいわね」
マルミルムは好奇心が強い人なので、見るもの全てが気になるらしい。
「お母様、とりあえず場所を変えましょう」
「まずは宿ね? お金なら用意してあります」
マルミルムがジャラッとポシェットから取り出したのはウジェ王国の金貨。
「それはなんというか、そのままでは厄介なことになります。お金はなんとかしますので、まずはアキラ君のところに行きましょうか」
「わかったわ。さあ、行きましょう」
「は、はい。お母様」
歩いていてもマルミルムが高揚しているのがレイに伝わってくる。
「梅の実を連続で食べても平気でしたね。無事にこちらの世界に来られて、よかったです」
「え? ちょっと待ちなさいアレクサンドラ、あなた確信もなしに梅の実を私に食べさせたの?」
「ええ。神様がくれたものなので、害はないだろうと思いました。私も一緒に食べましたし、お母様だけに食べさせたわけでは」
「あなたって子は……」
などとやり取りしながらアキラのいる四辻に向かう。アキラは姿を現して待っていた。
「やあ、レイさん。無事に来られてよかったね。マルミルムさん、お久しぶりです。道祖神のアキラです」
「お久しぶりです。アキラさん、召喚紋はどこに?」
挨拶もそこそこにマルミルムが尋ねると、アキラが首を振る。
「夜は人間ではないものが活発になります。不測の事態が起きては困りますから、召喚紋に近づくのは朝になるまで待ちましょう。召喚紋は結界で封じておきましたので、少なくとも今夜は大丈夫です」
「そう……。気が急くけれど、ではそうしましょうか。レイ、どこかよき宿を手配しておくれ」
「よき宿……そうですね」
レイが迷っていると、アキラが「美穂さんの家に泊めてもらう方がいいよ。あの家には千代ちゃんも朝霧もいる」と言う。レイも「そうさせてもらえたら、心強いですね。行ってみます」と美穂の家を目指した。
そして今は美穂の家の玄関前だ。
玄関のドアを開けた美穂が驚いている。
「レイさん。早かったわね」
「ええ、緊急事態だから大急ぎで戻ってきたんですけど、夜の間は召喚紋に近寄らないほうがいいそうで」
「あ、そうなの? まずは入って」
美穂の言葉に、まずは母マルミルムを紹介してから家に入った。
今は日本茶を飲みながら、宿泊代の話になっている。美穂は「お金なんていいから」と言うが、マルミルムがきっぱり断る。
「親子揃ってお世話になるのですから、そうはいきません。どうか受け取ってください」
テーブルの上に置かれたウジェ金貨に、美穂が(レイさん、なんとかしてよ)という視線をレイに向ける。
「お母様、この金貨はこのままでは使えないのです」
「あら。この世界は金貨が通用しないの?」
「そうじゃないのですけど、ええと」
見たこともない金貨を専門店に持ち込んだら面倒なことにならないか。ただの金製品として扱ってもらえるのか。美穂もレイも自信がない。二人が迷っていると、部屋の入り口から小さな声がした。
「朝霧ちゃんに頼めばいいのに」
「あ、千代ちゃん。こっちにおいで。レイさんとレイさんのお母さんだよ」
おかっぱ頭に白いブラウス、プリーツのスカートに白いソックスの千代が、廊下からリビングを覗いている。
「入ってもいいの?」
「ええ、いいの。いらっしゃいよ」
笑顔を向けるレイの隣で、マルミルムが千代をじっと見ている。その顔が厳しい。
「お母様、この子は千代ちゃんといって……」
「人間じゃないわね。お前は何者なの?」
「わかるんですか!」
美穂が驚き、レイが説明する。
「ええ。お母様は私よりずっと有能な魔法使いなので、こういうことには敏感で」
「これは……しゃべる魔獣?」
「いえ、千代ちゃんは魔獣じゃありません。瘴気を出していないでしょう? この家を守ってくれている、その、ヤモリの神様? です」
マルミルムが「ヤモリ?」と険しい顔のままつぶやくと、千代がスッと本来の姿に戻った。手のひらサイズのヤモリを見て、マルミルムが「なっ!」と言ったきり愕然としている。
「お母様、この国にはたくさんの神様がいて、千代ちゃんは……神様でいいんだっけ?」
「正確には、長生きしてちょっと上の位になったヤモリです。その金貨は朝霧ちゃんがこの国で使えるように形を変えてくれると思います。お金は朝霧ちゃんの得意分野ですから」
それでは、と三人で庭に出た。
「マルミルムさんにしてみたら、この世界に来ていきなりの衝撃でしたね」と苦笑する美穂の案内で、庭の隅の祠(祠)の前に立った。
「朝霧ちゃん、いる?」とレイが声をかけると、「なあに?」と朝霧が姿を現した。
朝霧はアキラとは違い、目の前で姿を現した。マルミルムは再び「なっ!」と驚いて後ずさる。そして小声で「この世界はいったい」とつぶやく顔色が少し悪い。
朝霧はマルミルムの様子を眺めつつ「ご用はなんですか?」と首を傾げる。
◇
しばらくのち。レイと美穂がテーブルの上を見ながら苦笑している。
テーブルの上には金色に輝く五百円硬貨が八枚。
「レイさん、これは使えないわね。お店の人が通報するやつだわ」
「そうですよね。朝霧ちゃんはまだ子供だから、日本の法律に疎いのかも」
「これはお宝として保存しておこうかしら」
「だめですよ。これ、明らかに法律に違反してますもん。お銀さんになんとかしてもらいましょう」
そしてまた「ふふふ」と二人で思い出し笑いをしてしまう。
朝霧が真剣な表情で「んんんっ!」と力を放ち、ウジェ金貨を五百円金貨に変えているときの様子は、とても愛らしかった。
夕飯は美穂とレイの二人で作ったのだが、マルミルムは料理をするレイの手際の良さに涙ぐむ。
「お母様? なぜ泣いているんです?」
「だって、料理をしたことがなかったお前がこんなに料理の手際がいいなんて。この世界に放り込まれた時、どれほどの苦労をしたかと思うと……」
「そうでもなかったんですよ、お母様。私は多くの人に助けられて、案外幸せに暮らしていました。日本は神様と美味だけでなく、親切な人もたくさんいる国なのです」
「そう……。あなたを助けてくれたこの国のために、私は礼を尽くさねば」
「よろしくお願いします」
美穂がしみじみした笑顔で二人のやり取りを見ている。
そのうちに美穂の父、滝田さんがほろ酔い加減で帰ってきたが、「おや、いらっしゃい。どうぞごゆっくり」と言っただけで部屋に入ってしまった。美穂が苦笑してレイに謝る。
「ごめんなさい、父は最近、毎晩のようにスナック由紀子で夕飯を食べて帰るのよ」
「由紀子ママは、毎日通っても飽きないようにしてくれるから」
「塩分控えめにしてくれたりね」
「もはやお母さんみたいな」
レイは母のこともスナック由紀子に連れて行きたいと思う。
母と娘で風呂に入り、客間に並べて敷いた布団に入った。
マルミルムがレイに小声で語りかけてくる。
「アレクサンドラ、お前がなぜこの国に何度も遊びに来たがるのかわかったわ。とてもいい国だわ」
「はい! 善き国、善き人々です」
「お前がやつれもせず、健康な姿で戻ってきたのもうなずけます。明日はこの国の皆さんのために、しっかり役に立たなくては」
「はい、お母様」
レイとマルミルムは、明日の活躍を誓って目を閉じた。





