77 くず餅とお咲ちゃん
美玉町からの帰り、アキラが列車の窓から外を眺めている。
千代はレイのバッグの中で眠っていて、レイは駅の売店で買ったミカン味のミルクキャラメルの箱を開けているところだ。
「ミカン味のキャラメルなんて初めてだわ」
白い紙をむいて口に放り込むと、濃いミルクの風味と甘酸っぱいミカンの香り。
「おいしい」
ウジェ王国で待っている母と兄たちにも食べさせたいと思う。
レイの家族はとても仲が良く、兄たちは家庭を持ってからも頻繁に実家に帰ってくる。レイは家族にお土産をたくさん持って帰りたいが、梅の実ひとつでどの程度の荷物を持ち帰れるのかわからない。
(荷物のせいで私がウジェ王国に帰れなかったら大変だものね)と用心して、帰る時間には最小限の品物だけを身につけるようにしている。
持ち帰る品を厳選しているという理由で、美味しいものは遠慮せずに食べることにしている。
「アキラ君、もし用事がなかったらでいいんだけど、帰りにどこかへ立ち寄らない? せっかく電車でお出かけしているから、美味しいものでも」
「実は僕も立ち寄りたいと思っていたんだ。美味しいくず餅のお店がある」
「くず餅、大好きです!」
東京の手前で電車を降りた。
「その店の前に、見せたいものがあるんだ」
そう言ってアキラ君はバスに乗った。バスはゆっくりと郊外の道を走る。
二人は郊外の畑の中でバスを降りた。少し歩くとくず餅の店が見えた。
店の前には大きな山桜の木が一本。
レイはその木を見てギョッとしたが、アキラは平気な顔で店に入っていく。
「すみません、くず餅を二つ。ここで食べていきます」
「ありがとうございます。少々お待ちを」
店の前に置かれた縁台に座って待っていると、六十代くらいの女性が、白い三角巾と割烹着の姿でやってきた。黒い漆塗りのお盆の上に、内側が朱塗りのお椀が二つとお茶の入った湯飲みも二つ。
「どうぞ」とお盆ごと縁台に置かれたくず餅を二人で食べ始めた。三角に切られたくず餅はもっちりした歯ごたえ。上からかけられた黒蜜と黄な粉の素朴な風味が口の中に広がる。
黒蜜以外はウジェ王国では口にすることがない。(まさに日本の味だ!)と感動しながら食べる。
「ここのくず餅は、いつ食べても最高なんだよ」
「う、うん。美味しいですけど」
レイはさっきから山桜の大木の上の方をチラチラ見ている。気になって仕方ない。
十月の山桜は葉を落とし始めていて、残っている葉も、赤や黄に色を変えている。
その山桜の枝に、質素な着物を着た十二、三歳ぐらいの少女が腰かけて、藁草履の足をぶらぶらさせながらこちらを見ている。
「あの少女はいったい?」
「お咲ちゃんは、意図せずにこの辺りの守り神になった子だよ」
「えっ、あんな可愛い子が守り神なんですか? 意図せず?」
「うん」
そう言ってアキラがお咲ちゃんに小さく手を振る。レイたちを見おろしていたお咲ちゃんが音もたてずに枝から飛び降りて、レイとアキラの前に立った。レイは思わず背後の店内を振り返った。さっきの女性は調理場に入っているらしくて姿が見えない。少女がアキラに声をかけた。
「道祖神様こんにちは」
「こんにちは。久しぶりだね。今日は美玉海岸に行った帰りなんだ。この人は友人のレイさん」
レイは(子供の姿だけど守り神。ここは礼儀正しくすべきよね)と考えて立ち上がり、頭を下げた。
「はじめまして。守り神様。夏川レイと申します」
「座ったままでいいですよ。私は普通の人間には見えないから。誰もいない場所に向かって頭を下げていたら、怪しまれます」
「あっ、そうですよね」
急いで腰を下ろした。レイのバッグから千代が顔だけ出した。
「こんにちは。はじめまして。私は千代と申します」
「ヤモリさんは千代さんていうのね。こんにちは。道祖神様とお出かけなんて、羨ましいな」
そこまで言ってからお咲がアキラの方を向く。
「そう言えば美玉町のお祭りの時期でしたね。お疲れ様でした。私はここを守っているだけだけれど、道祖神様は遠い場所まで守っていらっしゃって、すごいな」
「ひとつの場所を長年守るのも大切なことだよ」
「アレがいるから動くわけにいかないだけです。レイさんはあれも見える?」
指さされた方を見ると、雑草が茂っている道の向こうに黒くて小柄な人影が膝を抱えて座っている。
「わ。気づかなかった。なんですか、あれ」
「あれは人間の魂だったもの。すっかり別なものになっちゃったけどね。あれは私がここに埋められてから現れたの」
「話してあげて。一部始終を知っているお咲ちゃんが一番正確に説明できる」
そこからはお咲が語ってくれた。
お咲はこのくず餅を作って旅人相手に商売していた家の一人娘だった。いずれは婿取りして、一生この家で暮らすのだと思っていたが、流行り病で亡くなった。
「今と違って、子供は簡単に命を失う時代だったからね。だけど、私を失った両親は、諦めがつかなかったみたい。村のお墓じゃなく、店の前の草むらに私を埋めたの。びっくりしちゃうよね」
「びっくりはしますけど、うちの母も私に関してはそういうことをしそうなところがあります」
母はレイが拉致されても絶対に諦めずに取り戻す努力を続けてくれた。
「親の愛情は、強く激しいものね。私は成仏したかったけど、親の悲しみが深すぎて、私まで別れ難くなっちゃって。なかなか成仏できないでいたら、そのうちに事件が起きちゃったの」
乱心した侍が、旅人で賑わうこのくず餅屋さんに飛び込み、手当たり次第に客を斬り殺した。
お咲の家族は勝手口から逃げて近所に住む浪人に知らせ、暴れていた侍は駆けつけた浪人に斬り伏せられて息を引き取った。
斬り殺された人々はすぐに成仏したけれど、加害者の侍の魂はなぜかここから離れない。
「だから私は、両親と私が死んでから生まれた弟を守るために、ここに残ろうと決めたの。あいつがあそこにいる限り、私もここであいつから人々を守る。お父ちゃんとお母ちゃんと弟は寿命を全うして、もう成仏してしまったけどね」
(悪しきものを見張るために、お咲ちゃんは一人でずっと残っているのか。いったい何年間こうして見張っているのだろう)
切ない話にレイの胸が痛む。
「お咲ちゃんは寂しくはないんですか?」
「道祖神様や馬頭観音様が、こうしてたまに会いに来てくれるから平気。家族のところに行きたい気持ちはあるけど、みんなはきっと待っていてくれる。あいつが成仏するまでの辛抱よ」
「アキラ君の力で、あの黒い魂を祓えないの?」
「僕らが祓うと、アレは消滅してしまう。お咲ちゃんが、『それは可哀想』って言うんだ」
可哀想? と怪訝に思う。
ウジェ王国では複数の人間を手にかけた殺人犯は問答無用で死刑だ。そんな人間の魂の救済なんて発想もない。むしろ皆が「そんなやつの魂は地獄に落ちればいい」と言うだろう。
「アレは前よりもだいぶ小さくなったの。もう少し待ったら、成仏できそうな気がする。私、それまで待つよ」
「もう少しって、どのくらいですか?」
「んー、あと二百年ぐらい? 大丈夫。もう三百年は待ったから、二百年もすぐだよ。この山桜も、もう三代目なの。そしてほら」
そう言って大木の根元から生えている若い苗を指さした。
「今の山桜が寿命を終えてもこの若い苗が大木になる、また次の山桜が大木になる頃まで、かな」
五百年を赤の他人の魂が成仏するまで待つと言うお咲。
なんてことない口調に、レイは絶句した。
「そろそろ帰るね」とアキラが別れを告げ、二人でお咲ちゃんに手を振ってバス停に向かう。
バスはバス停の時刻表に書いてある時間より少し遅れてやってきた。乗客は老女が一人だけだ。アキラとレイは最後部の席に並んで座り、話を続けた。
「五百年も見守るなんて。気が遠くなる」
「お咲ちゃんがあそこで見張っているから、別物になってもあの魂は悪さをしないでいるんだ。というよりもう、お咲ちゃんに見守られているって感じかな。彼女もそろそろ、別のものになりかけているし」
「別のものって?」
「あれを見張るだけじゃない、本物の神様」
(普通の人間の少女も、魂になって五百年たつと神様になるの? ほんとに?)
「ほら、あそこにも神様」とアキラが窓の外を指さした。バスが走る道の脇にイチョウの巨木がそびえ立っていた。幹には注連縄が巻かれ、白い紙垂が下がっている。
バッグの中から千代が「あ、おじいさんがいる」と細い声を出した。
「どこ?」
「上の方だよ。この杉の玉に触れながら見てごらんよ」
バッグの中に手を入れ、指先で杉玉に触れながらもう一度樹を見上げた。黄色に色づき始めたたくさんの葉の上に、のんびりと横になっている白髪の老人がいた。
レイが「ほんとだ」とつぶやくと、まるでその声が聞こえたかのように老人がこちらを見た。
アキラがペコリと会釈をした。老人は手首から先だけを振って挨拶を返した。
前方に座っている老女がイチョウの木に向かって手を合わせている。
「あのおじいさんはイチョウの木の精。僕が出会ったときにはもう神様だった」
横になってくつろいでいる神様を眺めながら、レイは気になっていることを尋ねた。
「神様になっても、家族に会える?」
「お咲ちゃんのこと?」
「うん」
「会えるよ。魂になってしまえば時間は関係ない。家族は待っているだろうし、お咲ちゃんは家族に会える」
「それなら……よかった」
「レイさんは優しいね」
そう言うアキラの声こそが優しい。
「お咲ちゃんのほうがずっと優しいですよ。さて、明日は最終日。何をしようかな」
「お銀さんがレイさんに会いたがっていたよ」
「じゃ、明日はお銀さんに会いに行きます」
「私も行きたい。美穂さんも一緒だといいなあ」
バッグの中から千代が声をあげ、「一緒に行けるか、聞いてみるね」とレイが応えた。
お銀はお稲荷様の仮の姿だ。レイは艶やかな色気のあるお銀を懐かしく思い出した。
「ちょっと、眠い……」
アキラがその声を聞いてレイを見ると、レイはもう眠っていた、
「徹夜だったもんね」とアキラがつぶやいた。





