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聖女はとっくに召喚されている。日本に。【コミカライズ】  作者: 守雨
第三章 秋の日本

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75 祓い刀

 祭り見物の人波は全て、山の方へと向かっている。

 レイ、アキラ、千代の三人だけが人の流れとは逆に町から海へ向かっていた。

 

 太陽はわずかにてっぺんを残すだけになり、急に気温が下がってきた。

 気がつくと、あちらこちらから海岸に下りてくる男たちがいる。男たちの服装はまちまちで、ゴツゴツして濡れている岩の上を、足を滑らせる様子もなくヒョイヒョイと身軽に移動している。

 彼らは全員、太い枝を持っていた。それを波が来ない場所に積み重ねるように置いて波打ち際へと散らばっていく。


「彼らはみんな僕と同じ目的で、海から陸に上がろうとする悪しきものを上陸させないために集まっている」


 アキラはレイにそう説明し、千代には「もうバッグの中にお入り。そろそろ危険だ」と声をかけた。

 薄暗がりの岩場で、千代はスッとヤモリに戻った。レイが手を岩の上に置くと、素早く手の平に乗って自分からバッグの中へと飛び込んだ。

 レイはバッグの中に入れておいた肩掛け用のベルトをカチン、カチンとバッグの金具に取り付けた。ベルトに頭と右肩を通して、両手を自由にした。


「アキラ君、私が気をつけることは?」

「僕からあまり離れないこと。万が一悪しきものが近寄ってきたらあの呪文を唱えること。それだけ。ここの海岸には守り手が大勢集まるし祓い人も来るから、悪しきものがレイさんに近寄ることはまずないと思う」


(祓い人って、人間? 馬頭観音様じゃなくて?)


 詳しいことは終わってから聞けばいいと判断して、レイは濡れた岩の上に立ち、悪しきものが現れるのを待った。

 数十人の男たちが持ってきた枝はちょっとした山になっている。アキラがそこに火をつけた。

 太陽が完全に沈み、海岸は火花を上げて燃える炎に照らされ、陰影を濃くしている。

 

 レイは波打ち際に立つ男たちと焚火の間に立って、これから起きることを待った。


 道路から階段を使って海岸へと降りてくる白装束の人が一人。その人が海岸に足を踏み入れる瞬間を待って、男たちが細く長く祈りを唱え始める。レイがアキラに教わったあの呪文だ。

 アキラと他の男たちは手ぶらだが、最後に登場した人物は若い男性で、日本刀をたずさえている。

 

 その人物が優雅な動きでゆっくりと腰のさやから刀を抜いた。

 月のない暗い海岸で、刀が鈍く炎を反射して浮かび上がる。男たちの祈りの声が一段と大きくなった。

 そしてついに海面に変化が現れた。


 バッグから千代が「なにか来る! レイさん、なにか来るよ!」と高い声で叫んだ。

 言われる前に、レイもそれに気づいていた。


 真っ黒な海面が、波ではない何かでボコボコと盛り上がっていた。

 大小さまざまな黒いなにかは、海面を滑るようにこちらへと近づいてくる。アキラや男たちがそれぞれに向けて祈りを唱えると、黒いなにかはその場で止まり、やがて小さくなって海に溶けていく。どれも岩場までたどり着けない。


 次々に生まれる黒いなにかは途切れることなく海岸に近づき、祈りの言葉で消されている。

 それを見ていたレイの全身に、突然ブワッと鳥肌が立った。恐怖で髪の根元がふわっと持ち上がる。

 思わずレイもアキラに教わった呪文を唱え始める。そこからはずっと呪文を唱えながら男たちと海面の黒い物を見続けた。


 今までの黒いものはグレープフルーツやスイカくらいの大きさだったが、今しがた沖の方に現れたのは大きい。人の身長ほどのものや、もっと大きいのもいる。沖の方で頭から黒い濡れたシーツを被ったような姿がヌッと海面に立っている。

 一体、二体、三体。海岸にいた男たちが三つに分かれ、声を揃えて歌うように祈りの言葉を唱えた。

 

 大きな黒いものは祈りの声に邪魔されたように近寄るスピードを緩めるが、消えることがない。

 そこで日本刀を持った若い男性が前に出た。彼は祈りを唱えない。無言で刀を構え、藁草履と真っ白な足袋と脚絆きゃはんを濡らしながら、ザブザブと海へと入っていく。


 若者は膝まで海に入って大物を待ち受けている。

(このままでは接触してしまうんじゃ)とレイが緊張して見ていると、若者が両手で持った刀をスッと振り上げ、斜めに振り下ろした。

 その瞬間、レイのところまで無音のなにかが伝わった。


「ううっ!」

「レイさん、大丈夫?」

「大丈夫だけど……悲鳴? ううん、絶叫ね。感情を叩きつけられたような衝撃が」


 刀を持った若者は海中へと溶けて消えていく大物に向かって通る声で、「御霊みたまが安らがんことを願う」と唱えた。そして素早く場所を移動し、二体目、三体目も斬り伏せた。男性はその都度「御霊が安らがんことを願う」と声を張る。


 大物は繰り返し現れた。手ぶらの男たちは小さいものを消し、大きいものは日本刀が斬り裂く。

 二時間、三時間、四時間。延々と同じことが繰り返される。レイは(あの黒いのは海に溶け、また再生しているんじゃないか)と思い始めた。

 思わずバッグの中の千代に話しかけてしまう。


「いったいいくつ現れるんだろう」

「たくさんいる。あれは全部、元は人間。感じるよ」

「人間? ほんとに? だって、海の中から現れるし、目も鼻もないわよ?」

「私にはわかるよ。あれは人間。仲間を欲しがってる」

「人間……仲間?」


(あれが人間なんてことある? 人間みたいなアキラ君が神様で、海から現れた怪物が人間?)


 会話をしながら見守っているレイが自分の腕をさすった。夜の海岸の冷気だけではない別の何かで体が冷える。チヨは? とバッグの中を覗くと、チヨはいくつものお守りと一緒にバッグの底で丸くなってレイを見上げている。


 日没から始まった儀式が延々と続いている。

 やがて東の空が黒から紺色に変わり始めた。黒いものは一気に数を減らした。


 ついに金色の光が海を照らすと、最後に現れた黒い大物は、海岸に近寄ることなく海中へと姿を消した。

 

「お力をお貸しいただき、ありがとうございました! おかげさまで今年も、無事に御霊みたまばらいを終えることができました!」


 日本刀の若者がそう言ってあちこちに頭を下げると、男たちは無言で海岸から引き揚げ始めた。全員が淡々と歩いて引き揚げていく。「終わったな」という声も「疲れたな」の声もない。

 アキラがレイを振り返った。いつも通りの柔和な表情だ。


「レイさん、一晩中立ちっぱなしで疲れたでしょう」

「疲れましたけど、大丈夫です。アキラ君こそお疲れさまでした。あれが一体なんなのか、教えてくれますか?」

「あれのことと今夜の儀式のこと、彼に聞いてみる? 彼は終夜家しゅうやけの人。何百年も昔から、あの儀式を任されている家の人なんだ」


 レイとアキラの視線を感じたのか、離れた場所にいた若者がこちらを見て会釈をした。疲れの滲む顔でレイたちに近づいてくる。日本刀は既に鞘に収められていた。


「はじめまして。お疲れ様でした。私は終夜しゅうや清治きよはると申します。この美玉海岸ではらがたなを務めています」

「はじめまして、夏川レイです。本当にお疲れさまでした」

「よかったらうちで休みませんか? 父が食事を用意して待っているはずです」

「徹夜であれを務めた方の家にはさすがに……」

「レイさん、そう言わずにお邪魔させてもらおうよ」

「そ、そう? アキラ君がそう言うなら。では遠慮なくお邪魔します」


 終夜清治、レイ、アキラの三人で海岸を離れ、清治の家を目指した。

 三人で延々と坂道を上る。立ちっぱなしだった足腰に厳しいが、アキラと清治がずっと黒いものと対峙していたことを思えば、疲れたとは言えない。

 

 千代は出るタイミングを失って、バッグの中だ。

 終夜家は山の上らしい。海岸から家までは車がようやく通れるような草の生えた道はあるものの、周囲に家はない。完全に孤立した一軒家だった。古いが手入れが行き届いているらしい平屋だ。

 清治の父と思われる男性が玄関前に立って待っていた。


「ただいま帰りました。無事に祓うことができました。アキラさんが今年も手伝ってくれましたよ」

「お久しぶりです、ご当主。一年ぶりですね」

「息子がお世話になりました。こちらの女性は?」

「レイと申します。私は見ているだけでした」

「お疲れ様でした。終夜しゅうや作治さくじです。では清めの塩を」


 作治が全員に清めの塩を振り、家の中へと招き入れてくれた。

 まずは海に膝まで浸かっていた清治が風呂を使い、出てくるのを待って朝食になった。

 座卓には作治の手作りなのだろう、海の幸山の幸のおかずと白米、味噌汁。朝だというのに日本酒の入った白い徳利とお猪口も並べられている。


「さあ、どうぞ召し上がれ。アキラさんは今年で何回目でしたか」

「二十六回目です。レイさん、僕はいつもこうして朝ごはんをご馳走になっているんだ。作治さん、レイさんも見える人なので、御霊みたまばらいを知ってもらうために同行してもらいました」

「そうでしたか。さあさあ、たいしたものはありませんが、朝食をどうぞ。温まりますよ」

 

 空腹でクラクラしていたレイは、遠慮なく箸を伸ばした。どの料理も優しい味。そして美味しい。半分ほど料理を食べたところで我慢ができなくなった。

 

「あの黒いものはなんですか? 祓い刀とは?」


 レイは作治、清治の二人に目を向けて尋ねた。


「あれは……もしかして人間ですか?」


 レイの問いかけに終夜家の親子が驚いて目を見開き、アキラは味噌汁をすすりながら悲しんでいるような笑みを浮かべた。



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