7 パワースポット(2)
腰砕けになりそうなのを必死に踏ん張って、おぼつかない足取りで本殿から距離を取るレイに、きららが不審な顔になる。
「レイさん、お賽銭あげに行こうよ」
「ごめん、ちょっとバスに酔ったみたいだから休む。私の分までお賽銭を入れてきて」
「そう? わかった。じゃあ、休んで待ってて」
きららはそう言うと賽銭箱へと向かった。他のツアー参加者もぞろぞろと本殿へと向かっている。ガイドさんがレイに気づいてこちらに来ようとするので、身振り手振りで「いい、大丈夫」と伝えた。
イチョウの大木の下に木製のベンチがあるのでそこに腰を下ろし、ハンカチで冷や汗を拭った。
本殿を見上げると、相変わらず金色の光が鋭く強く放射されている。
「お姉さん、具合悪そうだね」
声を聞いてゆっくりと頭を回すと、天然パーマの明るい髪色に眼鏡をかけた若者がこちらを見ていた。その顔が心配というより好奇心に満ちている気がして、レイはとびきりの笑顔で返事をする。
「長距離バスに乗ったから酔ったみたい。いきなり吐いたら申し訳ないから近くに来ない方がいいですよ」
「ふぅん。このベンチ、ちょうど光が届かない場所に置いてあるから良かったね」
ギギギギ、と音がしそうな動きでもう一度若者を振り返ると、今度ははっきりとその瞳に好奇心が宿っている。
「光って、なんのことかわからないけど。ごめんね、本当に気分が悪いから」
「あの光は本殿に収めてある海獣昆虫鏡から出てるんだよ」
若者はレイの言葉を聞いてないように光の説明をする。この若者にはあの光が見えるのだろうか。
この国には国民が一億以上いるのだから、一人くらいあれが見える人がいてもおかしくはないのだろうか。それは周知の事実なのか。それとも自分から何かを聞き出そうとしてかましたハッタリなのだろうか。と、レイは忙しく考える。
「そうですか。ご親切にどうも。残念ながら私にはあなたのおっしゃる光とやらが見えませんけども」
「まあまあ、そんなに警戒しないでよ。たまにいるんだよ、あれが見える人。そういう人はみんな、あの光の強さにあてられちゃうんだよね」
「あの、ほんとに、」
「お邪魔しました。じゃあ、またね」
(また会いたくはないです)とレイは心の中で言い返す。
この世界に放り込まれて五年。
心細さと不安を乗り越えて、ここまで自分の世界を作って来た。いまさらそれは手放せない。スナックの由紀子ママも、人の話を覚えていないきららちゃんも、部長の中田さんも全部大切な知り合いだ。ここでみんなを失うわけにはいかない、と思う。
「あ、しまった。記憶をぼやかすの忘れた」
厄介そうな人の記憶はこまめにぼやかすことにしているのに、あまりに驚いたせいで肝心な人間の記憶を放置したまま立ち去らせてしまった。
でもこの国には一億以上の人間が暮らしているのだ。二度と会うことはないだろう。
やがてツアーの一行が戻って来た。
レイはずっと一緒にいたかのようにさりげなく一行に合流した。このあとは昼食だ。
「きららちゃん、ありがとう。はい、これお賽銭の分」
「うん、ありがとう。大丈夫?」
「うん! すっかり元気。お昼の前に焼き団子食べてもいいかな」
「相変わらず大食いだね。いいんじゃない?」
レイは参道の脇に出ていた売店で甘辛いタレを塗って炭火で焼き目をつけた団子を二本買ってかぶりついた。団子はふわふわと柔らかく、焦げ目のついたタレの部分はパリッとしていて美味しい。
きららにひと口食べさせたあとは二本とも完食し、ガイドさんに率いられて蕎麦店に入った。
「美味しい!この海老天、ぷりぷりだね、レイさん」
「美味しいわねえ。これきっと冷凍してない海老ね。ねえ、きららちゃん、九つ星神社ってパワースポットなの?」
「もちろんだよ。元気を貰える場所だよ」
「きららちゃん、それを感じる?」
「んー、感じるっていうか、パワースポットに行くとさ、しばらくは落ち込まなくなるんだよね。心が元気になる気がする。思い込みかもしれないけど」
「そっか」
「なんで?」
「さっき、あの本殿から光が出てるっていう男の子が話しかけてきたから」
「それ、ナンパじゃないの?レイさん美人だから」
「そういう感じじゃなかったけど」
「ま、何もされなかったんなら忘れなよ」
「そうね」
海老天蕎麦を汁まで飲んで、満腹したレイはきららの言う通りに忘れることにした。帰りのバスではぐっすりと眠った。
「今夜は由紀子ママのお店に行こう」と決めた。妙に人恋しい気分だったのだ。