6 パワースポット(1)
夏川レイは伊藤きららとお出かけしている。
伊藤きららは二十一歳。彼女とは職業訓練所で出会った。訓練所を卒業しても年に二度ほどはこうして会う仲だ。
「レイさんて、ダブルなんだよね?」
「ダブルってなんだっけ?」
「国際結婚で生まれた人のこと」
「ええと、記憶がないからわからない」
「あっ、そんなこと言ってたね」
伊藤きららはこの手の情報はすぐ忘れる。記憶が無いことはもう五、六回は伝えたはずだが。まあ、そんなところもレイは気に入っている。
きららは髪を金髪に染めているだけでなく、眉毛も金色に染めているからレイよりもよほど外国人風だが、顔立ちは日本人である。対してレイの場合は髪の色よりも肌の白さ、顔立ちが外国人風な空気を漂わせている。
レイは国籍がどうこうと言うより、生まれ育った世界そのものが違うのだが、それを説明するわけにもいかないので、全て「記憶が無いから」で済ませている。大変に便利な言い訳だ。
「レイさんは染めてなくてもその色なんでしょう? いいよねー、カラコン代も美容院代も安く済んで」
「そうね」
栗色の髪に明るい茶色の目のことを「安く済む」と言われて苦笑する。
二人は今、観光バスで移動している。二人で出かける時はたいていバスだ。
「レイさんはなんで電車が嫌いなの?バスは平気なのに」
「だって、電車は途中で逃げられないじゃない?それが怖いかな」
「逃げられない? あぁ、最近は物騒な事件が起きるもんね」
「うん」
本当は少し違う。
レイは東京のことしか知らないが、この大都会の電車に乗ると、悪い気をまともに浴びてしまうことがあるのだ。ぎっしり人が詰まっている電車には、自分が育った世界にあった瘴気とは別物の、黒い波のような霧のようなものが充満していることがある。
最初にそれに出会った時、運悪く満員電車だったので顔を背けることもできなかった。まともに黒い空気を浴びてしまってからすぐに「浄化」と口の中で唱えたものの、発生源が近くにいたらしく、繰り返し浄化魔法をかけ続けないと呼吸が苦しくなり、気分が悪くなった。
それは人間の強い怒り、恨み、絶望、憎しみ、そういうたぐいの物だ。一度などは強烈な殺意を撒き散らしている人までいた。
レイは治癒魔法は使えるが、それは物理的な怪我や病気には効果があるものの、心の病や苦しみにはほとんど作用しない。脳の仕組み、心の仕組みに魔法が影響を与えることは難しい。
魔法学校の先生は
「それは私たちにとって神の領域だから、ということでしょう。魔法で人間の心の在り方を変えることは、触れてはいけないことだと私は考えます」
とおっしゃっていた。
確かにそうだと思う。千人万人の心を操作できる魔法使いがいたとして、その人が何をしたくなるか、少し考えれば誰でもわかる。そんな魔法が与える影響は、レイが自分に関する記憶を曖昧にするのとはわけが違う。
「電車は逃げられないし、地下鉄だと逃げ場自体がないから怖くて。バスなら最悪窓から飛び降りればいいじゃない?」
「いやいやレイさん、それはそれで迷惑行為ですから」
「まあ、走行中はね」
そんな話をしているうちに、バスは茨城県にあるとある有名な神社に到着した。
ガイドさんが三角の旗を持って境内に案内してくれた。
「皆さま、お疲れ様でございました。ここが本日の目玉であります九つ星神社でございます。荒ぶる神がおわします神社として有名で、紀元前五百八十年創祀のたいそう古い神社でございます」
確かに古い。本殿に続く参道の両脇には杉林。その杉が、どれもとんでもない大木だ。鬱蒼としてほの暗い境内は空気がはっきりと澄んでいる。
土の参道は箒の目も清々しく、(こんなに広い場所を人が箒で掃いてるのね)と感動する。
やがて桧皮葺の美しいラインの屋根が見えてきた。
ガイドさんの説明が続くが、レイは「ほうぅっ」と本殿に見とれていた。なぜなら、その本殿の中から、四方八方に金色の光が放射されているからである。
「えー、この本殿には白銅製の鏡が収められておりまして……」
ガイドさんの声を聞いて(ああ、それだわ)と納得する。
鏡は力を溜め込む。三千年近い年月を経た鏡ならなおさらだろう。人を映し、人の思いを吸い取り、力としているに違いない。
金色の光はたいそう良い気配だった。
「レイさん、お賽銭をあげてこようよ」
「うん」
笑顔でうなずいて、本殿に近寄り、お財布から小銭を出そうとしてクラリ、と眩暈がした。
(しまった、この力、強すぎる?)
慌てて賽銭箱から、というより本殿から距離を取った。