53 無事に解決したそのあとに
レイにかんざしで刺されたまま、黒いものは暴れている。
レイは穏やかな表情で呪文を唱え続けた。最後の最後はこの世界の言葉で送ってやりたい、と思いながら。
黒い玉は少しずつ動きが弱くなり、やがてじわじわと小さくなっていく。
最後にギザギザした形の、黒い金平糖のようになってから、黒い塊はスッと消えていった。
「お疲れさま、レイさん」
「無事、消すことができましたな」
「私も錫杖が役立ってよかったよ」
アキラと宮司とシゲさんがレイに歩み寄り、そう言葉をかける。アキラの腹は元どおりに塞がっていた。もともと本体ではないから大丈夫だろうと思っていたが、レイはそれを見て安心する。
「無事に終わりましたね。引き揚げましょうか。でもその前に。『記憶阻害!』」
レイがまだ残っている魔力を強く放ち、かなり遠くにいる人にまで魔法をかけた。
続けて周囲にあるすべてのスマホに魔法を放つ。アキラと宮司の表情は変わらない。だがシゲさんだけは
「あれ? 私は錫杖なんか持って、ここで何をしてたんだ?」
と慌ててレイに目を向けた。
「ん? シゲさん、ちょっと待って」
歩道の足元に置きっぱなしになっているトートバッグから、音量を抑えた呼び出し音が鳴っていた。画面を見ると美穂からだ。
「美穂さん、今ちょっと取り込んでるからあとで私から……え?」
レイがスマホを耳から離し、画面をタップする。
美穂が動画のアドレスを送ってきていた。その動画の画面を開いて、レイが固まる。
そこには巨大な黒い塊を相手に立ち向かい、語気鋭く言葉を発しているレイ。少しずつ小さくなる黒い塊が、鮮明に映っていた。
レイは動画を最後まで観ることなく停止ボタンを押し、再び会話に戻った。
「美穂さん、パソコンのことに詳しいんでしょう? あれを削除できないかしら。え? 無理? 世界中に動画が拡散されてるの? 一億回以上? 一億回?」
「正確には一億四千万回だけどね」、という美穂の言葉は耳を素通りした。
レイはスマホの通話を途中で力なく切った。
この世界の情報は、風よりも速く届くことを今頃思い出した。
「そっか、動画サイトってものがあったんだっけ。アキラ君、どうしよう、今までのこと、動画で全部世界中に拡散されてて、ものすごい数の人が見ちゃったみたい」
「そうなの? スマホだけ操作してもダメなの? ごめん、レイさん。僕、さすがにパソコンのことまでは詳しくなくて」
「私も。SNSをやるほど知り合いがいないから全然なの。動画はギガを消費するからほとんど触ってなくて」
二人で互いの困惑した顔を見つめ合っていると、遠くからパトカーのサイレンが押し寄せてくるのが聞こえた。一台二台ではない。重なり合うけたたましい音の山がどんどん近づいてくる。
宮司が気の毒そうな表情を浮かべて
「私でできることがあれば、全力で力になろう。で、『ドーガガカクサン』とは、どういう意味だね?」
「……」
(さすがに宮司さんもこれは無理か)と諦めて、レイがロータリーの入り口を見る。
キキッ! と音を立てて次々とパトカーがロータリー内に止まる。
バタンバタンとドアの音をさせて飛び出してきた警察官たちが駆け寄ってきた。
記憶を阻害された人たちが「なにごと?」という表情でレイたちを見ている。
殺気だった雰囲気の警察官たちが、レイたちを取り囲む。
言葉は丁寧ながらも「事情をうかがいたい」の一点張りでレイたちを車に乗せようとする。
レイ、アキラ、宮司、シゲさんの四人は、断ることもできず、それぞれが警官に挟まれるようにしてパトカーの後部座席に分乗させられた。シゲさんだけが
「なに? なに? 錫杖は武器じゃないよ! 法具のひとつで、通販でですね」
と慌てているが問答無用でパトカーに乗せられている。
パトカーの窓から外を見ると、ロータリーには規制線が張られ、今はバラバラになって散らばっている浅水神社のお札の周囲を警官たちが歩き回っていた。
※・・・※・・・※
「大変な数の通報がありましてね。あなたたちが公共の場で危なそうな出し物をしていると」
「出し物、ですか?」
「マジックのショーのようなことをしていたんでしょう? 許可、取ってませんよね?」
「許可は、取ってません」
「あなたね、これ、犯罪ですよ? 法に触れるの。わかってますか?」
レイは眉を下げて困惑していた。
(法を犯さないよう、青色申告の勉強までしたのに。魔法を使っても法に触れるとは。うかつだったわぁ)と反省する。
「そうですよね。あそこは公共の場所ですもんね。申し訳ありませんでした。あれは私一人がやったことですので、他の三人は関係ありません。あの人たちを解放してくれませんか」
「あの三人が関係あるかないかは、警察が調べて判断することです」
「あっ、そうですよね。出過ぎたことを言いました。ごめんなさい」
レイは身体を縮こめて何度も謝った。
そこからは延々と何をどうやってあのマジックを行ったか、を質問された。
「あれはマジックではなく、その、魔法なんです。なのでタネはありません」
「は? 夏川さんね、夏川さん、そんなこと言ってるといつまでたっても聴取が終わりませんよ?」
「そうですよね……」
さて困った、とため息をつく。
午前中に始まった事情聴取は終わらず、窓から入る光は弱くなり、部屋の照明がつけられても続いていた。
その時、キィィィンという甲高い音がして、レイの頭上に光り輝く円形の召喚紋が現れた。びっしりと文字と図形が描かれている。
「あっ」
「なんですか?」
「いえ、なんでも」
(ああ、そうか、この世界の人たちにはこの召喚紋が見えないのか)
レイは頭上に浮かんだ白く輝く召喚紋を見、向かいに座る刑事を見、召喚紋に使われている文字が、懐かしいウジェ王国の文字であるのを確認した。しかもそこから漂ってくるのは間違いなく母の魔力。他の人間の魔力が感じられない。召喚は最低でも三人、多ければ十数人の魔力持ちを使う、と聞いているのに。
(お母様が? おひとりで?)
懐かしさと心強さ、ありがたさで泣きそうになる。そこでやっと思い出した。
「刑事の近藤さんもいたはずですが、近藤さんはどうなりましたか?」
「その質問には答えられません」
「そうですか。近藤さんなら少しは説明してもらえるかと思ったんですが。あ、いえ、とは言っても近藤さんは私のやったこととは無関係ですよ?」
(この召喚紋が現れたら、一時間くらいで私はこの世界から消えてしまう)
近藤のことを説明しながら、残り時間の少なさに焦るレイ。
「刑事さん、キカワ工業に事情を説明したいんですが」
「そちらにはもう刑事が行ってますよ」
「そうですか。アキラ君はどの部屋にいるんでしょうか」
「教えられません」
「そうですか。わかりました。では、申し訳ありませんが、急ぎますので。失礼いたします」
レイは、立ち上がり、声を荒げて制止しようとする刑事に丁寧に頭を下げて、ドアに向かった。
刑事はレイの腕をつかもうとして、その手前で見えない壁に阻まれ、どうやっても彼女に触ることができない。
「え? え? なんだこれ」





