44 帰還
鉢植えこそ増えているが、間違いなく自分の部屋だ。
使い慣れたベッド、食器。自分が選んだえんじ色のカーテン。
「バタフライエフェクトの話、想像の産物じゃなくて、本当だったんだ」
治癒魔法を使う時に迷ったことは迷った。
だが、あの場で自分の力を発揮せず、あるかどうかはっきりしないバタフライエフェクトの不安を優先することは自分の存在を否定することだった。
レイは久しぶりに祖国の神ラーシェに祈った。
「どうか私の行いが悪となっていませんように。この国の、いえ、この世界の人々の救いとなっていますように。あなた様に与えられたこの力を、別の世界の人々のために使ったこと、どうかお許しくださいませ」
そこまで祈ってからたくさんの鉢植えに目を向ける。
「そうね、私はできればこうしたかった。たくさんの観葉植物とたくさんの小さい人に囲まれたかった。私が望んでいたようになってる」
鉢植えの土に触ると、どれも乾いていた。
台所に立って、ホーローの赤いヤカンに蛇口から水を注ぎ、端の植木鉢から順番に水を与えた。
「私はどうしたらいい? 持っている力を隠して生きてるけど、それって、私が生きてる意味がある? ずっと小さくなって生きてるけど、これ、いつまでこうやって小さくなっていればいい? 死ぬまで?」
声に出したら悲しくなってしまう。
レイは大雑把な性格でくよくよ考えることがあまりない。だがあの大地震と数えきれないほどの怪我人を見た後は、さすがに心が波立つ。
「なんでここに来ちゃったかな。聖女として本来の場所に召喚されてたら、すくなくともこの力を人々の役に立てることはできたんでしょうね」
頼りにしていたアキラに、もうずいぶん長く会えていない。
と、その時、トートバッグの中の木の鈴がコロン、と優しい音を立てた。ハッとしてバッグに目をやり、組紐をつけられた鈴を手に取った。壁の時計を見ると夜の十時すぎ。
「もう一度行ってみようかな」
立ち上がり、靴を履いてドアを開けた。アキラに今日の話をしたかった。アキラに会えなくても話だけでもしておこうと思った。アキラに会えなかったら、スナック由紀子にいこう、由紀子ママの焼うどんを食べよう、と思った。猛烈に空腹だった。
遅い時間だが、さすがに東京は帰宅する人たちがまだまだ歩いていた。
レイは道祖神目指して早足で歩く。レイが外に出るとすぐにサワサワと黒い物が姿を見せる。視野の端にそれらを確認しても気づかないふりをして、急ぐ。
(大丈夫、小さいのばっかりだ。私にはお守りもお札も杉の玉のペンダントもある。組み紐もある)
レイは歩きながらアキラに教わった呪文を唱える。八重が歌っていたのはアキラとは少しだけ節が違っていた。八重の唱え方のほうが、より歌に近かった。八重の歌い方を真似して小声で五つの呪文を唱える。たちまち周囲の黒いものがスッと距離をとった。
この恐ろしさを他の誰とも語り合えない。皆、黒いものに気づかず足早に家路を急いでいる。
近くにたくさんの人がいるのに、自分は独りだ、と思い知らされる。
空を見上げると満月の一歩手前の月が黄色く光を放っている。
ウジェ王国の月はもっと大きく、少しずつ大きさの違う月が三つあった。星の並びも全く違う。
「帰りたい……」
心を強く持っていないと涙が出そうだった。
身を潜めるようにして、自分の力を隠して『お邪魔してます』と自分の存在を消すようにしながら暮らしているのに、なぜあのような過酷な場面に送りこまれたのか。
「この世界の神様、私に何をお望みですか。私はどうすればいいのですか。それをお教えください」
堪えきれずに涙がぽろりと右の頬を伝い落ちた。心細かった。
家族や友人たちの顔が思い浮かぶ。
できれば全力で人々の役に立ちたかった。それが自分が力を持って生まれてきた役目だと思って生きていたのに。
やがて道祖神の置いてある四つ辻にたどり着いた。
「道祖神様。関東大震災の時間に、送りこまれました。できる範囲で治癒魔法を使ったら、戻って来た時に部屋もアパートも違ってました。道祖神様もおうちを持っていました。私、あれでよかったんですか? それとも何もしないで見ているべきだったんでしょうか。自分がどう行動すべきなのか、何が正解で何が間違いなのか、何もわからないのが苦しいんです」
周囲に人がいないのを確認してからそっと道祖神の頭を撫でる。
胸の奥から嗚咽が込み上げてきたが、今泣き出したら止まらなくなりそうで、何度も深呼吸して嗚咽を抑え込んだ。
「レイさん?」
聞き覚えのある声にハッとして振り返ると、アキラが立っていた。
アキラの服装はいつもと同じ履き古したジーンズに灰色のロングTシャツ、スニーカーだ。
「アキラ君! 今までどうしてたの? なんでずっといなかったの?」
「その前に、ちょっと待ってて」
アキラは右手だけを胸の前に立て、静かに呪文を唱え始めた。
アキラが一緒なので安心してレイが周囲を見回すと、前後左右の道の先にも、民家の塀や屋根の上にも、電柱の上にも、電線の上にも、黒い物がいた。
だがアキラが呪文を唱え始めたとたんにそろりそろりと後退るようにして姿を隠した。
「よし、一緒にスナック由紀子に行こうか。おなか、ぺこぺこなんでしょう?」
2年ぶりに仕事復帰のため、バタバタしているのです。いただいた感想にお返事を書かずにいるのは気になるし(そういう融通が利かない性格だから)、かといってお返事を書く時間と心の余裕がないので感想欄はいったん閉じます。ごめんね。





