43 枯渇
広い空を見上げると、あっちにもこっちにも黒い煙が上がっている。
(ああ、私一人では消しようがない規模だ)
レイが冷静に判断している間にも余震が続き、悲鳴が上がる。
「よし、まずはこの校庭にいる人たちだけでも」
そう判断して続々と入ってくる人たちの間を歩きながら治癒魔法を連発する。地震発生から今まで、おそらく千人近い人にすれ違いざまの治癒魔法をかけている。
やがて魔力が有り余っていたはずのレイもさすがに魔力の枯渇を感じ始めた。ふらつく前にと、八重のところに戻る。
「八重ちゃん、あなたは怪我してないよね」
「はい。大丈夫です。あの、お客さんはさっきから何を?」
「うん、ちょっとね」
そう曖昧に返事をして額から流れる汗を拭おうとタオルのハンカチを取り出した。手が震えている。身体に力が入らない。(少し休もう)と八重の隣に腰を下ろした。
時間が経てばカスカスになった魔力も回復してくるだろうと目を閉じた。
あちこちでいろいろな驚きの声がしている。
「さっき、ここが切れて血が出たのに。なんでだろ。ほら、血は残ってるのに傷口がないよ」
「俺も火傷してジンジンしてたのに今はなんとも」
「実は俺もなんだよ。慌てて外に出たときに揺れがきて足首をひねったはずなのに、なんともない」
(少し加減すべきだった?)
レイは慌てて治癒魔法を飛ばしたことを反省するが、加減しながら治すのは時間と集中力が必要だから、あの場合は仕方ない、と思い直す。そしてアキラの言葉を思い出した。あの五種類の呪文をアキラに習ったとき、レイは愚痴をこぼしたのだ。
「私の治癒魔法をこの世界の人に役立てられたらいいのに、と思う。私、この世界では役立たずなんだもの。病院を見るたびに、入院している人たち全員を治してあげたいと何度も思う。世界の理を崩すから我慢してるけど」
「レイさんが治癒魔法を病院で使ったら、混乱と争いを生むね」
「混乱はわかるけど、争い?」
「病が見つかって病院を選び、医者の判断に同意して病と向かい合っている人たちだよ? それがある日突然『よくわからないけど病気が消えました、治ってます』って医者に言われたら、重い病であればあるほど医者や病院に不信感を持つよ。誤診したなって怒る人もきっといるはずだ」
魔力の使い過ぎで少しぼんやりしながらその時のことを思い出していたら、八重が話しかけてきた。
「あの、お客さん」
「ああ、レイって呼んでね」
「レイさん、これって? 今、そのタオルに引っかかって落ちましたけど」
八重の手には五色のストラップと木の鈴が握られている。それを受け取り、ずっと肩に掛けていたトートバッグにしまった。
「この前助けたおばあさんに貰ったの」
「その人、なんていう名前でしたか」
「警察で聞いたのは田代……たしか、田代ミヨさん、だったような。どうして?」
「田代ミヨ、ですか」
「知ってる人なの?」
「いいえ。それ、私が母さんに教わった色と順番で編み上げてあるから。この色と順番に全部意味があるんです。それぞれに祈りが込められているんですよ。歌で教わりました。私の母さんはこれを必ず身に着けておきなさいって」
そう言って八重は懐からペンダントのようなものを引っ張りだした。それはレイが貰ったストラップと同じ五色の糸を順番に編み込んであり、手作りのお守り袋のようなものがぶら下げてあった。
「お守り?」
「はい」
そこに救護隊とおぼしき一行が校庭に入って来た。その中の男性が大声で皆に問う。
「怪我をしている人はいますか? 我々が応急手当をします!」
しかし、誰も手を上げず立ち上がらない。皆、互いに顔を見合わせて口を閉じていた。
「いないんですか? いなければ次の避難所に移動しますよ」
それでも誰も何も返事をしないのを不思議に思ったらしく、左腕に腕章をつけている看護師と思われる女性が、近くの人たちに声をかけていた。
だが全員が首を振るので驚いた顔でさきほど大きな声を出した男性に何か言っている。
「では我々は移動します。もし急に具合が悪くなった場合は、」
男性は応急の治療所の場所を告げて仲間と共に立ち去った。
それを見送っていると、八重が細く小さな声で歌を歌いだした。あちこちに立ち上がる黒い煙、火柱、それを見上げながらレイにだけ聞こえる小さな声だった。
「八重ちゃん、私それ、知ってる」
「五つの呪文を繰り返してるだけなんです」
「お母さんに教わったの?」
「はい。母さんはばあちゃんに教わったって」
それはアキラに教わった黒いものを退ける呪文だった。
(なんて不思議なことが……)と思ったところで眩暈がした。
「私、ちょっと横になるわね」
「大丈夫ですか?」
「うん、少し寝ていれば治るから」
だがそのままレイは眠ってしまった。
「お嬢さん、お嬢さん、こんなところで寝たら危ないですよ。起きてください」
肩を揺すられて目を開けると、警察官が自分を覗き込んでいた。
「ダメですよ、こんなところで。酔ってるんですか?」
「あ、うっかり眠ってしまって」
「大丈夫ですか? 歩けます? ちょっと立ってね。まっすぐ歩けるかどうか歩いてみてください」
「はい……」
そこでやっと、周囲が見慣れた東京の景色だと気がついた。右を見ればチェーン店薬局。左を見れば牛丼屋さん。アスファルトの道路、剪定されたイチョウの木。
キョロキョロしているレイを不審げに見ている警察官の前で、レイはまっすぐに歩いた。
「うん、大丈夫そうですね。もう遅いから、おうちに帰ったほうがいいですよ」
「はい。帰ります。ご心配をおかけしました」
やっぱり魔力過剰症の幻覚だったのか、と思うが、体内の魔力はギリギリ空になるくらいだ。スマホを見ると時刻は夜の九時半。日付は五月の二十七日。
(何だったんだろう)と思いながら自分のアパートに戻る途中、道祖神に立ち寄った。
「あれ?いつの間に?」
アキラの道祖神には年季の入った小さな祠のようなものが建てられていた。アキラは相変わらずいなかったので、頭だけ撫でて帰った。
「え?」
二階建てのアパートが三階建てになっていた。外壁も白からクリーム色に変わっていて、今まで五台分しかなかったはずの駐輪場は倍の広さになっている。
だが二階の自分の部屋のドアはちゃんと持っている鍵で開いたし、部屋の中は同じだった、と思ったが、一歩入って部屋を見て固まった。
部屋の中にはたくさんの植木鉢が並んでいる。二十鉢くらいはある。いろんな種類の観葉植物が育っている。それぞれに小さい人がいて、大きな鉢植えには三人、四人、とまとわりついていた。
「なんで!」





