37 放出とクロワッサン
魔力が有り余っている。身体で感じる。
もともと魔力量が多いゆえに幼い頃から特別扱いされてきたが、この世界に来てから尋常ではなく魔力が増えているのを感じる。
「この世界の食べ物が原因だわ。それは間違いない。でも、佐々木理論も忘れちゃいけない大事なことのような気がする」
元の世界では空気や水、全ての食べ物に含まれる魔素を取り込んでいたが、この世界の食べ物は魔素を感じないのに魔力が増える。サンプルが自分しかいないからレイには本当の理由はわからない。
(おそらくは私が異世界の人間だから)
適度に放出しないと体が耐えられなくなって高熱が出たり眩暈がしたりする。
で、レイは誰かの病気をいきなり完治させたりしないよう、スナック由紀子で細く放出してきたのだが、ここ最近はそんな量では焼け石に水だ。
そこへもってきて佐々木理論を聞いてしまった。昼休憩時に突然披露された佐々木理論。
「娘が今、授乳中なんだけどね、全然わかってないのよ。母乳をお乳に溜めるのよ」
「なぜ溜めるんです?」
「あんまり出が良くないから、まとめて一回分になったら赤ちゃんに与えるっていうのよ。でもね、それ、間違いだから。母乳は溜めると体が『これで母乳足りてる』って判断して作らなくなるの。足りない時こそ出す!これよ。才能と母乳は出してないと枯れるのよ」
「佐々木さん、名セリフですね」
「あ、これは有名な女性アーティストが言ってたんだけどね」
「出し続けてないと枯れる……」
レイは(この世界ではあまり魔法を使うこともないし)と思っていたが、魔力が枯れるなら大問題だ。『魔力量が飛びぬけて多い』『治癒魔法に優れている』ことが自分の価値、とレイは思っている。
魔力が枯れたら普通の、いや、世間知らずの無知な一般女性である。
会社からの帰り道には大きな総合病院がある。
何度も誘惑に駆られた。だが、(それはだめだ)と自分を戒める。病院の前に立って全力で治癒魔法を放出したら自分はすっきりするし病に苦しむ人は喜ぶだろう。だが。
「この世界の人たちは自分たちの力で何千年も病と向かい合ってきた。たくさんの学者さん、薬屋さん、看護師さん、お医者さん。技師さん。病院で働く人たち。その努力と苦労の邪魔をするのは、うまく言えないけどやっちゃいけない気がする」
まっすぐには帰らない。アキラのところにも寄らない。アキラは最近忙しいらしく、いないことの方が多い。
「よし、薄~く広~く放出してくるかな」
仕事の帰り、まだ初夏の夜は訪れない。明るい空の下、レイはJRの駅に向かった。乗降客数で言うと新宿、池袋だが「遠い」とバッサリ切って捨て、数で言えば三位の東京駅に向かう。なるべく人が多く行き交う場所を探して進み、改札の前の柱に寄りかかって立つ。
「治癒」
改札に入る人、改札から出て来る人に薄く広く治癒魔法を向ける。
黒いモヤを出している人がたくさんいる。心が疲れてたり、憎しみや悲しみに染まっている人が多い。
その老若男女全てに治癒魔法をかける。弱く薄く魔力を広げて、全方位に飛ばす。柱にもたれかかって飛ばし続ける。じりじりしていた指先がやがて収まってくる。ずいぶん長い時間が過ぎて、ぼうっとしていた頭がすっきりしてくる。
今夜、東京駅のあの改札を使った人はなぜか身体が楽で、痛みもなくて、視力が少しだけ回復していることだろう。「今夜はなんか調子がいいな」なんて思っているはずだ。
「よし、帰ろう」
すっきりして帰途に就く。
歩き出すとまたおなかが空いているのに気付く。食べても食べても魔力に変換されるせいか、太ることもない。むしろ食べ続けてないと痩せる。自分の胃腸が働きすぎて壊れないか心配になるほど食べている。
「そもそも私がこの世界にいるのが間違っているから、これは仕方ないのかな」
そう考えて電車に乗って地元に帰るが、道の脇の児童公園や空き家、街路樹などに黒いアレがいる。杉玉、お守り、お札の三つをバッグに入れているので心強い。アレたちも以前より距離を取っている。全ては順調だ。
「万全の備えだけど、それはそれでどうなの、と、思わないでもないわ」
幼い頃から「その魔力は多くの人のために役立てなさい」と言われ、五歳から鍛えられ、学び、治療院に就職し、数年が過ぎて小さな役職も手に入れて、「さあこれから」と言う時にこの世界に飛ばされた。
時々自分の人生をむなしく感じるが、(落ち込んでも何も生まない)と考えてその考えが生まれたら心に蓋をするようにしている。
その時、道の向こう側から一人の男性が歩いて来るのが見えた。ちょうど街灯のところですれ違い、レイは思わずその人を見た。知っている人だった。
アパートの近くのパン店の先代だ。
「こんばんは」
「ああ、どうも、こんばんは」
「いつも美味しいパンをありがとうございます」
「こちらこそ毎度ご贔屓にあずかりまして、ありがとうございます。船の時間がありますので、これで失礼いたします」
「船ですか。いってらっしゃい」
(船ってナイトクルーズってやつかな。配送の斎藤君は結婚記念日にクルーズ船に乗るんだって言ってたな)
先代は愛想良く頭を下げ、如才ない挨拶をして立ち去った。
翌朝、昨夜のことを思い出して早朝から営業しているそのパン店にクロワッサンを買いに行った。いつもはクリームパンとチョココロネを買うのだが、熱々のカフェオレとクロワッサンがフランスという国の定番と読んだので実践してみようと思ったのだ。
が、パン店は黒い枠の「忌中」の貼り紙をして休業していた。
「忌中ってなんだろう」
スマホで検索していると、道路を掃き掃除していた女性が話しかけてきた。
「ああ、今日はお休みよ。先代が亡くなったから」
「先代って、白髪の背の高い」
「そうそう、そのお爺ちゃん。急だったらしいわよ」
(あの後亡くなった? 事故にでも遭った?)
「頑丈な人ほど健康診断を受けないからね。四日前に倒れて翌日に亡くなったらしいわよ。ぴんぴんコロリだから恵まれた最後とも言えるけどね。私もあやかりたいわよ」
「そうでしたか。では私は出直します」
帰り道、レイの全身に鳥肌が立つ。
そういえば船に乗るという割には、セカンドバッグのひとつも持っていなかった、と納得する。
「あの人の良さそうなおじいさんが黒いものになりませんように。船が無事に神様? 仏様? がいる場所にたどり着きますように」
レイはそう願いながら家に帰った。
翌日再開したパン店で買ったクロワッサンはサクサクもっちりでとても美味しかった。
「先代、クロワッサンが美味しいです。安心してください」
触ってもいないトートバッグの中の木の鈴がコロンと鳴った。





