2 魔法を使うとおなかが空きます
最寄りの警察署で発見時の状況を繰り返し質問をされて何度も同じことを答える。答えにブレがあると容疑者として疑われる、と刑事ドラマでやっていたが、本当だろうか。
無駄なリスクは避けたいので毎回きっちり同じように答えた。刑事さんは繰り返し質問した結果、納得してくれたらしく、解放された。
「はい、事情はよくわかりました。市民救助のご協力に感謝いたします。お帰りいただいて結構ですよ」
四十代後半の刑事はそう言って手のひらでドアを示した。
レイは笑顔を向けて頭を下げ、さっさと部屋を出た。そのまま警察署の正面玄関に向かう。歩きながら中田に電話をする。
「悪かったねえ、レイちゃん。私がお使いを頼んだばっかりに」
「中田さんのせいじゃありませんよ。後藤さんを助けられて良かったです」
「今日はもう戻らなくていいよ。直帰しなさい。ゆっくり休んで」
通話を終え、中田さんはいい上司だ、とニンマリする。
帰宅したレイは途中で買った持ち帰りのお弁当を三人前完食し、今はゆっくりコーヒーを飲んでいる。魔力を放出すると猛烈に空腹になる。
召喚魔法で母国から引き離された時は(ああ、自分が選ばれてしまったのか。魔獣と戦うのか。それとも瘴気を消し去るまで延々と働かされるのか)と絶望したものだったが、着いた場所は魔獣はおろか瘴気もない、日本という恐ろしく文明レベルの高い安全な国だった。
それに気づいた時、レイは「はっはーん。召喚に失敗したね? ざまあみろ」と黒く笑ったものだ。
夏川レイことアレクサンドラ・オリエールは魔法が当たり前に存在する国、ウジェ王国の国民だった。
ウジェ王国は六十年に一度の割合で強い魔力を持つ若い女性が連れ去られる。
六十年に一度のことなのになぜそれがわかるかというと、召喚される前にその女性の頭上十メートルほどのところに白く輝く召喚魔法の魔法陣がババンと現れるからだ。
その魔法陣が現れたが最後、地下室に隠れようが魔法使いが結界魔法を張ろうが効果なし。多くの人の悲鳴と絶望の視線の中、魔法陣出現から一時間ほどかけて狙われた女性の姿が少しずつ消える。
出現する魔法陣はウジェ王国で使われる魔法陣にそっくりだった。同じような魔法体系を使うどこかの世界の何者かが構築したであろうことは推測がつく。
過去に選ばれてしまった女性は全員が高魔力持ちだった。連れ去る側にとっては必要な人材なのだろうが、連れ去られる側にしてみれば大変な迷惑である。
恋人や婚約者がいる場合もあるし、国の要職に就いている場合だってある。レイも国立治療院の重要な働き手だった。
それを有無を言わさず説明もなく、ましてや対価を支払うこともなく拉致である。自分の国の問題は自分たちで片付けるべきだ。レイの国ウジェ王国では努力して国難と向かい合い、自力で解決してきた。外の世界から高魔力持ちを拉致して解決するのは、ただの泥棒だ。
レイは自分の頭上に魔法陣が現れた時の絶望を忘れられない。
「お父様、お母様、どうかお元気で。さようなら!」
悲壮な覚悟でそう叫ぶ自分。泣きながら見ていた母。怒りと悲しみで震えていた父。両親は駆け寄りたくても魔力の壁に弾かれて近寄れずにいた。
王城内で魔法陣に囚われた自分は、両親の目の前で少しずつ消えたのだ。両親にとって、残酷な最後だった。
(両親はあれからどうしているだろうか。近所の人や国が両親を助けてくれるといいのだが)
冷凍庫からマーゲンダッツを取り出してスプーンで口に運ぶ。濃厚なミルクの旨味と抹茶のほろ苦さ、舌の上で溶けていく滑らかさにうっとりと目をつぶる。最近のお気に入りはこの抹茶味だ。初めて食べた時は感動して祈りを捧げそうになった。
ほぼ全ての家に置いてあるという冷凍冷蔵庫の素晴らしさにも毎回感動する。ここ日本は戦争もなければ身分制度もない。貧富の差はあるが、それはどこの世界でもあることだ。
「よかった。放り込まれたのがこの国で」
ニュースやネットを見る限り、とんでもない独裁国家はこの世界にも存在する。レイはそれを知った時、自分の幸運に震えた。
「さて。少し稼いでこようかな」
キカワ金属の給料でも暮らしていけるが、魔力を適度に放出しないと体調が悪くなる。レイは有り余る魔力が衰える四十代後半になるまでは、自分で魔力を放出し、かつ人のためになることをしようと考えて占い師になった。
黒いロングのワンピースに着替え、黒い艶無しのローヒールの靴を履いて家を出る。一見するとこれから通夜にでも行くように見える服装だ。行く先は錦糸町の路地。スナックのママさんの厚意で店内の隅っこで占いをさせてもらっている。
ちゃんと食事とお酒も頼むし、レイの占いを楽しみにして店に来る客もいるからウィンウィンの関係だ。
店の一番目立たない場所、それが夏川レイの仕事場になる。
「こんばんはー」
「レイちゃんいらっしゃい」
「由紀子ママ、今晩もよろしくおねがいします」
「もうお客様が待ってるわよ」
由紀子ママに耳打ちされ、レイは帽子の黒いネットがずれていないのをコンパクトの鏡で確認してから指定席に向かう。
「こんばんは。レイです」
「お待ちしてましたよ。この日を楽しみにしていたんです」
待っていたのは上等な生地のスーツを着た中年の男性だった。