11 お守り
レイは自分のアパートの部屋で紙と鉛筆を手に考え込んでいる。
この世界に来て、「この国には瘴気がない」と思い、「人間が出す瘴気みたいな黒いモヤはある」と思っていた。
以前の世界では人間が出すモヤは見えず、瘴気は見えた。まるで逆である。
ずっとそう思っていた。だが昨日の宮司さんの行動で疑問が生まれた。
「これ、見えるものと見えないものが逆になっただけで、存在の有無とは別の話なんじゃないの?」
だとしたら大変なことだ。
人の悪意や絶望が見えるのはまだいい。問題はこの世界の瘴気や魔獣みたいなものが見えてないだけだとしたら?
昨日の宮司さんには何か見えていたのでは?
よく考えてみれば、結構な深さのあるトートバッグからハンカチは飛ばされるものだろうか。
「あの黒いコートの男の人、本当に人間だった?あの男の人がハンカチをわざと落とさせて、何か仕込んで、私に何かしようとしてたのでは?」
一人きりの部屋は時計の秒針のカチカチいう音しかしない。
悩んでも答えは出ないし、相談する人もいない。
相談する人がいないというのは実に心細い。仲良しの由紀子ママにもきららちゃんにも中田部長にも相談できない。
落ち込みかけて顔を上げる。
「ここでグダグダ悩んでも何も解決しないわよね。もう出勤の時間だわ」
いつもの赤いトートバッグにお財布とスマホとタオルのハンカチを入れて、上から押さえつけるようにグイグイとスカーフを被せてから家を出た。
歩き出して、あの道祖神の前に来た。辺りに人がいないのを確認してから道祖神に話しかけた。
「道祖神様。私、見えていたものが見えなくなってるかもしれないんです。昨日、変なことがありました。もしかしたら私、ここの世界の人間じゃないこと、この世界の魔獣みたいな物に見破られてるのかもしれないです。私、実は魔法使いなんですよ。あちらの世界でも稀だったけど、こちらではもっともっと稀だから。どうしたらいいんですかね。ってただの愚痴ですね」
そっと手を伸ばして道祖神の頭を撫でた。
「道祖神様、ご迷惑でしょうけど、またここに来させてくださいね。私、相談する人が誰もいないんです」
そこまで話して立ち上がり、会社に向かった。
夏川レイはキカワ金属で電話の対応、在庫管理、発送係を担当している。仕事が丁寧で間違いがなくて電話の受け答えも模範的。社長の木川も部長の中田もレイを信用して大切にしている。
「どうしたレイちゃん、元気ないな」
「中田さん、中田さんは魔除けってなにか持ってますか」
「魔除け? 魔除けっていうか、お守りなら持ってるよ。車には交通安全のお札がしまってあるし、女房は家内安泰のお守りを鞄に入れてるし、健康祈願のお札が茶の間に置いてあるよ、三つはあるな」
「うちの息子が学業成就のお守り持ってるわね」
中田もパートの佐々木さんも持っているらしい。
「お守り、ですか。今度神社に行ったときに見てみます」
「イワシの頭も信心からって言ってね、信じることが大切なんだよ」
「そうなんですね」
仕事を終えてこの前の神社に向かった。
お守りを売っている窓口はもう閉まっていた。
「そりゃそうね、もう六時すぎだものね」
帰ろうとして後ろから声を掛けられた。
「お守りですか?ご希望なら窓口を開けますよ」
「あっ、いえ、もう遅いので、お休みの日に出直します」
「いえいえ、さあどうぞ。私はここで禰宜を務めています。宮司は私の祖父です」
白い和服に紺色の袴を着た若い男性がそう言いながら社務所に入り、中からお守り売り場のカーテンを開けてくれた。
「どうぞ、好きなものを選んでください」
「ありがとうございます。よくわからないんですが、悪霊を避ける、みたいのは」
「それでしたらこれかな」
男性が「安全」と刺繍してあるお守りを取り上げて見せてくれた。
「じゃあ、それをひとつお願いします」
「ありがとうございます」
えんじ色の布に金色の糸で安全と刺繍されたお守りを白い紙袋にいれて手渡してくれた。レイは何度もお礼を言って境内を後にした。(人間なのにネギって?)と思いながら。
帰りにも道祖神に立ち寄り、話しかけた。
「お守りがいいって聞いたから買ってきちゃいました。効き目があるといいんですけどね。なにかあったらまたお話させてくださいね」
レイが家に向かって立ち去り、夕食時の住宅街を歩く人は少ない。
道祖神からすうっと人が立ち上がり、レイを見送った。
「別の世界の魔法使いだったとはねえ。いい匂いがする人間だなあとは思ってたけど。この辺りの神社っていうとあそこかな。安全のお守りねえ。効果がないとは言わないけど、相手にもよるよねえ」
道祖神から抜け出したアキラは近くの神社に向かって歩き出した。
せっかく自分に話しかけてくれる人間が現れたのだ。大切にしたい。
あの神社の杉は昔からの話し相手だから、相談してみようと思ったのだ。





