襲来。もう一人の母
朝、おれがいつものようにログインをしようとしていた時だった。俺の部屋のドアがノックされたのだ。
「なに、母さん。今からゲームするんだけど」
「あらあら、母さんだなんて……わたくしを母と認めてくれたのね」
げ。この声は。
「……どうぞ、宝野院さん」
そう言って開かれた扉の先にいたのは宝野院璃子……母の先輩で、上品が服を着て歩いているような人で鼻につく。どちらかというと苦手な人なのだが、拒否する訳にも行くまい。彼女がおれのもう一人の母親らしいのだから。
「残念。余所余所しくなってしまって。それにしても可愛くなったわ。さすがわたくしと花代の娘ね」
花代というのは俺の母さんの名前だ。やっぱり、宝野院さんが俺の母親か。
「息子の顔を見に来た、ってところですか」
「娘、ね。ええ、とても可愛らしい……それに、ついにわたしと花代の関係もバレてしまったようですし、これからは今まで以上に頻繁に花代に会いに来ますので、ご挨拶をと」
「分かりました分かりました。話はそれだけですか? おれ、ゲームやるんでこの辺で」
話を切り上げてヘッドセットを被ろうとするが、そうは行かなかった。
「あら、本当に余所余所しい。残念だわ、これでもたまにおもちゃを買ってあげた仲だと思っていましたのに」
それを言われると弱い。金持ちの道楽なのかと思って、彼女からは何本もゲームソフトを買ってもらった縁がある。
「分かりました。分かりましたよ。何か話したいことがあるんですか?」
「そうね。いくつかプレゼントがあるのだけれど、受け取ってもらおうと思いまして」
拒否権無い奴か、これ。金持ちってのはマイペースっていうか自分のペースで物事が進むと思っている節がある。それともこの人が特別そうなだけなのだろうか。
「まず名前。門人だなんて可愛らしくないと思って。彩音。大安彩音がこれからは貴女の名前ね」
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。性別を奪われたと思ったら、名前まで奪っていくつもりですか」
「安心なさい。戸籍から何まで、問題なく変更済みですの。自分の名前を書く練習を忘れずになさいね」
なんて勝手な人なんだ。というか戸籍書き換えとかそんな簡単に出来るものなのか? 金持ちの権力だろうか。
「それでこれがもう一つ」
そういうと、彼女は財布から一枚の黒いカードを渡してきた。
「大安彩音名義のクレジットカードよ。好きに使っていいわ。支払いはわたくしの家が持ちますからご安心を」
え? 未成年だぞおれ。カードなんて持っていいのか? それともこれも権力ってやつか。
「母親らしい事なんてしてきませんでしたもの。このくらいするのは当然ですわ」
「宝野院さん……」
「母と呼んでくれてもよくってよ」
いや、それは……。俺が口ごもっていると、彼女が話し始めた。
「いきなりは難しいかもしれませんわね。十五年、だったかしら。そのくらい他人として生きていたのだから」
「そうですね」
「それでもわたくしなりに貴女と花代の事を大切に思ってきたつもり。家の都合もあって花代とは結婚して家に迎える事はできなかったけれど、お金に不自由をさせた事はないの」
それは、確かにそうだ。だから母さんは働かずに一人でもおれを育てられた。
「花代が寂しがらないように、お父様とお母様が許す範囲でこの家にも遊びに来ましたわ。貴女はゲームばかりで、わたくしが来ても自分の部屋で遊んでばかりでしたけれども」
「まあ、他人だと思ってましたからね」
「それを責めるつもりもありませんけど。むしろ、母親が二人いる事実に気付かれるよりはよかった。他の家庭との違いをはっきり意識してしまうと、貴女も辛かったでしょう」
現時点でも割とパニックだけどな? なんか雰囲気に流されそうな自分がいる。あと持たせてくれたクレジットカードに流されそうな自分も。
「……実際問題、これからおれってどうなるんです?」
「とりあえず一人称を変える事から始めたらどうかしら。こんなに人間離れして可愛いのにおれだなんて」
「いや、そういうのじゃなくて。生活が全然変わっちゃうよなあと」
もう一人の母はこう言うのだ。
「彩音さん、人生において環境が大きく変わるなんていうのはよくある、とまでは言いませんがたまにある事。変化を楽しみなさい。女の子になった自分を楽しむの」
「女になった自分を、楽しむ……」
「それに女の子になったからって女の子に恋をしてはいけないなんてことはありません。それはわたくしと花代が証明しています。貴女の人生の障害は、母であるわたくし達が取り除いて差し上げましょう。好きに生きなさい」
もう一つ聞きたいんですけど、と前置きして質問した。
「女の生活を満喫していて、いきなり男に戻るとか無いですよね?」
「無いでしょう。男だったのは一時的なもの。女として生きている今が正しい形なのですから。
それでもその髪は特別って感じで素晴らしいですわ。その辺の人類には出せない輝かしい色合い」
そう言って彼女はおれの水色がかった銀髪のストレートヘアーをさらりと撫でた。
「圧倒的な美貌がある。金銭面のバックアップも致しましょう。さあ、貴女は一人の少女として、なんでもできる。貴女は何がしたいのかしら?」
おれがしたい事……。
そんなのは決まっていた。
男だった時からそうだったが、おれにはこれしかない。
「ゲームが、したい」
そう聞くと、宝野院さんは笑った。貴女は本当にゲームが大好きですわね、と。
「いいでしょう。そのヘッドセットを見れば何をプレイしているのかは大体予想がつきます。わたくしの家はそのゲームにも投資しているのですわ」
「えっ、すごい」
「やっと素直な賞賛を……構いませんけれども。貴女のプレイしているソフトがもっと楽しくなるように制作陣に声をかける事に致しましょう」
何をする気なんだろう。変な茶々を入れられるのは困るのだが。
ちょっと不穏な雰囲気を残して、彼女はおれの部屋から去っていった。
一人残されたおれは、部屋に置いてある全身鏡を見て思うのだ。
「こんな美少女が、おれって言ってたらやっぱ変かな……わたし、わたしは。わたしが」
一人称をわたしにする練習をしてみる。
どうせ社会人になったらおれなんて使えないんだ。ちょっと早めにわたしって言い出しても、構わないんじゃないか。環境が変わっただけなのだ。
可愛くなったおれを認める。おれは女の子になった。おれは可愛い。でもだからって無理に男と恋に落ちる必要なんて無くて。
女の子になったおれは女の子と恋をしてもいい。そう考えると、すっと心が軽くなる。それは男の心と女の身体の良いとこ取りなんじゃないだろうか。
「よし! ゲームをしよう!」
ヘッドセットを装着してバトル・デュエル・オンラインを起動。少し時間が経ってしまったが、セアズさんはまだいるだろうか?
『ごめん遅れました。まだ暇?』
『ダイアの為ならいくらでも待つさ。さあ、一緒に遊ぼうか』
セアズさんと合流して、今日の予定を決める。と言っても、最近はもっぱら石材が集められてある程度敵が強いという条件で巨猿狩りになっていた。
石材の納品も毎日行っている。おかげで経験値が溜まっていて、レベル3も遠くないだろう。
イベントの達成率は70%ちょっと。あと四日でイベントが終わる事を考えれば、この調子でいけば町の拡張工事は成功すると思われる。
皆がそう思ってて、ちょっとたるんだ雰囲気になっているのがちょっと怖いなと思いつつ、セアズさんと移動しながらお喋りを始めた。
「おれさあ、自分の事わたしって言った方がいいかな?」
「ボクはどっちの君も素敵だと思うけど……わたしの方が一般的なのは確かだね」
「そうですよねえ」
セアズさんはおれに問う。
「なにか思うところがあったのかな?」
「いやあ、なんか。おれって言い続けないと男のおれが消えちゃうような気がして、おれって言い続けてる部分もあるんだけど、実際女なんだしさ。男のおれが消えたのを認めないといけない時かなって」
「とはいえ、そんな事言い出したら、ボクだって一人称ボクなんだけど」
確かに。セアズさんはボクっ娘だ。メカクレボクっ娘だ。
「だから、って訳じゃないけどさ。別に一人称でその人の魅力が減ったりはしないと思うよ。君はそのままでもとても可愛らしい」
「そうなんだよなあ、おれ、可愛いんだよなあ」
「お、新しい反応だ」
「この可愛らしさを何かゲームに活かせないかなって思うんだよね」
そういうと、セアズさんは自分の頭の上の配信中のマークを指差した。
「少なくとも、ベータテストが終わったらダイアに会いたいって人は少なくないよ。うちのリスナーがよく言ってる。……貢がせる?」
「いや、そういう事はしないです」
「だよね――あ、新イベント発表だってよ」
え、もう? まだ今のイベントも終わってないのに。というかこのイベント自体が、イベントを開催した時どうなるかのデータ取りで、次のイベントは公式サービス開始まで取っておくって見方が一般的だったはずだけど。
ブラウザを開いてみると、そこには少ない時間で無理矢理ねじ込まれたかのような、一行だけのイベント開催予定が書かれていた。
『イベント、アイドル・デュエル・オンライン開催決定! 詳細は後日』
なんというか、誰かの力を感じる。まるで投資者が無理を言って、イベントを開催せねばならなくなったような……
そして、そういう事をしそうな人とさっきまで話していた。
これはおれのせいって事になるんだろうか? っていうか動き早すぎでしょ。
「アイドルがデュエルってあんまり相性の良い組み合わせとは思えないな。なにするんだろうね」
本当に何やらされるんだか。
少なくとも、この可愛らしいボディを存分に活かされそうという事は容易に想像がつく。
実際やばいくらいの金持ちだからな、あの人。
個人情報引っ張ってきて俺が現実の姿と同じアバター使ってるのを確認した上でイベントの案を出してきたとしてもなんらおかしくはない。
しかし、不安がってばかりでも仕方ないよな。あの人がおれを楽しませようとしてくれるつもりが本当にあるのなら、それに乗っかってやろうじゃないか。
センスがいい事だけは望むからな本当。最悪、制作の方々もなんとかストップかけてほしいところだぞ。
おれは禍々しい森で、セアズさんと狩りをしながら祈ったのであった。




