表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Pinky Ring  作者: 紫花
7/16

地獄編 月下菖蒲

真っ暗闇を、元気に走る少女がいた。

白金の髪、紫の目。少女は走って行って、闇より暗い場所に向かった。


「イリスさまー!」


幼い声は、ある一人の人を呼ぶ。

そしいて、それに応じる者が、暗がりから姿を現す。


「何でしょう…、メシア?」


「んーん!なんでもない!」


「あら…、そうですか」


柔らかく笑う、イリスと呼ばれた女はメシアと呼ぶ少女の前にしゃがむ。


「本当は…、何ですか?」


メシアはその言葉を待っていたかのように本当の事を打ち明ける。


「えと…えとね…まおーさまのことききたいの!」


「まあ…、誰に聞いたんですか?」


メシアはそれに驚いたような顔をして答える。


「イリスさまにきいたんだよ?」


「あら…、忘れていました。では、お茶でも飲みながらお話しましょうか」


「うん!」


小さな子供を連れて、イリスは暗がりの中へ入って行った。




*  *  *




昔、地獄に月の光があった頃。

その月を持っていた男が、魔王になった頃。

まだ、彼が愛を知らなかった頃。

地獄に、新たな住人が増えた。

角度によっては紫に変わる黒く長い髪を持ち、濃い紫の瞳を宿す少女だった。

彼女の名は、イリス。

彼女は初めての地獄に、恐れを抱いた。

いつも、月の光の一番近くに行こうとしていた。

ある日、魔王は暗がりから外に出て、月を眺めていた。

魔王の名は、ツキ。

月を生み出した彼は、時折こうやって月を眺めていた。

その時、月に一点の影が差した。

自分の月を汚された、そう思ったツキは、ツキに向かって走った。

そして彼は、彼女に会った。


「…誰だ、御前は」


跳んでいた少女は地に降り立ち、小さな、怯える声で答えた。


「…イリス。」


美しい少女の名を繰り返し、ツキは聞く。


「イリス、良い名だ。名字は?」


地獄の者は皆、名字に名前という名乗り方をしていた。

ツキの場合なら名字は南風(はえ)、名がツキだった。

だが少女は名字を言わなかった。

その理由はすぐに来た。


「…無い。知らない。何、ミョウジって?」


「付けられていないのか?生前は?」


少女はそれを聞き、俯く。


「…名前だけしか、いつも、呼ばれなかった。…小さい子は名前も無かった」


成程、とツキは推測する。

この少女は奴隷か何かだったのだろう。

でなければこんなにも、個性に乏しい筈がない。

それに、ツキを見る彼女の目には、恐怖の色がありありと見て取れた。

そんな彼女に、彼は提案する。


「そうか。ではイリス、我が直々に名字を与えてやろうか?」


「…?」


黒い髪を揺らし、イリスは首を傾げる。

幼子のような無邪気な仕草に苦笑し、もう一度言った。


「イリスよ。魔王である我、南風・ツキがそなたに名字を与えよう」


そうして、二人は出逢ったのだった。




*  *  *




少女の名字は「踊飛(ようひ)」―踊るように跳んでいた彼女を見て、そう決まった。

殆ど人に懐く事の無かった少女は、最初に会ったツキの傍を離れなかった。

彼の傍にいて色々な事を学ぶうち、閉ざしていた彼女の心は次第に開かれていった。

それと同時、二人は惹かれていった。

ある日。その日はイリスが初めて地獄に来た日だった。

二人が初めて会った時から数年が経っていたが、地獄の者に年月はあまり重要ではなかった。

月が照らす中、イリスはステップを踏む。ツキはそれを数歩離れた所で見ていた。


「…楽しいか?」


短い問いに、イリスは頷いて答える。

淡い光に、漆黒の髪が輝く。


「…なあ、イリス」


「何?」


ツキの呼びかけに、イリスは振り向いて答えた。


「我の、妻にならぬか」


「…え?」


イリスは耳を疑った。


「…妻?」


「ああ。夫婦にならぬかと、問うている」


今まで、ツキは誰にも心を動かさなかった。

ツキを好いて近付く女は沢山いた。落ち着いた物腰、整った顔。嫌う者はまずいなかった。

だからこそ彼は、イリスに惹かれた。

無邪気に、ただ自分を信頼して近くにいる少女。決してその心の裏にどす黒い感情は無い。

純粋に自分に近付く少女に、彼は心を動かされたのだ。

だが。


「…何、言ってるの」


「イリス?」


「何で、あたしなの」


その言葉が触れてはいけない所に触れたのだろうか。

イリスは叫んだ。


「何で、どうしてあたしなのよ!?」


「待て、イリス。説明してくれ。何故そんなに嫌がる?」


「だってあたしは…あたしは!異端だから!!」


「異端?」


叫んだ事で上がった息を鎮めながら言う。


「そう、異端。…誰かが言った。あたしは変な奴だ、って。自分がどこから来たか分からなくて、名前しか知らなくて。

きっとツキをタブラカシに来たんだって。もしかしたらツキを殺しに来た異端児だって、誰かが…」


イリスがこれ程までに長く喋った事は無かった。

そして、彼女が妻となる事を拒む理由を、ツキは知った。

だが魔王は尚も尋ねる。


「…だから、妻となる事を嫌がるのか?」


頷いて、一言。


「…それに魔王の妻は、あの人が良い」


「あの人?誰だ?」


「…羽霧・クリ。」


聞くと、ツキは駆けた。

イリスはいつも通り、彼の後をついて行った。

理由など、考えずに。




*  *  *




羽霧・クリ。

灰の目を持ち、悪魔にはまずいない銀の髪を持つ女。

彼女は悪魔になってから、一度たりともツキを想わない日は無い程、彼の事を好いていた。

当然、彼女はイリスを妬ましく思っていた。

なので、ツキとイリスが揃って自分の元に来た時も、それを隠そうとしなかった。


「…何かしら、ツキ様に、踊飛さん」


「イリスに、何を言った?」


「何も…?あたくしは何かを踊飛さんに言った覚えはありませんわ」


クリは笑って肩程の髪を払った。銀髪が月光で艶を増す。


「しらを切るなら、無理矢理吐かせるぞ?」


「…ツキ様、おかしいですわ。彼女が嘘をついているとは思いませんの?このあたくしを陥れようとして」


クリは腕を組み、ツキの後ろのイリスを見た。

ツキには決して向けない、冷たい眼差しで。


「イリスが嘘をつくとは考えられん」


「ツキ様…あの女に何をされましたの?」


突然、クリは悲しそうな顔をして、ツキの顔に手を伸ばした。

だがツキは虫を払うかのように手を落とす。


「御前のその考えこそ可笑しい。…所詮女。醜いな」


「……」


黙ってイリスはそれを見た。

クリは払われた手に手を重ねながら、目を潤ませる。


「やっぱり、あの女に何かされましたのね…」


クリはツキとイリスの間に立った。


「ツキ様…あたくしが、あなたを解放してみせます。この女から」


「…あたし、何も」


イリスが喋ると同時、クリは左手の刺青をなぞった。

ダークグレーに鈍く光ると、彼女の背に翼が現れた。

一回羽ばたき、宙に浮くと羽根を二枚抜く。

そしてイリスの元へ高速で降り立つ。

すれ違いざまに腕を振る。

その手の羽根は、ナイフのように鋭かった。

彼女の名字の力だった。

しかし、イリスはそれを半歩後ろに退くだけでかわした。


「ちっ」


舌打ちを一つ残し、クリは旋回する。

そしてまたイリスを狙いにかかる。


「イリス、下がっていろ」


ツキがイリスの前に出た。

それを見たクリは眉間にしわを寄せ、羽根で彼等の側の地面を砕いた。

同時、羽ばたく。

その翼のどこからか、濃い霧が発生した。

真っ黒い霧は、視界を狭くする。

その後、しばらく攻撃は来なくなった。


「…?」


イリスは首を傾ける。


「羽霧…成程な。『羽で切る』と、『羽から霧』を発する名か…」


月は、では名前はどんな力かと考えを巡らす。

その時、ツキの目の端で何かが動いた。


「「!」」


何かが、イリスを叩く。

だがイリスは自身の能力でそれを回避した。


「…っ!」


ツキはその何かを睨み付けた。

黄金の瞳が妖しく光る。

瞬間、何かは声もなく悶え、前方に倒れた。


「……」


「これ…人形?」


イリスはそれを見て呟いた。

ツキが名前の能力『尽き』を使って殺したそれは、真っ黒い人だった。

いや、人の形をした、土だった。


「人形なんて言わないで欲しいわね。あたくしの可愛いゴーレム達を」


声がした。女の、クリの声が。

風を切って、霧の中に何かが飛び込む。

イリスはそれをも避けた。

ツキが見たそれは、クリの持っていた羽根だった。


(…飛ばしたのか、羽根を)


今、それがイリスに向かって飛んで良かったと、ツキは思う。

彼女なら能力で避けられた。しかし、彼なら避けられなかった。

安堵した瞬間に、イリスの背後をゴーレムが襲う。

しゃがみ、側転して避けたイリスは、振り下ろされたゴーレムの腕に指を置いた。

たった一本の指を、何かを差すように置いただけ。

それだけでゴーレムはとれ、動かなくなった。

イリスの名前の能力だった。

イリス、それは菖蒲という花の名。

あやめとも呼ばれるそれは、「殺め」とかけられているのだ。

つまり、彼女の名前の力は殺しの力だった。

二体目のゴーレムが倒れ、ツキは考えた。


(このままイリスばかりが狙われては、彼女はいつか力尽きる。…仕方ない)


イリスが立ち上がるのを見て、ツキは口を開く。


「おい…クリ」


一秒程の間。返事が来る。


「…はい、ツキ様」


「何処に居る?この霧で分からないのだが」


「…ツキ様、それは…」


「ああ、御前を妻にする」


だが、ツキの目は霧の向こうの女ではなく、側を離れない女を見ていた。

イリスの紫の瞳を見ながら、ツキは続ける。


「我は今手を伸ばしている。この手に捕まってくれ」


「…はい」


ツキは今、手を伸ばす。そして、頷いた。

イリスが静かに歩き、ツキに抱き付く。

否、抱き付いてはいない。腕は回さず、手をツキの肩に乗せている。

そして、クリの手が来た。

来た瞬間、イリスの手が伸び、クリの手に指を置いた。


「え…?」


それが、クリの最期の言葉になった。

クリはツキの足元に、跪くように倒れ、やがて、消えた。

その顔は、笑っていた。




*  *  *




「すまない。嘘とはいえ、あの女を妻にするなどと」


「別に。気にしてない」


「そうか」


消えたクリを見送った後、二人は自室へ帰る為に歩いていた。

相変わらず、風は起きず雨は降らない黒い地で、確かに二人はそこにいた。

ツキは、クリが消えた事で出来た疑問を口にする。


「イリス…羽霧は、消えたぞ」


「うん」


その意味は、イリスも分かっていた。


「…奴が居なくなっても、嫌か?」


「…」


イリスは左右に首を動かした。


「そうか」


憑き物が取れたように明るい表情になったツキを見て、イリスは喋る。


「…けど、ダメ」


「何故だ?」


「だってあたしは本当におかしいから。そんな奴が魔王の妻になっちゃダメだもん」


ツキはそれに聞く。


「何時、誰がそんな事を決めた?」


「…知らない」


「では我が決める。『異端であれ魔王が愛する者を、魔王の妻とする』」


イリスはそれを呆然と聞いた。

小さく唇を動かし、問う。


「あたしで…いいの?」


「勿論。」


そしてツキは腕を、イリスに回した。


「もう一度言う。…我の、妻になれ」


「…うん」


イリスは一度ツキの胸に顔を埋め、すぐに上げる。

どちらからともなく、二人は唇を付けた。

瞬間、夜空に虹がかかった。




*  *  *




「その後は…、大変でした。言葉遣いを直して、この重いワンピースを着せられて。けれど苦ではなかったです」


「ちゅーしたから?」


「違いますよ…、あの人が喜んでくれたからです」


「えー?わかんないっ」


「いつか…、分かりますよ、メシア。あなたにも」


(一緒に見守りましょう、ツキ。この小さな悪魔の子を…)


イリスはそっと、ツキの目がある額を撫で、笑う。

月下に照らされながら揺れる、菖蒲の花のように。

どこまでも優しく、清らかに。



月下菖蒲 fin.

地獄編はこれで終了です。

本当はもう一編あったのですが、別の話とする事にしました。

いつか掲載します。お待ち下さい!

次は長編、本編のその後となります。


閲覧、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ