天界編 The sun seeth allthings and discoverth allthings
数百年前。
天使と悪魔との大きな戦争が終わり、平穏ばかりがある頃。
ただ広大で白い空間を、全速力で走る者がいた。
黒い瞳、白い肌。しかしそれよりも白い、絹のような髪が肌色を強調する。
その者の名は、玻璃・ニーダ。
数年前にこの地に来た、まだ新米の天使の少女。
彼女の向かう先は、この地の端。
この『天界』とも言われる空間に端などあるのかと思われるが、確かにあるのだ。
彼女はそこまで駆け、その場所に浮く天使を見据え、
「瑠璃ー!!」
「へ!?うわっ」
こっそり発動させた魔法の縄で、彼を引き摺り落とした。
顔から落ちた天使は、ゆっくりとその赤くなった顔を上げて少女を睨んだ。
「てめえ…玻璃!何すんだ!!」
「だって浮いてるから悪いんじゃない!」
「地に足付けてたらお前は飛び蹴りしてくるだろうが!!」
瑠璃色の髪に、時折闇色に光る同色の瞳。
その色の名を持った少年は、溜め息をつきながら立ち上がる。
既に光の縄は消えている。
「もう少し時期が遅かったりでもしたら、こんな奴に付き合わずに済んだのに…」
「今何か言った?」
「何も!」
玻璃と瑠璃、この二人は生前から一緒だった訳ではない。
偶然、同時にこの地に来ただけだ。
それからは事ある毎にこのように、玻璃が突っかかり瑠璃がそれを受ける、そんな関係だ。
だが当時、玻璃はただの天使で、瑠璃は異例の早さで専門職に就いたエリートだった。
同期の出世が嬉しく、しかし羨ましく思っていた玻璃は、負けないように日々努力していた。
何に負けないのかは、彼女自身よく分かっていなかったが。
「さてと、じゃあ私は使命あるから行くね」
「おう。さっさといなくなれツンツン針」
「…!次会ったら覚えてなさい口悪ネクラ!」
覚えてない、という言葉を聞きながら玻璃は彼から離れた。
(何よもう!…もっと言う事ないわけ?)
表情が暗いまま玻璃はどんどん歩き、魔法陣を描いていく。
(あー…またやっちまった…)
苦々しげな表情で瑠璃は少女が去った方向を見る。
互いは、互いに惹かれていた。
だが二人は意地っ張りで、未だに互いの気持ちを伝えていなかった。
いつまでも友達のままでも良い。そう思っていた。
玻璃が下界に行き、瑠璃は自分の仕事を再開する。
その時、彼は見つけてしまった。
二人の仲を変える、あるものを。
* * *
それから数年。
玻璃も専門職に就き、日々を忙しく過ごしていた。
それでも彼女は毎日瑠璃に会いに行っていた。
しかし、彼の態度は変わってしまった。
「瑠璃!」
「………」
「もう…瑠璃!瑠璃・アイズ!…返事ぐらいしなさいよ!」
「………………」
瑠璃は読んでも返事をせず、ただずっと一点を見つめていた。
彼の目線に合わせて魔法で遠くを見てみたが、ただ地獄の岩しか見えなかった。
また、彼はそれを見ていつも何かを呟いていた。
聞こうとしても、それは自身に向けて発している言葉なので、いつも何を言っているか分からなかった。
玻璃はしばらく彼の隣にいて、しばらくして仕事に戻る。
最近の彼女の日課だった。
そして今日も、そうやって時が過ぎた。
寂しそうな顔をして、玻璃は瑠璃に声をかける。
「…じゃあ、仕事だから。…バイバイ瑠璃…」
重い足取りで仕事場へと玻璃は引き返した。
それでも瑠璃はどこか一点を見つめている、筈だった。
しかし彼は突然、魔法陣を描き出した。
やはり瑠璃色の光が形を作る中、彼は願う。
この場所の、崩落を。
* * *
仕事は、彼女が戻って来た時には終わっていた。
自室に戻って玻璃は、すぐに睡眠を取っていた。
その後彼女は目覚めると、仕事場に戻ろうと自室を出た。
仕事はいくらでも舞い込むからだ。
しかし、その日は少しおかしかった。
人だかりが白い空間のそこかしこに出来ていたからだ。
しかもその人達は、皆浮いていた。
(何?何かあったの?)
玻璃は部屋から一歩踏み出した。
「きゃっ!?」
その瞬間、玻璃は宙に浮いた。
浮き上がった玻璃は、自分の足元を見た。
黒く、自分の足を置いていた辺りに穴が開いていた。
未だ、パリパリと音をさせながら、穴の周りの白が砕けていく。
天使の羽衣が、玻璃を落下から助けたのだ。
「な、何これ、何なの!?」
「チーフ!」
少女の役職を呼ぶ声。声を探すと部下が飛びながらこちらにやって来ていた。
珍しい青の髪をツインテールにした部下は、慌てながら話す。
「ど、どうしましょう…こんな事今までなかったですよ…」
「私も当然ないわ。何でこんな事になったか知らない?」
言った瞬間、部下の天使は口を閉ざした。
「知ってるのね?教えて、誰なの?」
少女は顔を俯かせる。
「…真に、申し訳にくいのですが…」
何なのだろう、この様子は。
何が起こっても良い、覚悟して玻璃は聞いた。
「…チーフと同期の、ルリという天使が、やったらしいです…」
「え…?」
(瑠璃が、ここを破壊…?この床を、割れやすく…?)
玻璃は、その動揺を隠しながら言った。
「…探さなきゃ」
「チーフ!危ないですよ!」
「理由を聞かなきゃ。…きっと何かあったんだわ」
ふらふらと飛びながら、玻璃は少年を探しに行った。
「チーフ!」
既に玻璃に、その声は届いていなかった。
* * *
長い事、瑠璃を探したが、一向に見つからなかった。
崩壊は収まったらしく、玻璃は今地に足を付けて彼を探している。
行きそうな場所はすぐに探した。彼の自室を訪ねても居なかった。
焦りが玻璃の心を満たそうとしていた。
その時、誰かが叫んだ。
「犯人が捕まったぞ!」
玻璃はその声を発した者に、駆け寄った。
「それ本当!?」
「あ、あぁ…本当だよ」
玻璃の剣幕にその天使はたじろぐ。
「教えて!それ、誰なの!?」
玻璃は眉間にしわを寄せて問い詰めた。
だがそれは、聞かない方が良い事だった。
「えっと…瑠璃・アイズっていう男の天使だよ。俺も詳しい事は知らないけど」
そう言い、玻璃から天使は離れていった。
(…今、何…?)
一人取り残された玻璃は今聞いた事を反芻する。
(…「瑠璃」…が、犯人?崩壊、の?)
「嘘、でしょ…」
白い髪を靡かせ、罪人の行く先を目指し、玻璃は歩き始めた。
その表情は今にも涙で濡れそうだった。
* * *
白い世界で罪を犯した天使は、一度神の元へ向かう。
そして多くの痛みと共に地獄に落とされる。
大半の天使はその「痛み」が何か知らない。
知っているのは大天使と、神本人と、罪人だけだ。
玻璃は頼りにならない足取りで、神の元へ向かった。
途中、天使達の間に噂が広がった。
瑠璃は下界を監視する職、『アルタイア』のリーダーだった。
リーダーなど、位が高い『アルタイア』の者は下界だけでなく地獄も監視する。
最近、瑠璃はずっと地獄ばかりを見ていた。
だから皆は、彼が悪魔になる為にここの崩壊を考えたのだと推測したのだ。
また、玻璃と瑠璃が仲が良い事はよく知られていた。
なので、彼女を見た者はずっと囁き合っていた。
あの女も悪魔に魂を売ったのか。
危険だ、神様はあいつを『堕落』させないのか。
(全部、聞こえてるわよ…)
言い返せば五月蝿そうだ、玻璃はやけにはっきりと考えながら足を引き摺るように歩く。
やがて声は小さくなり、気が付けば場の空気が重くなっていた。
前方右側、大天使静歌・キャロルが音もせず立っている。
そして左側、見慣れた深い青の髪が目に入った。
「瑠璃!」
思わず玻璃は声を上げた。それに静歌は紅い目を向ける。
「静かにしなさい、玻璃・ニーダ。…神様、そろそろ」
―はい。…では、始めましょうか。―
そう神が言い、しばらくの後。
―瑠璃・アイズ。…貴方に罰を与えます。―
頭上から、漆黒の雷が落ちて来た。
それは太い帯で、瑠璃はしっかりとそれの中に入ってしまった。
これこそが、「痛み」の正体。
神の怒り。神罰。
瑠璃はそれを受け、苦悶の声を上げた。
「ぐっ、うぅ…っぅああ゛あ゛あ゛!!!!」
静歌はそれを黙って見ていた。
どこか見下すように、冷やかに。
「当然の仕打ちだ」、とでも言いたげに。
玻璃もそれを黙って見ていた。
否、声を上げられなかった。近寄る事も出来なかった。
助けたかった、しかし、恐れていた。
神の怒りに、恐れをなしていた。
やがて黒い雷は瑠璃の立つ床を割った。
その下は、雷と同じ色の闇があった。
抗う術のない瑠璃は、そこに落ちて行く。
羽衣の代わりとなっていた上衣は焼かれ、白い肌が露になっていた。
火傷だらけの瑠璃が完全に消え、残ったのは一部が黒い床だけだった。
「…あ、ああ…」
そこで、玻璃はようやく声が出た。
先程よりおぼつかない歩調で、彼のいた場所に向かう。
ペタリと、床の前に座り込む。
床に触れる。白い硬質なそれの先の、穴に向けて手を這わす。
黒い部分には何も無かった。そこに手をかけ、中を覗く。
何も、何も無い。ただ、墨の色がずっとあるだけ。
言いようのない恐怖が、体中を走った。
誰かの叫ぶ声がする。黙れ、静かにして、そう思うが声は尚も聞こえる。
数秒して、それが自分の声だと気付いた。
「ぁぁあああ、いや、いやああ…」
嫌々と首を振る。白い髪が左右に動く。
同時、雫が目から落ちる。
「る、り…いやああああ!!!!」
両手で顔を覆う。
もうこれ以上、何も知りたくなかった。
* * *
それから、更に数年。
衣服を作る職、『ヴィーガ』のリーダーになった玻璃は、その日も忙しくしていた。
いつも通り服を作る。それだけが忙しい。
希望を聞き、目で採寸を済ませ、想像を手に宿すイメージ。
七色に光る川から、衣服を取り出す。
皆が喜んでくれる、この仕事は彼女の天職だった。
しかし疲れはある。目をよく使うし、サイズを記憶しながらの服の想像。
その日は頭痛が酷かった。
「リーダー…大丈夫ですか?」
声をかけてきたのは青いツインテールの天使。
今は彼女がチーフになっている。いつか玻璃の後を継ぐ、有望な少女。
「ん…大丈夫」
「今日は休んだ方が良いですよ」
彼女の言葉に甘え、玻璃は仕事場から抜けた。
だが足は自然と、かつての居場所に向いていた。
他と変わらない、白い空間。
しかし、玻璃にとってはどこよりも輝いて見える場所。
今は、少し寂しく思える場所。
「瑠璃…」
知らず、玻璃は涙を流した。
気付き、涙を拭うも次から次へと溢れてくる。
誰か、誰か助けて。
願、彼がいる先を見る。
「瑠璃…」
その時、玻璃の目に何かが映った。
「…え?」
ありえないものが、あったからだ。
魔法陣を描く。この世界では見えないに等しい、純白の光。
祈り、魔法を発動する。
「テルエ」
魔法陣はそれと同時、眩い光を発して消えた。
その光の中で、視力が格段に上がった玻璃は、見る。
瞳に映るは、黒い闇。地獄。
その中で蠢く、一点の白。地獄には絶対に無い色。
「瑠璃…!?」
瑠璃が地獄で、何かをしている。
忌み嫌われる、白を纏って。
それはつまり。
(『堕落』したかった、訳じゃない…?)
それはどこか、確信めいたものがあった。
気付けば玻璃は、走っていた。
自分達の主人の元へ。
* * *
「神様!神様、いたら返事をして下さい!」
向かった先は神の座する場所。
他の白よりずっと白く見える、白い空間。
―はい、何でしょうか、玻璃・ニーダ?―
「お願いです神様、私を地獄に行かせて下さい!」
神はそれに、息を飲んだような音を発した。
間があり、やがて言う。
―何故ですか?まさか貴女も、私に反逆を企てていましたか?―
「違います!私は、私は…」
絶対ばれる嘘、それを咄嗟に考え、言葉の続きを紡ぐ。
「…彼に、返してもらってない物があるんです!」
―返してもらっていない物、ですか?―
「はい」
頷き、玻璃は続ける。
「彼と私はずっと、他の天使より仲良くしてきました。だから、物の貸し借りなんかも他の天使よりずっと多いです。…ですから」
―返却されず、そのまま『堕落』された、と…。―
「そうなんです」
この世界に、物の貸し借りなどはまずない。大抵は魔法で済ませてしまうからだ。
神は、彼女が嘘を付いていると知っていた。だが、神は言った。
―分かりました。時間は十分。それでなら地獄へ行っても良いでしょう。―
「本当ですか!?」
下げていた頭を上げ、玻璃は言う。
―はい。くれぐれも悪魔の行動には気を付けて下さいね。―
「はい!」
言うと、玻璃は早速魔法陣を描き始めた。
素早く描き終え、呪文を唱え、玻璃は地獄へ向かった。
玻璃が地獄に向かってしばらくした後、情報が書き換えられるように、何も無い場所から一人の女性が現れた。
銀の髪に紅い目、昔は違う名でこの世界にいた彼女は、虚空にしっかりとした目を向けて言う。
「…あれは嘘だと、気付いていましたよね?」
それに声が返る。
―はい。―
女―静歌はそれに、更に問う。
「なら何故、彼女を地獄に?」
―彼女が『堕落』したいのであれば、望み通りにしたまでです。彼に会いたければ、会わせてあげただけです。それに…。―
「それに?」
少しの間。ようやく、答えが響く。
―機会をあげても良いでしょう。試練を与えるだけでは、神は残酷な運命と変わりはしないのですから。―
「…そう、ですね」
静歌は玻璃の消えた先を見つめた。
* * *
真っ暗な闇。
着いてすぐ、玻璃は光を呼んだ。
それを頭上に灯しながら彼女は探す。
「瑠璃!瑠璃!何処なの!?」
大声はどこかへ消えていく。
それが自分の望みと思い、玻璃は俯いた。
(会えないまま、なのかな…)
この数年で、彼女は答えを見つけていた。
自分が、いかに彼を大切に想っていたのか。
彼の存在が、自分の中でどれ程大きかったのか。
だから、玻璃は伝えたかったのだ。
「瑠璃ー!!!」
叫んだ名に、自分の想いを。
だが、無情にも声は響いて消えた。
瞬間。
「…は、り…?」
小さく声が聞こえた。
諦めかけていた玻璃はその声に驚き、また叫ぶ。
「瑠璃!?どこ、どこなの!?」
「…ここだ玻璃!こっち!」
声のする方へ、少女は走った。
短かったのか、長かったのか。
闇を走ってようやく、ゴールが見えた。
「瑠璃っ!!」
走り、走り、やがて、速度を落とす。
目の前には見慣れた少年の姿。
だがその手には刺青があり、頭上には輪がなかった。
衣服は半分白くても、完全に瑠璃は悪魔になっていた。
だが、それは玻璃にとってはどうでも良い事だった。
「瑠璃…」
何度目かの呼びかけ。
「何だ、玻璃?」
それに優しく返す、彼の声。
もう、我慢の限界だった。
「瑠璃ぃっ!!」
玻璃は瑠璃に抱き着いた。衣服を強く掴んだ。
皺が寄っても少し伸びても、今の玻璃はそんな事は二の次だった。
肩を震わせ、彼女は泣く。それを見て、彼は抱き締め返した。
「な、んで…おちたの、よう…」
切れ切れに玻璃は問う。
「ここで、石を見つけたから。」
それに、瑠璃は答えを返す。
「そっか…瑠璃、石好きだった、もんね…」
「うん。…俺の好きな石をここで見つけたから。…無理やりにでもここに来たかった…」
その言葉に、玻璃は顔を上げる。
「だったら、私も連れて行って、ほし、かったあ…」
「玻璃…?」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、玻璃は続ける。
「ずっと、瑠璃が、いなくて…寂しかったよ…」
「………うん」
「だから今日、瑠璃を見つけて…ここに、来たの…」
「……うん」
真っ直ぐに瑠璃を見上げ、玻璃は告げた。
「やっと、分かったの、私。…私ね、瑠璃が「好き。」
玻璃は目を丸くした。
「俺だって…一緒だった。玻璃と離れて、分かったんだ」
抱擁を止め、瑠璃は玻璃の小さな頭を固定して言う。
「好きだ、玻璃」
そして、口付けた。
玻璃は一瞬驚いたが、それをすぐに受け入れた。
だがその時、
唇から感触が消えた。
瑠璃は前に、玻璃は後ろに、バランスを崩して倒れた。
瑠璃は状況を理解した後、あぐらを掻いて座り込み、悪態をついた。
玻璃は倒れた場所を理解して、時間が来ていた事を知った。
そして、二人は同時に思った。
((まだ、伝えてない事、あったのに))
* * *
そして、それから数日後。
『遣い』と呼ばれる魔王の操る蠅が白い世界にやって来て、ある一通の手紙を置いていった。
宛先は『ヴィーガ』のリーダー、玻璃・ニーダ。
すぐにそれは彼女の元へ送られた。
内容は、地獄へ行った目的。いつかきっと、また会う事。
玻璃はそれを読んでからは、思い出の場所に行く事は少なくなった。
その事に気付いたある天使が、玻璃に訊ねた。
「リーダー、最近あの場所に行ってませんね?」
「ん?そういえばそうね…」
「なんでですか?」
「大丈夫って…分かったからかな」
天使はそれに首を傾げる。
「うふふ。…私、信じる事にしたの」
「何をですか?」
白い髪を揺らし、黒い瞳を笑みの形に細め、彼女は言った。
「あいつの…瑠璃の帰りをね!」
The sun seeth allthings and discoverth allthings fin.
サブタイトルの意味は「瑠璃も玻璃も照らせば光る」です 笑
天界編はこれで終了です。
次回からは地獄編になります。
閲覧、ありがとうございました。