Twincle Little Flower 5
「―――!―…ン!」
「…?」
「レンってばっ!!!」
「うわっ」
俺は目覚めて、辺りをすぐに見回す。
場所は先程と変わらない、屋上だ。
ただ、全てが橙に染まっている。
想起していた景色に劣るが、目に映る何もかもが朱の色であった。
(寝た、のか…)
後頭部を掻き、立ち上がり、埃を払う。
ついでに体も伸ばしてやる。一部の関節が音を鳴らした。
「よく寝てたねレン。リカずーっと見てたよっ」
「見るなっての…」
「それにしても本当にどうするの?今日も終わっちゃったよ?」
確かに、もう下校の時刻だろう。という事は、狙えるチャンスがぐっと減る。つまりは、無理、だろう。
「仕方ねえな…、今日は諦める。明日こそはやるぞ」
「はーい。…って今から追っても大丈夫な気がするけど」
「邪魔者がいるだろう、多分あいつも一緒だ。それに全く関係の無い奴もいては後々面倒だ」
天道くんだねえ、と李佳は頷き、リボンの中に隠していた金のリングを引っ張り出した。
天使に戻った李佳は、一回飛び上がってから俺の方に向く。
「じゃあ先に帰ってるね。寄り道しないでね!」
「するかよ」
笑って、李佳は魔法陣を描いて帰っていった。
「…あいつ、気付いてるな」
俺も天使に戻るが、俺の行き先は違う。
石蕗 命生花の家だ。
魔法を使った方が早いが、この時は何故か飛んで行きたい気分だった。
春といってもまだ冷たい風を全身で浴びつつ、俺は飛ぶ。
そろそろ星が見えて来る時刻だった。
使命に赴く際、教えられる標的の情報を頼りに、俺は石蕗 命生花の家に着く。
もうすぐ夜だというのに、家には明かりの気配が無い。
家の周辺をぐるりと回ると、一箇所だけに光を見つけた。
覗き込む。そこにいた。
黒い大きめの棚に向かって拝む、石蕗 命生花が。
仏壇に手を合わせる、少女の姿が。
* * *
コンコン、と窓を叩く音。
その方向を見ると、そこには天使がいた。
(…何しに来たんだろう)
私は玄関に向かい、適当に靴を履いて家の外に出る。
既に蓮は扉の前にいた。
私はすぐに話を切り出す。
「何?…消しに来たの?」
「…そうだと言ったら?」
来たのか、私はただそう思った。
「だったら少し、聞きたいんだけど。最後に」
「…少しだけ、神様がお許しになったら」
私は蓮を家に入れ、先程までいた和室に通した。
「…さっきの部屋か」
「うん。…聞きたいのはこの人達。知ってる?」
言って指を差す。
写真立てに納まる二人の少女を。
私の、姉達を。
「……」
「二人は、いる?天国に」
蓮は言うべきか迷っているようだった。
知っているように見えた。だから彼を促した。
「…聞けるんでしょ?神様に。だったら聞いてよ」
その言葉を聞いた蓮は、一瞬驚いたような顔をしたが、その通りにした。
数歩私から離れ、若干上を向く。
沈黙が数瞬走った後、天使の輪が明滅し始めた。
「…神様、相談したい事が…、はい、俺達以外の天使の事を、石蕗 命生花に話しても良いでしょうか?
……はい、分かりました。失礼致します」
通信はすぐに終わり、蓮はしっかりと私の方を向き、告げる。
「…良いそうだ」
「ありがとう。…私の姉は、今どうしてるの?」
頷くと、彼は話し始めた。
「まずは姉だ。人間名石蕗 澄花は、現在悪魔名侘月・チャコールとして日々を生きている」
少なくないショックを覚えた私だが、しかしどこかで納得もした。
澄花お姉ちゃんは、自殺したから。
私を置いて、手首を切って、自分で死んじゃったから。
「妹、人間名石蕗 萌花は、現在天使名萌・ネメシスとして日々使命に勤しんでいる」
澄花お姉ちゃんは、萌花お姉ちゃんに会いに行った。
通り魔に殺されて、野次馬に踏み躙られて、天使になったお姉ちゃんに。
「尚、十年前に起こった『天界』と地獄の『合併』により、二人は天使名蒼良・サンデルと共に暮らしている」
「…そう」
「以上だ。…これだけで良いのか?」
その問いに、私は。
「…うん。じゃあ、殺しなよ」
私は軽く両腕を広げた。
何故だろう、妙に落ち着いている。
あの時は、初めて彼に会った時はあんなに恐かったのに。
「…分かった」
そして彼は近付く。私へ。
目を閉じて、その時を待つ。
だが。
「…と言いたいが、今回は違う」
「…え?」
私は閉じていた目を開く。
直後、ざわつく私の中。
何故。
何故、私は今、動揺している?
「…お前だって、嫌だろう。好きでも、愛してもいない男に、抱き締められるなんて」
その言葉で彼の目的を知る。つまり今日彼は、私の記憶を消しに来たのだ。
しかし、だ。
私は忘れたいとは、思えなかった。
あの時見た彼の弱さを、私は忘れたいと、全く思わなかった。
考え、言う。
「…分かった。だったら、消して」
「よし」
「今こうして、話してる記憶を」
沈黙が降る。
そして、
「は?」
頓狂な声。だがそんな声も仕方がないと思う。
お姉ちゃん達の事を聞き、しかもその直後に忘れたい、など。
意味が分からない、私だってそう思う。
けれど、私は忘れたいのだ。
このやりとりろ、先程の謎の動揺を。
「なんでだ?」
「だって死にもしないのに、姉の事を知るなんて不公平だし。なんか…おかしくて。良いじゃない、とにかく忘れたいの」
強くそう言った。
納得のいかない顔をしている蓮だったが、彼は指を空に走らせる。
銀の光が形作る、絵画のような魔法陣はあっという間に完成し。
すぐに、力を放つ。
「エラース」
瞬間、私の意識は途切れる。
その時、ひどく胸に焼け付くものがあった。
彼の複雑な表情。
何故かそこにはあの日見た、悲哀に似た、感情が。
* * *
石蕗 命生花は気絶した。
床に体が付く前に、手を伸ばして彼女を受け止める。
半分開かれたままの、虚ろな目を閉ざしてやる。
(…ここに置いていたらまずいかな)
俺は彼女を魔法で浮かせ、家の中を回る。
うろうろ動き回って、二階に彼女の部屋を見付ける。
扉を開け、右側に配置されたベッドに寝かせてやる。
そこで物音に気付き、急いで家から魔法で抜け出した。
丁度彼女の母親が帰って来ていた所だった。
(危なかった…もう少しこの部屋を見つけるのが遅かったら見付かっていたかもしれない)
ある程度飛んで、石蕗 命生花の家から離れてから魔法を使い、白い世界へ戻った。
「…お帰りなさい、蓮くん」
「メシア様。ただ今帰りました」
俺を出迎えたのは、白金の髪を持つ、天使。
だが元悪魔ともいう、不思議な存在。
名をメシア・クリスト。シン様とマリア様の子供、らしい。
この世界で子を成せるのか、その辺りの事は確かではないので、噂に過ぎない。
シン様とマリア様、二人の色を足した紫の目に、俺が映る。
「今日の使命は終わりましたか?」
「いえ、それが、全く…」
言って思う。情けない。
どんなに遅くても、三日で使命を終わらせていた俺が。
たかが女一人殺す事に、五日もかかってしまっている。
俺は自然、俯いてしまった。
「蓮くん、落ち込まないで。そういう時もあるから」
マリア様に似た柔らかい笑みを湛えて、メシア様は言う。
俺は素直にそれを受け止める事が出来なかった。
「けど…俺はもっと使命をこなしたいんです。そして…」
「…大天使に、なるんだよね?」
大天使。
百嘉と二人で追いかけていた目標。
ずっと共にいる為にと。
今は諦めた、単なる幻想。
「…違いますよ」
「じゃあ、資格を得ての転生かな?」
天使達の、俺達の最終目標だったそれ。
ずっと離れないようにと。
今では何ら、意味の無いそれ。
「…違います。ただ使命を全うしたいんです」
「追いつめちゃってるね。…一度、その使命、止めちゃったらどうかな?」
「……え?」
メシア様の仰った事に、耳を疑う。
使命の放棄。
それは俺達天使には無い考え。
元悪魔だからこそ生まれる、違ったものの見方。
「シン様は言ってないわ。使命の放棄は絶対しちゃダメとか、今すぐやり遂げなきゃいけない、なんて」
確かに、シン様はそんな事を一度も言った事が無い。
メシア様は続ける。
「働き詰めは良くないって、蓮くんも分かっているでしょ?だから別の使命をしたり、少し休む事を、わたしは提案します」
俺はその言葉で、気持ちが少し楽になった気がした。
彼女の提案を受ける事にする。俺はメシア様に礼を言って、すぐにシン様の元へ向かい、使命中断の旨を告げる。
シン様は少し驚いて、しかし笑ってそれを許可してくれた。
代わりに別の、石蕗 命生花のいる街の近くの使命を請け負う事にした。
その事を後に李佳に告げると、
「じゃあリカも同じ事する!あの女の見張りもしてあげるよ!」
「ああ、頼む。元々この仕事は俺達のだからな」
そう、放棄はした。だが諦めてなどいない。
俺は李佳と話した後、自室のベッドに寝転がり、目を瞑る。
その時、胸の奥から煙が出る感じを覚えた。
迸る、失敗の念。
一時的にでも、使命を放棄したからだ。こんな事は、本当に一度だって無かったから。
悔しさが、体を満たす。
だが、気付く。
(…なんか違う。悔しいんじゃない)
そうして思い起こされた記憶は。
標的の言葉。
『だったら消して。今こうして、話してる記憶を』
俺の行動。
『大丈夫だから…お前は死なないから…』
(…ああ。そうか、俺は…)
消したかったんだ。自分の行動を。こんなにも。
だがそれは、出来なかった。
「…くそ……」
悪態と共に、俺の意識は空に溶けていく。
僅かに感じた、「ここまで気にする」という疑問を取り込んで。
* * *
「…うーん…」
私の意識は光と共に訪れた。
「命生花、いつまで寝てるつもり?」
「あ、お母さん」
声のする方向、扉に手を掛け、部屋に顔を覗かせる母に言葉を返す。
「…私、いつから寝てた?」
「知らないわよ。帰って来た時にはもう寝てたわよ」
ベッドの傍に置かれた目覚まし時計は八時を差している。
母の帰宅は六時。かなり長い時間寝ていたようだ。
「…あー、起きる…」
「じゃあ早く降りて来なさいね。ご飯もう出来てるから」
言って、母は扉を閉めた。
(…私、何してたっけ)
一人きりの暗い部屋で、まだ少しぼうっとしている頭で思考を巡らせる。
家に帰り、日課である、二人の姉に今日の報告をして。
(…あれ?)
そこから先の記憶が、どうしても思い出せない。
だが何故か焼き付いている、不思議な感情。
それに気が付き、思わず首を傾げた。
(…何、これ)
悲しいような、苦しいような、それでいて温かくなるような。
少しだけ胸を縛るそれが気になったが、母の言葉を思い出す。
早く行かなきゃと、廊下に出ようとした時。
「…あ」
開け放ったままのカーテン、その向こうの星空。
近付き、それに手を掛ける。
閉めようとしたその瞬間、強く星が輝いた気がした。
「…っ」
何故か、私はそれに苦しさを覚えた。
その、白の煌びやかさによって。