両足を捧げた聖女
魔王を倒して、二年が経った。
私は、元の世界に帰れなかった。
「え?帰りたかったの?僕のこと、好きじゃないの?」なんて、ふざけたことを抜かす勇者を殴った。
最も一番殴りたかったのは、「帰れない」と言いやがった神様だ。今まで、光の球体でしか登場しなかった癖に、最後の最後で絶世の美女として出てきたのは、どういうことだろう。まさか、その姿を見られることが褒美だと神様は言う気なのか。
私は、家に帰りたい。
家には、弟がいる。たった一人の家族。
金を借り続ける、馬鹿な両親のことはどうでもいい。だが、弟だけは守るべき存在だった。今も両親に何かをされていたらと思うと、いつも胃が捩れそうだった。
家に帰りたいだけなのに、どうして誰も叶えてくれないの?
「聖女が路地裏とは、似合いませんね。まぁ、豪勢な城も貴女には、合わなさそうですけど」
垂れ下がった前髪の向こうから見えたのは男だが、やたらと見覚えがある。土壇場で、人型から最終形態としてドラゴンになりやがった奴だ。
男は、私に迫ってきた変質者を足蹴にしていた。
「魔王の、息子」
「大正解です。ええ、貴女にビーム撃たれて、死にかけた魔王の息子です」
「えっと、名前は、…………パラジクロロベンゼン?」
「パラディクロウベルリアです」
「合ってるじゃない」
パラディク、何だ?
長すぎる。寿限無くんの名前を覚えるのも大変だった私には、長すぎる名前だ。略して、いや、後ろだけとって、ベルリアと呼ぼう。
「合ってませんよ。というか、何故反撃しなかったのです。コイツ、下半身剥き出しですよ?こんなのが趣味とは、聖女として如何なものですかね」
ベルリアは、変質者のモザイクを踏んだ。女が目の前にいるのに容赦のないもので、男じゃない私でも痛いと伝わってくる悲鳴が、変質者から漏れ出る。
響き渡る声が罵声に変わった瞬間、彼は頭を蹴って黙らせた。路地裏沿いの家の壁に、血が飛び散る。
「待って!殺さないで」
「もしや、同意の上だったのですか?」
「違うわよ!」
変質者を奪い取る。この際、モザイクの部分は気にしないことにした。大体、魔王討伐の旅にて、男と同じ風呂に入るなんてよくあった。治癒魔法をかけて、脳みそが見えかけた頭を治す。ギリギリ間に合いそうだ。
「相変わらず、見事な魔法ですね。実は貴女、アレでしょう?」
「何」
「勇者より、強いでしょう」
疑問などではなく、分かりきった様子だ。確かに、私は勇者よりも強い。覚えている魔法の量も、剣術も、勇者より上回っている。努力したからもあるけど、勇者が聖剣に頼りっぱなしだったからだ。
それでも、私が魔王に勝ってはいけなかった。だって、神様は勇者を助けろと言ったのだから。結局、勇者を助けても、元の世界に帰れなかったのは、痛い話だ。私が魔王を殺すならもっと、早く済んだのに。
「勇者は何処です。一緒ではないのですか?」
「知らないフリをしないでくれる?王女さまと結婚したわ。今は王になる勉強でもしてるわよ」
「ほぅ、捨てられたのですか」
「違う」
ベルリアを見上げる。大柄だった騎士団長と同じくらいの背丈だが、厚みでは負けている。青の混じった黒髪、私よりも白い肌に浮く赤い瞳が特徴的だった。顔の造形は彫が深く、元の世界で言うと、ラテン系の男だ。
勇者に捨てられたと言ったのか、コイツは。
とんでもない。
私が家に帰りたがる気持ちを無視して、自分のことを好きなんだと誤解していた勇者を、何故、好きになるのか。自分勝手極まりなく、申し訳なさそうに「王女と結婚する」と言った奴だぞ。
「私が、勇者を捨てたの」
最後に、ジジイになる魔法をかけてやった。城の魔法使いから、教わった呪いなので絶対解けていると思うが、解けてないことを祈る。
「そうですか。それで勇者を捨て、城からも出て、貴女は何をしているのです。捜索隊が出されていましたよ。愛されていますね」
「黙りなさい。アイツらは、聖女っていう看板が欲しいだけ。お前こそ、何の用よ。もう一回、半殺しにされたいわけ?」
手のひらを向ける。
威勢よく言ったが自信はない。相手はドラゴンが元である魔族であり、魔王の息子だ。四大幹部よりも強かったし、神が創りし聖剣がなければ勝てなかった。
「俺は、提案をしに来ただけですよ」
「提案?」
「帰りたいのでしょう、元の世界に」
囁く声に身体が固まる。その間に手を取られた上で、壁に押し付けられた。変質者を落としてしまったし、この壁は血塗れだった気がする。服が汚れたじゃないか。
「手伝いますよ」
反撃しようとした足も、発動しかけた魔法も止まる。
その言葉は、誰も言ってくれなかったものだった。同情はしても、諦めない私を問題児のように見つめてきた連中が、決して言わなかった言葉。
ベルリアが頬を歪めて笑う。
「何を企んでいるの?」
「何も。強いて言うなら、別世界の人間について、勉強しようかと思いました。なんせ、父親が死んだものですし、暇なのです」
「魔王にはならないんだ」
「ええ。興味ないので」
あっけらかんとした言い方に、魔族のお偉いさん方が可哀想になった。魔族に攻め入った私が言うのはアレかもしれないが、もうちょっと同族を大事にしたら良いのではと思う。
それにしても、別世界の人間についての勉強というのは何だ。解体でもされたり、薬品漬けになるのは困る。五体満足で帰らないと、弟を守れない。
「変なこと考えているでしょう。俺が、情報があるところを紹介します。代わりに貴女は、貴女の世界について教えてくれたら良いのです」
「解剖はしないの?」
「しませんよ。解剖しなくても、中身を知る方法はあります」
なんか、怖いことを聞いた気がする。
人間側にある情報は調べ尽くしたが、長い年月を生きる魔族なら、もっと多くのことを知っている筈だ。
知りたい。
知りたいけど、相手は魔王の息子で、
「帰りたいのでしょう」
耳に擦り付けるように、囁く声が聞こえる。
旋回する思考の中で、私は、
頷いた。
魔族の城に来るのは、二回目だった。一回目は勿論、魔王討伐の時だが、その戦闘の痕跡が色濃く残る城は半壊しており、改修工事はされていない。
この城の後ろの領土が、魔族のものだ。王が住む城なのに領土の一番前にある。それは、同族を率先して守るためなのかもしれない。人間とは大違いだ。
「アヤ、こちらです」
城内にある地下への扉が開く。がっしりと手を掴まれ、階段を降りていくが灯がなくて怖い。踏み外しそうなので、慌てて手に魔法で灯りを灯した。ベルリアは、暗闇の中でも見えていたようで、「失念していました」と笑っている。絶対にわざとだ。
地下にまで降り切ったら、次は二本に別れた道が現れた。広い道と細い道で、どちらに行けば良いかと、彼の顔を見上げる。
「貴女なら、どの道を選びます?広い道?細い道?」
「どっちでも。辿り着くのなら、どんな道でも進むわ」
「勝ち気な答えですね。こちらにしましょう」
広い道が選ばれた。
それからは似たような道に別れたが、質問もなく、彼は進んでいく。まるで、勝手に進んでいるように見えるので、不安が募っていく。
しかし、大きな扉が現れ、杞憂だったことが分かった。重厚な扉を開き、中に入ると、一面本棚に覆われた部屋だ。ベルリアは招待するように、膝を折ってお辞儀をした。
「これは、凄い量ね」
「ええ、魔王の所有する書庫です」
本棚には、隙間がない程、本が敷き詰められている。
問題発生。この量は一生かけても、読みきれない。
それを、この男も分かっているのだろう。私は肩を掴む彼の手を振り払って、本棚に近づいた。
「さて、書庫への案内はしました。貴女の世界について、教えて下さい」
「どんなことを知りたいの?」
「そうですね。貴女の振る舞いから見て、貴女の世界には魔法がないと思っています。そして、かなり安全な国に住んでいたのでしょう」
「よく、分かるわね」
思わず、感心して振り返った。ベルリアは端正な顔立ちにお似合いな、作り物のような笑みを浮かべている。仮面のような顔だが、追い詰めた際に必死な顔は見たことがあるので、少し笑える。
「私が聞きたいのは、貴女の家族についてです」
本を取る手が止まる。威嚇の言葉を吐こうとした口を閉じて、落ち着いて彼を見据えた。
「両親と弟がいるわ。両親は、クズ。弟はいい子よ」
「元の世界に戻りたいのは、弟さんの為ですか」
「ええ」
記憶から薄れやしない弟を思い出す。本の背表紙を、強く握りしめた。
「依存ですね」
「ーーー、は?」
「依存でしょう?自分が居なくなって、弟がどうなっているか心配。上辺は綺麗に聞こえますが、貴女自身が弟を必要としているだけなのでは?弟自身は、もう貴女なんて必要ではなく、頑張っているのなら、貴女が元の世界に戻る必要は、無くなるのでは?」
弟が、私を、必要としない。
息が止まる。
思考が止まる。
本が落ちる音はしなかった。いつの間にか近づいたベルリアが、本を落としかけた私の手ごと、持っていたからだ。
「答えなくていいです。その顔が、全てを語っています」
「戻るわ。戻らないといけないの。弟が」
言い聞かせる。
ただ、その為だけに四年間頑張ってきたのだ。使ったことのない魔法を練習し、持ったことのない剣を振って、命を奪った。全ては帰る為。その為に、奪った命から目を背けていたのに。
もし、帰った時、弟が一人で立っていたら?
もし、私以外に頼れる人が出来ていて、苦しんでなかったら?
そこまで考えて、理解する。
「ほら、依存でしょう?」
私は、弟を守れる存在としてしか、許さない。
顎を掴み、涙を舐めてくるベルリアの胸板を叩くが、全く効いていない。そもそも、途方もない脱力感のせいで、力が全く出ない。
「諦めますか?この世界で生きていきますか?」
その問いに、答えは出なくもなかった。
何故なら、考える時間はあった。かなり泣いたお陰で、ここにいる時間は一時間は超えている。まさか、傷つけてきた男の胸で、泣く羽目になるとは思わなかった。
「帰るわ。弟の件は、帰ってからも悩みどころになりそうだけど、帰る必要があることに間違いはない。あのクソ親も残ってるし、あの子だけに押し付けたくないわ」
「そうですか」
「それに、あの神様の思惑を打ち砕かないと気が済まない。さらに言えば、あの勇者も、あの王女も、あの魔法使い共も、全員、見下してやる」
ベルリアは、そっと私から離れた。舐められた頬を擦って感触を消す。お前も変質者じゃないか。
彼は笑っていたが、作り物の笑みではない。
凶悪で、それでも、感情の分かる笑みだった。
「初めて戦った時から、勇者の前に立つ貴女を見て、気に入りました。もっと言うと、逃げかけた勇者に、拘束魔法を放ったのは、もう爆笑ものでしたね」
何とも言えない思い出話だ。勇者曰く、逃げたのではなく、戦略的撤退として引こうとしただけらしい。後ろに民間人がいるってのに、何処に行く気だったのだろう。
「この書庫の中で、元の世界に帰る方法について及び神、聖女について関係のある本を教えてあげましょう」
「っ、それじゃあ、全部読まなくてもっ」
「加えて」
浮かんだ希望に飛びつく。関係ある本の量は、まだ分からないが、それなりに減るだろう。
そこに、ベルリアは一言付け足した。
「俺も読みましょう」
「ーーーー。対価は?」
彼は、徐に、宝石が埋め込まれた表紙の本を一冊取った。それをペラペラと捲り、片手で閉じる。何やら、考え事をしてるようだが、悩むのはその動作の間だけだった。
「一冊につき、一回。俺とキスをしましょう」
「は?」
口を開き、ドン引いた顔をする私に構わず、もう一回本を開く。速読のように、激しく音を立てて、ページは彼の視界を流れていく。そして、本は終わりを迎えて、パタンと閉じた。
「貴女を召喚した神様は、善神です。この世界には邪神がいます。一応、我々は邪神に作られた存在になりますよ。さて、一回ですね」
「え、そ、それは、本からじゃなくて、ま、前から知ってたのでは!?」
「往生際が悪いですよ?アヤ」
なんと、初めてのキスは、上級者向けだった。
あれから、半月。元の世界に帰る方法は見つかっていない。とはいえ、その間に、色々なことがあった。
例えば、新しい魔王が出てきた。しかし、人間に喧嘩を売ることなく、世界は平和である。逆に人間を襲う魔族がいると、別の魔族が飛んできて、人間を助けることすらある。
人間はその事態に、大いに戸惑っていた。
「新魔王は、王族でも何でもないんですよ。初めは、魔族でも下っ端の方でしたね。まぁ、昔から面白い奴でしたけど」
ベルリアは、楽しそうに笑っていた。どうやら、新魔王とは良い関係のようだ。
但し、魔族は平穏なようだが、人間側は平穏ではない。私は、特に安らかな心になど、なれなかった。
新しい魔王が出てきた。倒さなければならない。勇者様、聖女様、もう一回お願いします。
あれ?聖女様どこだ?
という事態が巻き起こり、私は大規模に捜索されている。お陰で、買い物すらいけない状況で、ベルリアに買い物を頼んでいる。マントを被れば、バレることはないのだが、用心に用心を重ねた形だ。
ちなみに、魔族を倒さなければと言っているのは、一部の人間だ。私としても倒す必要はあまり感じない。だって、人間は何もされてない。
私と彼は、昼ご飯の野菜炒めを口に入れていた。
「もうちょっと、味薄めでお願いします」
「文句言わないで」
「言いますよ。俺の金です」
その金の出所が分からなくて、怖いってのに。
最近、彼はずっと側に居る。一緒にご飯を食べて、私の家で寝て、私の着る物にも口出ししてくる。
私だって負けてはいない。証拠としては、本一冊につき、一回のキスには慣れてきた。それが気に食わなかったらしいベルリアは、日本の文字や文化を教えるように要求してくるようになった。
まぁ、こんな状況になった今としては、彼がいないと駄目なので、渋々教えてやっている。
野菜炒めを食べ終わったベルリアは、突然口を開いた。
「そういえば、一つ、方法を思い付いたのです」
「方法?」
「ええ。帰る方法なのですが」
凄く悪い顔をしている彼は、地面を指さした。
「いっそのこと、邪神に頼ってみるのはどうですか?」
ベルリアは、私を呆然とさせる天才のようだ。
魔族領の奥に来るのは、初めてだった
不思議な花を見て驚いていると、視線を感じる。振り返ると、魔族の方々も同じような顔でこちらを見ていた。そりゃ人間よりにもよって聖女が来ているのだ。あんな、魂が抜けそうな顔になる。
「あ、パラディ!お前、その子、アレだろ!お前のアレ!」
「もう一生、黙りなさい」
ベルリアが戻ってきた。後ろのケモ耳の女が叫んでいるが、本人は無視している。
「行きましょう」
「ねぇ、私が聖女だって、バレてるの?」
「魔力量が桁違いですからね。我々魔族は、人間が感じるのとは違って、魔力を見ることができます。だから、魔族は人族より魔法が上手いのですよ」
魔族領には、都市みたいなものはなかった。小さな村、集落が続いていて、大きな建築物はない。
だけど、活気に溢れていた。畑を耕す夫婦の会話、遊ぶ子供達が通り過ぎ、若いカップルが魔法の練習をしている。恐ろしく平和で、貴族やら平民やらと言っている人間側よりも、こちらの方が、日本に近く感じた。
「俺の父、前魔王は、人間が嫌いでした。滅ぼしたいと言っていましたが、それは一個人の感情なんですよ。全員がそう思ってる訳じゃない。歴史の勉強は誰だってするんですよ」
馬鹿にするような物言いだ。歴史から、かつて積み上げた死体から、学ぶことは多いのだろう。それでもベルリアの父親は人が許せなかった。
だが、責める気にはなれない。
「人間は、馬鹿よ。今の状況を見て分かるでしょう?勝てたからって、調子に乗ってるの。ベルリアたちを殺したくて、堪らないんだわ」
何も事件は起こってない。魔族は人を殺してない。なのに、魔族だからという理由で、人は剣を振る。正しいと叫んで、命を奪う。
そんなに、正義に浸るのが楽しいの?
そんなに、戦いが面白いの?
くだらない。
「おや、我々を心配してくれるのですか?」
「してないわ」
「大丈夫ですよ。前に言った通り、今回の魔王は面白い奴ですから、上手くいくでしょう」
墓穴を掘ってしまった。顔を覗き込んでくる彼から、逃げる為、数歩先に行く。村を超えて、森の中を二人で歩いていた。
やがて、泉が見えてきた。
「入ったら会えます」
「分かったわ」
「その躊躇いのないところ、好きですよ。本当に」
好き。
その言葉に、目が開く。後ろを振り向きかけたが、何とか気合で踏みとどまった。期待してどうする。いや、その前に、何故こんなにも嬉しいのか。
意味の分からない心を抱えたまま、私は泉に飛び込んだ。
「あのさ、イチャイチャした後に、飛び込まないでくれる?ほんと、若い子ってデリカシーないわねぇ」
おそらく、邪神も女神だった。あやふやなのは、姿が見えないからだ。目を開けているか、閉じているかも分からない暗い闇の中に、自分は沈んでいて、声だけが聞こえている。
「それで?何か用があるのかしら。大体、分かるけど」
「私を、元の世界に帰してください」
邪神は黙った。無理なのだろうか。
「失礼ね。出来るわよ。ただ、我が連れてきた訳じゃないから、元ってのが何処なのかを見つけるのに、手間取りそうねぇ」
「お願いします」
「ただし、対価はもらう」
上手くいきすぎる筈がないと思っていたので、予想はできていた。問題は、何を要求されるかだ。
「貴女の全魔力、寄越しなさい」
「ぇ、それだけ?」
「アレに召喚されたのでしょう?貴女の魔力は、アレの物なのよ。それを所有することで、アレの位置を一生捕捉できる。分かるかしら?」
捕捉が出来る。それは、つまり、
「攻撃、いや、殺すつもりなんですか?」
「嫌なの?」
邪神は、あの神様を殺すつもりらしい。嫌かと問われたが正直に言うと、「どうぞ、ご自由に」なので、首を横に振った。「良い性格してるわね」と楽しそうな声が降ってきたが、邪神に言われるなんて心外だ。
「神を殺すことに関わるのよ。楽な人生は送れないわ」
「神に召喚された時点で、楽な人生じゃないので、良いです。終わりが良ければ、それで」
邪神からの返答は、すぐには返ってこなかった。
終わる時に、少しでも幸せなことを思い返せる程の余裕さえ、残っていればいい。そう思った時に、何故か、あの男に初めて料理を振る舞った時を思い出した。
「準備ができたら、呼んであげる。あぁ、でも」
でも?
「魔力は先に貰っておくよ」
ごっそりと何かを奪われた感覚がした。
泉から上がるというよりは、弾き出された。岸にゴロゴロと転がった私は、自身の身体が濡れてないことに驚いたが、それよりもベルリアの驚いた顔を見ることになった。
「何があったのですか!?」
「ーーー。帰れることになったわ。ありがとう」
「魔力がなくなってる訳を話してくださいよ」
邪神に魔力を捧げたことなどなど、話した。神様が撃墜されるかもという話は、そのターゲットに聞かれたら嫌だなと思い黙る。私が気を使ったところで、何も変わらないかもしれないが。
「全魔力を。ーーー、本当に、躊躇いがないですね」
「足があれば良いわ。魔力がなくても、足があったら、何処にだって行けるもの」
彼は納得したようだが、魔力のない私に戸惑っていた。
もしや、聖女ではなくなったから、興味が失せたのか。
「ちょっと、待ってください。危ない、危ないです」
興味が失せた訳ではないようだ。
来る時と同じ道を通って、帰っているのに、ベルリアが手を引いてくる。小川を超える時、折れた大木を跨ぐ時、荒くれ者と遭遇した時など。
そんな彼の過保護は、邪神と契約を交わしてから、数週間経っても続いている。
「買ってくるものは、これだけですか?」
「ええ。あのー、ベルリア、最近ずっといるけど、良いの?大丈夫なの?」
「はい。目の届くところにいた方が、俺の胃がマシだと思いまして」
言ってる意味が分からない。
そんな彼だが、どうやら呼び出しを貰ったようだ。何やら顔が二つあるように見える魔族と、睨み合っている。私の部屋で暴れないで欲しいのと、もう魔力がないので止められないので、地味に冷や汗が出た。
「遅くても、今日の夜には帰りますから。絶対に無茶をしないように」
「分かった分かった。いってらっしゃい」
ベルリアは、私の言葉を受けて、面食らった顔をした。
その後、彼は笑った。
そう、嬉しそうに笑ったのだ。
「行ってきます」
ドアが閉まる。部屋に一人になった。
頬が熱かった。
その上、唾を何度も飲み込んでしまう。
「落ち着こう。そう、落ち着いて、私」
態々声に出して落ち着く。
そういえば、彼は夜には帰ると言っていた。ならば、料理の準備をしなければならない。魔石冷蔵庫を覗き込んで、食料を見た。
しまった。肉がない。
豪勢にしようと思った矢先に、これだった。
どうしようか。
いや、やっぱり豪勢にしたい。
マントを羽織り、顔を深めに隠す。ズボンを履いて、少しでも男らしく見えるようにする。いつもなら、魔法で声を変えたりするのだが、もう出来ない。
肉屋のおじさんは、機嫌が良いことが伝わったのか、多めに入れてくれた。何を作ろうか迷ってしまう。いっそのこと、ステーキみたいに焼いてしまって、
「こんな所にいたのか、聖女さま」
聞くタイミングを逃してた上に、言うタイミングも逃してたんだと思う。
私のこと、どう思ってるのだとか。
私が、ベルリアのことを、どう思ってるとか。
元の世界に帰るから言い出せなかったことを、言えば良かった。
後頭部が痛い。足が痛い。なのに、頬が感じるのは柔らかい感触だ。
前は、足で踏みしめていたカーペットだと気づいたのは、目を開いてからだった。同時にシャンデリアや金の燭台が嫌でも目についた。
目の前で、誰かが叫び合っている。
私が起きたことに気づいたのか、ソイツは振り返った。
「久しぶりだな、アヤ」
「え、誰?」
「勇者だよっ!!」
そうだった。顔が良いだけの勇者だった。どうやら、ジジイになる呪いは解けたらしい。
周りを見渡すと、甲冑を付けた騎士たち、ドレスや貴人服を纏った貴族たち、王や王女も見える。ここは城だと理解したカーペットはフカフカだが、彼らの顔つきは険しい。
勇者を見上げた。私の視線を受けると、ビクつきながら聖剣を握っている。
無視して、この場のトップを見た。
「何の御用でしょうか、陛下。こんなお招きを受けるとは、思いませんでした」
足枷のついた状態のまま、立ち上がる。手を貸そうとした騎士は押し返した。
「聖女よ。己が務めを果たせ。魔王を倒すのじゃ」
この国には、何故老人ホームがないんだ。
「陛下。魔族が人側に攻めて来ましたか?彼らは人を滅ぼそうとしてない」
「しかし、万が一のことがある。アイツら邪悪な存在は、消し去らねば、平和は来ない。その為の勇者であり、その為の聖女なのだ」
「その通りです。陛下」
勇者が同調している。貴族も、騎士も頷いている。誰もが賛成のようだ。
私は反対だから、その意思を伝えようとしたが、その前に致命的なことを思い出してしまった。
「私、もう魔力ないんで、聖女ではありません」
正にそれ以前の問題。
勇者や他の人々も凄まじい顔をして、見てくるが事実だ。
それよりも、私の肉がどうなったかを知りたい。まさか、町中で襲われて、そのまま落としたのだろうか。
「殺せ」
何かを、王が言った。
鞘と刃の擦れる音がする。その音の中心に、自分がいると分かった。
「聖女が、魔力を、失うじゃと?そんなこと、有り得ない。有ってはならない。お前は聖女じゃなかった」
空気が揺れて、貴族たちが魔法を発動する。
「我々を謀ったな!?」
まずい。
理解したが、何も出来ない。
今まで思い続けた弟の顔が浮かぶ、と、思ったが、
「なんで、そこで貴方なのよ」
衝撃が、身体を焼いた。
人間って、なかなか死なない。
寒い牢屋の中で、月を見上げて思ったことだ。片目が見えない、指が何本か吹き飛んだ、片足が変な方向に曲がっている、肋骨が飛び出てる。だけど、死んでない。
きっと、中途半端な治癒魔法をかけられたからだろう。
「ぁ」
痛い。
苦しい。
悲しい。
もう、さっさと、殺して、
「路地裏も似合わなくて、城も似合わないですね。そして、牢屋も似合わないと来ましたか。ほんと、面白い人ですね」
枝の無くなった掌をついて、顔を見上げる。
ベルリアが丁度、牢屋の鉄格子を破壊した瞬間だった。彼は乱暴に全てを壊すと、私の首に手を伸ばした。
「本当に、貴女は」
「ベル、リア?」
首を絞められると思ったが、その手は頬を撫でた。歪な笑い顔が、涙を堪えている顔だと分かる。何かを言わなくてはならないと思ったし、何かを言いかけていると感じた。
だが、その暇を与えてくれない。
「行きましょう。正面突破はしなかったのですが、兵は来るでしょう」
彼は私を軽々と持ち上げた上で、牢屋の壁を勢いよく殴りつけた。月明かりが牢屋を照らし、夜の風が入ってくる。
少し気になったことがある。
「貴方が城を襲撃したら、人間が魔族を襲う大義名分を得ることになるんじゃ」
「なりますね」
「ちょっ、駄目じゃない!」
ベルリアが赤い瞳を光らせて、こちらを見た。
「死にかけた人間が、黙ってくれません?ただでさえ、狙われていた癖に。何故、外に出たのです。魔力も邪神に渡した癖に。ああ、両足を食ってやろうと思いましたよ」
「っ、それは嫌よ」
「残念。ずっと、抱えて運んであげようと思っていました」
苦し紛れの拒絶に、彼はにっこり微笑んだ。助かったことは事実であり、自分の油断が招いた状態なのも事実だ。ベルリアがいなければ、私は死んでいた。それも、嬲り殺しに遭っていただろう。
だから、今は彼に従うしかない。
ふと、私を持つ腕の力が、強くなった気がした。
「ベルリア?」
呼びかけに応じない彼の視線が、向く方向を見る。
時刻は夜にも関わらず、夜の黒が割れる。太陽の如き光が、城の中庭から立ち昇っているのだ。
それは、勇者が聖剣を使う時に起きる光景だった。
何度も見たことがある光景だが、光の量が異常だ。あそこまで、夜を負かすほどの光なんて、勇者は持ち得なかった筈で、
『逃がさない』
頭の奥底で、あの神様の声がした。
ベルリアにも聞こえたのか、唾を飲む音が私にまで聞こえた。
聖剣が、それによる光の柱が、振り下ろされる。走って逃げるなんて不可能であり、一人抱えているのだ。
巻き込んではいけないと、咄嗟に腕の中から抜け出そうとした。
なのに、彼は腕の拘束を強め、その攻撃に背を向けた。私を守るように、抱きしめた。
何かを、ベルリアが言った気がして、
光が、視界を殺した。
「約束を守らない奴ってのは、嫌いなのよね。人間も、魔族も、神さえも、それを守らないと成り立たない部分があるでしょう?」
暗い暗い空間に立っている。今回は泉に飛び込んだ訳ではないのに、再び邪神の前にいた。
何が起こったのか。
「聞いてる?」
そうだ。神様が、私を殺そうとしたのだ。何故?いや、そんなこと、どうでもいい。
大事なのは、ベルリアだ。
私は確かに、彼の腕の中に居たはずだ。しかし、思わず掻き抱いた肉体はなく、たった一人で立っている。
「あの子なら、死んだわ」
「っ、ぁあ」
喉の奥、気管の奥、肺が膨らむのを止めたように感じた。
「貴女も死んだんだけど。ギリギリこちらで回収したわ。元の世界が見つかったからね」
「もとの、せかい」
「ええ」
元の世界。弟。四年以上、ずっと考えていたことであり、望み続けていた結末がそこにある。
なのに、全く嬉しくない。
帰れるのに、何も、私は嬉しくなんてない。
ベルリアが、好きだった。
邪神と契約して、帰る算段が整った後に、いってらっしゃいと言ってしまった時に、勘づいてしまった。
どうしようもなく、好きだった。
同時に、墓まで持っていくと決めた。元の世界に帰る癖に、告白なんてする女は、最悪だと思ったからだ。
その彼が死んだ。
元の世界で、彼との思い出を抱えて、過ごそうと思っていたのに。それで、この世界で生きている彼を、ずっとずっと愛し続けようと思ったのに。
ベルリアが死んだ。
「ぁ、あ、ぁあ」
崩れ落ちた私に、邪神は何も言わない。
その間は、数分、数時間にも思われたが、やがて口を開いたのは、邪神だった。
「生き返らせてやろうか?」
「ぇ」
何処にいるかも分からない彼女に向かって、顔を上げる。
一筋の光が見えた気がした。
私は、その希望に訴えるのを、躊躇わなかった。
「生き返らせて、ベルリアを、生き返らせて下さい!!」
縋り付くように叫んだ私は、立ち上がる。そして、邪神に聞いた。
「対価は?」
「貴女こそ、何がいいと思う?元の世界に帰るってのを取り消すのは無しね。労力が無駄になるわ。そうね、貴女の大事なもの。二つを奪わせなさい」
二つ。
一つ目を思い付いたのは、邪神だった。
「記憶。この世界での記憶を貰いましょう」
彼との思い出を手放すことになるが、彼が生き返るならと、頷いた。
二つ目を思い付いたのは、私だった。
「足を」
「足?」
「足を丸ごと奪うなり、脚力を無くすなり、好きにして下さい」
魔力がなくったって、何処にでも行けるのは、足があるから。
それを誇れたのは、褒めてくれた彼がいたからであり、その彼に両足を捧げることに後悔はなかった。
きっと記憶をなくしたって、私の心は後悔をしはしないと、断言できる。
だからこそ、この両足を、邪神に、ベルリアに、あげよう。
「私は、この両足を捧げます」
少し考えた後に、邪神は承諾した。
「分かった。それじゃあ、元の世界に送るわ」
闇が、私を飲み込んでいく。感覚的には、夜のプールに少しずつ沈められていくようだ。顎を、口を、鼻を飲み込まれて、目と額だけになった時、額に誰かが口付けをした。
「安心して、約束は守るし、あの神様は必ず殺すわ」
凄く、眠たい。
「名前は、そうね。カヤにしてちょうだい」
最後の一言だけ、意味が分からなかったが、私は瞼を下ろした。
風が気持ちがいい。弟が風邪を引くからと口うるさく言うが、もう少し窓を開けたかった。風に当たりたいなら、中庭に行けば?と思った人もいるかもしれないが、中庭は何故か嫌なのだ。
長期入院を余儀なくされている日々の中で、どうしても中庭には行けない。言うなら、太陽の光だって怖い。
さて、私には、意味不明な現象が起こっている。
一つ目は、四年以上、行方不明だったらしい。何が起こったかは分からないが、下校中に突如消えた私を、弟はずっと探してくれていたようだ。
二つ目は、両足が動かない。これが困ったもので、何処にも行けなくなってしまったのだ。
だけど、不思議と文句はない。どちらかと言うと、この足を見ると、安心してしまう。
これを弟に伝えると、「ストックホルムっ!!」と叫んでから、「絶対に誘拐犯殺すから、待ってて姉ちゃん」と言い残して消えた。弟の友人たちも協力して、犯人探しをしているらしい。
あの弟に友達が出来ていることは、とても嬉しいことだ。何やら彼らが、私たちの親に成敗を下してくれたようで、弟の世界は劇的に変わったらしい。
などと考えていた私は、病院のベッドによじ登るのに失敗した。車椅子から、ベッドに戻る時に体勢を崩したのだ。周りの爺ちゃん、婆ちゃんが「偉いこっちゃ」と叫んでくれている。
そろそろ弟か、看護師が来てくれるだろう。
「大丈夫ですか?」
羨ましいぐらい肌が白い男が、私を見下ろしていた。綺麗な赤い目がこちらを見ている。
「あ、はい。大丈夫、て、ひっ」
男が私を、軽々と持ち上げた。
「足を食った暁には、ずっと運んであげようと思っていましたし、余裕ですね」
何を言っているのだろうか。私は、彫刻のような顔立ちを持つラテン男を、軽く睨みつけた。さっさと下ろせとは伝わらなかったようで、早々に口を開いた。
その口が、塞がれる。
爺ちゃん婆ちゃん達が、「あっちあちだよ」なんて言っているが、それどころではない。
何故、初めから上級者のキスをする。
貴方、なんて、知らな、
「ベルリア?」
溢れ出る涙と共に、彼の正体を問う。荒れ狂う記憶の中で、彼だけが鮮明に輝いている。
いや、記憶だけではない。
目の前に、彼がいる。
「なんで」
「貴女が生き返らせた癖に、それ言います?」
「いや、そうじゃなくて、なんで此処に。待って、私の記憶もどうして」
「どうだって良いでしょう」
涙を舐めてくる彼を、掌で押し返すが、逆にその手を取られる。腕一本で、身体を持ち上げるところは、流石だが、質問に答える気がないらしい。
「アヤ、好きです」
「っ」
「もう、それだけで良いでしょう?今はそれだけで」
抱きしめられた。開いた窓から、太陽の光が入ってくるが怖くない。あの時の聖剣の光とは違う。それに今なら、中庭にだって行けそうだ。
違う。
そう言うことではなくて、
「待って」
「待ちませんよ」
「待って!」
口を押さえる。この男は、言いたいことを言わせないつもりなのか。
やっと、やっと私だって言えるのだ。
もう、墓場まで持って行かなくて良い。もう、思い出に浸らせなくて良い。
「好きよ、ベルリア」
両足を捧げた末に、生まれた未来があるのだから。
「姉ちゃん!!ソイツ、誰!??」
誤字脱字があれば、教えてほしいです。お願いします。
何故ベルリア居るの!?と思った方は、活動報告を見て頂けたらと思います。
解説みたいな設定を明かしています。
簡単に言うと、善の神殺すの手伝ったご褒美として、邪神に送ってもらった感じです。
他にも、設定があるので、活動報告の方、見て欲しいです!
お読みいただきありがとうございます。