バットエンドなバッドエンド
「勇者様、お願いします!どうかこの世界をお救い下さい!」
「はぁ……」
突然、豪華なドレスを着た女性に頭を下げられた久留宮蒼士は、よく分からない状況に生返事しか出来なかった。
野球部に所属する蒼士は、毎日の日課であるバットの素振りを自主練していた。つい先程までは。
百回というキリのいい所までやって、少し休憩しようとしたちょうどその時、いきなり地面が光り出して見知らぬ場所にいたのだ。
「突然のことで混乱するのも当然ですわ。私はセルサニア王国の国王が娘、セリシティアと申します。今、この国は魔王に侵略されておりますの。魔王はとても強く、この世界の者達では到底勝ち目などございません。そこで、私達は違う世界から強大な力を持つお方を召喚したのです。そして、喚ばれたのが貴方様ですのよ」
「えっと、僕にはそんな力などないと思います。ごく普通の学生でしたし……」
流れるように語るセリシティアは、戸惑う蒼士に向かって微笑んだ。
「いいえ、勇者様は間違いなく強大な力をお持ちですわ。その証拠に、勇者様の右手には武器がございますもの」
「これは武器なんかじゃな……く……って、何だこれ!?」
蒼士の反論する言葉が、途中で混乱に変わった。右手にあったのは、先程まで使っていたバットではなかったからだ。持ち手以外の至る所に釘が付けられたバット、いわゆる釘バットになっていたのだ。
「勇者様はこの世界に降り立つ時、御自身がもっとも得意とされる武器を持っていらっしゃるのです。私も初めて拝見する武器ですが、勇者様がお持ちの武器ですもの。きっと強力に違いありませんわ」
『普通のバットだと殺傷力が低くて大変だろうから、サービスで殺傷力の高い釘バットに改造しといたよん。勇者として、魔王討伐がんばってね!この世界の女神より』
セリシティアの話が終わると、知らない女の楽しげな声が蒼士の頭に響く。女神と名乗る女が告げた内容に、怒りが沸々と湧いてくる。
ふざけんな!このバットは父さんが中学の入学祝に買ってくれた大切なバットなんだぞ!それを勝手に改造なんかしやがって!
そもそも、バットは誰かを傷付けるためのものじゃない!野球を楽しむためのものだ!
「では、勇者様はこちらへ。謁見の間までご案内致しますわ」
怒りを吐き出そうとした蒼士の出鼻が挫かれる。仕方なく、歩き出したセリシティアの後を追った。
「こちらが謁見の間です。勇者様、中へ」
セリシティアに連れて行かれた先の謁見の間。そこへ足を踏み入れると、中には国王を始めとするたくさんの人がいた。様々な思惑を含んだ不躾な視線が蒼士へと突き刺さる。
「そなたが勇者か。娘から話を聞いているとは思うが、儂からも改めて伝えよう。勇者よ、どうかこの世界のために魔王の討伐をしてきてくれ」
「お父様、勇者様は今すぐにでも旅立ちたいと仰せでしたわ。必要な物を与えて、勇者様のご希望を叶えて差し上げましょう」
蒼士が国王へ返事をするよりも先に、セリシティアが勝手に返事をした。
どういうことだ? 僕は旅立ちたいなど、一言も言っていない。なのに、どうして僕が今すぐ旅立ちたいことになっているんだ? どう考えてもおかしいだろ。
「それは素晴らしいな。まさに勇者たる者に相応しい心掛けである。大臣、勇者の旅に必要な物を今すぐ持って参れ」
「はっ!」
国王の命令に、大臣が慌てて部屋を出て行く。
ハッとした蒼士は、先程のセリシティアの発言を否定すべく、国王に話しかけることにした。
「あの……」
「すまない、勇者よ。今大臣が必要な物を取りに行っているが故、もう少し待っていてはくれないだろうか?」
こうして、蒼士は地図と僅かばかりの金を持たされた後、城どころか街すらも追い出されたのだった。
「はあっ……はあっ……」
それから数時間後、魔物に追いかけられている蒼士は森の中を必死で走っていた。
右手にある釘バットを使えば、おそらく魔物は倒せるだろう。
だけど、いくら女神に改造されたとは言え、父さんから貰った大切なバットをそんなことに使いたくなかった。
「……嘘だろ?」
森を抜けた蒼士の足が止まる。崖の上から見渡す景色は、こんな時でもなかったら、綺麗だと思えるものだった。背後から魔物の鳴き声が聞こえる。
「ちくしょうっ!」
蒼士が迷ったのは一瞬で、その後は躊躇いなく飛び降りた。
思い出すのは、中学一年の時のこと。
思うように打てなくて、不貞腐れていた日々を変えるきっかけをくれた女の子がいた。
どんなに凄い選手でも練習は欠かさない。今が辛くても、積み重ねた練習は裏切らない。いつかプロの選手になったら、サイン付きのホームランボールが欲しいと笑った女の子。
その笑顔に励まされて練習をがんばったら、不思議と結果が付いてきた。
だけど、もしもその時に野球を諦めていたら、今ここにいなかったのかもしれない。
いや、その程度で諦めた自分が召喚されたら、きっと釘バットを何も考えずに振り回していただろう。
人の話を全く聞こうとしない国王や、人の発言を捏造するあの女や、大切なバットを勝手に改造した女神の望むままに。
だったら、今の野球を諦めなかった自分の方がよっぽどいい。
もっと野球、やりたかったな……。
風を切る蒼士の体は地面に打ち付けられ、意識は闇の中へ消えていった。