8.森を出て、森へ戻って
シーマが森の小屋にやってきて3日目の朝。
傷があらかた治り、体力も回復したのでシーマは街へ戻ることにした。
「もっといて良いのに……」
ルノアが寂しそうな声で訴えながら、シーマの袖を引っ張った。
リヒトは何も言わないが、眉が少しだけ下を向いていて別れを惜しんでいるのが分かった。この2日でリヒトの感情も読めるようになったものだ。
「依頼の期限も迫ってるし、いつまでもお世話になる訳にもいかないわ」
「そこはリーくんと付き合っちゃえば問題ないよ!」
「前提が問題なんだよ……。そろそろ相手するのも飽きてきたぞ」
リヒトは呆れた表情で頬をかいた。
「沢山稼げるようになったら恩返しをしに、また来てもいいかしら?」
「勿論! ていうか、いつでも遊びに来て!」
ルノアはシーマの手を握るとぶんぶんと激しく振った。鳥だったらこのまま飛べてしまいそうな勢いだ。
「沢山稼ぐっていうなら、まずは今回の依頼を達成しないとな」
そう言ってリヒトが差し出したのは、ヴァルツ草の束だ。まだ葉もみずみずしく、採取してきたばかりの状態だ。
「いつの間に、貰っていいの?」
「帰りに採取しようと考えてたんだろうが、迷って戻ってこられても困るからな。次の依頼はもっと準備してから受けるんだぞ」
シーマから目を逸らして早口にまくしたてるリヒト。心配してくれているのは充分伝わってきたので、素直に受け取ることにした。
「森の出口近くまで送ってやる。人目に付かないように行くから遠回りになるだろうが」
「ありがとう、お願いするわ」
シーマが頷くと、リヒトは「《叶え給え、揺蕩う霧雲》」と透明化の魔法を唱え、ルノアもまとめて姿を隠した。
森の景色は変わり映えせず、人の気配を察知するなりリヒトが進路を変えるので、歩き始めてから5分もするとシーマは自分の向いている方角が分からなくなっていた。採取なんてしていたら、確実に迷子になっていただろう。
途中見かけた出血草の解説を受け、朝ご飯に食べた目玉焼きが美味しかったなどと他愛ない話をしているうちに、森の切れ目が見えてきた。
「あそこが街道だ。右に曲がって進めば街に戻れる」
森の中に比べれば格段に明るい道が目の前に広がっている。
普通は森を抜けたことに安心しそうなものだが、シーマにとってはまだ見慣れた道ではなかったため、思いの外感動は沸かなかった。
むしろ森を離れる、2人と離れる寂しさの方が心に重くのしかかる。
街についてその日のうちに依頼を受けたため、滞在時間はどちらも少ないとはいえ森の小屋の方が長いのだ。
「やはり人目が多いな……じゃあな、元気でやれよ」
「え、もうお別れ……?」
ぼんやりしていたシーマはリヒトの声にハッとして振り返った。しかし、もう二人の姿はどこにも見えなかった。
代わりに見知らぬ冒険者が横を通り過ぎる。「邪魔だ」と肩をどつかれてシーマは転びかけ、首から下げていた羽飾りが大きく揺れた。
そのきらめきが目に入って、羽飾りをしまっておくように言われたことを思い出したシーマは、そそくさとそれをシャツの中へ入れ、意を決して森の外へ踏み出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「遅かったですね、大丈夫でしたか?」
「ええ、色々ありましたけどなんとか。これ、ヴァルツ草です」
街へ戻るとすぐにギルドハウスへ向かったシーマは、受付に依頼達成の報告をした。
日帰りどころか数時間で達成できるような依頼に丸2日もかけたのだ、遅いことを注意されず心配してくれるのは有難かった。
だが逆に言えば心配するだけ。駆け出しが数日迷子になったところで捜索などしてもらえない。また凄腕の冒険者が苦戦するようなところには増援しても意味がない。身分が証明できなくても仕事が貰えるが、命の保証はされていない厳しい世界なのだ。
「はい、間違いなくヴァルツ草ですね。報酬をどうぞ」
ヴァルツ草と引き換えに渡されたのは、僅かばかりの硬貨が入った布袋。シーマは中を覗き込んで、考えこむ素振りを見せた。
「どうされました? 金額が間違っていましたか?」
「あ、そうじゃないんです。いや少ないなって思ったのは事実ですけど、これだとお返しがいつできるかなって……」
シーマは話の流れで、森で迷いシュラヘビの毒を浴びてしまったこと、それをある少年少女に治して貰い回復するまで面倒を診て貰ったことをかいつまんで説明した。
詳しい容姿や名前、勿論魔法の事は秘密にしたから、このくらいなら話しても大丈夫だろう。遅かった理由を全く話さない方が怪しまれるに違いない。
「稼いで恩返ししますって言ったは良いものの、これじゃあ宿代で消えちゃうわ……」
「薬草採取は簡単な依頼ですから。慣れれば移動込みでも半日かかりませんし、他の採取や魔物の討伐依頼と合わせてこなすのが普通ですね」
「それもそうか……じゃあ今日は、ヴァルツ草の他にももう一つ依頼を受けよう」
「はい、その意気です。ではこちらの依頼はどうでしょう」
シーマは勧められた毒消し草の採取依頼を受け、今度はきちんと特徴を確認してからギルドハウスを後にした。
「またあの森に戻るのね。すぐに会えたりしないかしら。でもシーマはともかく、リヒトは用心深いし……。ううん、まずは採取採取!」
毒消し草もヴァルツ草と同じくフィンスターの森に生えている。二人との再会を淡く期待しながら、シーマは来た道を戻っていった。
「なあ、本当か? あの嬢ちゃんが『聖獣の羽』を持っていたなんてよ」
シーマがギルドハウスを去った直後、受付の傍にいた男が仲間に問いかけた。話を振られたのは、シーマがフィンスターの森を出る直前にぶつかった男だ。
「ああ。今は隠していたが、森ですれ違った時は確かに付けていた」
「怪我して面倒見て貰ったって言ってたよな。まさか森の奥にいるってのか?」
「旨味が無くて冒険者が入って来ない場所だ、むしろ隠れるには都合がいいだろうな」
「探す価値はありそうって訳か。おい、お前も手伝えよ」
柱の陰で二人の話を聞いていた細身の男が無言で頷き、男達はシーマを追う様にフィンスターの森へ向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「よし、ヴァルツ草はこれで採取完了! 毒消し草はどこかしら?」
直前まで現物を持っていただけあって、シーマはあっという間にヴァルツ草の採取を終え、毒消し草を求めて森の浅い所で探索を続けていた。
薄い黄緑色で、ギザギザして細長い葉。特徴は教えて貰ったが、森のどの辺りに生えているかを聞くのを忘れていた。
次はその情報も仕入れなくては。反省して次に活かすのだ。
シュラヘビや、同じギザギザ葉の出血草にも注意して、草むらを進んでいく。
必死に目をこらすも、なかなか毒消し草は見つからず、時間だけが過ぎていった。
「この森にはあるはずなのよね……森の奥には採取するような物は無いってリヒトは言っていたし。どうしたら良いかしら」
うんうんと唸って考え込むが、ここまで来たらとにかく探す以外に方法は無い。
諦めともとれる覚悟を決めて探索を再開しようとしたその時。遠くから声が聞こえてきた。
「ぎゃー」
悲鳴、というには少し間の抜けた、しかし何か良くないことが起こっていることを思わせる大きな声だった。
「この声、まさかルノア!? 行かなきゃ!」
聞き覚えのある声に感じたシーマは、声のした方へ走り出した。