4話
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アスファルトの白線を辿るように、見慣れた路地を曲がる。似たような形、色の家々が蜃気楼のようにボヤけて、断続した住宅街を抜けていく。おそらく普段意識していない為に起こる現象なのだろう。
ふいに視界に入った自宅。そして俺は何気なく玄関のドアを開いた。
『おかえり、あ・な・たっ。お風呂にする?ご飯にする?それとも、ボクに…する?』
そこには何故かエプロンを付けた人物がいた…
「ッォウ!?!?!?」
…ような気がした。
バタンッ!
俺は踵を返し扉を閉めた。
姿形が見えてはいるものの、輪郭がぼんやりとしていて、慌てていた事もあり、顔が認識できなかった。が、ボクっ子は知る限り周りに一人しかいない為、恵だと判断する。
そして、そんな考えも纏まらないうちに、接続を切られたかのように意識が浮上していく。
カッと見開いた目が自室の天井を捉え、夢だった事を改めて知る事となった。
次第にクリアになっていく思考。隣で寝ている恵を思い出して視線を向けると、規則的な寝息を立てて眠る、幼さの残る恵の顔がそこにあった。
窓の外はまだ暗く、休日だという安心感と、布団の中の心地よさに俺は再び目を閉じた。
◆
「ん~~~」
目が覚め、弓なりに身体全体を伸ばす。
その場で寝返りを打つと甲の寝顔が目の前にある。それだけで幸せだった。
「…お兄、起きてる?」
反応のない甲を確認し、その頬に唇を押し当てた。
身体の芯から熱が込み上げ、視線は自然と口元へと動く。だいぶ慣れたとはいえ、緊張はあるし、愛するよりは愛されたい。
唇は――身体は甲を求める。
一方通行の想いはもう飽きた。
「今日はランニング休んでいいよね」
誰に言うでもなく、ただ自分に言い聞かせる為に呟いた。
まな板を叩く包丁の音が聞こえ、下の階へと向かう。
勝手知ったるなんとやら。
「おはようございまーす…」
恐る恐るリビングを覗き込む。
そこにいたには甲の母親一人だけだった。
もう一人の母親と言っても差し支えなく、まるで実の子のように可愛がってくれる甲の母親。
時には叱られ、喧嘩もする。
誰よりも器が大きく、包容力のある姿は憧れであり、親友のような母親のような存在に感じていた。
「おはよう恵ちゃん。もう少し寝てていいのよ?」
いつもと変わらない優しい笑みを見せる甲の母、由紀子の姿。
「ううん、お兄起きる前に、一旦帰って着替えてくる~」
そう言って家を出る。
「はーい。気をつけてね」
テレビで姑のいびりが…、などと目にする事もあるけれど、全く想像できない。
甲の不思議な包容力と童心を忘れない心は母親からの遺伝なのだろうかと考え、同時にそんな親子に触れられて、包み込むかのように受け入れてもらえた事に深い感謝の念を抱いていた。
◆
休日、布団という悪魔の誘惑を退け、身体を起こす。
未だ残っている頬の感触に触れ、一人呆然としていた。
「ほんと、どうしたんだ俺…何だよこれ…」
胸を締め付けるような、例えようのない感情が渦巻いていた。
俺は着替えを済ませ、なんとなく静馬へ連絡を取った。
「もしもし、静馬、今日空いてるか?」
何をしたいわけでもなく、ただ誰かと話をして気を紛らわせたかっただけ。
「なーにー、今日は桜ちゃんルート攻略する予定だからー」
電話口から聞こえる静馬の気だるそうな声から、徹夜でギャルゲの消化に勤しむ静馬の姿を想像した。
「あ、あぁ、邪魔して悪かったな。頑張って…ね…」
「うーん」
通話終了。
一番暇そうな男から断られ、一日の過ごし方について思考を巡らせていた頃、部屋の扉が開いた。
「ほぇ!?珍しい!おはよ~お兄…まだ寝てるんだと思った。まさか、今日雨でも降るの!?」
素っ頓狂な声を出して驚いた恵が心配そうに空を眺めるが、季節がら雨が降ろうが雪が降ろうがおかしくはない。
「あ、ああ。天気予報つけるか?」
(やっべぇ!こういう時どんな顔すればいいんだよ!?いつもどんな顔してたっけ!?)
血の気が引くような――罪悪感とでも言うのだろうか。それとは裏腹に、恵を妙に意識してる自分がそこにいた。
寝起きのローテンションを装ってみたものの、不審に思った恵が顔を覗き込む。
ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香りが、心臓の鼓動を加速させる。
「どうかしたの?」
何度も落ち着けと自身に言い聞かせ、意識するほど落ち着きを失う。
「え…あ、ああ?んん??」
(俺、別に何もしていないよな?むしろしたのはコイツなのに、なんでいつもと変わらねーんだよ!?いや、いやいやいやいや、待て待て。頬だし、海外じゃ挨拶だしぃ??そんな意識するもんじゃねーよな!?)
「お兄、なんか…変だよ?」
「あえ?あ、ぁあ、腹減りすぎてテンションがおかしくなってるかも!?恵こそどうしたんだよ…可愛い、格好して…」
完全なるパニックだった。
もう自分自身何を言ってるのかも定かでない。今どんな顔をしてるのかもわからない。
先程まで渦巻いていた感情の嵐が、轟々と音を立て全てをなぎ倒していくハリケーンに変わる。
一瞬夢なのでは、と疑って腿の内側を抓ってみたが、残念な事に紛れも無い現実だった。
「え……あっ!?そ、そう?うっ、ぁりがとう。朝ご飯、できてるよ…」
一瞬驚いたような表情をした恵。すぐに顔を赤らめて、スカートを翻してそそくさと部屋をでていく。
黒いストッキング越しに見える肌の色を、俺は呆然と見つめていた。
そして、一人部屋に残った俺は遠ざかる足音を確認し、
「マジでなんだよこれ!?」
ベッドに突っ伏した。