画竜点睛2
タツノリらが便乗する船は、日本を出港し、荒波に揉まれながら、なんとか無事に大陸の港町に着いた。タツノリらは故郷の支援してくれた人たちのためにも、この国に留まって各地の霊場を巡礼する予定だ。
しかし、タツノリは船に乗っているあいだから、強烈な吐き気に悩まされていた。上陸後も、症状はおさまらず、その場にしゃがみこんでしまった。タツノリは来て早々、船酔いで動けなくなった。
「気分が悪いです……」
「これはいけませんね。どこかで休ませてもらいましょう」
見かねた住職は、港の近くの宿を取った。タツノリはその宿の二階の一室で休むことになった。そこは木の匂いがして、落ち着ける部屋だった。タツノリは寝床に横たわり、深く息を吐いた。そばではナオマサがねんごろに看病をしてくれている。
「調子はどう」
「ありがとう。大分よくなったよ」
タツノリは感謝しつつも、ナオマサに悪い気がしていた。先程からナオマサはそわそわと落ち着かない。
「もう平気だから、行っていいよ」
「えっ。いいのか」
「異国を早く見て回りたいって、顔に書いてある」
ナオマサは目を輝かせる。
「悪いな。すぐ戻るから」
ナオマサは慌ただしく階段を駆け下りていった。
このころ、この港町はまだ帝国の支配下にはなく、南の大国の領土だった。タツノリらが来たのは、帝国に滅ぼされる前の南の大国だった。
しかし、この国は次々と大陸中の国々を屈服させている帝国ににらまれて、日々戦々恐々としていた。北部の国境付近では警戒が続いている。
窓から風が入ってきた。緊迫した国の情勢を感じさせない風だった。タツノリは窓の外を見下ろす。次の瞬間には、階段を駆け下りて、一階にいたナオマサと住職が止める声も聞かず、宿屋の外に飛び出していた。なぜそれを追いかけようと思ったのか、その理由は、いまだに知りえない。右も左も分からない異国の地で、何度も道に迷いながら、今、自分の目に映ったものを必死で捜した。自分でも驚くくらいに自然だった。タツノリは引き寄せられるように、ひっそりとたたずむ古い納屋の前にたどり着いた。間違いない。ここだ。タツノリは思い切って、なかに入っていった。
「あ、あの」
薄暗いなかで、男が振り向く。
「それは、何ですか」
タツノリが質問しても、男は無言で答えない。
「大陸には珍しい馬がいるんですね。近くで見てもいいですか」
「これは馬ではない。竜だ」
男はやっと口を開いて言った。
「竜……。初めて見ました。鞍がついているってことは、乗れるんですね」
男はうなずいた。
「ぼくにも乗れますか」
「竜は高飛車な生き物だ。そうやすやすと乗れるものではない」
「では、修行します。そしたら……」
「言葉がたどたどしいな。お前はどこから来た。竜に乗ろうなどと、考えぬことだ」
「そんな……。もっと竜について教えてください」
「帰れ。二度とここには来るな」
男には取り付く島もなく、タツノリは追い出されてしまった。
「タツノリ、いったいどうしたんだよ」
宿屋に戻ると、ナオマサが息を切らしていた。おそらく捜してくれていたのだろう。
「ごめん。なんでもないよ」
タツノリは竜を見たことで、胸の高鳴りがおさまっていなかった。そして、秘密にしておきたかった。
「二人とも、そろいましたね。我々の今後について、話すことがあります」
住職によると、先程役人が来て、今回の巡礼に、馬を支給すると言ってきた。だが、住職らの中に馬に乗れる者はいなかった。そのことを伝えると、役人は困った顔をして帰って行った。
「何か対策を講じてくれそうですが、今晩はここに泊まることになりそうです」
「馬かあ……。考えてなかったな」
ナオマサが頭の後ろに手を回して言った。
「何でも、我々の先に入国した僧侶の一行に、馬を扱える者をすべて回してしまったそうです」
「そうなると、宿屋を取れてよかったですね」
それからは、慌ててもしょうがないので、成り行きを見守ろうということになり、タツノリたちは眠りについた。
タツノリは眠る前に、竜を見たことをナオマサに話そうか迷った。だが、男が隠れるようにあそこにいたことを考えると、この国では竜は秘匿された存在なのかもしれない。軽々しく口にすることは、はばかられた。タツノリは心のもやもやを解消できないまま、眠りに落ちた。
翌朝、再び役人が来て、タツノリたちに寝泊まりできる寺を紹介してくれた。
いつまでも宿屋に泊まっているわけにもいかないので、この提案はありがたかった。
そこは徒歩でも行ける近場の寺で、この国の霊場の一つでもある。タツノリたちは現地の僧侶たちと共同生活することになった。住職は、貴重な体験ができると喜んでいた。
一方、馬で移動できない件についても、ちゃんと解決策を用意してくれた。
「紹介しましょう。馬術講師のウーダラさんです」
「あーっ」
タツノリは境内に現れた男を見て、指をさして叫び声をあげた。とたんに周りの人間すべての視線を集める。タツノリは恥ずかしくなって縮こまった。
「なんだよ、知り合いか」
「いやあ。気のせいだった」
何でここにいるのだろう。紹介された男は、昨日港の納屋で会った男だった。タツノリは不思議な巡り合わせに胸が高鳴った。
「彼は、急な募集にもかかわらず格安で皆さんの指導を引き受けてくれました。さあ、挨拶を」
役人の紹介に応じて、ウーダラは口を開いた。
「私が講師となったからには、必ず馬に乗れるようになることを約束しよう」
それからは、寺での修行と、馬術の稽古の日々が始まった。
タツノリは、ウーダラと二人きりになるときを見計らって、竜を見せてくれるよう何度もねだった。するとウーダラは、その度にお前にはまだ早い、と一蹴するのだった。
ウーダラの態度が軟化し始めたのは、馬を習い始めてから三ヶ月ほどが過ぎた頃だった。タツノリのしつこさに根負けして、断り切れなくなっていた。そして、ウーダラはとうとう、タツノリを竜に引き合わせることを約束した。
静かな夜だった。タツノリは皆が眠っているのを確認してから、寺を抜け出した。月が照らす道をひとり駆ける。門を抜けた先に、ウーダラが待っていた。
タツノリは高ぶっていた。いよいよ竜に会えるというのもあるが、深夜に抜け出すというのは、冒険心をくすぐった。タツノリはかつて味わったことのない気分に酔いしれつつ、ウーダラの後を追った。
タツノリは納屋に着くと、暗闇のなか目を凝らした。うっすらと全体が見えるが、それが竜なのかは分からない。
「よく見えんだろう」
ウーダラが明かりをつけた。たちまち竜の姿があらわになった。
「これは……精悍ですね……」
近寄ろうとするタツノリを、ウーダラは引き止めた。
「それ以上近づくな。何があるかわからん」
タツノリは不満をこぼしたが、ウーダラに従い、遠くから見るだけにとどめた。
それからは、タツノリは夜に寺を抜け出しては竜に会いに行った。それを何回も続けるうちに、日常のささいなことをウーダラに話すようになった。ウーダラも、竜についていろいろと教えてくれた。
あるとき、タツノリは自分の身の上を話し始めた。家族のこと、故郷のこと、気づけば本当に何でも話している自分がいて、タツノリは可笑しくなった。ウーダラの度量の広さがそうさせるのかもしれなかった。
「……ナオマサはさ、すごいんだよ。度胸があって、物怖じしない性格で。そのおかげで、何度も助けられた。誰とでも話せるし、やっぱり、みんなぼくみたいなおどおどしたやつより、活発なナオマサの方がいいんだよ。ナオマサは、きっといい僧侶になるんだろうな……」
「最近のお前は、口を開けばナオマサ、ナオマサだな」
ウーダラは静かに聞いてくれている。ウーダラの指摘した通りだった。タツノリはここのところナオマサとの思い出ばかり話していた。
「この留学で、何か変われるかな……」
タツノリのつぶやきは小さすぎて、ウーダラに届いたか分からない。
「外が白んできたな。そろそろ帰るといい」
気づけば相当長い時間がたっていた。タツノリはあわてて帰り支度を始めた。
納屋を出ると、入り口に見知らぬ男が立っていて、タツノリはぎょっとした。
「安心しろ。竜族だ」
ウーダラは男とぼそぼそ会話を始めた。しばらくすると、ウーダラはうなずいて、男は去って行った。
「悪いな。もうお前とは会えなくなった。ここにも来ないでくれ」
「えっ。どういうこと」
「戦況が変化した。この国の北部の都市が帝国に攻められているのは知っているな」
「そういえば寺でそんな話を聞いたような……」
「その戦いに、竜族が巻き込まれている。我らは助けるため加勢しなければならない」
「ま、待ってよ。馬術の稽古はどうするんだよ。ぼくとナオマサはいいとしても、住職はまだまだだよ」
「それについては、後任にまかせるとしよう」
ウーダラは竜を起こしにかかる。
「い、行かないで」
タツノリはだだをこねるようにウーダラを引き止めようとする。
「お前との密会も、これまでだ。潮時だろう」
「だ、だったら」
ウーダラが行ってしまう。焦ったタツノリの口から、ぽろっと言葉が漏れた。
「ぼくも連れてって」
ウーダラは落ち着いて首を振る。
「これは遊びではない」
「わかってるよ。ぼくはウーダラに、竜に会えなくなるなんて嫌だ。だから、ぼくは竜族になる」
「いい加減にしろ」
「決して一時的な感情に流されて言ってるんじゃない。本気だよ」
「ナオマサとも、故郷の家族とも、二度と会えなくなるかもしれぬぞ」
「それもわかってる。だから、ぼくを、あなたの手で竜族にしてください」
二人はお互いの真剣な表情を見つめた。やがてウーダラは観念したように目を逸らした。
「寺に戻って支度しろ」
タツノリとウーダラは急いで寺に戻った。竜に乗れないタツノリだけ、ここまで自力で走って来て息も絶え絶えだ。ウーダラは竜で門のところに乗りつけて言った。
「ここで待つ。馬を取ってこい」
タツノリはうなずいた。日が昇り始めている。そろそろ誰かが起きてきてもおかしくない。
タツノリは馬小屋に行き、強引に馬を引っ張る。馬も突然のことに、言う事を聞かない。タツノリはなんとかなだめすかして、鞍の上に乗った。
覚えたての馬で、拙い一歩を踏み出す。これからは、竜族としての日々が始まる。どんな艱難辛苦も耐え切ってみせる。そう意気込んだ。
「タツノリ……」
タツノリの耳に、聞き慣れた声が届いた。見ると、ナオマサが目を見開いて立っていた。
「こんな朝早くから馬の練習か。いくら何でも早すぎないか」
「ナオマサ……」
「今日だけじゃない。お前、毎日のように夜中に抜け出して、何してた」
真剣な眼差しで問い掛ける幼馴染みに、タツノリは叫ぶように自分の思いを届ける。
「理由は自分でも分からない。けど、やってみたいことがあるんだ。雲を突き抜けて、天空を駆け抜けて……。そんな心地を、一度でも味わえるとしたら、それは、何においても、優先すべきことじゃないか」
「……何のことを言っているんだ。一体どこへ行くんだよ」
「ごめん……ナオマサ」
タツノリは前方を見据える。
「行くな、タツノリっ」
「どうか元気で」
タツノリはそれ以上振り返らず、馬を走らせた。
ナオマサが何か言い続けているのが分かる。けれども、引き返すわけにはいかなかった。
「おれじゃ……無理なのか。お前を引き止めることは」
それが最後に聞いたナオマサの声だった。
タツノリは、ウーダラの後を追っているあいだも、ずっと唇を噛み続けていた。ナオマサの顔は見ずにいなくなるつもりだった。それが、最後の最後で、これで良かったのかという問いが残った。タツノリは自分を納得させられる術を見出せないまま、朝焼けを眺めた。
「ごめん……ナオマサ。だって……だって、別の自分が見えた。これじゃ、理由にならないかな」
その光に包まれても、少しも祝福されているようには感じなかった。




