逆鱗2
整然と並んだ竜の列が港を目指して延びている。道を進み港に近づくにつれて竜族の緊張は高まっていくが、ここまでの行程でけがや体調不良を訴える者はなく、順調に歩を進めている。港に着けば、竜のために設計された船に乗り込むことになる。帝国軍とはそこで合流する手筈になっている。
道中、ロビンはウーダラに気になることを尋ねた。
「タツノリは来ないのか」
「ああ」
「それでいいのか」
「本人が決めることだ」
ロビンはウーダラの横顔に少しさみしさがちらついて見えた。
「残って竜の乗り手を目指すか……」
「あいつも、自問自答を繰り返しているのかもしれぬ。決められた進路、約束された将来。本当にこのままでいいのか、とな。その熱量が、竜の乗り手になることに向けられている。おれはそう感じる」
「……そうだな。これまで、竜族になりたいと言ってくる者はたくさんいた。タツノリのときも、私は最初は夢見る少年の軽はずみな行動だとして取り合わなかった。だが、ウーダラにとっては、そうではなかったんだな」
「そんな話もしたか」
「したさ。……途中で去って行く者も、命を落とす者も、私とお前は、数え切れないほど見てきた。見ていればわかる。お前はタツノリを、特別に可愛がっている」
「露骨な言い方をするな」
「ははは。いい師弟だよ。お前たちは」
ウーダラは無言でうつむく。
「いい時代を作っていこう。私たちで」
「ああ」
タツノリにはウーダラに待っている間にやっておくよう言われたことがある。
それは毎日でも竜の泉がある山に登れということだ。
「今のお前になら、竜はこたえてくれるかもしれん」
タツノリはその言葉を信じて、早速馬を駆り出して山に向かおうとした。
だが、思わぬ邪魔が入った。
連日竜の巣を警護している帝国兵だ。馬に乗ったタツノリを見つけると、数名でかけつけてきた。
「どこへ行くおつもりですか」
「ちょっと山に用事が……」
「なりません。我々の目の届かない場所へ行かれると、安全を保障できなくなります」
「すぐそこなんですけど……」
「お戻りください。竜族の方々がいない今、皆さんをあらゆる危険から守ることが我々の務めです。もし何かあった場合、顔向けできなくなります」
そこまで言われると、タツノリも引き下がるしかなかった。
「やけに厳重だな……」
タツノリが去ったあとの馬小屋には監視がつけられた。今や竜の巣のいたるところで帝国兵が目を光らせている。いくら竜族全員が出払ったとはいえ、これはこれでやりすぎのような気がする。それでも、タツノリは諦めていなかった。
「昼間だめなら夜、だよな」
タツノリは夜陰に紛れて再度馬小屋の様子をうかがった。馬小屋にはぴったりと帝国兵が張りついている。途中、交替の兵が来たがその瞬間にもつけいる隙はなかった。
「どうしたものか……」
タツノリが二の足を踏んでいると、前方から話し声が聞こえてきた。どうやら帝国兵らしい。タツノリは近くの物陰に身を潜めた。
「本当に辺鄙なところにあるよな、竜の巣って」
「こんなところによく住めるよ」
「……あの作戦、うまくいくかな」
「日本に行くと見せかけて竜族の船を沈めるんだろ。成功するよ。帝国が何年も前から準備してきたことらしいからな」
「これで竜族も永久にお払い箱だな」
「あとは竜の巣の連中に竜族は暴風雨に飲み込まれて全滅したって告げればおれたちの任務は完了だ」
「早く戻りてえ」
「そうだな」
帝国兵が過ぎ去ったあとの物陰には、みるみるうちに青ざめたタツノリが立っていた。
大変なことを聞いてしまった。今の話が本当なら、竜族はまんまとはめられたことになる。竜族は帝国の寵臣ではなかったのか。タツノリは焦る気持ちを抑えながら、今できる最善の策を探した。
「キト、いるか」
タツノリは家に帰るなり大声でキトを呼んだ。
「なんですか」
「とんでもないことを聞いてしまったんだ。とにかくウーダラたちが危ない。知恵を貸してくれ」
タツノリは先程帝国兵から漏れ聞いたことをキトに話した。
「どうしよう。早くウーダラたちに知らせないと。ああ、でも帝国兵がいるから外に出られないんだよな、くそっ」
「落ち着いて。タツノリが外に知らせに行ければいいんですよね」
タツノリとキトが立てた作戦は、まず帝国兵の寝泊まりしている天幕に火を放ち、その騒ぎに乗じて竜の巣を抜け出すというものだ。
「大丈夫かな。もしばれたら……」
タツノリとキトは天幕にそっと近づく。
「タツノリの聞いた会話から察するに、帝国兵も里にいる者とは穏便にすませたいはず。不用意に騒ぎ立てたりしなければ、危害は加えないでしょう」
「そう……だよな」
「……行ってください。あとは、タツノリにかかっています。大役ですよ」
「ああ。すまない。恩に着るっ」
タツノリは馬小屋に目がけて走り出した。
火の手が回り始めている。馬小屋の警備は消火に向かったのか、誰もいなかった。
タツノリは急いで馬を起こす。馬は素直に応じてくれた。この馬とも、随分長い付き合いだ。
「いい子だ……よし」
帝国兵が火事に気を取られている隙に、ウーダラたちのもとに向かわなければならない。だが、タツノリには越えなければならない課題があった。竜が自分のもとに現れてくれるか、だ。馬では港までの道のりを踏破できない。いずれ限界が来る。どうしても、竜に現れてもらわなければ困るのだ。タツノリは必死の祈りとともに、竜の泉へ向かった。
「おい、誰か馬で逃げたぞっ」
「まずい。見つかった」
「捕らえろっ」
帝国兵が数名、馬で追いかけてきた。竜の泉への山道を登ったのは数回程度だが、なんとか地の利を活かして逃げ切るしかない。急いで向かいたい気持ちと、追跡から逃れなければならない状況とがせめぎ合う。タツノリは慎重に馬を進めた。
山道の途中の、道が二手に分かれているところで、タツノリは片方の道に馬の糞を置き、近くの茂みに隠れた。しばらくすると、帝国兵が三名、現れた。タツノリは馬とともにじっと息を潜めて帝国兵をやり過ごす。
「おい、こっちだ」
狙い通り、糞を置いた道に帝国兵を進ませることができた。タツノリはもう片方の道を進む。この道が、竜の泉へ続く道だ。
霧が深い。タツノリは山頂へ着くと、よく目を凝らして竜を探した。
「いないじゃないか……」
周辺を見て回ったが、どこにも竜はいなかった。
どうすればいい。タツノリは必死で考えた。今の馬が走れなくなったら、近くの町や村で別の馬と取り替えてもらうか。果たして見ず知らずの相手に馬を貸してくれるかどうか。馬を休めながら行くか。竜族も港まで全力疾走しているわけではない。いずれ追いつけるかもしれない。
そのとき、タツノリは山頂へ登ってくる人の気配を感じた。
「そこの者、止まれ」
先程の帝国兵だ。もう追いつかれてしまったか。タツノリは素早く馬に乗り、逃げ出す。今は捕まらないことが最優先だ。
「止まらんと、矢を撃つぞ」
帝国兵の警告が耳に届く。タツノリは無視して反対側の崖を駆け下りていく。タツノリの手綱さばきはなかなかのものだ。不安定な足場をものともせず、一気に麓までたどり着いた。
もう止まることはできない。タツノリは竜族の列に追いつきたい一心で馬を走らせた。まだそう遠くには行っていないはずだ。あの丘を越えれば、あの平原を抜ければ、やがて竜族の列が見えてくるはず。しかし誰もいない平原を駆けていると、タツノリの心に疑念が生じた。どうして竜は現れないのか。これが竜だったらよかったのに。タツノリはそうしてしばらく走ったあと、ふと後ろを振り返った。
「よかった。いないぞ」
とそのとき、体に激痛が走った。気がつくと、矢が右の脇腹に刺さっていた。
いったいいつから刺さっていたのだろう。タツノリは耐え難い痛みに苦悶の声を漏らした。
だが止まるわけにはいかない。今ここで止まれば、竜族全員の命が失われてしまう。痛い。知らせなければ。ウーダラに、ロビンさんに。痛い。行かないでくれ。これは、罠なんだ。痛い。
タツノリはとうとう落馬し、地面に転がった。出血は止まらず、意識は薄れていく。ここで終わるのか。自分も、竜族も。動かなければ。だが、自分の意志とは裏腹に、タツノリの目は閉じられた。