転校生
両親が死んでから5日が経った頃、児童養護施設の、ある一室に身を置いていた僕に、先生はこう告げた。
──犯人、亡くなったって…。
数秒ほど、思考回路が停止した。
犯人?亡くなった?死んだ?いつ?どこで?死因は?
嬉しいような、悔しいような、そんな感情が入り交じって混乱する中、告別式で出会った女の子の顔が脳裏にちらついた。
…まさかね。簡単って言ってたけど、そういう意味じゃないよね。違う違う。何言ってんだ。人を勝手に殺人犯に仕立て上げるなんて失礼にも程があるでしょ。
犯人の顔を見に行くかと問われたけれど、僕は断った。死人の顔を見たところで、何かが変わるわけではない。もう終わったことなんだから。
それに、明日からまた学校に行くことになる。ちゃんと気持ちを切り替えて行かなければ。もう同情の眼差しは御免だ。
翌日。告別式以来の制服を身にまとい、学校用のリュックを背負い、一週間ぶりに登校した。
施設から学校まではかなり距離があるため、施設を通るバスに乗り、学校の近くにあるバス停で降りた。
これからはこの経路で学校まで行くことになるんだな…。
「お、おはよう…」
「おはよう」
案の定、みんな気を遣っているのか、挨拶がぎごちなく感じた。
特に仲のいい友達がいるわけでもない為、さほど気にはしない。けれど、視線が集中していることに対しては、少しむず痒いような、不快なような、複雑な感情を抱いていた。
今日一度目のチャイムが鳴り響いた。
生徒達が席に座り、私語などでざわついている中で、教室の前方の扉が開く。
「おっはよ〜、諸君!」
とても威勢のいい声。ゴツい体。
見るからに体育教師を連想させる、理科担当の鬼川先生が、僕のいる2年3組の担任だ。
「あれ誰?転校生?」
「そんな話聞いてないけど…」
ふとそんな声が聞こえ、図体のデカい鬼川先生の隣に目をやると、見覚えのある女の子が、ブレザーではなく、この学校のセーラー服を着て立っていた。
──思わず目を疑った。
昨日、施設の先生から聞いた言葉に惑わされて、そう見えるだけなのでは?
なんて思って、一度目を逸らし、今度は目を凝らして見てみるけれど、やっぱり告別式で出会ったあの女の子と瓜二つだった。
「転校生の東條 恵愛さんだ。仲良くな〜」
彼女はぺこりと頭を下げ、鬼川先生に指定された席に座る。
──その席は、偶然にも僕の右隣だった。
「よろしく」
席に座ると同時に呟かれた声に、背筋が凍るような感覚がした。
授業が始まってからも、隣が気になってしまい、授業の内容が頭に入ってこない。
運悪く、今日の一発目は数学だった。
数学は嫌いではないけど、担当の砂川先生が苦手な為、とても苦痛だ。
「じゃあ、御坂。この問題を解いてくれ」
「………へぁっ、僕?!」
不意に当てるだなんて、卑怯だ。
お陰様で、みんなにクスクスと笑われている。
全くと言っていいほど授業を聞いていなかったので、どの問題をやっているのかすら分からない。
更には、目が悪いくせに眼鏡もコンタクトも持っていない為、黒板すら見えない。
「えっと…」
「まっ、分かるわけないよな〜。ずっと転校生のことチラチラ見てたし」
「………」
これだから砂川は嫌いだ。
問いに答えられず、机に置いてある教科書に目を落とすと、そこには1枚のメモ用紙が置かれていた。
「p=3…?」
「……せ、正解だ」
「えっ…?」
無意識に読み上げた“p=3”は、先生が出した問いの答えだったようだ。
力が抜けたように席に着き、メモ用紙を見返すと、右下に“感謝しろ”と小さく書かれていた。
こんなことしてくれる友達いたっけ…?
何となく、右隣に視線だけを向けると、机に立てた教科書に隠れて、僕に向かって親指を立てる女の子。
……やっぱり。
数学を乗り切り、10分間の休憩。
苦手な砂川がいなくなった教室で、今では忌々しくも思える教科書をしまう。
右隣では、スクールカーストの上位にいるような男女達が、東條恵愛の周りに群がっていた。
「どっから転校してきたの?」
「上丘高校からです」
「隣町の?」
「はい」
「上丘って結構な金持ち校だって聞いたことあんだけど…」
「あそこの制服持ってるの?!」
「持ってます」
「めっちゃ可愛いやつじゃん!今度見せて!」
「私のでよければ」
まず初めに思ったこと。僕に対する態度と全然違う。
あんなにお淑やかではなかったはず。あんなに優しく笑う女の子ではなかった…はず。
別人?いや、瓜二つだし…。
「御坂のやつ、また見つめてんぞ?」
「一目惚れってやつぅ?」
思わず目を逸らした。
高校生ってどうしてすぐ茶化したがるんだろう。
もう何も考えないでおこう。所詮、両親の知り合いの娘ってだけだ。その知り合いが誰かも分からないし、苗字を聞いてもピンとこないってことは、大した知り合いではなかったんだろう。
4時限目を終え、やっとのことで昼休みを迎えた。
昨日、コンビニで買った昼食を持って、教室を出る。
うるさい空間はあまり好きではない為、いつも中庭の端にある大きなヒノキの下で昼食をとっている。
今日も中庭に向かい、見慣れたヒノキに凭れかかり、そのまま地面に腰を下ろした。
施設の先生が弁当を用意してくれるらしいけれど、受け取る気にもなれず、お金は勿体ないがコンビニに頼った。
「ぼっち飯?」
ポリ袋からおにぎりを取り出した時、頭上に女の子の声が降り掛かってきた。
「…えっと、東條…さん?」
「“あやめ”でいいよ。隣いい?」
「……どうぞ」
気さくに話しかけてくる彼女は、見るからに友達なんてすぐにできてしまうタイプの人間だ。
しかも、“転校生”なんていうブランド付きで、一目置かれる存在だというのに、こんなところで僕に何の用なんだろうか。
「施設での生活はどう?」
「……なんで知ってるの?」
両親が亡くなったとは言え、親戚の元へ行くなど、様々な選択肢はあるのに、どうして施設だと分かったのか。不思議でならなかった。
「……いきなり失言してしまった」
「はい?」
彼女は頭を抱え、立てた膝に顔を埋めた。
かと思えば、即座に「なんつって」と、顔を上げた。
「りゅうすけ?くん?だっけ。りゅうすけって呼んでい?」
「“りゅうのすけ”です」
「面倒だから“りゅうすけ”で」
「たった一文字…」
人の話を聞いているのかいないのか。彼女は「話変わるけど」と、体を僕に向けた。
「りゅうすけの両親には本当に世話になってたの。だから亡くなったって聞いた時はビックリした。しかも殺しだなんて」
「……そう」
まぁ、世話になっていたのは彼女の親のほうだろうけど。
「世話になっていたのは私の親のほうだとか思ってる?」
「──っ?!」
思っていたことをそのまま口に出され、心臓が跳ね上がった。
「話の流れ的にそう思うよね〜。んまぁ、間違ってはないけど。でも、実際に世話になっていたのは私のほう」
「…どういうこと?」
「ほんとに何も知らないの?」
「知らない…って?」
「うわぁ〜、すんげぇ守られてんのなぁ〜」
「えっと…何が…?」
彼女は面白可笑しそうに笑い、耳を疑うような発言をした。
「私の家に来なよ」
「…………は?」
「施設じゃ、あんま自由にできないっしょ?朝起きる時間も決められてるし、常に人がいるし。息苦しくない?」
息苦しい…か。言われてみればそうだ。
ルームメイトや先生など、悪い人ではないけれど、常に学校にいるみたいで居心地はあまり良くない。
「無理に…とは言わないけど、りゅうすけには両親の仕事を継いでもらいたいんだよね」
「仕事を?」
「詳しいことは放課後、うちで話すよ。その時に決めればいい」
「……う、うん?」
どうやら、そのことだけを話しに来たようで、彼女は立ち上がり、制服のスカートについた砂埃を払いながらその場を離れて行った。