第八話
宝珠は剣士の言った言葉を心の中で反芻していた。
”自分を幸せにする…?”
手にかけてしまった家族や自分の身代わりにいなくなってしまった炎珠を思うと自分は幸せではいけないとどこかで思っていた。
セオングが根気よく看病し生かしてくれ、白虎に出会いこんなぼろぼろな自分を愛してくれ一瞬一瞬を大切に生きようと思わせてくれた。
これ以上幸せなの事などあるのだろうか?
父や母と暮らしていた頃はとても幸せで、恐怖も悲しみも感じず、平和に満たされ愛にあふれていた。幸せを全身で感じていた日々。
もう父や母や妹はいないが、明るく優しい白虎がそばにいて、いつも笑わせてくれる…毎日が平和で、安心できるのだ。
白虎は本当に大切に優しく愛してくれる。だからその愛を受け入れた。
”なぜ幸せだってすぐに答えられなかったのだろう ”
心の中、何かが引っかかっていて、抜けない棘のように、ちくちく痛む。
白虎が先ほどもらった酒を飲みながら宝珠に饅頭を勧める。
1つを食べきれないならと半分に割って宝珠の手をとり、手のひらに乗っけてくれる。
宝珠は白虎の目を見る。白虎は目を大きくさせて宝珠を見る。
「なに?」
「ううん…なんでもない…私は…幸せですわ…」
自分に言い聞かせるように宝珠が答える。
白虎は少年のような笑顔で答え、少し顔を赤らめる。
「ほ…ほら…食べてみなよ。母さんの作った饅頭とどっちがうまい?」
照れ隠しに饅頭を勧める。
「お母様の作った饅頭のほうがおいしいに決まってますわ」
笑顔でそう答え白虎を見る。ふと白虎の後ろ、茶屋の入り口の外に目が行く。
宝珠の視界が何かを捕らえる。
見ているものと思考がついてゆけず、まるで幻を見ているかのようにボーっとしていると、胸がギューっと苦しくなり胸を押さえ苦しむ。
白虎がすばやく宝珠のそばに来て、背中をさすってくれる。
そして視線を元に戻すと、そこにはボロボロななりをし、ひげを生やしているが、確かに懐かしい顔がこっちを向いて立っていた。
「宝珠・・・?・・・宝珠!…宝珠!!!」
駆け寄って宝珠に抱きつくセオング。
涙を流し宝珠をぐっと抱きしめる。宝珠はハッと我に返る。
本物だ…幻ではない本物のセオングなのだ。
「心配したんだぞ…身体は大丈夫なのか?」
白虎はにらみながら、ふたりを引き剥がすと
セオングの胸ぐらをつかみ、立ち上がり殴り飛ばした。
何がどうなっているのかわからないセオングは、宝珠を見る。
次につかみかかり殴ろうとしている白虎を、あわてて宝珠が止める。
「白虎…お願い…やめてください」
白虎は宝珠に言われて押しとどまる。
「お兄様…大丈夫ですか?」
そういいながら、セオングの口の端から血が出ているのを、かがみながら袖の端で拭く。
ヒゲであまりわからなかったが、やつれてやせてしまっている。
前なら殴り飛ばされることもなかっただろう。
ほんの少しの期間離れていただけなのだが宝珠には何年にも感じられる。
「宝珠! そんなヤツにかまうな!」
そういいながら引き剥がし白虎の後ろへと宝珠を引っ張る。
「お前はオレを選んだんだ…だから受け入れてくれた…そうだろう?」
「白虎…」
そういわれると何もいえなかった。
「お前は、宝珠を泣かせて苦しめ、見捨てた! オレはどんなことがあっても見捨てねぇ!!」
「白虎…違いますのよ…お兄様は…」
見捨てたわけじゃない、自分があまりにも幼かったのだ。…そう言おうとした。
「すまない…宝珠…その男の言うとおり。私が悪いのだ。…でも…よかった…生きていて…」
じっと宝珠と白虎を見るセオング。
「いい人ができたんだな…お前をちゃんと支えてくれる…」
と宝珠に聞くが、白虎が割って入り
「そうだ!!」
と答える。セオングは寂しそうな笑顔で
「そう…か…宝珠が幸せなら…それでいい…おめでとう…宝珠…」
立ち上がりながら、宝珠に向けるまなざしは優しく、愛に満ちたものだった。
宝珠は白虎が話をさせてくれないのでずっとセオングの姿だけを見つめていた。
それに最後のひと時を白虎と共に進む道を選んだ今、何が言えるだろう。
あれからずっと宝珠を探し回ったのだろうか…好青年でさわやかな優しいセオングの影はない。きっと誰も同じ人だとは気がつかないだろう。
でも宝珠には一目でわかってしまった。
”本当は会いたかった。声を聞きたかった。帰りたかった ”
心の中でセオングに話しかける。
帰りたくとも白虎が許してくれないのもあったが、帰っても長くはないこの命、何度も悲しい思いをさせるだけではないかと思うと、会わないほうがいいような気がして、帰ることをあきらめたのだ。
”今、ふれるほど近くにいる。なつかしい低く通る声も聞こえている ”
再会してからずっと胸が痛くて張り裂けそうだ。
けれど ”おめでとう” というセオングの言葉に大きな距離を感じる。
「身体は…大丈夫なのか?」
優しく気遣う言葉…
「お前に気遣われなくても大丈夫だよ!! 帰れよ!!」
白虎は食って掛からんばかりの勢いだ。
「すまん…帰るよ。……宝珠…幸せに、さよなら」
店の入り口に向かって出て行くのを、宝珠はじっと見つめていた。
もう2度と会えないかもしれない…
「に…い様…」
小さな声でつぶやく。息が荒くなってくる。
はぁ・・・はぁ…はぁ…
「…ゴホ…ゴホ…ゴボッ…」
宝珠が大量の血を吐きその場に倒れる。
「宝珠!!」
白虎が叫び宝珠を抱きかかえる。白虎の叫び声にセオングが振り返ると、白虎に抱えられた、意識を失った血まみれの宝珠を見る。