第三話
それから宝珠の身体も回復し,旅に耐えられるだけの体力も出てきたので、静養中うわさで聞いた、北の長老という人のところへ行くことにする。
その人はかなりの智慧者で、いろんな方面の物事に長けているらしい。
医者としてもかなりの知識と腕で、すべてを弟子に教えて表には顔を出さないらしいが、セオングはその人に会って、宝珠の発作の治療をしてもらうことにしたのだ。
「具合が悪くなったらすぐに言うんだぞ、遠慮せずに」
「はい…セオングお兄様」
いつ発作がくるのかわからないので、1頭の馬に宝珠を支えるようにふたりで乗る。
宝珠は相変わらず兄と慕ってくれるが、昔ほど笑わなくなった。時々遠い目をし、セオングを気使い自分の事を後回しにしようとする。
ある日ソンスの街中に差し掛かった時、前に乗っている宝珠の身体が小刻みに震えているのに気がつく。
「大丈夫か?」
後ろから声をかける。
「大丈夫ですわお兄様」
宝珠は振り返り、笑顔でそう言った直後に意識を失ってしまう。
いつも宝珠は大丈夫だというので、そのまま信じて旅を勧めていたが、身体にはかなり負担だったらしい。
セオングは町のはずれに宿を取り、そこでしばらく休むことにした。
宝珠を寝台に横たえさせると、医者を呼びに行くため宝珠のそばを離れようとした。
すると袖を何かにひっかけたようで、振り返ると宝珠が目を覚まし袖を引っ張っていた。
「起きたのか?」
セオングが微笑んで宝珠をみつめる。
「お兄様…ごめんなさい。ご迷惑をおかけして。セオングお兄様もつかれていらっしゃるのに…」
「迷惑だなんて思ってない…っていつも言ってるだろう?」
おでこをつんとつつきながら笑顔を作るセオング。
本当なら無理をして具合の悪いことを言わない宝珠を怒りたかった。でも今の弱々しい宝珠をみると何もいえないのだ。
昔の物怖じしない朗らかなのんびりした性格だった宝珠は今、まるで自分が存在していることが悪いことのように振舞う。
深い心の傷を思うとセオングも心が痛んだ。
「ごめんなさい…」
「私はもう大丈夫ですわ。お兄様、ちゃんとお休みになって。いつも私の看病ばかりで休んでいませんもの」
そういいながら起き上がろうとする。それをあわてて止めて横にさせ、布団をかける。
「私はちゃんと休んでるよ。お願いだから宝珠…自分の事を大切にしてくれ」
宝珠のほほに手を当て、ため息混じりに言うセオング。
「ごめんなさい…セオングお兄様…」
セオングの手を拒むかのようにふいと横を向いて宝珠が答える。
行き場のなくなった、宙に浮いている手を握りしめ、医者を呼ぶために部屋を出てゆく。
ここの宿は裏が竹林になっていて、風が吹くとさやさやと葉のすれる音が聞こえてくる。
宝珠はセオングがいなくなって、静かになった部屋の外に響く葉ずれの音に気がつき、寝台のすぐ横の窓を開けると綺麗な緑が目に飛び込んでくる。そしてさやさやとさわやかな風がほほをなでてゆく。
なんだかほっとして、窓の枠にひじを突き、ボーっと外を眺める。
”ガサガサッ”
葉の擦れ合う音とは違う音がして笹の木がゆれる。その揺れたほうを見ると、何か白い大きな丸いものが動いている。
次の瞬間その動くものは笹の間から姿を現す。
虎だ。それも白い虎。しなやかで美しい体を止め宝珠を見つめる瞳。
目が合い、じっと見つめあう虎と宝珠。不思議と怖さは湧いてこない。
どのくらいみつめあっていただろう。”かたっ”と音がして振り返ると、セオングが扉を開けるところだった。そしてまた虎のほうを向いたときには、もう虎の姿はなく、さわさわと笹の葉の緑が揺れているだけだった。
医者が帰ったあと、セオングは少し様子がおかしかった。いつもならずっと付き添って介抱してくれるのだが、町に買い物に出ると言って出て行く。
セオングの頭の中に医者に言われた言葉がぐるぐるとまわる。
”かなり弱っておる。旅の疲れもあるが、少し前の食事ができないほど弱っていたということと、精神的なものが一番影響していて病状はかなり進んでいて、もってあと数ヶ月だろう”
≪宝珠が死ぬ?≫
青龍にも言われていた。朱雀の力はもう及ばず、今までの影響で死もありえることだと。
セオングは宝珠の顔を見れなかった。それで無理やり用を作って町に出たのだ。
ようやく生きていこうとしている宝珠の前で、死ぬかも知れぬなどとおくびにも出すことはできない。
町に出ると酒をあおり、どこにも出せない憤りを売られた喧嘩で晴らそうとした。
夜、セオングは酔っ払って部屋に戻り、扉を開けると、どさっと倒れこむ。宝珠が何事かと駆け寄ってくる。
酔っ払って酒の匂いをぷんぷんさせ、殴られたあとや切り傷、かすり傷で血だらけになっていた。
「お兄様!!」
びっくりして自分の袖の布でセオングの頬の血をふき取る。
セオングはその宝珠の表情をじっと見ながら
宝珠の頬にそっと手を当て、顔を近づけ唇を重ねる。
宝珠はどうしていいかわからず、顔を赤くしながらセオングの胸を両手で押しよける。
「い…やっ…セオング兄さま…」
セオングは ふっ…と寂しそうな笑みを浮かべ
「にいさま…か…」
「私は…宝珠にとって兄でしかないのか?…」
「なぜ…遠慮するのだ!なぜ苦しければ苦しいと私に言ってくれないのか!!なぜ頼らない!私ではいけないのか!!」
”違う”と言いたかった。
いつも甘えられたらいいと思っていた。
自分の病気のせいで迷惑をかけている以上に困らせることはしたくなかった。
いつになく激しく怒るセオングに、宝珠はどうしていいのかわからず、不安な表情で見つめ返すしかなかった。
セオングは宝珠と共に過ごすうち、支えなければ倒れてしまうような、ふれれば消えてしまいそうな宝珠に、だんだんと守りたいと思う以上の感情が芽生え始めているのに気がついた。
宝珠は身体こそ大人だが中身は10歳のまま。純粋に兄と慕ってくる宝珠に心苦しさを覚えていた。
遠慮をしてぼろぼろな身体になるまで無理をしている宝珠を見ると悲しくて仕方がなかった。
そして自分を頼ることさえしない宝珠を腹立たしくも思った。
それ以上何も言う事ができずセオングは”バン”と床を拳で力いっぱい殴り、宝珠から離れ、扉を乱暴に閉め、部屋を出て行く。
宝珠はセオングが怒って閉めた扉を呆然と眺めていた。
扉は閉まったまま…まるで自分が拒否され、一人きりになったような感覚に陥り、息が荒くなり、体中が震え、発作に変わっていった。
一人っきりの静かな空間で震えているとまるで永遠にこの時間が続くような気がする。
過呼吸ぎみになり何度も意識が遠のきそうになる…
今まではいつもセオングが抱きしめてくれていた。そうするとどこか安心してすぐに収まるのだ。
今は一人…誰もいない…苦しくて寂しくて怖くて涙があふれてくる。
キィ…
扉が開く。
『ようやく見つけましたわ』
扉の前に立っているのは綺麗な紫と黒の服を着た女性。
切れ長の目に色っぽい唇。
宝珠を見てにやっと微笑んでいる。
宝珠は人の気配に目を開けようとするが苦しくてできない。
『神殿に着くまでしばらく眠っていただきましょうね』
そういうと何か薬のようなものを宝珠に嗅がす。
嗅いだとたん意識が朦朧とする。意識がなくなる瞬間、誰なのか確かめようと目を開けると目の前に大きく白い影が割って入るのが見えた。